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26/30

院長の報告書は、嘘をついていた

第26話です。

公開監査で出た王立錬金術院の回答と、リーベル村に残った現物記録を照合します。

 公開監査の翌朝、水番小屋の机は、もう作業机ではなくなっていた。


 中央には、王宮監察官セリオ・ヴァルクが置いた黒い文箱。

 その左に、昨日の公開監査記録。

 右に、王立錬金術院から届いた院長回答と、第一錬金炉管理室の補足記録。

 机の端には、俺の私物記録帳、中央井戸の水量記録、境界石の拓本、灰色粉の封印瓶、焦げた紙片の封印包みが並んでいる。


 水番小屋に置くには、ずいぶん重い資料の山だった。


 外では、中央井戸がいつもの音を立てている。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 昨日より、少しだけ澄んだ音だ。

 それでも、完全に軽いわけではない。

 西方不明流路の赤線はまだ残っている。

 王都式浄水石を遠ざけても、第一錬金炉系統との干渉が消えたわけではなかった。


 セリオは椅子に座り、羽ペンを手に取った。


「資料照合を始める」


 水番小屋の中には、いつもの面々がそろっていた。


 エルシアは入口側に立ち、外の様子も見ている。

 ガイ老人は椅子に腰かけ、井戸の音を聞ける位置にいる。

 ミラは木札と炭筆を抱え、俺の隣に立っていた。

 ネリアは白露草の記録板を持ち、ガンズは腕を組んで壁際に寄りかかっている。

 ドランは商人立会人として、帳面を開いていた。


 そして、ヴェルナー伯爵家の代理人クレイン・ハーゼンもいた。


 彼はあからさまに不快そうだった。

 昨日の公開監査で、伯爵家による接収判断は保留になった。

 現時点での設備移動、取水権変更、三滴印提出要求も認められない。

 伯爵家にとっては、ここに残る理由がないように見える。


 だが、セリオは帰さなかった。


「クレイン・ハーゼン殿。あなたにも立ち会ってもらう」


「なぜです。王立錬金術院の回答に不備があるなら、それは錬金術院と王宮監察局の問題でしょう。伯爵家は関係ありません」


「あなた方は、院長回答を根拠の一つとしてリーベル村の管理権を主張した」


 セリオは、机の上の文書を指で軽く叩いた。


「その根拠の信頼性が揺らぐなら、あなた方の主張にも影響する。立会人として残るべきだ」


 クレインは唇を引き結んだ。


「……承知しました」


 セリオはうなずき、まず院長回答を広げた。


 王立錬金術院長バルド・レイヴンの署名と印。

 整った文字。

 余白の取り方も、王都式の正式文書そのものだ。


 王都にいた頃の俺なら、その印だけで相手が正しいように感じただろう。

 だが、今は違う。


 印は、誰が書いたかを示す。

 何が正しいかまでは示さない。


「院長回答の要点を読む」


 セリオが淡々と読み上げた。


「一つ。旧リーベル村中央井戸は、十年前の調査において自然枯渇と判断済み。二つ。王都第一錬金炉系統との接続記録なし。三つ。リーベル基準井という呼称は旧式資料に残る俗称であり、現行設備との関係は認められない。四つ。ルカ・オルメイン元品質管理官は、微細な誤差を過大に扱う傾向があり、同人の視認証言のみを基礎とする判断は避けるべきである」


 読み上げられるたび、胸の奥が冷える。


 事実と違う。

 そう言いたかった。


 だが、言葉を飲み込んだ。


 王都で俺が失敗したことを、ここで繰り返してはいけない。

 見えた赤線を叫ぶだけでは、報告書は変わらない。

 どこが違うのかを、誰でも確認できる形にしなければならない。


 ミラが小声で言った。


「お兄さん、これ、嘘なの?」


 水番小屋が静かになった。


 セリオはミラを見た。

 責めるような目ではない。

 ただ、言葉の置き方を確かめる目だった。


「今すぐ『嘘』とは書かない」


 俺は答えた。


「どうして?」


「先に、どこが違うかを書く」


「違うところが全部出たら?」


「その時に、嘘かどうかを判断する」


 ミラは少し考え、木札に書いた。


『どこがちがうか、先に書く』


 セリオはその札を見た。


「その札は残せ。今日の方針だ」


 ミラは真面目な顔でうなずいた。


 セリオは次に、第一錬金炉管理室の補足記録を広げた。


 署名は主任技官ヘルム。

 形式は院長回答ほど整っていない。

 だが、そこには古台帳からの写しが添えられていた。


『基準井との接続弱化時、第一錬金炉系統浄水石に濁り発生。浄水石の不良ではなく、基準流路を確認すること』


 昨日も読んだ文だ。

 だが、今朝あらためて見ると、その重さが増している。


 リーベル基準井。

 第一錬金炉系統。

 浄水石の濁り。

 基準流路。


 院長回答が否定したものが、第一錬金炉管理室の古台帳には残っている。


「第一の相違」


 セリオは羽ペンで紙に線を引いた。


「院長回答は、第一錬金炉系統との接続記録なし、とする。だが、第一錬金炉管理室の古台帳には、基準井との接続弱化時の対応記録がある」


 記録官が横で清書する。


「第二の相違。院長回答は、リーベル基準井を俗称とする。だが、第一錬金炉管理室の古台帳では、設備運用上の確認対象として扱われている。俗称なら、炉の運用注意に記される理由がない」


 ガンズが低く唸った。


「そりゃそうだ。鍛冶場の古い呼び名を、炉の危険札には書かねえ」


 セリオは続ける。


「第三の相違。院長回答は、自然枯渇と判断済み、とする。だが、現地では中央井戸、北森井戸、南畑井戸の三本が順番に弱った証言があり、中央井戸には古代式制御井の内壁、三流路、西方不明流路が残っている。自然枯渇と断定するなら、十年前の測定値、採水記録、井戸番記録、流路図が必要だ」


 ガイ老人が杖を握った。


「井戸番の記録は、王都の調査員が持っていった」


「その証言も、昨日までの記録にある」


 セリオは別紙を見た。


「中央井戸が最初に重く鳴り、青い光が消え、三日後に水量低下。一月後に北森井戸、半年後に南畑井戸が弱った。これは、単純な同時枯渇ではない」


 俺は黙って聞いていた。


 最初の夜、ガイ老人が話してくれたこと。

 王都の資料にはなかったこと。

 ミラの両親が水を買いに行き、戻らなかったこと。


 公式記録では、旧リーベル村はただの廃村だった。

 だが、今ここにある記録では違う。


 ここには、枯れたことにされた井戸がある。

 捨てられたことにされた村がある。

 そして、持ち去られた井戸番の記録がある。


 クレインが口を挟んだ。


「しかし、十年前の記録が今ここにない以上、自然枯渇の判断を否定することもできないのでは」


「否定するのではない」


 セリオは即答した。


「自然枯渇と確定した根拠がない、と記録する。院長回答は断定している。現地記録は断定を支えていない。この差が問題だ」


 クレインは黙った。


 セリオのやり方は、一つずつ線を引くようだった。

 感情で斬らない。

 怒りで決めない。

 ただ、合わない箇所を重ねていく。


 それは、俺がいつもやってきた検査と似ていた。


「第四の相違」


 セリオは院長回答の最後の段落を指した。


「院長回答は、ルカ・オルメインの視認証言のみを基礎とする判断は避けるべき、と書いている」


「それ自体は、正しいです」


 俺は言った。


「俺だけが見える赤線は、公的証拠にはなりません」


「その通りだ」


 セリオはうなずいた。


「だが、昨日の公開監査は、君の視認証言のみではない。中央井戸の受け口通過水と直接採水の比較。白露草の露反応。北森結界柱の魔石灯揺れ。旧鍛冶場の炉音。境界石拓本。三滴印。複数の立会人。これらは視認証言のみではない」


 ネリアが小さく息を吸った。


「つまり、院長回答は、こちらの監査内容を見ないまま、ルカさんだけの話にしているんですか」


「少なくとも、昨日の公開監査結果とは一致しない」


 セリオはまた一行を書いた。


「第五の相違。王立錬金術院の簡易搬入札と類似する焦げ紙片、および王立機関系の荷札金具について、院長回答は触れていない。照会内容に含めたにもかかわらず、回答していない」


 エルシアが眉を寄せた。


「触れていない、というのは逃げ道になりますか」


「なる。だが、触れていないこと自体も記録になる」


 セリオは淡々と答えた。


「疑いを否定するなら、該当する搬入札の型、発行記録、職員の移動記録を出せばよい。出さずに関係なしとだけ書くなら、検証不能な否定だ」


 ドランが帳面を閉じた。


「商人なら、信用されませんね。荷札が見つかったのに、うちではない、とだけ言われても、台帳を出してくださいで終わりです」


 セリオはうなずいた。


「王宮監察局も同じだ」


 その時、ミラが木札を持ち上げた。


『どこがちがうか、五つあります』


 ガンズが少し笑った。


「わかりやすいな」


「五つで合ってる?」


 ミラが俺に聞く。


「ああ。今のところ五つだ」


「じゃあ、嘘って書いていい?」


 俺は答えに詰まった。


 その前に、セリオが言った。


「村の札としてなら、まだ早い。監査記録としても、まだ早い。ただし、次の文は書ける」


 彼はミラの木札の下に、細い字で書いた。


『院長回答は、現地監査記録および第一錬金炉管理室補足記録と一致しません』


 ミラはその文を見て、顔をしかめた。


「長い」


「正確だ」


「簡単に言うと?」


 セリオは少しだけ考えた。


「王都の偉い紙と、井戸の記録が合わない」


 ミラはすぐに書いた。


『王都のえらい紙と、井戸の記録が合わない』


 ガイ老人が静かに笑った。


「そのほうが村には通じる」


「正式文も残す」


 セリオは、今度は反論しなかった。


 照合は続いた。


 次に、俺の私物記録帳が出された。


 上着の内側から取り出す時、少しだけ指が重くなった。

 この帳面は、王都から持ち出した俺の記録だ。

 大型浄化炉の赤線、薬品庫の湿度異常、結界石の劣化傾向、王都の魔力管の圧力差。


 バルド院長が欲しがったもの。

 俺が机の裏に隠していたもの。


 それを、今ここで開く。


「ルカ・オルメイン」


 セリオの声が少しだけ低くなった。


「この記録帳は、君の私物だな」


「はい」


「王立錬金術院の正式台帳ではない」


「はい」


「よって、これ単体では公的記録にはならない」


「わかっています」


「だが、正式台帳と照合するための手がかりにはなる。原本は君の手元に残せ。監察局は写しを取る。ただし、写しを取る箇所は君の同意を得て封印する」


 俺は少し驚いた。


「原本を持っていかないのですか」


「持っていけば、また消えたと言われる」


 セリオは当然のように言った。


「この村の原則は、原本を動かさない、写しを増やす、だったな」


 ミラが小さく胸を張った。


「かってに持っていかない」


「そうだ」


 セリオはうなずいた。


 俺は記録帳を開いた。


 王都を出る前のページ。

 大型浄化炉の稼働前検査。

 第七循環輪の刻印角。

 魔力滞留の危険。

 稼働停止、再刻印、炉心冷却検査の推奨。


 そこには、俺の字でこう書かれている。


『提出済み。院長確認待ち。確認印、右下。翌朝、原本返却時には印なし。繊維剥離痕あり』


 セリオが目を細めた。


「君が追放される原因になった大型浄化炉事故の記録か」


「はい」


「院長回答は、今回のリーベル村についてだけでなく、君の過去の傾向にも触れている。なら、この件も資料照合に入れる必要がある」


 胸の奥が重くなった。


 王都での事故。

 講堂。

 消された提出印。

 笑い声。

 誤差しか見えない無能。


 あの場所へ、記録が戻っていく。


「ここも、書くの?」


 ミラが記録帳を覗き込もうとして、俺は手で軽く止めた。


「これは王都の炉の話だ。まだ難しい」


「井戸とは違う?」


「違う。でも、やり方は似ている」


「やり方?」


「危ないと書いた記録が、なかったことにされた」


 ミラは黙った。


 それから、木札にゆっくり書いた。


『危ないと書いた紙を、なくさない』


 俺は何も言えなかった。


 セリオはその札を見て、静かに言った。


「その札も残せ」


 昼前、照合表の第一版ができた。


 一、院長回答は、第一錬金炉系統との接続記録なしとする。

 確認記録、第一錬金炉管理室古台帳に基準井接続弱化時の対応記録あり。


 二、院長回答は、リーベル基準井を俗称とする。

 確認記録、古台帳では運用対象として記載あり。


 三、院長回答は、自然枯渇と判断済みとする。

 確認記録、三本井戸の順次弱化証言、青い光の消失、中央井戸制御陣、西方不明流路あり。自然枯渇断定の測定資料なし。


 四、院長回答は、ルカ・オルメインの視認証言のみを避けるべきとする。

 確認記録、公開監査では水、露、炉音、魔石灯、拓本、立会人による確認あり。


 五、院長回答は、焦げ紙片および荷札金具への回答なし。

 確認記録、王立機関系荷札金具、王立錬金術院簡易搬入札と類似する焦げ紙片を封印済み。


 六、院長回答は、ルカ・オルメインの過大報告傾向を指摘する。

 確認記録、私物記録帳に大型浄化炉事故前の警告記録あり。正式台帳および原本との照合が必要。


 六項目。


 そこまで書くと、セリオは羽ペンを置いた。


「ここから先は、王都で原本を確認する必要がある」


 エルシアが表情を引き締めた。


「王立錬金術院へ行く、ということですか」


「王宮監察局を経由し、王立錬金術院の資料庫、第一錬金炉管理室、十年前のリーベル調査記録保管先を確認する」


 セリオは俺を見た。


「ルカ・オルメイン。君にも同行してもらう」


 水番小屋が静かになった。


 ミラが俺の袖をつかんだ。


「お兄さん、王都に戻るの?」


 その声は小さかった。


 俺はすぐに答えられなかった。


 王都。

 王立錬金術院。

 俺を追放した場所。

 報告書を消した場所。

 俺の警告を、事故の責任に変えた場所。


 戻りたくない。


 その気持ちは、はっきりあった。


 だが、戻らなければ確認できないものがある。

 十年前の井戸番記録。

 第一錬金炉古台帳の原本。

 大型浄化炉事故報告書。

 院長回答の根拠資料。


 それらを見ずに、リーベル村を守り切れるとは思えない。


「戻る」


 俺は言った。


 ミラの手に力が入った。


「ここには帰ってくる?」


「ああ」


「ほんと?」


「本当だ」


 俺は中央井戸の音を聞いた。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


「俺の仕事場は、もうここだ。王都には、謝りに行くんじゃない。記録を取りに行く」


 ミラは少しだけ黙った。


 それから、袖を離した。


「じゃあ、持っていかれるんじゃないね」


「持っていかれない」


 ミラは木札に書いた。


『お兄さんは、記録を取りに行きます。持っていかれません』


「それは掲示しなくていい」


「なんで?」


「村のみんなが読む」


「読んだら安心するかも」


 言い返せなかった。


 エルシアが俺の横に来た。


「私も同行します」


「北東詰所は」


「現地保全中の証人として、辺境警備隊から一名同行する必要があります。加えて、あなた一人で王都へ戻すのは危険です」


「危険、ですか」


「あなたを追放した場所です。しかも、今はその報告書の嘘を調べに行く。安全なはずがありません」


 セリオは短くうなずいた。


「エルシア・グランツの同行を認める。リーベル村側の記録保全者としては、ガイ老人、ドラン、ネリア、ガンズ、ミラで原本を管理しろ。三滴印は移動禁止。中央井戸は大量取水禁止。北森結界柱は現状維持。旧鍛冶場は低火のみ」


「おい、俺は留守番か」


 ガンズが不満そうに言った。


「炉を見られる者が残る必要がある」


 セリオが返す。


「それを言われると面倒だな」


 ガンズは頭をかいた。


 ネリアも頷いた。


「白露草は私が見ます。出荷はしません。露の記録だけ続けます」


 ドランは帳面を閉じた。


「私は商人ギルドへ追加写しを送ります。ルカさんとエルシアさんが王都へ向かうなら、その前に写しをもう二系統増やしましょう」


 ガイ老人は、井戸の音を聞きながら言った。


「井戸は、わしとミラで聞く。水量板は勝手に変えん」


 ミラは胸を張った。


「札係もする」


「頼む」


 俺がそう言うと、ミラは真剣にうなずいた。


 午後、王都行きの準備が始まった。


 と言っても、荷物は多くない。

 俺の記録帳、写しの束、公開監査記録、封印済みの灰色粉と焦げ紙片の写し、王都式浄水石の検体番号、第一錬金炉管理室補足記録。


 原本の大半は水番小屋に残す。

 持っていくのは、王都で照合するための写しだけだ。


 王都では、原本を持っている者が強かった。

 だがリーベルでは違う。

 原本を一つにしない。

 写しを増やす。

 消すには、多すぎるようにする。


 日暮れ前、セリオは王宮監察局の封筒を二つ作った。


 一つは王宮監察局本部宛。

 もう一つは王立錬金術院宛。


 王立錬金術院宛の文書には、短くこう書かれていた。


『旧リーベル村現地監査において、王立錬金術院院長回答と、第一錬金炉管理室補足記録および現地記録に重大な相違を確認。関連原本の提出を命じる。対象、十年前の旧リーベル村調査記録、第一錬金炉古台帳、大型浄化炉事故報告書、ルカ・オルメイン元品質管理官提出報告書原本』


 俺はその最後の一文から目を離せなかった。


 ルカ・オルメイン元品質管理官提出報告書原本。


 王都の机のどこかに、まだ残っているのだろうか。

 それとも、もう消されているのだろうか。


 提出印の跡だけが残った羊皮紙を思い出す。


 もし原本が残っているなら、そこには赤線が見えるはずだ。

 印を剥がした跡。

 書き換えられた日付。

 あるいは、消された注記。


 セリオが封を閉じた。


「明朝、王都へ向かう」


「はい」


「ルカ・オルメイン」


「はい」


「君は容疑者として戻るのではない」


 その言葉に、俺は顔を上げた。


「証人として、技術協力者として、そしてリーベル村の暫定水源管理者として戻る。勘違いするな」


 少しだけ、息が楽になった。


「……わかりました」


 夜、中央井戸の前に立った。


 ミラも隣にいる。

 今日は井戸を覗き込まない。

 ただ、水音を聞いている。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


「お兄さん」


「どうした」


「王都の人がまた『誤差しか見えない無能』って言ったら?」


「たぶん、言うだろうな」


「怒る?」


「少しは」


「でも、記録する?」


「ああ。記録する」


 ミラは満足したように頷いた。


「じゃあ、大丈夫」


「どうして?」


「お兄さんは、怒っても記録するから」


 それは褒め言葉なのか、よくわからなかった。

 だが、少しだけ笑ってしまった。


 同じ夜。


 王都、王立錬金術院。


 院長室に、王宮監察局からの封書が届いた。


 バルド・レイヴンは、封を切った瞬間から顔色を変えなかった。

 文書を読み終えても、表情は変わらない。

 だが、右手の金の指輪だけが、机の上で小さく音を立てた。


 こつ。


 こつ。


 短い音だった。


「第一錬金炉管理室は、誰の許可で補足記録を出した」


 室内にいた若い技官が、慌てて答えた。


「ヘルム主任が、古台帳の写しを王宮監察局へ……」


「余計なことを」


 バルドの声は低かった。


「旧リーベル村は、十年前に自然枯渇と処理済みだ。今さら掘り返す必要はない」


「ですが、監察局は関連原本の提出を命じています」


「原本など、古い資料だ。整理中に散逸したものもあるだろう」


 若い技官は返事をしなかった。


 バルドは文書を机に置いた。


 そこには、こう記されている。


『ルカ・オルメイン元品質管理官を、資料照合の技術協力者として同行させる』


 バルドの指輪が、また机を叩いた。


 こつ。


「あの男を、錬金術院に入れるな」


「しかし、王宮監察局の同行者として来るなら」


「入れるなと言った」


 若い技官は青ざめた。


 バルドは窓の外を見た。


 王都の尖塔の奥、地下の第一錬金炉から、かすかな振動が上がっている。

 最近は、その音が日ごとに乱れている。


 ルカがいた頃は、こんな音はしなかった。


 そう思いかけて、バルドはすぐにその考えを消した。


「誤差しか見えない無能が」


 彼は小さく呟いた。


「今さら戻ってきて、何が見えるというのだ」


 その問いに答える者はいなかった。


 ただ、院長室の床下から、第一錬金炉の低い音が響いていた。


 王都もまた、赤線を隠しきれなくなっていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

第26話では、王立錬金術院の院長回答と、リーベル村の現地記録、第一錬金炉管理室の古台帳が食い違い始めました。

次回、第27話「王都へ戻る。ただし、謝るためではない」。ルカは証人として、技術協力者として、かつて追放された王立錬金術院へ向かいます。

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