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廃村の所有権を主張する貴族

第21話です。

リーベル村に価値が戻ったことで、今度は土地そのものをめぐる問題が表に出ます。

 王都式浄水石を封印した翌朝、リーベル村の入口に新しい木札が立った。


『赤い札の家には入らない』

『王都式しらべ石は、井戸からはなしてあります』

『井戸の音が重い時は、ルカを呼ぶ』


 最後の一枚は、ミラの字だった。

 文字は少し曲がっている。けれど、意味ははっきりしている。


 俺は木札の前で立ち止まり、下に小さく補足を書き足した。


『王都式浄水石は検体として封印中。移動、開封、接触を禁ずる』


「けんたいって、まだ難しいよ」


 ミラが俺の横で眉を寄せた。


「調べるために預かっているもの、という意味だ」


「じゃあ、しらべ石でいい」


「正式な報告書には使えない」


「でも村の人にはわかる」


 その言い方に、少しだけ返答が遅れた。

 ミラの言う通りだった。


 王都では、正確な言葉でなければ記録として扱われない。

 だが、リーベル村では、読めない言葉は役に立たない。

 井戸から離せ。触るな。危ない。

 まず伝わらなければ、事故は防げない。


「では、両方書く」


 俺は木札の下にさらに一行を書き足した。


『しらべ石。まだあけない』


 ミラは満足したようにうなずいた。


「うん。それならわかる」


 中央井戸の水音は、昨夜より少しだけ軽くなっていた。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 王都式浄水石を井戸から遠ざけ、赤い札を掛けた空き家に封印した影響だろう。

 だが、完全に戻ったわけではない。

 西へ伸びる赤線は、今朝も井戸の底に残っている。


 俺は井戸の縁に手を置き、記録帳を開いた。


『中央井戸音、昨夜より軽化。ただし西方流路赤線残存。王都式浄水石を封印後も完全回復せず。第一錬金炉系統との干渉、継続の可能性あり』


 そこまで書いたところで、村の入口のほうから馬の蹄の音が聞こえた。


 一頭ではない。

 三頭、いや四頭。

 荷馬車の車輪音はない。

 商人ではない。


 エルシアがすでに入口へ向かっていた。

 腰には短剣。長剣はまだ使っていない。

 以前、長剣の亀裂を確認して以来、彼女は無理に抜こうとしない。


「ミラ、井戸番小屋へ」


「また王都の人?」


「まだわからない。けど、井戸には近づかせない」


「わかった」


 ミラは三滴印の箱を抱え、水番小屋へ走った。

 俺は記録帳を閉じ、村の入口へ向かった。


 壊れた柵の外に、四人の男が立っていた。

 一人は上等な外套を着ている。灰色の布地に、銀糸で麦束と塔の紋が刺繍されていた。

 残り三人は護衛だろう。革鎧を着て、腰に剣を下げている。


 外套の男は、村の入口に並ぶ木札を見て、眉をひそめた。


「ここが旧リーベル村か」


 その口調には、確認ではなく失望が混じっていた。


 エルシアが一歩前に出る。


「身元を示してください」


 男は彼女を見て、わずかに目を細めた。


「辺境警備隊か。私はクレイン・ハーゼン。ヴェルナー伯爵家の代官代理だ」


 ヴェルナー伯爵。


 その名前は、北東詰所へ送った報告書の控えで見たことがある。

 旧リーベル村の周辺を含む、北東辺境の古い領地台帳に名が残る貴族家だ。

 十年前、この村が水源を失った時、救援記録はほとんど残っていない。

 少なくとも、ガイ老人の話に伯爵家の名は出てこなかった。


「リーベル村は現在、北東詰所長の臨時命令により、再開拓準備村として保全対象に指定されています」


 エルシアの声は固い。


「現地管理者の許可なき水源、薬草畑、旧式設備の接収、破壊、持ち出しは禁止されています」


「承知している」


 クレインは淡々と言った。


「だからこそ来た。保全対象となった旧リーベル村の管理権を、正しい所有者に戻すためだ」


 正しい所有者。


 その言葉だけで、ガンズが村の内側から舌打ちした。

 ネリアは南畑のほうから不安そうにこちらを見ている。

 ガイ老人も、ミラに支えられながら家の戸口へ出てきていた。


「正しい所有者、とは」


 エルシアが尋ねる。


「ヴェルナー伯爵家だ」


 クレインは懐から筒に入った羊皮紙を取り出した。

 広げられた地図には、北東辺境の古い村々が描かれている。

 その中に、旧リーベル村の名もあった。


「旧リーベル村は、ヴェルナー伯爵家の管理領に含まれる。十年前の水源枯渇後、無収益地として一時的に休眠扱いとなっていたが、現在、水源、薬草畑、結界設備、鍛冶炉などの復旧が確認されている。よって、伯爵家は同地を再管理対象として登録する」


「再管理対象」


 俺はその言葉を繰り返した。


「つまり、村を接収するということですか」


「接収ではない。復興支援だ」


 クレインは俺を見た。

 視線が、俺の服、記録帳、手袋、腰に下げた小型魔石灯を順に見る。

 王都の錬金術師たちがよくしていた、値踏みの目だった。


「君がルカ・オルメインか。王立錬金術院から派遣された開拓補助員、と聞いている」


「派遣というより、懲戒処分で送られました」


「事情は問わない。伯爵家としては、君の技術協力を評価している。井戸の復旧、薬草畑の再生、検査票の作成、規格部品の試作。どれも、領地復興に役立つ」


「評価しているなら、なぜ今までこの村を放っておいた」


 ガイ老人の声だった。


 クレインは老人を見た。


「あなたは」


「ガイ。リーベルの井戸番だった者だ」


「旧住民か。ちょうどよい。伯爵家の調査に協力してもらう」


「十年前も、王都の白衣がそう言った。調査する、記録を預かる、戻すとな。返ってきたものは一つもない」


「私は王都の錬金術院の者ではない」


「なら、伯爵家は十年前、どこにいた」


 クレインの表情が少しだけ硬くなった。


「災害時の詳細な救援記録については、現在確認中だ」


「つまり、ないのだろう」


 ガイ老人の声は低かった。


「水があった時には税の台帳に載せ、水が枯れたら休眠地。水が戻ったら正しい所有者。便利なものだな、貴族の台帳というのは」


 護衛の一人が一歩前へ出た。

 エルシアの手が短剣の柄に触れる。


「剣は抜かないでください」


 俺は言った。


 エルシアではなく、護衛に向けてだった。


「この村の北森結界柱は応急状態です。大きな騒ぎを起こすと、結界の波長が乱れます」


「結界の波長だと?」


 護衛が眉をしかめる。


 クレインは片手を上げ、護衛を下がらせた。


「話を続けよう。伯爵家は争いを望んでいない。だが、領地の資産が無秩序に扱われることは見過ごせない」


「無秩序ではありません」


 俺は記録帳を開いた。


「中央井戸の取水順、南畑の白露草試験区、北森結界柱、東水路の規格部品、旧鍛冶場の炉、三滴印の検査票。すべて記録しています」


「その記録を提出してもらう」


「写しなら可能です。原本は渡せません」


「原本を求める」


「渡せません」


 クレインの目が細くなる。


「君は自分の立場を理解しているのか」


 その言い方は、バルド院長に少し似ていた。

 胸の奥に、嫌な冷たさが落ちる。


 だが、ここは王立錬金術院の講堂ではない。

 俺の後ろには中央井戸がある。

 ミラがいる。ガイ老人がいる。エルシアがいる。ネリアとガンズがいる。


「理解しています」


 俺はできるだけ静かに答えた。


「俺は暫定水源管理者です。正式な所有者ではありません。ですが、北東詰所長の臨時命令により、現地管理者の許可なき水源と設備の接収、破壊、持ち出しは禁止されています」


「伯爵家はその現地管理権そのものを確認しに来たのだ」


「では、確認には記録が必要です」


「だから記録を出せと言っている」


「原本ではなく、写しです」


 クレインは小さく息を吐いた。


「話が通じないな」


「記録を消されたことがあるので」


 俺の声は、自分でも少し硬かった。


「提出印を消された報告書。戻らなかった井戸番の記録。剥がされた注記。今のリーベル村で同じことはさせません」


 沈黙が落ちた。


 エルシアが俺の横に立つ。


「代官代理殿。リーベル村の現況記録は、辺境警備隊を通じて北東詰所に提出済みです。追加確認が必要なら、正式な文書を出してください。少なくとも、今日この場で水源や記録原本を引き渡すことはありません」


「辺境警備隊は領地権を判断する機関ではない」


「その通りです。ですから、判断が出るまで現地を保全します」


 クレインは地図を軽く叩いた。


「この地図には、旧リーベル村がヴェルナー伯爵家の管理領であると記されている」


 俺はその地図を見た。


 羊皮紙は古い。

 縁は擦れている。

 だが、リーベル村の周囲に引かれた境界線だけが、他の線よりわずかに濃い。


 赤線が走った。


 紙の表面ではない。

 インクの下にある繊維の削れ方が、俺には見えている。

 境界線の三箇所で、羊皮紙の繊維が薄く乱れていた。

 古い線を削り、新しい線を重ねた跡だ。


「その地図」


 俺は言った。


「境界線に修正痕があります」


 クレインの目が鋭くなった。


「何だと」


「リーベル村の南畑側、中央井戸の西側、北森境界の三箇所です。インクの下で繊維が削れています。元の線がどこにあったかまでは、この場では断定できません。ただ、少なくとも一度、境界線が書き直されています」


「伯爵家の地図を偽造だとでも言うつもりか」


「偽造とは言っていません。修正痕があると言っています」


「同じことだ」


「違います」


 俺は首を振った。


「修正には理由があるはずです。正式な訂正かもしれない。災害後の再測量かもしれない。あるいは、水源枯渇後に休眠地として範囲を書き換えたのかもしれない。だから、元台帳と訂正記録を確認する必要があります」


 エルシアが小さくうなずいた。


「現地で境界石も確認します」


「境界石?」


「リーベル村の入口に、半分埋まった石があります。先日の現況記録には未記載でした。今回の地図と照合すべきです」


 俺はエルシアを見る。

 彼女はすでに入口脇の草むらを指していた。


 そこには、倒れた柵の根元に、苔むした石が半分だけ見えていた。

 今までただの土止め石だと思っていたものだ。


 俺は近づき、草を払った。


 石の表面に、薄い線が見える。

 削れた古い印。

 水滴のような三つの形。

 その上から、別の紋が浅く刻まれている。


 麦束と塔。


 ヴェルナー伯爵家の紋だ。


 だが、俺の視界には赤線が出ていた。

 表面の伯爵紋の下に、古い三滴印が残っている。

 削り切れていない。


「三滴印です」


 俺は言った。


「この石には、元々リーベルの水源印が刻まれていました。その上から伯爵家の紋が刻まれています」


 クレインは一瞬だけ黙った。


「古い村印の上に、管理領の紋を刻むことは珍しくない」


「なら、その記録もあるはずです」


「……確認しよう」


 声が少し低くなった。


 ガンズが腕を組む。


「確認するだけで済むんだろうな」


「伯爵家としては、リーベル村の復興を支援する意思がある」


「支援ってのは、井戸も畑も炉も持っていくことか」


「言葉を選べ、鍛冶屋」


「釘を作ったのは俺だ。言葉は苦手なんでな」


 ネリアが慌ててガンズの袖を引いた。


 クレインは地図を巻き直した。


「本日は通告に留める」


 その言い方で、場の空気が少し変わった。


「旧リーベル村の水源、薬草畑、結界設備、鍛冶炉、検査票、三滴印について、三日以内に一覧を提出してもらう。提出先はヴェルナー伯爵家北東代官所。提出がない場合、伯爵家は管理放棄の継続と判断し、現地調査隊を派遣する」


「調査隊とは」


 エルシアが尋ねた。


「代官所の測量官、倉庫役、護衛、薬草鑑定人、鍛冶場監査人だ」


「接収隊に見えます」


「見え方はそちらの問題だ」


 クレインは馬に乗った。


「ルカ・オルメイン。君は技術者としては有用だ。伯爵家の管理下に入れば、正式な工房と人手を与えることもできる」


「代わりに、記録を渡せと」


「記録は管理されるべきものだ」


「管理と隠蔽は違います」


 クレインは答えなかった。


 彼は手綱を引き、護衛たちを連れて村の外へ向かう。

 去り際、もう一度だけ振り返った。


「三日だ。覚えておけ」


 馬の蹄の音が遠ざかっていく。


 村の入口には、削られた境界石と、ミラの木札だけが残った。


 しばらく誰も動かなかった。


 最初に口を開いたのは、ガイ老人だった。


「十年前、水が枯れた時には誰も来なかった」


 その声は静かだった。


「水が戻ったら、三日で来るか」


 ミラが境界石を見下ろした。


「この石も、おじいちゃんの井戸の石?」


「そうだと思う」


 俺は答えた。


「昔は、水源の境を示していたんだろう」


「じゃあ、上から別の絵をほったの?」


「ああ」


「だめじゃん」


 ミラの言葉は単純だった。

 だが、たぶん本質だった。


 エルシアはすぐに手帳を開いた。


「まず、今日の通告を記録します。ヴェルナー伯爵家代官代理クレイン・ハーゼンが来訪。旧リーベル村の管理権を主張。水源、薬草畑、結界設備、鍛冶炉、検査票、三滴印の一覧提出を要求。三日以内。境界地図に修正痕。入口境界石に三滴印の上書き痕」


「写しを作ります」


 俺は記録帳を開いた。


「中央井戸、南畑、北森結界柱、東水路、旧鍛冶場、三滴印、王都式浄水石、全部です」


 ドランが、市場記録の箱を抱えて近づいてきた。

 彼はずっと黙っていたが、顔は商人らしく険しい。


「伯爵家は、おそらく提出された一覧を使って価値を見積もります」


「出さないほうがいいですか」


「出さなければ、管理放棄と言われる。出せば、価値を奪われる。普通なら詰みです」


「普通なら」


「ええ」


 ドランは箱を置いた。


「ですが、リーベル村には普通ではない記録があります。井戸がどう戻ったか。水の順番をどう決めたか。白露草をまだ売っていないこと。偽物騒動をどう潰したか。鉄を打ち直したこと。市を試験市に留めたこと。全部、記録があります」


 エルシアがうなずいた。


「接収対象の一覧ではなく、管理実績の一覧にするべきです」


「管理実績」


「誰が直したか。誰が守っているか。放棄ではなく、継続管理中だと示します」


 俺は境界石を見た。


 石に刻まれた三滴印の上に、伯爵家の紋が浅く乗っている。

 赤線はまだ消えていない。

 けれど、赤線が見えるということは、記録できるということでもある。


 王都では、俺の報告書は消された。

 ガイ老人の井戸番記録は持ち去られた。

 第一錬金炉の台帳からは、誰かの注記が剥がされていた。


 なら今度は、消される前に増やすしかない。


「接収されるなら」


 俺は言った。


「品質記録を全部公開します」


 ガンズが笑った。


「伯爵様に嫌われそうだな」


「もう王都には嫌われています」


「じゃあ、今さらだ」


 ミラが三滴印の箱を抱え直した。


「わたし、札作る。いっぱい作る」


「頼む」


「なんて書く?」


 俺は少し考えた。


「リーベルのものは、記録があります」


 ミラはうなずき、木札を取りに走った。


 中央井戸の水音がした。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 その音は、まだ少し重い。

 王都の第一錬金炉系統との赤線も、西方流路も消えていない。

 その上、今度は土地の線まで見なければならなくなった。


 だが、同じだ。


 井戸の詰まりも、薬草畑のズレも、結界柱の傾きも、偽薬草の混入も、鉄材不足も、最初は一つの小さな赤線だった。


 見えたなら、記録する。

 記録したなら、消される前に写しを作る。

 写しを作ったなら、誰でも確認できる形にする。


 俺は記録帳の新しい頁を開いた。


『ヴェルナー伯爵家、旧リーベル村の管理権を主張。提示地図に境界線修正痕。入口境界石に三滴印上書き痕。三日以内に設備一覧提出を要求』


 続けて、もう一行。


『方針。接収対象ではなく、管理実績として公開記録を作成する』


 書き終えると、井戸の底で青い光が小さく揺れた。


 その光は弱い。

 けれど、消えてはいない。


 リーベル村は、まだ誰のものでもない台帳の上で揺れている。

 だが、少なくとも、ここに水音を聞いている者がいる。

 それを記録している者がいる。


 なら、枯れたことにも、放棄されたことにも、勝手にされたくはなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

第21話では、リーベル村に価値が戻ったことで、ヴェルナー伯爵家が土地の管理権を主張し始めました。

次回、第22話「接収されるなら、品質記録を全部公開します」。ルカたちは、井戸、水路、薬草畑、結界柱、そして村の記録を使って、リーベルがただの放棄地ではなかったことを示していきます。

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