表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の武術士  作者: トスキング


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/5

第2話 第二予選 一戦目

翌朝、第一予選の熱狂が去った後の『鉄錆の広場』は、ただ重苦しい静寂と、拭いきれない血の匂いだけが淀んでいた。

ザンは、剥き出しの鉄骨が並ぶ通路を抜け、下層街のさらに奥深くへと足を進めていた。

昨日の乱戦で、元々粗末だった彼のシャツは無惨に引き裂かれ、鋼のような筋肉が至る所から露出している。

スクラップ・ヘイヴンでは当たり前の光景だったが、これから向かう『中層街』ではそうじゃない。


ザンは、路地裏に店を構える一軒の武具店へと足を向けた。

看板すら朽ち果て、店先には魔素に侵食されたジャンク品が積み上げられている。

だが、その奥にある防護扉の頑強さが、ここが単なる古着屋ではないことを物語っていた。


「……デカいな。うちの在庫に、あんたのサイズがあるかどうか」


カウンターの奥で、義眼を光らせた老人が低く呟いた。

ザンは無言で、袋の中から数枚の万マルク紙幣を取り出し、カウンターに置いた。

第一予選を突破したことで、参加費の五千マルクは返還される。手元には、まだ十分な資金があった。


「耐久性のあるものを。戦気の放出に耐えられる、丈夫な服だ」


老人は鼻で笑い、奥の棚から一着の漆黒の外套と、同色のタクティカルウェアとズボンを取り出した。

それは、対魔物用の特殊繊維を編み込んだ、軍用品の横流し品だった。

伸縮性に富み、かつ『剛』の戦気による急激な肉体膨張や衝撃にも耐えうる、下層街では最高級の代物だ。


「二万マルクだ。中層へ行くんだろう? あそこは、見た目で人を判断する連中ばかりだ。そのボロ布じゃ、リニアの駅で新種の魔物と勘違いされて警備ドローンに撃たれるぜ」


ザンは試着することなく、その衣服を受け取った。

身に纏うと、冷たい繊維の感触が肌に馴染む。

肩幅も、二メートルを超えるその体躯を締め付けることなく、しなやかに包み込んだ。

老人の言う通り、服を変えただけで、ザンから放たれる威圧感は「野良犬」から「捕食者」へと変質していた。


翌朝、ザンは中層街へと続く巨大な昇降機『ヘヴンズ・ゲート』の前に立っていた。

下層と中層を隔てる境界線。

そこには、全身を強化外骨格で固めた治安維持部隊が目を光らせ、通行人の戦気量と身分を厳格にチェックしている。

ザンが列に並ぶと、周囲の労働者たちが一斉に距離を置いた。

黒い衣服に包まれたその巨体は、それだけで周囲の空気を歪ませるほどの圧を放っていた。


「次。戦気を抑制しろ。測定器が壊れる」


検問官の男が、忌々しげにザンを睨んだ。

ザンは『溜気』を意識し、体外へ漏れ出る戦気を肉体の内側へと押し込めた。

それでも、測定器の針は危険域の直前で激しく震え続けている。

検問官は何度か端末を叩き、やがて諦めたようにゲートを開いた。


「……通れ。中層では大人しくしてろよ、スクラップ・ヘイヴンの」


昇降機が上昇を開始すると、急激な気圧の変化が耳を突く。

ガラス越しの景色が、錆びた鉄の色から、眩いばかりのネオンとクロムの輝きへと塗り替えられていく。

下層を覆っていた澱んだ霧が晴れ、視界に飛び込んできたのは、重力制御によって浮かぶ建築物と、それらを繋ぐ光の回廊だった。

そこは、同じ都市とは思えないほどに洗練され、管理された楽園だった。


第二予選の説明会会場である『アーク・プラザ』は、中層街の中心部に位置する広大な円形広場だった。

第一予選を勝ち抜いた精鋭たちが、既にそれぞれの「領域」を保ちながら集まっている。

下層の乱戦を生き残った者たちだけあって、その場に漂う戦気の密度は、第一予選の比ではない。


ザンが会場に足を踏み入れた瞬間、喧騒が止まった。

漆黒の衣装に身を包み、二二八センチの巨体を揺らして歩くその姿は、洗練された中層の住人たちにとって、紛れもない「異物」だった。

だが、そこにいる武人たちは、ザンの外見以上に、その内側に秘められた爆発的な戦気の奔流を敏感に察知していた。


「……来たか。野蛮な怪物が」


聞き覚えのある声に、ザンは視線を向けた。

そこには、第一予選の最後に言葉を交わした青年、カイルがいた。

白銀の縁取りがなされた紺色の武道着は、塵一つ付いていない。

彼の周囲には、同じ流派の門下生と思われる若者たちが数人控え、周囲を威圧している。


「カイル様、あんな下層の者が、本当に脅威なのですか?」


門下生の一人が、ザンを蔑むような目で見ながら尋ねた。

カイルは答えず、ただ静かにザンを見つめ返した。

彼の瞳には、第一予選の時よりも深い警戒と、隠しきれない武人としての高揚が宿っていた。


会場の壇上に、武術士協会の幹部と思われる男が姿を現した。

男は眼鏡の奥の冷徹な瞳で会場を一瞥し、拡声用の戦気を喉に込めて口を開いた。


「第一予選を突破した諸君、歓迎する。ここからは、単なる生存競争ではない。真の『武』を競う場だ」


男の説明によれば、第二予選は完全な1対1のトーナメント形式。

中層街に設置された特設アリーナで四連勝した者だけが、天冠区で開催される『本戦』への切符を手にすることができる。

ルールは第一予選と同様だが、ここではより高度な審判ドローンが導入され、微細な戦気の運用までが厳格に監視されるという。


「……また、今回の第二予選には、連邦各地の有力道場から推薦された『シード選手』も合流している。

下層の予選を勝ち抜いた諸君にとっては、文字通りの壁となるだろう」


男の言葉と共に、会場の大型ホログラムに数人の武人のプロフィールが映し出された。

その中には、カイルの名もあった。

そして、ザンの目に留まったのは、一人の男の姿だった。


その男の名は『ゼノ』。

全身から禍々しいまでの『剛』の戦気を放つその男は、北方の極寒の地で魔物狩りを生業とする一族の者だという。

ホログラム越しですら、その圧力はザンの皮膚をチリつかせた。


説明会が進む中、ザンは周囲の視線を全身に浴びていた。

蔑み、恐怖、好奇、そして明確な殺意。

中層の武人たちにとって、独学で戦気を覚醒させたザンのような存在は、自分たちの積み上げてきた「体系」を否定する不快な存在でしかない。


「おい、見ろよ。あのデカブツ、武器すら持ってねえぞ」


「スクラップ・ヘイヴンの連中は、拳で鉄を叩くのが関の山だからな。洗練された秘術の前では、ただの肉の壁だ」


周囲の囁きを、ザンは聞き流した。

彼の関心は、既に自分の腹の底で渦巻く「飢え」へと戻っていた。

強者たちの戦気が混ざり合うこの空間は、彼にとって、極上の晩餐を前にした食卓も同然だった。


説明会が終わり、トーナメントの組み合わせがホログラムに表示される。

ザンの初戦の相手は、中層街でも有数の実力を持つとされる、ある道場の師範代だった。

周囲からは、同情と嘲笑の混じった視線が送られる。

だが、ザンは自分の名の隣にある相手の名を一度だけ確認すると、迷うことなく出口へと歩き出した。


「……待て、ザン」


背後から、カイルが声をかけた。

ザンは足を止めず、肩越しに視線だけを向けた。


「君の初戦の相手、バロウズは『流』の達人だ。君のような直線的な攻撃は、彼には通用しない。

ここで消えるには、君はあまりにも惜しい存在だ。……忠告だよ」


「……通用するかどうかは、俺が決めることだ」


ザンは短く吐き捨て、広場を後にした。

中層街の清潔な舗装路を踏みしめるたびに、新しい衣服が微かな音を立てる。

彼の背後では、再び武人たちの喧騒が始まっていたが、ザンは一度も振り返らなかった。


宿へと戻る道すがら、ザンは自身の右手をじっと見つめた。

戦気を練る。

漆黒の衣服の下で、鋼の筋肉が微かに脈打つ。

バロウズ、カイル、そしてゼノ。

洗練された武術。魂に刻まれた秘術。

それら全てを、自分のこの拳が、どこまで噛み砕けるのか。

ザンの唇が、無意識のうちに吊り上がった。

それは、聖都の「楽園」に迷い込んだ、飢えた獣の笑みだった。


中層街の夜は、下層街のそれとは異なり、人工的な静寂に包まれていた。

高層ビルの窓から漏れる柔らかな光が、霧一つない舗装路を淡く照らしている。

ザンは、武術士協会が用意した簡素な宿泊施設の一室にいた。

下層の安宿とは比べものにならないほど清潔な部屋だが、ザンにとっては、その無機質な空間こそが落ち着かなかった。


彼はベッドには横にならず、床に胡坐をかいて座っていた。

目を閉じると、昼間の説明会で感じた数多の戦気の残滓が、脳裏に鮮明に蘇る。

カイルの鋭利な風のような気配。

ゼノの、全てを押し潰す重戦車のような圧力。

そして、初戦の相手となるバロウズの、捉えどころのない水のような流動性。


(……『流』か)


ザンは、自分の体内の戦気をゆっくりと循環させた。

独学で身につけた彼の戦気運用は、常に最大出力を叩き出すことに特化している。

だが、今日のカイルの動きや、説明会で見かけた高位の武人たちの立ち居振る舞いには、自分にはない「理」があった。

彼らは戦気を無駄に消費せず、最小限の動きで最大限の効果を引き出している。


ザンは立ち上がり、狭い室内でゆっくりと拳を突き出した。

『剛撃』

空気が爆ぜ、衝撃波が壁を震わせる。

威力は十分だ。だが、これでは相手に動きを読まれる。スクラップ・ヘイヴンでの戦いは、常に死に物狂いの殴り合いだった。

洗練など必要なかった。ただ、相手より先に、より強く殴れば勝てた。

だが、この聖都の舞台は、それだけでは足りないことを予感させていた。


翌朝、第二予選の初日。

中層街の中央に位置する『アーク・プラザ・アリーナ』は、数万人の観客で埋め尽くされていた。

ホログラム技術によって空中に投影された巨大なスコアボードが、対戦カードを華やかに告げている。

下層街の予選とは違い、観客席には正装した富裕層や、各流派の偵察員たちが陣取り、冷徹な目で舞台を見下ろしていた。


「……第十二試合。バロウズ対ザン。選手入場!」


実況の戦気が会場に響き渡る。

先に舞台に上がったのは、バロウズだった。

四十代後半と思われる、引き締まった体躯の男。

彼は『流』の性質を体現するかのような、無駄のない動きで中央に立った。

彼の手には、武器はない。素手での戦闘を得意とする、正統派の武人だ。


続いて、ザンがゆっくりと階段を上がった。

漆黒の衣装を纏ったその巨体が姿を現すと、会場の空気が一変した。

「スクラップ・ヘイヴンの怪物」という異名が、観客の間で囁かれる。

彼が放つ隠しきれない『剛』の戦気が、アリーナの床を微かに震わせていた。


「……君がザンか。その戦気量と肉体⋯カイルが目をかけるだけのことはあるな」


バロウズが、静かな口調で言った。

彼の構えは、まるで水面に浮かぶ木の葉のように、一切の力みが感じられない。

ザンは無言で、拳を握りしめた。


「だが、ここは暴力が通用する領域ではない。君に『理』を教えてやろう」


試合開始のブザーが鳴り響くと同時に、ザンは地を蹴った。


『流身』

爆発的な加速。

ザンの巨体が、一瞬にしてバロウズの懐へと飛び込む。

右の拳が、空気を切り裂きながらバロウズの顔面へと突き出された。


『剛撃』


必殺の一撃。

だが、バロウズの体は、まるで風に吹かれたかのように、わずかな動きでその拳を回避した。

彼はザンの拳が放つ風圧を、自身の戦気で受け流し、その勢いを利用して横へと滑ったのだ。


「……遅いな」


バロウズの手が、ザンの脇腹に触れた。

衝撃はない。

だが、次の瞬間、ザンの巨体は自らの突進の勢いを制御できず、舞台の端まで吹き飛ばされた。

『流』の極意。相手の力を利用し、そのベクトルを逸らす技。


ザンは素早く体勢を立て直し、再びバロウズを睨んだ。

今の一撃で、彼は理解した。

バロウズは、正面から自分の力とぶつかり合うつもりはない。

水のように形を変え、こちらの力を無力化し、疲弊したところを仕留めるつもりだ。


「どうした? 自慢の怪力も、当たらなければ意味がないぞ」


バロウズは余裕の笑みを浮かべ、手招きをした。

観客席からは、バロウズの洗練された動きを称える歓声が上がる。

対してザンには、罵声と冷やかしが飛んでいた。


ザンは、深く、長く息を吐いた。

腹の底で、熱い塊が脈打つのを感じる。

彼は再び、バロウズへと歩み寄った。

今度は、全力の突進ではない。

一歩、一歩、地面を踏みしめ、圧力を高めていく。


バロウズの表情から、余裕が消えた。

ザンの周囲の空気が、物理的な重さを伴って凝縮され始めている。

『剛』の戦気を、体外へ放出するのではなく、肉体の表面、わずか数ミリの層に超高密度で固定する。

それは、ザンがスクラップ・ヘイヴンで、巨大なプレス機の下敷きになりかけた時に編み出した、極限の防御法だった。


「……無駄だ。どんなに硬くとも、流れを止めることはできん!」


バロウズが、今度は自ら仕掛けた。

彼の両手が、目にも止まらぬ速さでザンの全身を打つ。

一打一打に、相手の戦気の循環を乱す『気』の衝撃が込められている。

だが、ザンの肉体は、びくともしなかった。

バロウズの拳が触れるたびに、硬質な金属音が響き、逆にバロウズの指先が悲鳴を上げる。


「なっ……!?」


「……捕まえたぞ」


ザンの手が、バロウズの腕を掴んだ。

万力のような握力が、バロウズの骨を軋ませる。

バロウズは必死に戦気を循環させ、その拘束から逃れようとしたが、ザンの指は肉に食い込み、離さない。


「放せっ! この、化け物が!」


バロウズが、残った左拳に全戦気を込め、ザンの顔面へと叩き込んだ。

だが、ザンはその一撃を、避けることすらしない。

鈍い音が響き、ザンの頭がわずかに揺れた。

だが、その瞳に宿る熱は、消えるどころか一層激しく燃え上がった。


ザンは、バロウズの腕を掴んだまま、体をそのまま地面へと叩きつけた。

ドォォォォォンッ!

アリーナの床が、蜘蛛の巣状にひび割れ、激しい砂塵が舞い上がる。

バロウズの口から、鮮血が飛び散った。

『理』も『流』も、圧倒的な質量の前では無力だった。


ザンは、倒れ伏したバロウズの胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げた。バロウズの意識は既に朦朧とし、目は焦点が合っていない。

ザンは、そのまま彼をアリーナの外へと放り投げた。


静寂。

数万人の観客が、言葉を失ってその光景を見つめていた。

中層街の師範代が、下層街から来た名もなき青年に、文字通り一蹴されたのだ。

それは、洗練された「武」が、剥き出しの「暴力」に敗北した瞬間だった。


「……勝者、ザン!」


審判ドローンの宣告と共に、会場に地鳴りのようなどよめきが広がった。

それは歓声というよりも、理解不能な現象への畏怖に近いものだった。


ザンは、自分の拳を見つめた。

新しい衣服の袖が、今の衝撃でわずかに擦り切れている。

彼は、観客席のどこかで自分を見つめているであろう、カイルやゼノの視線を感じ取っていた。


「……次だ」


ザンは、誰に言うでもなく呟き、舞台を下りた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
単純物理アタッカーの天敵ともいえる消力系の敵をあっさり倒しましたね。 予選では女性の消力系もいたのでそちらのほうがバロウズより強いのでしょうか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ