10-2
あのときも、似た道のりを辿って、似た気持ちを抑えて、あらゆる憶測が飛び交う中、名古屋へ彼を探しに。しかし、今度こそ違う。
理解されたい焦燥に駆られているわけでも、理解したい衝動に突き動かされているわけでもない。
ただ見つけたい。無事なことを確かめて。そして、言うことがあるなら今度こそ、ちゃんと受け止めたい。
名古屋に着いたのは零時過ぎた頃。
顔を合わせる必要はないと伝えていた牧野さんはそれでも俺にマップ付きのメッセージを送ってきた。それは深夜営業をするファミレスを指していた。
俺は近隣でコインパーキングを探し出し、到着したことをメッセージで知らせながら、ゲートをくぐった。
終電に向かう最後の人の塊が、ネオン煌めく道路を行く。海沿いの街から来た分、名古屋はいくらか温かく感じる。
冬夜の街から入る店内は異様なほど明るくて、疎らな客の疲れた表情だけが平日の夜を彷彿とさせる。
俺はなるべく話しやすそうな四人席に腰を掛けて、取り敢えず眠気覚ましのホットコーヒーを頼んだ。
少しして店のドアが開き、ひとりの女性の姿が見えた。
彼女は店内を見渡すと、俺を見てすぐに察したようだ。迷いもなく、しかし落ち着いてこちらに歩んでくる。
驚くほど美しい人だ。雑誌やテレビに出てそうな、きっと一般的には可愛いより綺麗と言われる凛とした風貌。不本意にもつい隣に並ぶ翔一を思い浮かべ、あまりにも画になる情景に心臓が軋んだ。
多くの人にとって、それは大事なことだと知っているからだ。
「島崎さん、ですか?」
短く頷くと彼女は目の前の席に座る。
どちらも口を開かないまま、彼女はタブレットで何かを注文した。
「あの、翔一からは……」
彼女は首を横に振る。
「島崎さんは心当たりがあるんですか?」
「いえ。ただ、俺も昔名古屋に滞在してたことがあって、行き付けの店の話とか覚えていて。とりあえず、当たってみようかと」
酷く疲れたように彼女は体勢を崩し、頬杖をつく。
「私、何も思い当たらなかったんです」
俺よりも、遠い誰かに言っているように彼女は曇ったガラスの向こうを見つめている。この会話がどの方向に転ぶのか、見当は付く。
正直なところ、一刻も早く翔一を探しに出たいのだが、牧野さんには俺が無害であることを伝えなくてはならない。
彼女の視点から、俺が二人の何を踏み躙ったのかは分からない。しかし、どれほどかも計り知れない二人の時間に突如として現れた俺を、異物と認識するのは自然な流れだろう。
店員が彼女の前に俺と同じホットコーヒーを置くと、慎重に一口飲んでから続ける。
「彼は、いつも私の好きな所に連れて行ってくれたから。分からないんです、逆に彼が行きそうなところとか、好きな店とか」
「……。俺は、あいつを見つけたいだけです。どうこうしようなんて思ってませんから」
何を答えれば良いのか分からず、意思表示だけをする。彼女から鋭い視線が向けられる。
「いや、できるとも思ってません……」
向けられた敵意を受け入れるしかなくて、視線を伏せる。小さな溜息が聞こえる。その溜息のような声で、
「そんなこと言っても。もう……」
「そう、ですよね。すみません。そんなに追い詰めてたなんて、思ってもみなくて……あの、どんな状態だったんですか?」
「……。体の回復は、順調でした。でも、精神的な面は、正直分かりません。入院してからは少し落ち着いたように見えましたけど。本当のところは……」
罪悪感に駆られたところで何にもならない。そこまで彼を追い詰めるものの本質は明瞭ではない。しかし、最後の会話から察する限り、彼は俺を傷付けたことを悔いている。
だから、少なくとも俺にできることはあるはずなのだ。結果的に、彼の言葉があって、俺は少しだけ人として成長した。それを伝えればきっと。
「牧野さん。図々しいですけど。もし、あいつから連絡が来たら、伝えてくれませんか? 俺は大丈夫だって、ちゃんと前を向いてるって」
「それを、私に——」
硬い声で言い始めて彼女は言葉に詰まる。咄嗟に驚いたような表情で俺を見つめている。
「あなたは、何も分かっていないんだ……」
零れるようにそう言うと彼女は眉を顰めて卓上で重ねている自分の手を凝視する。俺はその言葉を理解しようとしたが、持ち得ぬ情報なのだと察する。
「島崎さん。そもそも、翔一君の音信不通とあなたがどう関係していると思っているんですか? どうして、あなたは夜中にここまで来たんですか?」
「だからそれは……あいつは、俺に言ったことを気にしてて、それが発端だから。俺のせい、っていうか……ずっと、自分のこと責めてるんでしょう? あいつは」
彼女は力を込めるように重ねた手の指を絡ませた。
店の乾いた明かりが映し出す彼女の表情は、怒りや不満というより呆れに近いような気がする。
「本当に、何も知らずに……」
「それは、どういう……?」
言葉の真意を確かめようとする俺のことなど意に介さず、彼女は何かを振り払うようにさりげない仕草で長い髪を掻き上げる。
その瞳には諦観の色がある。
「あなたが、もっと嫌な人だったら良かった。でも、そんなわけなかったわ」
「牧野さん?」
「どうか、翔一君を探すのを手伝ってください」
そう言って、彼女は突然頭を下げてきた。慌てて顔を上げるように言う。
彼女がこの会話から何を受け取ったのかは分からない。しかし、今は翔一を探すことが最優先という結論に至ったのだと理解する。
それから暫し、彼女が既に取った行動、訪れた場所、俺の心当たりのある店などの情報を共有した。
彼女は翌日も仕事で、取り敢えず可能な場所には俺が今夜回ってみると伝えた。そして翌日、彼女の仕事前に翔一のアパートに手掛かりがないか確認するという手筈になった。
夜も遅いので、自宅まで送ると提案したが、想定した通り断られた。
「島崎さん。多分、あなたが何をしても、しなくても翔一君は私のもとに戻ってきます。無理はしないで、明日進展がなければ、帰ってください」
別れ際に、気遣いの皮を被った牽制か、或いはその逆を告げられた。
殆ど一晩中、街を走り回ってかつて翔一との会話に一度でも出た飲み屋を片っ端から訪ねた。しかし、やはり彼の姿は見当たらなかった。
抑々その可能性にそれほど懸けてはいなかった。思い出にあった河川敷や、翔一のアパートの周辺なども探してみたが、冬が一層噛みつく時間帯にいるはずもなかった。
やはり、翌日牧野さんと翔一の部屋に行き、手掛かりがないか探るほかないのだろう。或いは隣人の誰かが、何かを聞いているかもしれない。
そんな淡い希望を胸に、俺は適当にネカフェを探し出して、少しだけ仮眠を取ることにした。
消毒液の匂いの裏に残る、埃っぽさや飲食の残り香。静けさの中に聞こえてくるキーボードの打鍵音、ドリンクバーの機械音、どこかの鼾。
仕切りに囲まれた空間はそれでも人の気配を消さないので、完全には落ち着かない。古いマットは床の硬さを殆どそのまま伝えてくる。
牧野さんの話がずっと脳裏で不可解なまま繰り返される。『何も知らない』という言葉が何を指すのか。なぜ、そこから改めて協力を頼み込まれるような構図になったのか。
自分がそう思うということは相当なのか、彼女は不思議な人だと思った。それはきっと、俺が彼女のパートナーに告白した、という相関も影響しているのだろう。
最初から俺は敵と見なされて然る存在だから、明確にする義理はひとつもない。
彼女の言葉の行間には誰よりも翔一のことを想っている自負があった。当然、俺に向けられたものだ。それでも、一度も否定はされなかった。
俺の気持ちも、ここまで来た動機も、彼女への保証としての言葉も。無論、心穏やかに受け止めるのは難しいが、同時にそういう人が翔一の人生の中にいたことに安堵のようなものもある。
彼女の言動から、少なくとも俺が思い浮かべた最悪の懸念はなさそうだった。翔一が彼女に残したメモにも、不穏なものを匂わせるものはなかった。
彼は必ずどこかにいる。一人になりたいという意思を無視してもいいのかという疑念はあるが、彼を思っている人がいる以上、このままで良いわけもない。
彼はなぜ、突然その行動に至ったのだろうか。
逃避か、厭世か、自暴自棄か。しかし、なぜだかひとつもピンと来ない。
牧野さんの言っていた彼の様子からか、残していたメモからか、単なる願望か。翔一にとって必要な行動、そう感じる。
遠ざかりすぎない程度の世界を感じるボックスの中、少しだけ思う。
彼を見て、聞いて、支えて、愛する人がちゃんといる。そして、それは彼が受け取れる、受け入れられる形なのだ。だから、きっと翔一は大丈夫だ。
その胸の奥にある淀みが何であれ、彼は前を進められるはずなのだ。
俺は彼と和解するために来たのではない。彼が前を向けるのなら、なんだっていい。
牧野さんが、彼に辿り着けるように。俺はそのために行動するのが正しいと。目を閉じると頭も、心も一致した。
そう、自分の全てが納得しているから、彼の幸せばかりを願っているから、漸く触れられたのだと思う。
俺にとって『好き』という二文字の最深層にある本当の形。
きっとそれは姿を変えて『愛』という二文字になるのだろう。
さして重要ではないのだ。
どのみち言葉では言い表すことなんて叶わない感情なのだから。




