4-3
十四時手前で酒屋の配達があった。
同級生で昔の悪友でもある春樹も、今では真面目に父親の店を手伝っている。
オールバックの髪型、アビエーターサングラスにアロハシャツが真面目に見えるかは一般的に甚だ疑問だろうが。
「浩太〜、来てやったぞ〜」
「金払ってるんだから来なかったらぶっ飛ば〜す」
決まり文句のような掛け合いをすると輩感がいつまで経っても抜けない春樹が酒のケースを高く積み上げた台車を転がしながら店内に入ってくる。
それほど暑くもないのに密度の高い柄のアロハの袖と黒いチノパンの裾を捲り上げて、いまだに常夏仕様に見えてくる。
「景気はどうよ」
「分かってて言ってんだろ」
笑いながらケースをカウンターに並べていく。中身を確認しながらそれらを厨房裏の倉庫スペースに運んでいく。
「なぁ、親父が言ってたんやけど、スミちゃん今帰って来てるんやって?」
「おう、明日までな」
「じゃあ久しぶりに三人で飲まん? よいっしょっと」
その提案にどう答えるか一瞬戸惑い、苦笑する。
「いやあ、どうだろうな。滞在短いし」
「ほいじゃ一度連絡してみるわ」
そうだな、と曖昧に返事をする。
春樹とは高校一年からの付き合いだ。今となっては不良まっしぐらだったこいつがクラスに馴染めなかったのも頷けるが、当時は人より少しばかり個性的だな、くらいにしか思わなかった。
単純だが実直で俺にとっては付き合いやすい奴だった。将来の展望なんて特になく、世間的に言う常識に反抗していて、どこか俺と繋がる何かを感じた。
登校してる日は基本的に一緒にいた。たぶん地元では今でも一番親しい友人だろう。
「そういえば嫁さん元気か? もうすぐだろ?」
「おぉ、なんとかな。身動き取れんのが気に入らんのか、でこ機嫌悪いけどな。まぁ、ひっで食ってるし、大丈夫やろ。胡桃はずっと『うちおねえちゃんになるんや』って誰彼構わず言いふらしとんの」
春樹は近々第二子の父親になる。
嫁の律は隣町の出身で、高校時代よく揉め事になった連中の連れだった。当然のように犬猿の仲だった。
春樹に負けず劣らず厳つい格好をしていた彼女も長女の胡桃が生まれるとさすがに丸くなった。
俺と澄子が京都にいたとき、二人が結婚すると聞いて驚愕したが、結局似たもの同士なんだと思う。今では完全に尻に敷かれた春樹はとても幸せそうだ。
「胡桃のときも大変だったからな。頑張れ父ちゃん」
「それなぁ」
脱力気味に言うが存外楽しそうだ。配達分の品は片付け終わって受け取り票に判子を押す。
「あ、胡桃で思い出した。翔一とはまだ連絡とってるんやろ?」
突然響いた名前に一瞬動きが怯む。
翔一が浜音に二度目の滞在をしたときだ。春樹が急に『バーベキューをしよう』と言い出したので急遽民宿で集まった。その際に彼は春樹一家と知り合った。
返事も待たずに続ける。
「いやさ、毎回忘れて胡桃に怒られるんよの。ちょっと待ってての」
そう言いながら表に停めてある軽バンへと走っていった。すぐさま戻ってきた春樹の手には一枚の紙が大事そうに握られている。
それを渡されて開くと画用紙いっぱいに多彩なクレヨンで描かれた絵があった。
海、山、家、鳥、クジラ。どれも特徴を捉えて上手に描かれている。その手前に人物が五人ほど加えられている。
六歳児が描いたとは思えない情報量の豊かな大作だ。
「あいつあれからもずっとバーベキューの話しててな。何日もかけて描いたんやって! これが俺で、律で、胡桃やろ。ほしてこっちがお前で、この目立つのが翔一」
春樹が得意げに言いながら順に人物を指さしていく。
右側の二人が春樹夫婦で、左でバーベキューと思しき黒い四角の物体を扱っているのが俺だろう。黒髪ののっぽなキャラクターが何やら調理道具を手に持っている。
中央を飾っているのは可愛らしい胡桃と金髪として描かれた髭のキャラクター。翔一。
明らかに最後の二人だけ意気込みが違う。しかしあの日は他にも民宿の客がいたのだが、いわゆる眼中に入っていなかったというわけだ。
描いてもらえただけマシなのだ。
「もう大分経ってまったけど、もし機会があったらあいつに渡してくれん? 『うちショーチのおよめさんになるからプレゼントするの』やって」
「マジか」
思わぬ所からライバルが登場した。咄嗟に零れた声には、割と本気が入っていたかもしれない。
「マジ。もう俺泣いてまうわ。ませやがってあのクソガキ」
こちらも案外本気で泣きそうな顔をしている。傷心中の父ちゃんにお察しの笑いを贈り、画用紙の力作に目を細める。
七月の下旬。梅雨明けの、朝から息をするだけで億劫になる日本晴れ。蟬も総出で夏の到来を告げていた。
強い日差しを受けて煌めく海は心地良く、潮の匂いが凝縮された風を送ってくる。
そんな日に翔一は浜音にまた来てくれた。二泊三日の短い滞在。それでも何週間も前から話していて、楽しそうだった。
無論、俺も待ち遠しかった。
『うきぐも』に到着したとき丁度、春樹が来ていて、浜音男児っぽく騒ぐ理由になればなんでも歓迎するこいつは突然『いい肉あるでバーベキューしよっさ』と宣言した。
予定を狂わされるのは不本意だが、民宿客が満場一致で賛同したので翌日の昼に集まることになったのだ。
何に驚いたのか翔一に挨拶した胡桃は盛大に泣いてしまった。
そのときの彼の慌てぶりはなんとも可笑しくて。しかし三十分も経てば胡桃は彼にべったり。
午後もずっとひっついていて、まだ明確に気持ちを自覚していなかった俺でものけ者扱いをされ不貞腐れた。
遊び疲れて寝落ちしてしまった胡桃を抱えながら翔一は夏の綿雲に負けない柔らかさで笑っていた。
『子供慣れしてるな、翔一』
『してねぇよ』
『いやでも胡桃がこんなに懐くとは』
『うん。俺も意外。顔見るなり泣かれたときはマジでビビったけど』
『ははは、思い返しても笑えるわ』
『記憶消去しろ』
『断固拒否』
『でも、なんかすげぇいいな、こういうの。バーベキューとか大学以来だ』
『そっか。都会だもんな。あーでも、釣りに行ったりするじゃん。定番じゃねぇ?』
『んー、まぁ。基本一人で行くことが多いからな、いつも適当。釣り仲間と行っても、なんかラーメンとかで済ましちゃうな』
『あー、釣り後のラーメンは確かに最高だけど』
『な』
『じゃあさ、今度キャンプにでも行かね? キャンプ釣りはめちゃくちゃ楽しいぞ〜』
『え、マジ? 俺したことないけど』
『任せろ任せろ。必要なもんは全部持ってるから』
心底楽しみにしていた。
俺の手でぶち壊すとは思わなかった。
きっと彼も同じで、最高の思い出のはずが最悪な記憶になってしまったのだろう。
絵の中の翔一は笑顔なのにどこか責められている気がする。
「ほいじゃ、スミちゃんから連絡あれば伝えるわ」
「おう、律と胡桃によろしくな」
春樹は浜沿いの道路を真っ直ぐ走っていった。
夕方の準備を始めるには少し早い。せっかくなので澄子にも注意された自宅の方を少し片づけることにする。
見ないようにしていたが、納得できる。
ベッドと風呂場、仏壇への小道だけを残して、いたる所に散乱した脱ぎ捨てた服、釣り道具、読みかけの本、書類、ビールの空缶。あとゴミ袋と食べかけの食器を加えれば立派な汚部屋。
どんだけ怠けてんだよ、と自分自身を叱ってやる。この惨状はたぶんここ一か月のものだ。翔一とのことがあって以来、仕事以外のことに注ぐ気力がない。
この気持ちを自覚したのはそれこそ七月のその週末。
珍しく満室の民宿の対応に追われ、初日はあまり時間を取れなかった。翔一は昼食時間以外は一日釣りに出かけていて夕方に満足そうに顔を輝かせて戻ってきた。処理に困るほどの獲物を抱えて。
閉店になってもずっとカウンター席で俺と話していた。夕飯を豪快に平らげたにも関わらず、更につまみを頬張っていて。これだけの食べ物が一体その体のどこに行くのか不思議だった。
釣ってきたタコの一部で作ったタコわさを旨そうに。
『うーめぇ! 浩太の料理マジで天才すぎ。近所に住んでたら絶対太るわ。肥満になって心不全。命の危機』
『大袈裟だし、さすがに俺も配慮するよ、その場合』
厨房の後片付けをしながら、静まり返った店の配膳口越しにする会話。くすぐったい距離感だった。
気にすることなく気軽に話してくる翔一も、この壁を隔てても二人のいる空間。この時間を寂しいと思ったことはないのに、彼がいない店を思い浮かべるだけで酷く孤独に思えた。
『でもおまえの飯食って死ぬなら本望かも』
大袈裟な客にそう言われることも稀にある。料理人冥利に尽きる言葉だ。
しかし確かに彼の言葉にはそれ以上に心臓が跳ねた。
不可解に思いはしたのだが、さして気に留めなかった。
『うれしいね。死なれるのは困るけど』
配膳口に目をやると純真無垢な笑顔で箸を咥える姿が見えた。
こう、目がチカチカして。心臓の辺りがポカポカと。可愛らしいと思ったのは事実。だけどそれ以上にそんな顔で俺の料理を食べてくれることに心打たれた。
タコわさだ、なんの変哲もない。それでもまるで一生分の空腹を満たすかのように。
『京都にいたときさ。師匠がすげぇ響くこと言ってて』
突然切り出した言葉に翔一が目を丸くした。
俺は一度片付けた調理台に幾つかの調味料と、冷蔵庫からアジの切り身を取り出し、続けた。咄嗟に思い出して、聞いてほしくなった。
『俺らはさ元々生きるために食べるわけだろ? だから料理は本来命を繋ぐものなんだ。でも、それだけなら追及する必要はなくて。煮たり焼いたりして食えばいい』
レモンを半分に切って、胡瓜、新玉葱と鷹の爪を細かく刻み、アジを食感を保つぎりぎりの薄さに削いでいった。
『動物も同じかは知らんけど、人間は食べる行為にそれ以上のものを見出しているんだそうだ。励ましだったり、慰めだったり、記憶、感情、発見、体験とか』
アジの切り身を皿に扇形に並べ、上から刻んだ胡瓜と新玉葱、少しのディルと刻んだ鷹の爪を散らした。
醤油を一垂れ混ぜたレモン汁、そしてオリーブオイルを豪快に回しかけ。塩胡椒を粗挽きにして最後に白髪葱と刻み大葉を中央に盛り付けた。
その間、ずっと無言で聞いてくれていた。
『だから料理があって、それを追求する人がいて、食べる人がいる』
俺はその一皿をカウンターの方に持っていった。
極めて簡単な料理だが、洋食は不慣れだ。しかし前から魚のカルパッチョは試してみたかった。
自分で試食すれば済む話だが、どうしても、翔一の表情を見たかった。
『師匠曰く、命を繋ぐ、さらに向こうがあって。そこに行けて初めて料理人なんだって』
そう言いながら皿を彼の前に置き、隣に腰をかけた。
緑が彩る桃色の身が白い皿によく映えて。勢いよく回しかけたオリーブオイルが透き通った絵の具みたいに皿に躍動感を与えていた。
我ながら見栄えは悪くない。そう思い、視線を上げると、彼は目を輝かせながら色んな角度で覗き込んでいた。
『アジのカルパッチョ。試作だけど。味見して』
箸立てから一膳取り出して、なるべくバランスの良い味と食感になるように摘んだ。それを片手を添えながら翔一の口元まで運んでいくと、驚いたように、箸と俺の顔とを交互に見比べていた。
動揺しているように見えて、はっとした。澄子に注意されたことがある。これは誰にでもしていいことじゃないから気を付けろと。
一瞬のことだが、翔一の耳が赤くなる気がした。箸を引っ込めて謝罪しようとしたところ、勢いのある一口。箸を落としそうになったほどだ。
突飛に思われただろう行動もあり、微かな不安を感じながら顔を窺った。
やはり耳や首あたりが紅潮していた。それでも、なにやら決意に満ちたように厳然たる表情で嚙み進めていると、みるみる和らいでいき、その前にも見た満面の笑顔になった。
俺の料理がこんな笑顔を引き出した。
『やっば、なにこれめちゃめちゃ美味い。え、洋食だろ? おまえ洋食も作れるんだな! すげぇ』
安堵の息を吐いた。
そんなに褒められるほどの料理ではないのだが。ぱっと明るくなった表情といまだに赤みがかった肌を見て、胸の奥が擽ったくなった。
『さっぱりしてて海の味がする。あと、瑞々しいのになんかピリっとくるし。あ、これ鷹の爪か? オイルとレモン以外に何か使ってる?』
『醤油と、あと、まあ、塩胡椒』
『やべぇ、なんでこんな美味いの。刺身のポジ危うし』
あまりの熱量に遅れて照れくさくなり、笑って誤魔化した。
『浩太すげぇな。料理人って。人を笑顔にする仕事なんだよな。マジでカッコいいわ。俺もほら、めっちゃ笑顔!』
俺が料理に拘ってきた理由。師匠の言葉を聞いて目指したこと。
すんなり言葉にされて呆気にとられた。言い表せない場所に繋がってきてくれて、見てくれて、分かってくれて。
あー、俺この人すげぇ好きなんだ。




