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空魚  作者: 白雨 梦乃
第二章・浜音(はまのと)
8/69

2-3

 整った黒髪のショートヘアが緩やかな艶を引いて首元で跳ねている。

 額を斜めに駆ける前髪にアッシュのハイライト。また髪型変えてる。

 軽めのメイクはナチュラルに肌を明るく輝かせ、大きな目に、幼さの残る丸い顔のラインを引き立てている。

 クリーム色のスカンツに紫のネックセーターを纏い、片腕には小さなバッグと黒いコートを抱えている。

 浜音で一緒に育った男勝りの少女とは似ても似つかない、都会的で可愛らしい姿だ。


「——っくりしたぁ! 澄子、おまえ突然入って来んなよ」

「えー、一応呼んだよ?」


 笑いながら返事をする澄子。考えに没頭していたのか、呼ばれる声も引き戸の音も全く聞こえてこなかった。


「来るの早くね?」

「何それ、久々に会えて嬉しくないみたいな」

「じゃなくて」

「さっき実家に荷物置いてきたとこ。すぐこっちに来ちゃった」


 荷物をカウンター席に乗せながら明るい声で言う。

 彼女はまるで自宅かのようにカウンター裏に移動し冷蔵庫を開ける。俺も続いて、厨房を出る。


「一旦、麦茶貰うねー。もう、喉乾いた」


 言いながらグラスに麦茶を注ぐ。横からグラスをもう一つ取り出して彼女に向ける。


「だんね。俺も飲む」


 麦茶を一口飲みながらカウンター席に戻る。


「元気にしてたか」

「いやもう、仕事ヤバすぎ。少しは慣れて来たと思ってたんだけどねー」

「忙しいのか?」

「それもだけど。仕事の人とちょっとね」


 はぐらかすような笑顔で言った。

 澄子が今の職場に就いて六年になるだろうか。初めの頃にも人間関係に悩んでいたのを思い出す。だいぶ前にそれは解消したと思っていたが。

 あまり触れられたくなさそうだし、聞こうかどうか天秤に掛けていると、


「それにしても、ここも年々ボロくなってきてるね」


 悪口ではなく、感慨深そうに辺りを見回しながら零す。

 小さい頃はよく店で宿題をしたりしていたものだ。澄子は爺ちゃんの作る海鮮丼が大好きで用が無くても店を覗きに来た記憶が懐かしい。

 彼女自身、思う所があるのだろう。


「まあ、そりゃ仕方ないだろ」

「んー。あ、ていうか、店の準備中よね。何なら私手伝うよ」

「いいって。おまえも疲れてるだろ。ゆっくりしてって、後で酒と料理出すから」

「やったあ」


 俺は厨房に戻り準備を再開する。澄子はスマホを弄り始めた。


「ところで今お客さんいるの?」


 スマホの画面から目を離さず厨房に届くよう、大きな声で問う。


「今は何とお一人様ご宿泊中。明日までだけどな。てか、京都から」

「え、本当? 何か嬉しいね。宿の方はやってけてんの?」

「いやまあ。相変わらずギリギリだな」

「ねえ、経営コンサルタントにでも相談してみたら?」

「まぁ。それもそうなんだけどな」


 抑々そんな金がない。

 コンサルに当てる金があれば業者に頼んで外壁でも直して貰う。

 澄子の言っていることが正しいのはよく分かる。遅くなってから手を伸ばしても縋る藁すらなくなっている、そんな状況はざらにあるのだろう。自分が経営に向かないというのもよく分かる。

 曖昧な返答を残して会話は途絶えた。


「そうだ、浩ちゃん、お婆ちゃん達にお線香上げに行ってもいい?」

「あ、マジで? ありがとう」


 そう言い残して荷物は置いたまま澄子は離れに向かった。

 祖父母は澄子を実の孫娘のように可愛がっていた。爺ちゃんの訃報を受けたときも一緒に来て、婆ちゃんを支えてくれてた。そして婆ちゃんが死んだ時も隣で今後の相談に乗ってくれた。

 そういうことを俺は明確に理解できていないのかもしれないが、多分親友と呼ぶのはそういう人なんだと思う。


「浩ちゃん、部屋汚っ! お客さんの入る所じゃないからって放置し過ぎよ」


 戻ってくるなり小言を食らう。そういえば、だいぶ散らかったままにしていたかもしれない。


「あ、いや、ちと忙しくて」

「放っとくと後が怖いよ?」


 そのままあれこれ話しながら手を動かす。一通りの下準備は終わり、気付いたら五時だった。

 そろそろ開店と、澄子にも手伝ってもらいながらテーブルを拭き、床を掃き、品書きを並べ。五時半になり、暖簾を外に掛ける。

 一息ついたところで澄子に冷酒とつまみをいくつか出す。少し早いが、客が来るまでひとまず乾杯する。


「あー、うんめぇ‼」

「澄子、酒飲むときだけおっちゃんになるよな」

「うるさいよ」

「まぁまぁ。とりあえず、おかえり」

「えへへ、ただいまあ」


 日本酒の甘辛さが爽やかな潤いを残しながら喉を通る。寝不足の体に良く効く。そうしているうちに扉が開いた。


「やっとるかー」

「矢野のおっちゃん、また来たん? 昨日もひっで飲んどったがの。体大丈夫なん?」

「ほお! これはスミちゃん! 戻って来とったんか!」

「矢野さん、お久しぶりー。さっき帰って来たとこ」


 矢野のおっちゃん率いる漁師がぞろぞろと入ってきて澄子を囲む。やれ綺麗になっただの、やれ大人になっただの騒いでいる。各々空いた席に座りながら彼女の近況を根掘り葉掘り。

 俺は次々と挙がる酒の注文に対応していく。暫くすると満面の笑みの鈴木さんも戻ってきた。本日の釣果はアジとノドグロ。


「良いのが釣れましたね」


 基本的に六時までに持ってきてくれれば調理するという方針だ。少し過ぎているが大したことじゃない、希望を聞いてみる。

 アジは結構な量が釣れたため造りにして店の客に振る舞ってくれないかと尋ねられ承諾する。ノドグロに関してはお勧めの調理方法を聞かれ、数と他の献立を勘案して肝も使用した口当たりの良いとも和えを提案する。

 そのまま鈴木さんには部屋でひと休みするよう促し、他の注文がくる前に下拵えへと移る。

 今日は少し混み合うかもしれない。中間テストに当たって恵梨香が来れないのが悔やまれる。そう思っていると、澄子がカウンターに立って、自分も酒を煽りながら客の対応をしてくれていた。

 昔は時折こうやって二人で祖父母を手伝っていたな、と思い出す。


「わるいな、澄子」

「私の時給は高いよー。酒と料理で手を打つけど」

「はは。了解」


 店の勝手を知っている澄子は注文を取り厨房へと回し、お通しなどは自ら取って運んでいく。

 鈴木さんも一度風呂に入ったのかさっぱりした顔つきで店内に現れると漁師達の輪に入っていく。互いのその日の獲物などの話をしている。

 心地よい賑わいが厨房まで空気を染める。鈴木さんの釣った鯵の造りは大歓声を巻き起こした。


 第一波のオーダーラッシュが一段落すると澄子にも食事を出す。

 鯵のなめろう、生姜の牛肉巻、エリンギのステーキ等、用意していた品の一部。


「んー! やっぱこれだわ。浩ちゃんの料理だけは本当に恋しくなるのよねー」

「だけってなんだよ」


 今夜も大声で騒ぎ立てる気のよい中年達が店を盛り上げる。途中、近所の人達も来て、澄子がいることを肴にして更に客が客を呼び賑わう。

 性懲りもなく鈴木さんは矢野のおっちゃん達にいいように言いくるめられ、酒を次々と飲み干している。


「はぁ、やばい。ここ来るといつもこれだわ」


 配膳口に身を乗り出し、疲れ果てたように宣言する澄子。けれど、声の奥には疲労の欠片も感じられない。

 澄子も帰ってきてほっとしているのが分かる。


「皆、澄子に会えて嬉しいんだろ」

「あんたはどうなのよ?」


 突然言われた言葉は微かに色が違って聞こえた。

 フライパンを揺する手を止めずに、澄子に目をやる。笑いの籠もった声とは対照的に表情は意外と真面目だ。よく分からない含みがある。


「そりゃ嬉しいに決まってるじゃん。最後はなんだ、半年前?」

「はあ、ホントあっと言う間」

「まあ。頻繁に帰ってる方なんじゃねえの? イッチーなんかもう何年も見てないぞ」


 同年代の友人で同じく地元を離れた一人。

 浜音に残ってもやれる事なんて限られている。少しでも理想がある奴らはいずれここを離れていく。その中には滅多に聞かなくなる名前も多い。

 いつかはここに戻ると心を決めていた俺とは違って、皆それぞれの道を進むのに必死なのだ。浜音を振り返る余裕なんかない。

 そう考えれば澄子はすごいと思う。両親への感謝を大切に、定期的に様子を窺いに来る。誰にでもできることじゃない。

 そう言っている間にも表で誰かが澄子を呼んだ。



 幸い今日はお開きが早めに来た。なんだかんだおっちゃん達も昨晩を引き摺っているのだろう。

 鈴木さんも翌日早朝に出発すると言い、一足先に自室へと帰っていった。

 落ち着いてきたところで厨房の後片付けを始める。澄子も来ているので、なるべく早めに切り上げたいというのが本心だ。


「やっぱり久しぶりだとキツイわぁ」


 そう言いながら盛大に伸びをする澄子。


「今日はマジで助かった、こんなに客が来るとは思わなかったし」

「そりゃあ、人気の看板娘が戻って来たんだもん、当然でしょ? うん、私、貢献したわ」


 満足そうな微笑みで言う。それに笑いで返す。

 町の常連の多くは昔からの付き合いだ。俺達のことを小さいときから見てきた。彼らにとっては親戚の子どもが戻ってきたようなもので、噂が広まれば瞬く間に集まってくるのは当然だった。

 澄子が帰省すれば必ずそうなるお約束なのに、少し準備が足りていなかった、と反省する。


「でも、良かった。食堂だけでも何とか回ってるみたいで」

「毎日こんな感じならいいんだけどな。それに今は食堂というより居酒屋な」


 自虐めいて言うと澄子はクスリと笑う。

 不都合や不満があるわけではない、祖父母の時代からこの調子で、それでも食堂と言い張っていたのは家族や近所の子ども達が来やすいように、との考えがあった。


「確かに」

「スミちゃーん、お勘定ー」

「あ、はーい」


 澄子が心配するのも無理はない。

 婆ちゃんが死んだとき、俺がこの場所を継ぎたいと口にしたら、彼女はよい反応をしなかった。

 この町は過疎化している。観光地でもなければ、これといった資源に恵まれているわけでもない。

 田舎暮らしに憧れて引越して来る者もいるが、彼らがこの状況を翻すと思えるほど夢想家でもない。空き家は多いし、平日の昼間の町は廃村のように静かだ。

 このご時世にこんな田舎で民宿を継ぐなんて無謀だと。ましてや京都で安定した、やりがいのある職に就いているというのに。それを全て棒に振るなんて、いくらなんでも無茶だと。


 それでも俺は元より『うきぐも』に戻ることを目標に修行しているつもりだった。

 俺にとって店が無くなること自体が全ての意味を無に帰すように思えた。

 親戚は同じように反対した。無関心な母親でさえ、俺は婆ちゃんを亡くして気が動転しているだけだと言った。


 そうなのかもしれない。これだけの人が間違っているとは思えない。

 けれど、最終的に俺の人生の責任を取るのは俺自身だ。確実な道を進んだとして、必ずどこかで躓く。そのときに俺は『自分が決めたことだ』と己を鼓舞できただろうか。いや、納得いかなかっただろう。

 また、いつかのように俺の外側に言い訳を探して、責任転嫁して、『あのときああしていれば』と後悔に囚われて生きることになっただろう。

 例え無謀な道でも俺が選んだ。どんな事になっても後悔しないように。この選択が正しいことを俺が見せつけなければいけないのだ。

 店を継いだときはそう思っていた。


 月日は過ぎて、積み上がるのは出費ばかり。

 続く赤字。赤字。赤字。

 俺はまだ何も見せつけられていない。常に万事休すと隣り合わせ。

 これは傲慢なのか、信念なのか、分からなくなる日がある。

 それでも続けられるのはやはり、ここに来て笑顔になる人がいるから。浜音に来れて良かったと、飯が旨いと、言ってくれる人がいるからだ。

 楽じゃないことくらい最初から分かっていた。だから辛くても後悔はやっぱり無い。


 澄子にテーブルを拭いてもらっている間に暖簾を下げる。

 拉げた雨樋がまた目に入る。

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