表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獣の武術士  作者: トスキング


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/5

第3話 実力主義

アリーナ上層、防弾ガラスで守られた監視ルーム内には、静寂と、それ以上に重苦しい困惑が漂っていた。

大型モニターには、バロウズが場外へ放り投げられ、砂塵が収まっていく様子が繰り返し再生されている。

武術士協会の観測員である中年男性、課長と呼ばれた男は、指先で自身の顎をなぞりながら、表示された数値を凝視していた。


「信じられん。あのバロウズが……」


隣に立つ女性職員が、震える手でタブレットのデータを更新する。


「……バロウズが受け流そうとした瞬間、ザンの戦気そのものが爆発的に膨張し、バロウズの『流』の循環を力ずくで停止させました。技術で負けたのではなく、存在の密度で押し潰されたんです」


「戦気の質量……か。洗練された技術を、ただの出力で上書きしたというわけだな」


課長は溜息をつき、椅子に深く背を預けた。

武術士協会が長年積み上げてきた戦気運用の体系において、バロウズのような達人が、下層の「野良犬」に敗北することはあってはならない事態だった。

それは、彼らが信じる『理』が、剥き出しの暴力によって否定されたことを意味する。


「独学、それも十六歳の青年がこれを成し遂げた。

……本連盟のスカウト部門に連絡を。このザンという個体は、もはや単なる参加者ではない。既存の流派に対する『劇薬』だ」



一方、アリーナの地下に位置する特等控え室では、カイルが窓の外を見つめていた。

背後では、彼の門下生たちが興奮と恐怖の混じった声で議論を戦わせている。


「カイル様、あれは……あれは武術ではありません! ただの事故です! バロウズ師範代が油断しただけに決まっています!」


「そうだ。あんな野蛮な力が、私たちの『天風』に通用するはずがない」


門下生たちの言葉は、自分たちのプライドを守るための虚勢に過ぎなかった。

カイルは振り返らず、ただ静かに口を開いた。


「油断などしていない。バロウズは、彼が持ちうる最高の技術で対応した。だが、ザンの戦気は彼が想定していた『人間の限界』を遥かに超えていた。それだけのことだ」


カイルの瞳には、ザンの最後の一撃が焼き付いていた。

バロウズを地面に叩きつけた瞬間、ザンから放たれた戦気は、まるで意志を持つ獣のように周囲の空気を喰らっていた。

恐怖を感じていないと言えば嘘になる。

だが、それ以上に、カイルの心臓は激しく鼓動していた。何十年も変わることのなかった聖都の武術界に、全てを破壊し、塗り替えるほどの異物が現れた。

武人として、これ以上の悦びはない。


「……次の対戦相手を調べろ。ザンが本戦に上がるまでに、誰が彼を削り、誰が彼の底を暴くのか。私は、その全てを見届ける」



アリーナの喧騒から離れた、一般観客席の最上段。

そこには、筋骨隆々とした大男、ゼノが一人で立っていた。

周囲の観客は、彼の放つ氷のような威圧感に気圧され、誰も近づこうとしない。

ゼノの視線は、既に舞台を下りたザンの背中を追っていた。


「……良い牙だ」


ゼノの声は、吹雪のように冷たく、重い。

彼の故郷である北方の極地では、洗練された技など何の意味も持たなかった。

ただ、生き残るための力が全て。

ザンの戦い方は、かつて自分が魔物の群れを素手で引き裂いていた頃の感覚を思い出させた。


「聖都の温室で育った連中には、あの男の『渇き』は理解できまい。

……ザンよ。貴様がどこまでその野性を保てるか、試させてもらうぞ」


ゼノはそう呟き、ゆっくりと踵を返した。



一方、アリーナの別の区画では、第一予選で舞うような動きを見せていた女、リィンが、自身の従者たちと共にザンのデータを分析していた。

彼女は『流』の性質を極めた家系の出身であり、バロウズの敗北は彼女にとっても他人事ではなかった。


「お嬢様、あの男……ザンの対策を急ぐべきです。

彼の戦気は、私たちの『流』を物理的に押し潰すほどの質量を持っています。

まともに触れられれば、その瞬間に骨を砕かれます」


従者の言葉に、リィンは細い指で自身の顎をなぞりながら、モニターに映るザンの無骨な顔を見つめた。


「……触れられなければいい、という段階は既に過ぎているわね。彼の『流身』による加速は、あの巨体からは想像もできないほど鋭い。

それに、彼が戦気を肉体表面に固定するあの防御……あれは、もはや生体装甲よ。

中層の生半可な攻撃では、彼の皮膚に傷一つ付けることはできないでしょうね」


リィンは、モニターの中のザンが、勝利の宣告を受けた際に見せた無関心な表情に、奇妙な親近感を抱いていた。

彼にとって、この大会は名誉のためでも、地位のためでもない。ただ、己の魂を満足させるための、果てしない捕食の場なのだ。


「……実力主義。この聖都が標榜しながら、その実、家柄や流派で塗り固めてきたその言葉を、あの青年が本当の意味で体現しようとしている。

楽しみだわ。彼が次に、誰を『喰らう』のか」


アリーナ全体が、ザンという一人の青年の出現によって、静かに、だが確実に沸騰し始めていた。

それは、平穏な『理』が崩壊し、新たな『力』が台頭する時代の前触れだった。


アリーナの地下、精算所へと続く通路は、冷たい蛍光灯の光に照らされていた。

ザンが歩くたびに、新しいはずの衣服から微かな血の匂いが漂う。

それはバロウズのものか、あるいは戦気の衝突によって裂けた自身の毛細血管から漏れ出たものか。

ザンは気に留めることなく、窓口へと歩み寄った。


窓口の中にいた職員は、ザンの姿を視認した瞬間、目に見えて背筋を伸ばした。

昨日までは、下層の住人を扱うような、どこか投げやりで事務的な態度だった男だ。だが今は、その指先が微かに震え、視線はザンの胸元あたりで彷徨っている。


「……第十二試合、勝者ザン。おめでとうございます」


男は、仰々しいほど丁寧に、一枚の黒いカードを差し出した。

中層街の銀行で即座に換金可能な、高額賞金受取用のカードだ。


「こちらに勝利報酬の十万マルク、および第一予選の返還金五千マルクを入金済みです。本日の試合、実に見事でした。バロウズ師範代をあのように……」


男の言葉は、称賛というよりも、機嫌を損ねないための命乞いに近かった。ザンは無言でカードを受け取り、指先でその硬さを確かめた。

十万マルク。スクラップ・ヘイヴンでは、一年かけて稼ぐような大金だ。それが、わずか数分の殴り合いで手に入る。

この都市の歪みと、実力という名の唯一の価値基準が、ザンの腹の底を心地よく刺激した。


アリーナの外に出ると、中層街の夜風がザンの熱を帯びた肉体を撫でた。試合の興奮がまだ冷めやらぬ観客たちが、広場に溢れかえっている。

ザンが姿を現すと、周囲の喧騒が波のように引いていった。

恐怖。

それは、彼が下層街で常に浴びてきた視線と同じだ。

だが、今の彼に向けられる視線には、別の色が混じっていた。


「……おい、あれだ。あの怪物だ」


「バロウズを沈めたってマジかよ。賭け損ねたぜ……」


「凄いな、あの身体。戦気が服の上からでも見えるぞ」


囁き声の中には、明確な賞賛と羨望があった。

中層街の住人たちにとって、武人大会は最高の娯楽であり、勝者は何者であっても肯定される。

下層の出身だろうが、野蛮な戦い方だろうが、勝った者が『正義』なのだ。


ザンは、一軒のレストランの前に足を止めた。

全面ガラス張りの、洗練された外観。

店内からは、高級な香辛料と焼けた肉の香りが漂ってくる。下層の住人であれば、入り口の警備ドローンに追い払われるような場所だ。

ザンが入り口に近づくと、案の定、自動センサーが赤く点滅し、警告音を発した。


「……身分証、または有効な賞金受取カードを提示してください。未登録の歩行者は――」


ザンは、先ほどの黒いカードをセンサーにかざした。

点滅は即座に青へと変わり、重厚な自動ドアが滑らかに開いた。店内に入ると、優雅な音楽と食器の触れ合う音が、一瞬だけ止まった。

漆黒の衣装を纏り、返り血を浴びたままの二メートルを超える巨漢。

その異様な存在感に、客たちは息を呑み、フォークを止めた。


「い、いらっしゃいませ……ご予約は……」


ウェイターが、顔を青くして駆け寄ってきた。

彼の目は、ザンの肩幅と、そこから放たれる隠しきれない『剛』の戦気に釘付けになっている。

ザンが口を開とうとした時、店の奥から初老の男が現れた。

この店のオーナーだろう。彼はウェイターを制し、ザンの前に立つと、深々と頭を下げた。


「……ザン様とお見受けいたします。本日のアリーナでの戦い、私もホログラムで拝見しておりました。実に見事な、魂を揺さぶる戦いぶりでした」


オーナーは、ザンの異様な身なりを咎めるどころか、最高の賓客を迎えるような笑みを浮かべた。


「当店は、強き武人を尊重いたします。本日は、最も鮮度の良い魔物の肉が入っております。よろしければ、奥の特別席へ」


案内されたのは、中層街の夜景を一望できる、独立した円形のテーブル席だった。

ザンは、自分の体には小さすぎる椅子に、軋ませながら腰を下ろした。運ばれてきたのは、下層の合成肉とは比較にならない、芳醇な香りを放つステーキだった。

Cランク魔物『アース・バイソン』の希少部位。

一口運ぶと、肉汁と共に凝縮された魔素のエネルギーが、ザンの細胞の一つ一つに染み渡っていく。


「……美味いな」


ザンは、周囲の視線を気にすることなく、獣のように肉を食らった。

ふと、隣のテーブルに座っていた、中層の富裕層と思われる若者たちが立ち上がり、ザンの方へと歩み寄ってきた。

警護の武術士たちが慌てて制止しようとしたが、若者たちはそれを押し切り、ザンの前で足を止めた。


「あんた、ザンだろ! 本当に凄かったな! バロウズをあんな風に吹っ飛ばすなんて、最高にスカッとしたよ!」


一人の若者が、興奮気味に声を上げた。

彼は、ザンの返り血を浴びた服を見て、顔を引きつらせながらも、その瞳には純粋な憧憬を宿していた。


「次の試合もあんたに賭けるぜ。下層の奴らが中層の連中をなぎ倒すのを見るのは、いつだって最高だ!」


ザンは、口の中の肉を飲み込み、若者を一瞥した。

彼らにとって、自分はただの「面白い見世物」に過ぎないのかもしれない。

だが、それでも構わなかった。

実力さえあれば、昨日まで自分をゴミのように見ていた連中が、こうして媚を売り、賞賛の言葉を投げかけてくる。

この世界の単純明快さが、ザンには心地よかった。


食事が終わる頃には、ザンの腹の底の飢えは、物理的には満たされていた。だが、魂の奥底にある渇きは、より一層激しさを増していた。

彼は席を立ち、テーブルに一万マルク紙幣を数枚置いて店を出た。宿へと向かう道中、ザンはふと足を止めた。


中層街のメインストリートから一本外れた、少しだけ影の濃い路地。

そこには、ホログラムの派手な広告の代わりに、古びた掲示板が一つ置かれていた。

提示版には、第二予選のトーナメント表がリアルタイムで更新され、勝ち残った者たちの名前が赤く点灯している。


ザンは、自分の名の隣にある空白を見つめた。すると、ふと背後に気配を感じ、ザンは戦気を『注聴』へと回した。

足音はない。だが、空気の揺らぎが、そこに「誰か」がいることを告げていた。


「……何の用だ」


ザンが振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

年齢は十二、三歳ほどだろうか。

中層の住人にしては、少しだけくたびれた服を着ているが、その瞳には強い意志の光が宿っている。

彼女はザンの巨体に怯えることもなく、小さな手を差し出した。


「これ、落としたよ。アリーナの出口で」


彼女の手のひらにあったのは、ザンが下層街の武具店で購入した、衣服の予備のボタンだった。

バロウズとの戦いで弾け飛んだものだろう。

ザンは無言でそれを受け取った。

少女は、ザンの顔をじっと見上げ、ポツリと言った。


「あんた、バロウズ様を倒したんだってね……ありがとう」


ザンは眉をひそめた。

感謝される理由など、心当たりがない。


「バロウズ様は、この辺りの道場を牛耳ってて、お父さんの小さな道場も潰しちゃったんだ。

あんたみたいな『怪物』が、あんな奴をぶっ飛ばしてくれて、みんな清々してるよ」


少女はそう言うと、いたずらっぽく笑い、暗闇の中へと駆け去っていった。

ザンは、手のひらの中の小さなボタンを見つめた。

誰かのために戦ったわけではない。

ただ、自分の飢えを満たすために拳を振るっただけだ。

だが、その結果が、見知らぬ誰かの救いになることもある。スクラップ・ヘイヴンではあり得なかった現象に、ザンは微かな違和感と、悪くない気分を覚えた。


「……下らねぇ」


ザンはボタンをポケットに放り込み、再び歩き出した。

明日からは、さらなる激戦が待っている。

中層の『理』を壊したザンの存在は、今や大会全体の注目事項だ。

次に対峙する者は、バロウズのように油断はしないだろう。

より鋭く、より重く、より冷徹な殺意が、自分を狙ってくるはずだ。


ザンは、自身の体内で渦巻く戦気を、より深く、より鋭く練り上げた。

『剛』の戦気が、彼の骨格を内側から強化し、筋肉を鋼のバネへと変えていく。

飢えはまだ、癒えていない。

むしろ、良質な魔物の肉を喰らったことで、その奥底にある「本物」への渇望は、より一層激しく燃え上がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
階級の差は技術の差を断つと言いますからね。 ただきっとザン並みの体格でザン以上に技術が優れている敵もいるんでしょうね。 この先どんな強力な敵が出て来てそれにどう立ち向かうのか楽しみです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ