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よりにもよって今日、渋滞に嵌るとはついていない。
早朝から準備していたし、余裕をもって出たつもりだったし、抑々なぜ休日の朝っぱらからこんなに混むのだ。
ハンドルを握る榎田は翔一の文句を穏やかな調子で聞き流していた。
「大丈夫だって、遅刻にはさせないから」
「当たり前だろ!」
苛立ちを隠そうともせず、いつになく横暴な翔一の口調も今日だけは許そうと決めていたかのように榎田は苦笑した。
遅刻でもしたら、何と言われるか。そんな危機感に駆られていることくらい容易に想像できるから仕方がない。
それでも前言通り、会場には余裕をもって到着した。
既にスタッフは待ち構えており、翔一を見つけるや否やいくつかの最終確認を行った。
「新婦様も既にご到着でございます。今、丁度お支度中ですが、後でご案内するように言われております」
一通り確認し終えた翔一は漸く安堵の表情を浮かべる。
「そりゃ、大事な日なのは分かるけどさ、少し肩の力抜けよ」
呆れたように榎田が言う。
翔一もそれは理解していた。しかし、今日は全てが予定通りに進まなくてはならないのだ。
あの小さな漁師町を初めて訪れてから三年が経つ。
彼女には散々辛い想いをさせてきたのだから、今日という日はその覚悟に報いる日でなければならない。完璧でなければならないのだ。
暫くして翔一は呼ばれ、彼女のもとへと向かう。
レースのカーテンから滲み込む柔らかい日差しの中に立つ彼女のドレス姿は幻想的だった。
翔一は愛情に溢れる眼差しで微笑み、目頭が熱くなる。
彼女は少し頬を赤らめて、視線を伏せる。
「香衣良、本当に素敵だよ」
普段の気さくさはなく、淑やかな立ち居振る舞い。
それでも自分らしい口調を探す。
「翔一君も中々よ?」
「はは。ありがとう。緊張してる?」
「さすがにね。カメラ持ってもいいなら落ち着くんだけど」
「今日は、君がレンズの反対側に立つ日だろ」
「うん」
少し笑いながら彼女は鏡に映る自分の姿を改めて確かめる。
過剰な装飾は一切ない、シンプルで現代的なウェディングドレス。まるで映画俳優並みにそれを着こなす彼女は別次元からきたのかと思うほど美しい。
「ちょっと信じられないかも……」
「はは。俺も」
その後の流れを改めてふたりで確認すると、翔一は「じゃあ、また後でな」と温かく声をかけて部屋から出てきた。
「ふぅ、ヤバい。緊張で吐きそう」
「お前がそんなんでどうするんだよ。ほら、曲がってる」
彼女の部屋の扉横で待機していると、そんな頼りないことを言いながら翔一が出てくるので窘める。
この日のためにわざわざ新調したスーツに慣れないのか、小刻みに肩を動かしている。
かくいう俺もスーツはあまり好きではないが、翔一はジタバタしているせいでネクタイが曲がっていた。
それを直してやっている間も「あれは大丈夫だろうか」「これは間に合うだろうか」と一向に落ち着く様子はなく、つい笑ってしまう。
「和真さんの様子も見に行くんだろ。いいのか、後輩の前でそんなに狼狽えて?」
「分かってるって」
不服そうな表情で反論してきた。
新郎新婦は後ほど読み上げる誓いの言葉をいまだに調整していた。それぞれ支度途中のふたりの間を行き来するべく駆り出されたのは翔一。
なぜか緊張するからついて来てと言われ、仕方なく付き添っているが、先ほどより少しは安心したように見えた。
「もう大丈夫か?」
「うん」
「じゃあ、俺は塁のところに戻るな」
「うん、ありがとう。あ、榎田にもお礼言っといて。あと、さっきはごめんって」
「それは自分で言いなさい」
肩を払ってスーツの形を整えてやると、俺はホテルのロビーへと戻った。
翔一がこの結婚にあれほどナーバスになっているのも当然といえば当然だろう。彼は香衣良さんの幸せにある種の責任を感じている。
三年前、別れてからずっと。
詳細は知らないが、話を聞けばあまり綺麗な別れ方ではなかったようだ。抑々、そんなものはないようにも思うが。
その後、新郎であり後輩でもある和真さんと彼女を引き合わせたのは他ならぬ翔一だった。元々香衣良さんのファンで、その流れで紹介したのだと聞いた。
一目惚れして猛アタックしていたが、実は翔一が元カレだと知って大分ショックを受けたそうだ。
翔一は相当悩んだと言っていた。日頃から一目置いている後輩で、信頼に足る人物。それに、香衣良の邪魔だけはしたくない、と色々鑑みた上で、自分はゲイなので心配する必要はないと、自ら後輩に打ち明けた。
後にその話を聞いて心底驚いた。
翔一にとってそれがどれほどの勇気を要することか理解しているから。香衣良さんの幸せはそれほど重要なことなのだ。
ふたりの婚約が決まったとき、下手すれば双方の家族以上に喜んだかもしれない。式でのゲスト代表を頼まれたとき、慌てふためいていた。
俺に付き添ってくれと言い出したのも、本当は和真さんに改めて「無害です」と示すためではないかと疑っている。
しかし、それで言えば抑々、俺がいること自体に香衣良さんも思うところはあるのではなかろうか。
招待状は俺自身もらったので、大丈夫だとは思うけれど。
ホテルのロビーラウンジに榎田塁の後ろ姿を見つけて、隣に座った。
「翔一、ガタガタだわ」
「あはは。お疲れさん」
「ごめんな、こんな朝早くから付き合わせて」
榎田とは何度か釣りに行くうちに仲良くなった。
翔一だけ名前呼びは変、というよく分からない理由で敬語が廃止された。気にする質でもないので、抵抗はなかったが、いまだに彼と翔一は苗字呼びなのが不思議だった。
社会人の悲しい性なのかもしれない。
今回の式に当たって、当初は翔一の父親のところで世話になるはずだった。しかし、久々に来るんだからと榎田が言い出したので泊まらせてもらうことになり、車まで出してくれた。
本来なら他の来賓と一緒に来てもよかったはずなのだ。
「気にしない、気にしない。めでたい日なんだから」
軽快にそう言うと、ラウンジスタッフを呼び寄せて、俺の分のコーヒーを注文した。
「それにしても、こうやってまた集まるなんてな。感慨深いわー」
三年前、面識もないまま翔一の行方を捜したときのことだろう。
あのときは確かに、翔一の友人と仲良くなることも、元カノの結婚式に参加することも、彼と今のような関係に落ち着くことも、何一つ予想だにしていなかった。
「いまだに俺の参加が謎だわ」
「そりゃあ、三年前と同じだろ。須田の落ち着かせ要員」
笑い声がラウンジの背景音楽に乗って響いた。
「須田、そっちでちゃんとやってる?」
昨晩もそんな話はしたが、榎田は直接俺から様子を聞きたいのだろうか。
「まだ軌道に乗ってるとは言えないみたいだけどな。でも、手応えはあるみたいで、生き生きしてるよ」
「そっか。で、お前らは?」
少しニヤついて尋ねられ、そっちの方が狙いだったのだと理解する。
大体想像は付くのではないだろうか。
「んー、普通?」
「なんで疑問形なんだよっ」
「ふははは」
濁すほどのことでもないが、改めて説明しようと思うと込み入るような気がする。
その後、リハーサルを経て翔一は満足げな表情で戻ってきた。
そうこうしている内に他の参列者も続々と受付に並び、会場の席に着席すると、人前式が開式された。
実に画になる新婚だ。
新郎は男前だが、それ以上に彼女の流麗な美しさを引き立てる紳士ぶりがある。歳の差も身長差も超えて、妙に釣り合うように思える。
式は滞りなく進み、隣の席では事あるごとに翔一が嗚咽を堪えて涙を流す。まるで新婦の母親のような面持ち。
彼と香衣良さんの関係性について何も思わないわけではない。
二人は濃厚な記憶を共有しているし、関係が終わってもその中で培った信頼は今でも変わらない。少しの嫉妬心くらい、俺にだって備わっている。
しかし口にするのは憚れるし、実際に表面的なものでしかない。今、傍にいる翔一がどれほどの苦労と覚悟をもって、そこにいるのか。
その背景を知っていれば、残り全ては些細なことに思えてくる。
彼に限らず、式場のあちこちで涙を拭う人がいるなか指輪の交換が執り行われ、結婚証明書への署名の際、翔一の名前が呼ばれた。
香衣良さんの表情で同じことに気付いたのだと察する。翔一は緊張で動きが不自然だった。
彼女と視線が合い、示し合わせたように笑いを堪えた。
もう一つの出番が待っていた。披露宴での友人代表としてのスピーチ。
明らかに自分がやるべきではないと初めは断ったのだが、和真さんにまで「二人が出会ったのは先輩のおかげですから」と言われ、泣く泣く承諾することになった。
何週間も前から幾度も推敲しながら準備していた。俺も何度も聞かされ、もはや暗記で一言一句言えるのではないかと思うほどだ。
改めて名前が呼ばれると、高砂の脇に用意されたマイクへと向かう。
「翔一、大丈夫だ、迷ったら俺の方を見ろ」
「うん」
翔一の醸し出す雰囲気は爽やかで凛としているのに、表情を見れば不安が読める。
三十五にもなって、格好良さに深みが出たとは思うが、貫禄はいまだに欠片もなかった。
本音を言うと、いつまでもそうあってほしいと思う。
スピーチの途中、何度か俺の方に視線を送った。
或いは泣き出しそうなので無音で罵ってやれば気を取り直す。
或いは言葉に詰まったので記憶から言葉を引き出して口の形だけで示す。
その度に隣で榎田が声を殺して笑う。
俺はとても素敵だと思った。
色んな不安を抱えながらもそこに立つ翔一は、少なくとも俺の目には輝いて見えた。席に戻ってきた途端に魂が抜けたように脱力した。
披露宴を終えて会場を出ると、榎田に飲みに誘われた。
俺たちは翔一の父に挨拶をしてから、今日中に帰らなければならないので、丁重にお断りした。
暫く不貞腐れてみせたが、結局満面の笑みを作り、
「須田、浩太、またそっちに遊びに行くからな! 須田の仕事も〜、ファイッ!」
榎田の口癖に、俺と翔一も声を揃えて言った。




