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空魚  作者: 白雨 梦乃
第五章・暗流(あんりゅう)
23/69

5-2

昨日、投稿を飛ばしてしまいました。実は設定ミスでお恥ずかしい。

もし、お越し頂いた方がいらっしゃれば、折角足を運んで頂いたのに大変申し訳ございませんでした。

本日、二話投稿致します。

今後とも翔一と浩太を宜しくお願いいたします!

 ことあるごとにずっと榎田が進めていた。

 北陸の日本海沿いにある港町、浜音。あまり馴染みのある地方とは言えず、聞いたこともないその地名に特段興味をそそられなかった。

 三時間弱で行ける、少し気合を入れれば近場と言える距離。しかし繁忙期続きで疲弊しきった都会人の貴重な土日を充てるには聊か魅力に欠けていた。

 釣りのためとはいえ重い腰は上がる気配がしなかった。海釣りがしたければ太平洋がすぐそこにあるのだ。


 ある日、会社で榎田が熱烈に釣りの専門誌の見開きページを突き付けてきた。

 「ここだよ、ここ!」と指差していた記事には海と山に挟まれた町の写真がいくつも載っていて、『初心者でも爆釣・爆食‼ 知られざる名スポット浜音のおもてなし』というタイトルが太字で飾ってあった。

 明らかに観光地ではない、飾り気のない風景だが、それゆえに情緒が滲み出ていた。

 コンクリートに囲まれた生活に慣れ切った心に、爽やかな風が吹いたようだった。差し出された雑誌を手に取った。


 ライターは実に贔屓目の筆で浜音の魅力を実体験と交えつつ訴えていた。

 交通情報や宿泊施設、狙い時の獲物などを丁寧に解説しながら、町人の人柄を語る。

 釣り客の釣果を町の料理人に調理してもらうという習慣が深く根づいていて、どの民宿でも大体提供されるサービスだという。

 しばらく仕舞い込んでいた好奇心が躍り始めた。写真が映し出す鬱蒼とした山々を背に広大な海で釣れば、どれほど気持ちいいのだろうか。

 仕事で疲れた俺の心身を癒すには打ってつけの場所だ、と。その場で榎田と日程を擦り合わせ、一日有休まで取って二泊三日の釣行を予定した。


 その夕方、宿泊の予約を任された俺は雑誌で紹介されていた民宿に連絡を入れた。しかし、記事の影響だろう、榎田と決めた日にちはあいにく満室だと伝えられた。

 少し調べれば他にもあては見つかるだろう、と礼を言いながら切ろうとしたところ。気さくそうな女将の声が、「もしよろしければ、ひとつお勧めさせていただきますけど」と言った。

 同業者を紹介してもらえるとは思わなかったので驚きながらも詳細をメモした。それが『民宿うきぐも』だった。


 伝えられた番号は携帯のもので驚いた。念のためネットで検索してみたのだが、Webページはなく、検索画像も決定的なものはないように思えた。

 明らかに集客に力を入れていない、どういう場所かも知らない民宿を予約するのは気が引けて、決めあぐねていた。

 しかしいくつかの釣り好きブログに掲載された記事を見つけ、その少ないレビューはどれもべた褒めだった。特に店主の気風のよさと何より料理の腕が大袈裟に評価されていた。

 少し安心した俺は電話する前、最後にSNSで情報収集を試みた。その民宿でバイトをしているという少女のアカウントに辿り着く。

 個人的な写真と雑多に混じって投稿されていたのは民宿自体の画像ではなく、併設しているという食堂の写真だった。


 食堂というより居酒屋の風貌をした古びた、と言えばそれまでだが、どこか温かい雰囲気の店だった。

 大多数を占めた料理の写真は店の感じとはとても似つかしくない、上品で洗練されたものだった。まるで一級の旅館で出される懐石料理のような丁寧な職人技を見せつけていた。

 そして一枚だけ、アカウント主と一緒に店の主人が写っていた。


 バイトの子の身長は分からないが、比べて男は相当長身のようだった。クセの強そうな短髪の黒髪。額と首元はさっぱりとしていて、爽やかな印象を受ける。

 てらいのない素朴な感じだが、整った顔にくりっとした大きな瞳や自信に満ちた笑顔。

 少しなで肩の体格は筋肉質に見えるし、間違いなく女性に人気がある感じだった。恐らくまだ二十代だろう。

 なぜだか分からないが、その写真を見た瞬間に不安はなくなった。女将から教えてもらった番号を打つ。


 しばらくコール音が鳴り続け、諦めようとしていたところ男の声がした。

 不愛想だが無礼ではない、そのちょうど中間のラインにあるような口調。驚きはしなかった。この手の宿では時折そういう人もいる。

 丁寧だから良い宿とは限らないし、逆もまた然り。寧ろこのくらいの人間味がある場所の方が性にあっている。

 声の後ろから賑やかな雑音が響いてくる。食堂の営業時間だろうか、と思い至り手短にしようと思う。

 日程と人数を伝え、どこにも見つからなかった料金情報を伺う。


「はい、お二人様ね。部屋、別々にもできますけど」

「いえ、一緒で構いません」

「了解です」


 価格は驚くほど安かった。特に先ほど見た料理が脳裏を過りこの価格であの食事が付くとなると、逆に店の心配をしてしまう。

 都会や観光地の相場が染みついているだけだろうか。

 諸々の連絡情報などを伝えると一安心して通話を切ろうとした。


「あ。お客さん」

「はい?」

「今回は釣りですか?」

「え? あ、はい、そうですけど」


 そう答えると、相手はやけに明るい口調になった。


「狙いはあります?」

「あー、いえ。色々試そうかと……」


 少し不思議に思いながらも素直に返事をした。

 遠くから別の声が届き、突然「ちょっと待ってて! 今、客と話しとるんやでの!」と方言強めの大きな声がした。

 さすがに驚いたのだが相手は普通に続けた。


「すんません。じゃあ、その時期はアジ、メバル、サヨリ辺りが旨いっすよ。あ、あとイカもでかいの狙えます。アオリイカね。船釣りするならマダイとかノドグロが狙い目っすね」


 さすがは港町の料理人といったところだろうか。すらすら情報が出てきて、「釣り具の選び方とか大丈夫ですか?」などと更に加えてきた。

 多分この人は釣り好きだ。営業中に申し訳なく思い「あ、いえ大丈夫です」と答える。

 それで終わりかと思えば。


「あと食べられないもんとかあります?」


 勢いに圧倒されながらも歓迎されているのを感じた。妙な人だと思った。しかし、なんというか面倒見のよさそうな、ブログのコメントにも納得がいった。

 その調子でいくつか答えると、「了解です。じゃあ、お待ちしてます」と日程を確認しながら告げられた。


 通話を切ると榎田にメッセージを送った。少し腹の奥がムズムズする感覚。

 あの人が作る料理が食べたかった。自分で釣った魚を写真で見たように美しく仕上げてほしかった。

 一か月後に控えた小旅行を糧にこの繁忙期を乗り越えられる。そんな確信を胸にカレンダーに赤字で予定を記入した。


 それでもそのひと月は、永遠に終わることがないと思ってしまうほど長かった。榎田と顔を合わせては「浜音、浜音」と呪文のように唱えて励まし合った。

 プロジェクトが一つクローズする度に形容し難い幸福感と疲弊が一つになったような感情を迎えた。

 例の雑誌を自分でも買って、浜音のページを開いたままベッド横の棚に飾った。朝、悲鳴を上げる身体を起こす度に「もう少し」と自分を奮い立たせるため。

 あと二週間。あと十日。あと七日。あと三日。

 繁忙期を生き延びた。

 あと二日。



 午前四時頃。

 まだ頭の芯に疲れが残っているが不思議と体は思うように動いてくれる。凝り固まった筋肉を伸ばしながら呼吸に意識を向けた。

 効果、期待値以上。

 コーヒーをすすりながら昨晩用意した荷物を確認。ターゲット情報を共有してくれたおかげで持参する道具が絞れた。

 それでも試してみたい新しいルアーやリールなどで、結局、嵩張かさばる。

 なるべく音を立てないように昨日のうちに借りてきたレンタカーに詰め込んでいく。


 仕事での無理が祟ったのか、榎田は昨日、熱を出してしまい欠勤した。その夕方見舞いに行ってみると、ミシマオコゼのような顔をして明らかに旅行に行ける状態じゃなかった。

 それでも無理矢理治すと往生際悪く言い張るので、同期命令を発動した。

 これは緊急事態にしか行使できず、後日飯を奢るという対価を伴う禁断の術である。

 予約の変更を『民宿うきぐも』に連絡したところ特に問題はないということで、俺は単独で向かうことにした。


 すぐそこに夜明けが迫っているのに虫の音一つ聞こえてこない、深い夜。冷えた空気に吐いた息が揺らいで消えていく。

 小さい頃、父と出かけるときの高揚感を彷彿とさせ、浮き足立つ。まるで新しい冒険に旅立つ少年のように解放感に満たされている。

 ナビをセットし、エンジンをかけると夜の静寂の中やけに大きく響いた。


 街灯の密集する市街地を離れて木曽川を越え、ひたすら高速を走る。

 ヘッドライトの照らすコンクリートの両脇に流れていく防音壁が工場へと、田園へと、田舎町へと、山間へと次々と変わっていく。

 ひと県跨いでようやく東の空に薄青い帯が広がる。

 一度サービスエリアで朝食を兼ねた小休憩を挟む。車やトラックが出入りする中、熱いコーヒーを飲みながら日の出を見届けて再出発した。

 山、トンネル、森、長いトンネル、山、森。

 少し窓を開けてみると冷たい風が爽快に吹き込んで青々とした朝露の香りを運んでくる。

 辺り一面に広がる水田を過ぎると、遠くに海が見えてきた。


 浜音に到着したのは午前八時頃。一度町の地面を足で感じたくて路肩に車を停めた。「さっっぶ」と思わず口にしてしまう。

 車内からマフラーを取り出して巻き付けた。海が近いせいかやたらと寒く感じる。

 辺りを見回すと思い描いた通りの風景が広がっていて、簡素だがどこかほっとさせる。

 風情たっぷりの古民家に並んで現代的な建築、トタン屋根の倉庫が雑多に建っている。その隙間を埋めるかのように畑が散らばっている。

 中央通りと思われる、真っ直ぐ海の方へと伸びる道の先には、いくつかの商店が見える。

 その裏を通り抜けるように流れる河川沿いには大小の漁船が連なっている。

 潮をたっぷりと含んだ風を肺に送り込むと、透き通った春寒の冷気が身に沁みる。

 抑えようのない笑いが込み上げる。

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