観察、観測
いつも通り目覚めて、うるさい会話を傍目に聞いて、いつも通りに眠りに落ちる。
でも、いつも通りに殺し合いを始めようとは誰もしなかった。きっと頭の中にだけは浮かんでいたことだろう。しかし、誰もそれを行動に移そうとはしなかった。
水責めさんの喪失は、大なり小なり皆の心に引っ掛かったのだろう。そんな状態で、殺し合いをする気分になどなれなかったのかもしれない。
実際、私には皆がどう思っているかなんて分からなかったけれども。
誰が襲ってくるわけでもなく、私たちが襲いに行くでもなく、ただ安穏とした日々が過ぎ去る。
ただ安穏とした、無為な日々が。
誰もが分かっている。理解している。このままではよくないことは。このままでは何も生まれないことは。
ひっそりと。
廃墟の中で潜み続ける。
みんないつも通りを心掛けて、いつも通りの調子で会話している。でも、それはどう見ても表面上のものであることもわかりきっている。
どうしようか。
どうしようもない。
何もわからない私では彼女らに何も言えない。
だったら。
わかるようになればいい。
そのためには。
みんな寝静まった静かな夜。私はこっそりと外に出た。
いつかと同じ、閑静な廃墟を無心で歩く。靴下の布越しに破片が刺さり、足からは血が止め止めなく流れ落ちる。
そんなものももう慣れたものだ。
痛いけど、痛いだけ。
月のない夜空には星々が一層煌めき、真っ黒なキャンパスを飾っている。
なんで外に出たのか。実は大きな理由はない。ただ、あそこにいるだけでは、何もわからないと思ったから、少なくとも今の私では何も気づけないと思ったから。
だから、私は暗い廃墟の街へ繰り出ている。
「……誰もいない……」
当然のことと言えば当然のことかもしれないが、あえて私はそれを口に出してみる。
首切り役人曰く、ここはギロチンの領地らしい。割と無法者であるならば別だが、ある程度良識のある者ならば、ここで好き勝手するイリヤはそんなにはいないだろう。ただ、現在時刻が真夜中であることを踏まえると、殺し合いをすべく出歩いているものがそれなりに多くてもおかしくはない。
仮に出会ってしまったらそれまでだ。戦う術を持たない私には逃げることしかできない。
そのことが頭に入っていれば、逆に気が楽だ。出会えばなにも考えずに逃げればいい。それが可能か否か、そんなことはどうでもよく、ただそれだけに専念すればいい。
瓦礫を飛び越え、割れた道路を進み、崩れたフェンスを潜り抜ける。
身体能力は別に低くはない。むしろいい方とさえ言える。そもそも身体能力がある程度高くないと、半身の少女背負って長距離移動とか無理な話だ。我がことながらそこだけは褒めてもいいくらいだと思う。
ただ動体視力は残念なため、あまり活かせないところが悲しいではあるが。
足元にたらたらと赤い血が垂れる。ふと後ろを見ると、私の軌跡が赤い斑点として残っている。その先には私の帰る場所がある。例え一時的なものでも。
そこに若干の勇気を得て、私は再度前を向いて歩き始めた。
そういえば。
今までいろいろあって半分忘れ去っていたが、私のポーチはどこにあるのだろうか。確かに大したものは入ってはいなかったものの、目覚めたころからずっと持っていた、言わば私の半身みたいなものだ。落としたとしたらこのあたりか、水責めさんの家に行く道中にあると思うのだが、それらしきものはまだ目にしていない。
今まであまり気にしていなかったものの、ふとその存在を思い出すと、気になって仕方がなくなってきた。ついでにそれも探しておこうか。
もちろん一番の優先事項は、イリヤについて知ることだ。それがギロチンたちを知ることにつながるだろう。
そんな決意を改めて固めながら、剥き出しの鉄骨が転がる路地を抜け、角を抜けた先。
「……教会?」
そこには真新しく見える小さな教会があった。私の記憶では教会をみたことはなく、その天井に立っている十字架から、ふとそのような感じがしただけで、実際教会かどうかまでは分からないけれども。
新しいそれは、この場にある何よりも際立って見えた。
それがイリヤに関係ある気はしなかったが、この世界で異常なそれが気になって、中に入ろうと門を押そうとしたとき。
「……視線?」
こちらを覗く強烈な視線を感じた。すぐ傍に何者かの存在を感じた。
「……誰?」
辺りを見回してみてもその存在を視認できない。だけども確かに誰かがいる。どこからかそれを感じる。
逃げるべきか、改めて索敵するべきか、それとも会話でも試みるか
逡巡する。
「本当に、そこに入る気か?」
そんなことをしている間に、その相手が話しかけてきた。
「……誰?」
もう一度、その問いを発する。
「我ら、が誰であろうとお前には関係ないことだ」
その声は複数の声が重なっているかのような、しかし、やっぱり一人の者が話しているような、そんな不思議な声色をしている。
「……誰?」
再び、尋ねる。これで三度目だ。
相手はあきらめたのか、はあ、とどこからか小さな嘆息が聞こえ、
「我ら、は“さらし者”だ」
そのように答えた。しかし、その姿は依然として見えず、声のするような気がする方向を見ても、ただの廃墟の景色が広がっているだけだった。
「……我ら、ということは貴女達は何人もいるの?」
くだらない問い。自分でもわかっているが、相手が誰かを見定めるために質問を重ねる。
「私は一人、我ら、は幾人、だった。私は我ら、の一人、だった」
変なところで話が区切られ、その言葉は少し聞き取りづらい。
「……じゃあ、貴女は誰?」
「忘れた。我ら、は己の道具の一貫した性質、を統合し、異なる性質、を共有した存在。我ら、はよく似た者同士であり、主とした機構、が同質であり、副となる機構、を弱化し融合した。ゆえに私は我ら。我ら、は私」
話が進まないことに多少のいら立ちかなんかでも覚えたのだろうか、声に多少の感情が混じった気がする。気のせいかもしれないけれども。しかしその感情が実際何なのかはその声からはうまく読み取れない。
「……わかった」
言っていることもよくわからないが、ひとまず頷くことにする。
「それで、お前はそこに入る気なのか?」
初めの問いに戻る。
「……まあ、そうかな。入る気」
身近に生じた異常だ。調べておいて損はない。
「そこには、お前の知りたいことは、きっとない。だが、きっとそこに、お前の近々知るかもしれないものが存在する。それでも、入るのか?」
未だ姿は見えないが、こいつは何が言いたいのだろうか。表情が見えない分、その本意を汲み取りづらい。
「……それでも、入るだけならタダ。得が無くても、少なくとも入って損はない。だったら入る」
当然と言えば当然の返答。
「それで、お前が変わるとしても?」
「……今の状態から変われるなら、何でもいい」
「その変化は、望んだものではないかもしれない」
「……それでも今の状態から変われはする」
どうやら、このさらし者とやらは、私をこの教会の中に入れさせたくないようだ。
「我ら、は様々なものを見てきた。様々なイリヤを見てきた。私もたくさんのことを見た。この世界を。そこにいる存在を。変化は決して、良いもの、とは限らない。暗転する、変化もある。お前はそれを承知か?」
「……」
「いや、そうじゃない」
私が無言のまま話を聞いていると、さらし者はすぐに己の言葉を否定した。
「そんなこと、を言いたいのではない。我ら、は、私は見た。お前を。今まで見てきた。お前、の目覚める前から。お前、が産まれた時も。お前、の覚えていないお前も。その本当の正体も。大体知ってる」
「……私の本当の正体?」
それは、ただ一つ残された私の記憶。もしかして、それすらも違うというのか。
「そうだ。お前は知らない。それはきっとすぐに思い出す。それに関して確証はないが。我ら、ではなく、ただの私の予測だが。でも、それはきっと今ではない。埋もれた記憶は、思い出すべき時がある。思い出すべき状況がある。ズルして手に入れるものではない」
「……この教会の中に、私の記憶に関する物があるということ?」
言いたいことを総括すればこんな感じだろうか。
「そうだ」
「……でも、それを思い出すにはまだ早い?」
「そうだ」
壊れた機械のような、どこかたどたどしく話す声だけの存在のそいつは、私の言葉を肯定した。
「……そう」
この教会に入るべきか否か。問題はこのさらし者なるものが信頼に値するかどうかという話だ。こいつの言う通り入らない方が正解なのか、それとも入った方がいいのか。記憶に関する物がある、ということすらも本当かどうか疑わしい。
そんな私の迷いは、全く別のもので断ち切られた。
「断罪ー!!どこにいるー!?ギロチンさんの言うことが聞けないのかー!?でてこーーーい!!!」
もうすっかり聞き慣れてしまった首切り役人の声だ。無駄に大きい。私の方からはまだ視認できていないが、声の大きさ的にもうすぐここに辿り着くだろう。
さらし者の言うことを信じたわけでもないが、この教会に入ることは諦めるとする。中に入って身を隠したところで、首切り役人、ないしギロチンの心労を増やすだけだろう。むしろここで見つかってしまった方がいいはずだ。ふと、さらし者の声が聞こえたような気がしたところに向き直る。
「……さらし者。一つ聞かせてほしい」
「何だ?」
さらし者は割と素直に私の声に反応してくれた。
「……貴女は、何者?」
先ほどの問いと、ほとんど意味は同じだが、若干の異なるニュアンスを持った問い。それを汲み取ったかどうかは定かではないけれども。
「……我ら、はさらし者。私は※※※※※※※、主なる性を統合し、個を排したイリヤ。ただの観測者であり、情報屋だ。そして――」
言葉は途中で途切れた。それに続いて、首切り役人が顔を出し、それに視線が移る。
「あ!!いたぞーーー!!!見つけた!迷惑かけて!!もしギロチンさんが先に気付いたらどうする気だったんだ!!?」
それは確かに若干心配をかけてしまうと思うが、それをお前には言われたくないとしか言えない。
さらし者の方を改めて見ると、元から何もなかったそこは、始めと同じように虚無が広がっているだけだった。ただ、今はその声の気配すらもない。
「……首切り役人の方こそ、ここまでやって来てどうした?」
「わたしはギロチンさんの意向を先んじて行うのだ!それがギロチンさんとの深い絆を培ったわたしの責務!決まっておるだろう!!」
「……いや、分からない」
「は?わからない!?それこそ意味が解らん!お前、わたしとギロチンさんの絆が理解できんと言うのか!!?」
「……完全に」
「ほうほう、完全に理解できるとな!お前、やっぱり見どころがあるかもしれないな!」
「……完全に理解できない」
「は?どういうことだ!?」
そんな意味のない会話が続く。この首切り役人は普通に鬱陶しいやつだが、騒がしさが恋しい時はちょうどいいかもしれない。変わらないといけない、彼女らのことについてもっと知らないといけない、とばかり焦りすぎていたのだろう。気を張りすぎていたのかもしれない。自分で思っていたよりもずっと疲れていたのかもしれない。一休みも必要だ。
一休みも必要だった。
けれど。




