12 不自然な病
リアナがこじんまりとした客間で目を覚ました。
アルクエル邸の見慣れたものではなく、ユリウスの屋敷の天井だ。
イリスの生誕パーティ以来、リアナはカタリナから深い恨みを買っている。
公衆の面前でユリウスを奪い取ろうとしたカタリナが住む屋敷に、リアナを返すのはリスクが高い。
そう判断した彼は、リアナを自宅に避難させたのだ。
リアナは最初は断ったが、最終的にはユリウスの熱意に負けて、了承した。
彼女自身も身の危険を感じたし、ユリウスと過ごせる時間が長くなるのは嬉しい。
この屋敷はアルクエル邸に比べると、小さなものだ。
だが、元々リアナは自宅でも、私室や食堂、庭園など決まった範囲しか行っておらず、ローヴェルト邸の狭さに何の文句もない。
むしろ、無駄に広く感じず、居心地がよいとさえ思っている。
ユリウスが雇っているマーサというメイドは、突然居候することになったリアナに対しても寛容だった。
そもそも、ユリウス相手でもまったく物怖じしない。
口調こそ丁寧だが、からかうような響きも含まれている。
リアナの身の回りのこともマーサがしてくれる。
「聖女様、荒れてるらしいですよ」
そんな彼女からの言葉だ。
あの姉が取り乱す姿は想像できないが、リアナへの恨みを募らせていることは予想できる。
『わたくしに恥をかかせたこと、絶対に許さない』
夜会でのカタリナの言葉が、耳にこびりついている。
あの場ではユリウスを諦めたように見えた。しかし、怨嗟の視線からは、ユリウスのことをまだ狙っていることが窺えた。
「リアナ様、気をつけてくださいね」
マーサが客間のベッドシーツをテキパキと交換しながら話す。
「ええ、分かっています」
「まあ、旦那様の意向で屋敷に軟禁状態ですけどね」
リアナが頷くと、マーサは悪戯っぽく笑った。貴族であるリアナとも気さくに接してくれるので、堅苦しくなくていい。
それに彼女が言うことも間違っていない。
軟禁はさすがに言い過ぎだが、外出中にカタリナから危害を加えられる可能性がある以上、ほとぼりが冷めるまではローヴェルト邸でのんびり過ごすことになったのだ。
ゆえにここ数日、彼女は屋敷から出ていない。
日中はマーサと話したり、厨房で料理の練習をしたりする。そして、夜には『封印の儀』をしたり、ユリウスとゆっくりしたりして過ごしている。
「聖女様を補助するためにしていた儀式ですよね? もうしなくてもよいのでは?」
マーサはそう尋ねたが、リアナは首を横に振った。
姉の助けとなるためではない。一周目の世界で経験した破滅を回避するために、『封印の儀』は必要だ。
だから、彼女は定期的に聖具に血を捧げている。
そんな優しく穏やかな生活をしていたある日のことだ。
ユリウスが焦燥感を漂わせて帰ってきた。
リアナは、眉を寄せて険しい表情をしたユリウスに訊く。
「あの、ユリウス様、難しい顔をしていますけれど、何かあったのですか? まさか、またお姉様が……?」
自分が騎士の訓練場に行けない間に、カタリナがユリウスに会いに行っているのではないか。
そんな疑問が頭に浮かんだ。
「安心してほしい。聖女様とは全然会っていない」
「でしたら、一体何が……?」
ユリウスがじっとリアナの顔を見つめ、しばらくしてから溜め息をついた。
「……君ならいずれ気づくだろうから、教えておこう。できれば言いたくはないんだが」
頭をぽりぽりとかくユリウス。
その様子にリアナは事情を察する。
「もしかして、瘴気関連ですか?」
「本当に勘がいいな」
彼は困ったように小さく笑うと、話し始めた。
「簡潔に言うと、下町で黒斑病が広がっているんだ」
「黒斑病が……?」
貧民街に溜まっていた瘴気を祓ったのはつい先日のことだ。
場所が異なるとはいえ、同じようなことが起こっているのは異常といえる。
リアナは『封印の儀』を定期的にしている。それに、いくら彼女のことを恨んでいたとしても、カタリナも聖女としての務めをしているはずだ。
「お姉様はそのことを知っているのでしょうか?」
「……日々の疲れで手が回らないそうだ。ヴァルド団長からそう聞いている」
「そんな……でしたら、私が行きます」
リアナはすぐに決意した。
どこから破滅に繋がるのか分からない以上、対処できるならするべきだ。
「君ならそう言うと思ったよ」
苦い表情をするユリウスに、リアナは告げる。
「きっと王国を守ることに繋がります。だから、どうか私を行かせてください」
「放っておけば魔獣が騎士が対応できないほど多く発生するかもしれん。聖女様が動かない以上、いずれにせよ君に頼らざるを得ない。騎士として恥ずかしい限りだが……」
魔獣を斃すことはできても、その根源である瘴気を祓うことは、聖女の一族にしかできない。
「私なら大丈夫です。もし、魔獣が発生したら、その時は守ってくださいね」
以前のリアナなら、一人で抱え込もうとしただろう。
しかし、ユリウスとの信頼関係が築けた今、そうしたお願いを口にできるようになった。
「無論だ。だが、君も無謀なことをしないでくれ」
「はい」
「今日はもう暗くなる。明日、俺の分隊が調査に向かうことになっているから、同行してほしい」
彼女は力強く頷いた。
ユリウスに頼られることが嬉しい。
本当なら今すぐにでも下町に向かいたいところだが、彼から「無謀はやめろ」と言われたばかりだ。
焦る気持ちをなんとか抑えた。
◆
翌朝、リアナはユリウスとともに下町に向かった。
「これは……」
瘴気の溜まり具合に絶句した。リアナの瞳には、赤紫に濁った空気が映っている。
このようなところに長居するだけで、黒斑病を発症しかねない。
実際に、体力の少ない子どもや老人には既に多くの患者が発生している。
一人ひとり治療していったとしても、意味がない。
瘴気をどうにかしないことには、癒やしたところで、また発症するだけだ。
「リアナ嬢、どうだ?」
「なんだか嫌な感じがします。もしかして、黒斑病の患者様は一定の範囲内にいるのではないでしょうか?」
瘴気がない区画と漂っている区画がきれいに分かれている気がする。
もしそうなら、自然発生した瘴気ではないかもしれない。
「取り急ぎ、患者たちが住んでいた場所を洗い出せ」
ユリウスが部下に命じる。その統計はすぐに集まった。
部下の報告を元に、ユリウスが地面に広げた地図に点を打っていく。
地図を覗き込んだリアナがぽつりと呟いた。
「やっぱりこれは……」
「何か分かったのか、リアナ嬢?」
ユリウスがリアナを見上げる。
「はい。患者様の発生場所が円の中に収まっています。これが意味することは――」
「自然発生ではなく、人為的なものの可能性があるということか」
彼女の言葉をユリウスが引き継いだ。
彼の部下の間に、動揺が走る。
「だが、瘴気を故意に発生させることなど可能なのか?」
首をひねるユリウスに、リアナは声の調子を落とした。
「可能です。『呪具』を用いれば、意図的に瘴気を発生させられるのです」
「呪具だと?」
瘴気を振りまく危険物である呪具は、王宮の専用の宝物殿に厳重に管理されているはずだ。
そこに入ることができるのは、管理者である王族と瘴気を祓える聖女の一族だけだ。
(まさか、お姉様が……? いえ、今はそれよりもこの瘴気を祓わないと)
仮にカタリナがこの惨事を引き起こしたとしても、今できることは誰かの命が失われる前に行動することだ。
「ユリウス様、この円の中心に呪具がある可能性があります」
リアナの言葉を受け、ユリウスが新たな目的地である広場の方に視線を向け、部下に指示を出す。
「俺とリアナ嬢で呪具を探しに行く。お前たちは住民の避難を優先しろ」
「「「はっ!」」」
威勢のよい返事をした騎士が散っていく。
リアナはユリウスと目を合わせ、どちらともなく頷き合った。
目指すは呪具がある可能性のある広場だ。




