13 呪具
広場の空気は瘴気に汚染され、淀んでいた。
すえたようななんとも言えない不快な臭いも漂っている。
一周目の世界で、牢獄の小窓から覗いた赤紫の空と比べればその程度は低い。
それでも、黒斑病を発症させるには十分だ。
「ここのどこかに発生源があるはずです」
「探そう」
発生源――おそらくは呪具がどこかに隠されているに違いない。
周囲では騎士が住民を瘴気のない場所に誘導している姿が見える。
元気な人たちもいるが、ずっとこの状況が続けば、黒斑病を患うことになるだろう。
場合によっては魔獣が発生してもおかしくない。
ユリウスとともに、特に瘴気が濃い場所を辿っていく。
その先には――
「井戸……」
その口からは瘴気が溢れている。
リアナは戦慄を覚えた。
井戸の水はここに暮らす人たちの生活の要だ。
その水が汚染されるということは、下手をすれば住民の命が失われる事態に繋がる。
局所的に瘴気が自然発生したのなら仕方がないとも言えよう。
だが、おそらくこれは人為的なものだ。
誰かが意図的に呪具を使った。
そして、それはおそらく――
そこまで考え、リアナは頭を振った。
犯人捜しの前にするべきことがある。
「ユリウス様、私が下りて呪具を探します」
今、最優先すべきは瘴気の浄化だ。だから、リアナは井戸に降りようとした。
「いや、俺が行こう。リアナ嬢には荷が重い」
しかし、ユリウスはリアナを止めた。夜会用のドレスよりは動きやすいとはいえ、彼女はドレスを着ている。
とてもではないが、井戸に降りることなどできない。
体力的な意味でも難しいだろう。
「ですが、これほど濃い瘴気です。耐性のある私でないと……」
ユリウスが黒斑病を発症するかもしれない。
「君が怪我をしたら大変だ。それに、万が一のときは君が治してくれると信じている」
ユリウスの言葉にハッとした。彼に「信じている」と言われたことが、こんな状況だというのに、胸を温かくする。
リアナもユリウスのことを信じているから託すことにした。
「……ユリウス様、よろしくお願いします」
「任せておけ」
ユリウスはカチャカチャと鎧の音を立てながら器用に井戸の内壁を伝い、下に向かっていく。
確かにそんな芸当がリアナにできるとは思えない。
井戸の口を覗き込むと、ランタンの明かりが見える。ユリウスが内部を照らしていた。
やがて彼が戻ってきたが、その手に呪具らしきものは持っていない。
「どうでしたか?」
「それらしきものは見当たらなかった。既に呪具は回収されたのかもしれないな」
「そう、ですか……今ある瘴気だけでも浄化しないといけません」
リアナはポーチから聖具を取り出し、井戸の縁に置いた。
これだけ濃い瘴気なので、『封印の儀』よりも多くの血が必要になるだろう。
ナイフでいつもより大きな傷を作り、血の一滴も無駄にしないように、聖具に押しつけた。
ジンジンとした痛みと引き換えに、聖具は浄化の光を放つ。
少しふらついたが、ユリウスが横から支えてくれる。
赤紫に濁った空気は清浄なものに変わっていった。
井戸の瘴気が完全に消え去ったのを見計らい、リアナは聖具から手を離した。
ユリウスが傷を優しく圧迫し、止血する。さらにいつも持ち歩いている傷用の軟膏をさっと塗り、包帯を巻いてくれた。
「ありがとう、ございます」
礼を言うリアナに、彼は肩を竦めた。
「俺にはこれくらいしかできんからな」
「いてくださるだけで心強いです」
いつもより多めに血を捧げた影響か、リアナが倒れそうになるのを、ユリウスが抱きかかえた。
住民の避難誘導をしていた騎士が集まってくる。
「ユリウス分隊長、瘴気が……」
「ああ。リアナ嬢が浄化してくれた」
その言葉に騎士たちから歓声が上がった。リアナを褒め称える言葉が飛び交う。
「落ち着け。リアナ嬢を落ち着ける場所に連れていく。ここからだと訓練場が近いな。そこのお前、リアナ嬢の荷物を頼む」
リアナはユリウスに抱えられたまま運ばれる。
彼に密着できることが嬉しいやら、他の騎士の目があって恥ずかしいやらで、心の内は大変だ。
だが、手足に力を入れにくい状態なので、彼に身を預けたのだった。
◆
騎士団の訓練場にあるユリウスの執務室でしばらく休んだことで、リアナの体調は徐々に回復した。
激しく動かなければ大丈夫だ。
ユリウスと互いに礼を言ったり言われたりしていると、不意に扉がノックされた。
『ユリウス、いるか?』
聞こえてきたのは、騎士団長ヴァルド=グライムの重厚な声だ。
「はい。お入りください」
ユリウスが返事をすると、ガチャと音を立てて扉が開いた。ユリウスよりもさらにがっしりとした体格の男が入ってくる。
さっと立ち上がったユリウスの隣に、リアナも並んだ。もう、ふらつきはない。
ヴァルドが鋭い視線をリアナに向ける。それだけで緊張が走る。
「リアナ=アルクエルだな。お前に呪具持ち出しの疑惑がかけられている」
彼は開口一番にそう告げた。
当然、心当たりなどない。
「……」
「下町で黒斑病が流行していた件だ」
ぎろりと睨まれ、汗が額を伝う。
「団長、お待ちください。その件であれば、先ほどリアナ嬢が解決しましたが? 報告が遅くなったことは申し訳ありませんが、彼女を休ませないといけなかったもので」
絶句するリアナに代わり、ユリウスが説明してくれた。
だが、ヴァルドの視線は緩まない。
「王宮の宝物殿から呪具が持ち出された形跡があった。下町のことを心配したカタリナ様の進言で調べたのだが、確かに呪具が一つなくなっていたのだ」
「ではやはり、下町で呪具が使われたのですね。先ほどは見つかりませんでしたけれど、もう一度――」
「不要だ」
今度は念入りに調べたいと思ったリアナの発言を、騎士団長は短く遮った。
「宝物殿に入れる者は王族、そして聖女一族だけだ。王族もカタリナ様も呪具を使う意味がない。つまり……」
彼女はヴァルドの突き刺さるような視線を受ける。
「まさか……私をお疑いになっているのですか?」
「調べれば分かることだ」
ヴァルドは後ろに控えていた騎士に顎で合図をすると、若い騎士がリアナの持ち物を検め始めた。
当然、後ろ暗いことなど何もないので、緊張はすれど心配はしていない。
しかし――
「団長、ありました!」
若い騎士の声に、彼女の頭が真っ白になる。
彼が手にしていたのは、短剣の形をした呪具だった。
「なん、で……?」
「やはりな。隠される前に動いてよかった。連れていけ」
数名の騎士に囲まれ、リアナの足が竦む。
彼らは、リアナが下町の瘴気を浄化したとき、歓声を上げていた者たちだ。
それが、今では侮蔑と恐怖の目を浮かべている。
彼女のことを「自作自演の犯罪者」と考えているのだ。
「団長! 彼女は今日、久しぶりに俺の家から出たんです。呪具を仕掛ける時間なんてありませんでした!」
ユリウスが声を張り上げるが、ヴァルドは取り合わない。
「お前は彼女のいわば身内のようなもの。その証言にどれだけの価値がある?」
「な……!」
目を見開くユリウスに向かって、リアナは無理に微笑んで見せた。
「ユリウス様、大丈夫です。何かの誤解ですから」
「だが――」
「私は大丈夫です」
彼女は繰り返した。
もちろん、何が起こっているのか、なぜ自分のポーチから呪具が出てきたのか理解できない。
それでも、ここでユリウスが暴れれば、彼の経歴に傷がついてしまう。
この連行は何かの間違いなのだから、誤解を解ければ、すぐに解放されるはずだ。
その意図が伝わったのか、ユリウスは拳を固く握ったままそれ以上何も言わなかった。
「連れていけ。まだ犯人と確定したわけではない。丁重に扱え」
ヴァルドがもう一度、部下に命令を下す。
こうしてリアナは呪具所持と瘴気散布の疑いで、連行されることとなった。




