インタルード
いつもの魚が一匹、宙を漂っている。
瞳はくすんだ硝子のようで、鱗は干乾びる寸前だ。小さな体から異臭がする。腐り始めているのだ。口を開け閉めしながら息の所在を探している。悶える力さえ残っていないくらい、疲弊して。もう鰭を動かすこともできないのに、それでも空飛ぶ魚は空を飛んだまま。水面へ落下することすら叶わない。
その姿はあまりにも無残で拒絶感を抱いてしまう。掌いっぱいの水を掬って、朽ち行く体に浴びせてみる。藁にも縋る思いで魚は呼吸を探す。身震いしながら命を求める。それを何度か繰り返すと僅かに回復する。
汲んだ海水に紛れた海藻が尾鰭から垂れている。それを振り払うことすらできずに体を起こそうとしながら口元を震わせる。乾いた声で最後の力を振り絞る。
取り返しの付かないことをしてしまった。鳥にはなり切れず、魚では最早ない自分の居場所はどこにある。自由はどこにもなかった、初めから幻想でしかなかったのだ。深い神秘の海も、無限で明るい空も。まやかしだ。水中を踊るかつての仲間は裏切り者の自分を見放した。空中を羽ばたく仲間は付いて行けない自分を待つことはない。ほんの小さな憧れのため、自分は怪物になってしまった。存在してはならないものに変容してしまった、と。そう言う。
長い長い孤独が魚を蝕んだのだ。銀色に輝いた鱗は黒く濁って。希望に満ちた目玉は虚ろになって。体中から粘液が噴き出して。ひと季節の幸せも慰めにならないほどに、醜く変貌した。あと一度。あと一度だけ、星が願いを叶えてくれるのなら、どうか全てをなかったことに。それが駄目ならせめて、もう終わりにしてくれ、と。そう言う。しかし星は沈黙するばかり。
昔、魚だったものが一尾、宙を漂っている。
空飛ぶ魚はこの世にあらざるべきものだった。あらざるべき死骸は水にも、空にも、地にすら戻れない。ただそこにある、黒く汚れた塊になる。その塊からいまだ、微かに呼吸が聞こえる。魚を殺したのは窒息ではない、孤独だ。潮に乗っていても、風に乗っていても、そして今、朽ち行く間も、結局内側にこびり付いた孤独から逃れることはできなかった。自由を渇望したと嘘を吐き、その実、ただ自分から逃げたのだ。
なんと醜悪で浅ましい塊だろう。なんと暗愚で不快な塊だろう。こんなもの、視界から消してしまいたい。そう思って勢いよく蹴りつけようとしたときに、塊の呼吸は深くなり、低い地鳴りと共に膨れていく。あまりの悍ましさに後退る。
海より深く、空より高く、肥大化した黒くて臭い塊は、滑った液を辺りに垂れ流しながら覗いてくる。大きな大きな口を開けると、死んだ海の匂いがする。世界ごと震わせる声が鼓膜を劈く。
「ソレデ、オマエハ、ナニ?」




