第七話:世界で一番静かな、スクラップ
ダイアの脳内で、古い順から記憶がノイズに溶け、消えていく。 母の焼いたパンの焦げた匂い。放課後の影。それらが「演算負荷」という名の高熱によって、ただの0と1の羅列へと焼却される。 「……ダイア、もういい! 降りろ!」 テツがダイアの肩を揺さぶる。だが、その指先が「テツ」という親友のデータに触れた瞬間、ダイアの脳はそれを「不要なキャッシュ」として迷わず削除した。
「……テツ……? いや、知らない。……あいつを、書き換える……。ユラ、っていう……このデバイスを、……デフォルト設定から……解放、するんだ……」 ダイアの声は、もはや音声合成機のように平坦だった。 彼の意識は、円盤の最深部――「マスター・ブート・レコード」を侵食していた。 ダイアはコマンドなんて打たなかった。 ただ、自分の中に残った最後の一滴の、名前さえ忘れた「感情」――【定義不能なエラー】を、円盤の完璧な論理回路の真っ只中に放り込んだ。 ドォォォォォォォォォン!! 円盤が、断末魔のような高周波を上げた。 完璧な宇宙の統治プログラムは、ダイアという「泥臭く、不完全で、非論理的な人間の残滓」を処理しきれず、論理破綻を起こした。 白光が濁り、七色のノイズとなって雲散霧消していく。 物理法則が戻り、重力が牙を剥く。 『ダイア・スペシャル』は、異星のコアを強制排出しながら、空中でバラバラに分解し、ゴミ処理場の底へと墜落した。 静寂。 煙の立ち込めるコックピットの中で、ユラが目を覚ます。 彼女の肌からは白銀の冷たさが消え、その瞳には「恐怖」という、人間にしかない感情が宿っていた。 「……あ、あ……」 彼女は、自分を縛り付けていた「兵器としてのマニュアル」が、自分の中から綺麗に消去されていることに気づく。
「……ダイア?」 テツが、動かない操縦席の背中に声をかける。 ダイアは座ったまま、動かなかった。 指はキーボードに溶け落ちるように張り付いている。 鼻から垂れる血が、コンソールに「ERROR」の文字を描いていた。 ダイアは笑っていた。 だが、テツがどれだけ泣きながら呼びかけても、ダイアの瞳が反応することはなかった。 彼の中に残っているのは、もう「人間」としての記憶ではない。 それは、宇宙を書き換えた後の、静かな、空っぽの「実行環境」だけだった。




