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水責めと料理と

 騒がしい声が聞こえる気がする。

 いや、そんなはずはない。オルグはいないし、ギロチン一人では流石に騒がないだろう。だからきっと気のせい。

――気のせい?

 そういえばなんだか柔らかいものの上で寝ているような。それはまるで布団のような?

――あれ?

 薄目を開けてみる。目の前に広がっていたのは茶色の木目。あ、あのシミ、人の顔みたいだなぁ。

 焦点が合わないままにぼーっと見つめる。

 あれ、シミが動いた。

 シミの中に、紅いものが見える。でも、なんだか見覚えがあるな。その紅は、どことなく鮮血を連想させる。

――鮮血のような紅?

 はっとして、目を見開いた。そして私は飛び起きた。

「ギロチ……ッ!?……ったぁ……」

 しかし、飛び起きた拍子に、私の顔を覗き込んでいた少女の頭に勢いよくぶつかる。

「ぐぇ……さ、流石断罪ちゃん……こ、このあたしをここまで追い込む、とは、ねぇー?」

 こちらの頭も痛むものの、そんなことは気にしてられない。

 急いでその、ぶつけたのであろう頭を抱えている少女の方を向く。

 そして。

「ギロチン……ッ!無事だったんだね……!?」

 そこにうずくまる少女は、確かにギロチンだった。

 見覚えのある外套。垣間見えるドレス。そして何より鮮血のような紅の瞳。

「あたしがあんな奴に殺されると……」

 その姿を確認するや否や、私はギロチンの言葉を遮り、柄にもなく彼女に抱きついた。

「よかった……!よかったよ……!!本当に……!」

 手の平に感じる、独特の無機質な冷たさ。陶器のごとく白い肌。そのどれもがまるで死人のような特徴なのに、それこそがギロチンであると、彼女が生きていると、それを実感できてどこか安心する。

 ため込んでいた心配と不安の大きさからか、それともそれよりもはるかに大きい安堵感を得たからなのか、目から大粒の雫がこぼれる。一度こぼれた感情は、なかなか止まることはなく、次から次へと溢れてくる。

 そんな自分を止めたくて、見られたくなくて、ギロチンの小さな胸に顔をうずめる。

 そんな私の様子を見てか。

 私よりも小柄な少女は、どこか優しい雰囲気を醸しながら、無言で私の頭を撫でた。


 私はしばらくギロチンの胸で泣きはらすと、流石に気持ちも落ち着いてきた。

 すると、次にやってきたのは、気恥ずかしさだった。柄にもなく自分からギロチンに抱き着いた上、その胸の中で思いきり泣いてしまった。

 それ自体に後悔はないけれども、やはり情けない姿を見せたというのは恥ずかしいものだ。

 私はあわててギロチンから離れる。

「あれぇー、もういいのぉー?もうちょっと抱きしめてもいいんだよぉー?」

「……うるさい」

「じゃぁー?あたしが抱き着くー」

 そう言って今度はギロチンの方から抱き着いてきた。いつも通りの動作のはずが、なぜか今はそれが恥ずかしい。かといって、それを避けるのもどうかと思い、されるがままに抱きしめられる。

 そこで初めて気づいた。

「……あれ?ギロチン、その腕……?」

 身体に伝わる感触は腕一本分。もう一つの腕はどうしたのかと見ると、そこには中身が空っぽの外套の袖だけが、寂しく垂れていた。

「あ、気づいたぁー?これはねぇー……」

 ギロチンが何ということもなく答えようとしたとき。

 ごほん、と

「ちょっと、そろそろいいかしら?」

 咳払いとともに、女性の声がした。

「わ、す、れ、て、たぁー♪ひゃひはは♪」

 ギロチンがとても楽しそうだ。

 声がした方向を見ると、そこには木製の質素な椅子に座っている青髪の目つきの悪い女性がいた。

「……誰?」

「あなたね……初めからここにいたのよ?」

 そうは言われてもギロチンに夢中で気が付かなかったのだから仕方がない。正体不明の人物だが、ギロチンが心を許している様子なので、恐らく敵ではあるまい。

「誰がここまで連れてきたと……」

「この人はねぇー?水責めちゃんだよぉー?特技は相手を溺れさせて苦しめることぉー。ま、最悪殺しちゃうこともあるかもだけどねぇー?」

 ギロチンが女性の言葉を遮り、勝手に彼女の紹介を始める。

「……ありがとう、水責めさん。貴女が良質な寝床を提供したんだよね?」

 先ほど言いかけていた言葉から、そう推測して感謝を口にする。

「え、あ、ああ、どういたしまして」

 お礼にしっかりと返答する辺り、随分素直な人物のようだ。見た目的にはかなり他人をいじめてそうな感じなのに。

「さ、自己紹介も終わったしぃ―、ごっはん、ごっはん♪ごっはんをたべましょぉー?」

 私には疑問がまだあったが、ギロチンはもう飽きたのか、さっさと次の行動に移ろうとしている。

「……ごはん?」

 そういえば、食べ物を口にしたことはなかったが、この世界に食事という概念があったのか。と言ってもどこから調達する気なのだろう。霞んだ視界ではあったが、外にいた時に見えたのは、魚など一匹も居なさそうな汚れた川と、草木など生えなさそうな荒れた土、後は生えていたとしても葉っぱなど一枚も広げていない、既に死に絶えているような枯れ木くらいしかなかったように思うのだが。

 そんな私の呟きを知ってか知らずか、ギロチンは楽しげなスキップで部屋を出ていく。それに水責めさんもついていこうとし、その前にその場で立ち止まっている私に声をかける。

「あら?そういえば、あなたは食事するタイプの方かしら?」

 食事をするタイプ?食事をすることにタイプがあるのか。ちょっと意味がわからない。

 わけもわからず、その場で首をかしげて不思議そうな顔をしている私を見かねてか、水責めさんは説明し始めた。

「わたしたちはヒトじゃない。もっと言うなら生き物ですらない。そんなわたしたちイリヤが“生きるための行為”である食事を必要とすると思う?」

 それには首を振って否定する。

「そう。だからね、わたしたちにとって食事はただの娯楽。味を楽しみ、友との歓談をする。そんな時間が食事ってわけ。でも、そんなことするより、寝ていた方がましって言う方もいるのだけどね?材料を手に入れるのも簡単ではないし」

「……なんとなく、分かってきた気がする」

 食事の意義は生きるということだけではない。特に元の材料を加工し、調理するならば、その付加価値は「生きるのに必要な物」ということ以外のものが高くなってくる。さらにこの世界では食事が必要ない。となるともうその意味合いは娯楽以外の何物ではない。

 そして水責めさんは、お前はその娯楽を必要とするか否か、という旨を尋ねたのだろう。となると私の返答は一つだ。

「……だったら、もちろん食べる」

 今までの経験上、食事にありつく機会などほとんどない。せっかくその機会を与えられたのだ。それを無視できるほど私は無欲なやつではない。

 それに食べるという行為自体に興味がある。

「そう。だったらついてきてね。すぐに用意するから」

 それだけ言うと、水責めさんはさっさと行ってしまった。しかし、立ち止まっている私に声をかけたり、わざわざ説明してくれたり、意外と面倒見のいいひとのようだ。それだけで若干の好感が持てる。

 私にとっては初めての食事にありつくべく、私は彼女の後を追ったのだった。


 この家は木造建築で、一階二階、プラス屋根裏部屋の構成となっており、私が寝ていたのは二階の寝室だった。今まで見てきた建築物たちが全部壊滅的なまでにボロボロであったため、この家はとても立派な家に見えるが、窓が割れていたり、柱が折れて一部部屋が傾いていたりなど、一般的に見れば普通にボロボロな家である。

 と言っても、この世界でちゃんと住めるレベルの家である時点でやはり立派なものだ。正直私も住みたい。

 ぎぃぎぃと軋む、少し危なげな階段を降りると、一階には美味しそうな香りが充満していた。

「ごぉーはぁーんー!まぁだぁー?」

 ギロチンの子供のような声が聞こえる。見た目は完全に子供だが、駄々をこねるその様は、まるで中身も完全に子供のようだ。

「あと少しくらい待てないのかしら。そもそもまだそんな時間経っていないでしょうに」

 料理を作りながら文句を言う水責めさんは、さながら母親か。ならば私はギロチンの、妹とか?姉枠も一応空いているかもしれないな。

 そんなことはさておき。

「……何を作ってるの?」

 美味しそうな香りの正体が知りたくて、そう尋ねてみる。

「ぎゅうに……」

「もぉー、断罪ちゃんはわかってないなぁー?出るまでわからないから楽しいんだよぉー?このドキドキ感、そしてこの香りからどんな味がするだろうって想像してねぇー?ほあぁー……」

 水責めさんの答えをギロチンが邪魔する。

 当の私の問いに反応したギロチンは、途中からは問いの答えではなく、自らの言葉に従って、出される料理を想像した結果だらしなくよだれを垂らしている。

「どんな味がするだろうねぇー……?」

 ギロチンは想像しているだけで幸せのようだ。しかし、私はそういった料理など食べた記憶がないため、味を想像とか言われてもいまいちピンとこない。

 きっと、これから食べてみればそれもすぐにわかるようになるかもしれない。私も、これから文字通り味わうだろう未知の感覚をなかなか楽しみにしているところだ。

 そこそこ大きい丸机の前に並べられた、これまた珍しく無事な椅子に座りながら、水責めさんの準備を待つ。

 ここでギロチンに聞きたいことを尋ねることもできたのだが、幸せそうな彼女の様子を見ているとなんとなくはばかられたため、食事後にでも聞き出してみようと思っていた。

「あ、そういえばさぁー」

「……ん」

「あたしの腕のことなんだけどぉー」

 そう思っていたが、ギロチンの方からその話を切り出してきた。

「……無くなった左腕の話?」

「そおそぉー、その話だねぇー」

 嫌な話かと思い、今はやめておいたのだが、無用な気遣いだったか。ならばよし。相手が話す気なら、それを遮る理由はない。

 続きを促すように、無言で頷く。

「見てわかるようにねぇー、この腕は直らないみたいだねぇー」

 虚しく揺れる左袖を眺めながら話す。

「あたし自身が切断した下半身はこの通り無事、元通りに戻ってぴんぴんしてるんだけどぉー、あいつに斬られたこの腕はどうやら戻らないみたいだねぇー?あ、ちなみに自分で切断しただけであそこに残った下半身は存在が消滅してると思うよぉー?」

 「あいつ」という言葉を精一杯忌々しげに放つギロチン。最後に、別に聞きたかったわけではない情報も付加された気がするが、きっとそんなことはないだろう。

「……半身が治っているなら、傷の大きさが問題じゃない。問題はそれが誰に傷つけられたか」

「そおそぉー、そういうことぉー。ていうかこの世界ではたとえミンチにされても翌朝復活するよぉー?ということは、つまりぃー……」

「“処刑人”の持っている剣はわたしたちイリヤの存在を消す、いわば“イリヤキラー”とでも言うべき剣なんでしょうね」

 いつの間にか出来上がった料理をもってそばに来ていた水責めさんが、先ほどの仕返しとばかりにギロチンの言葉の続きを無理やり引き継ぐ。

「あぁー、水責めちゃん、勝手にあたしの言いたかったことぉー……」

 ギロチンがそれに対し、不満を口にしようとするが、漂ってくる食事の香りに、口に出ようとした不満は尻すぼみに消えていき、スンスンと鼻をひくつかせている。

「あら?別にいいじゃありませんか。さきほどあなたもわたしの言葉を遮って話を進めたでしょう?それに比べたら言いたかったことを言えただけでも満足な結果ではないかしら?」

 やはりさっき二階の部屋であった出来事の仕返しだったらしい。

「あー、まぁいいかなぁー?美味しそうな料理を持ってきてくれてるしぃー。そんな些末なことよりもさぁー、早く食べようよぉー、はやくはやくぅー」

 ギロチンの食い意地の張りようにも、困ったものである。今まで割と真面目そうに話していたものの、そんなことはすっかり忘却してしまったかのように、出された料理を口にするのを今か今かと心待ちにしているようだ。

「はあ、そんな調子でよく無事にここまで来れたのね」

 水責めさんは、ギロチンの調子の良さを皮肉るが、そこには二人の仲の良さが垣間見える。少し羨ましい。

「さぁさ、さっさといただこぉー?」

 何はともあれ、話は一度中断し、ギロチンの音頭から私にとっての初めての食事が始まった。


 料理は何かの肉を、赤い液体のようなもので煮込んだもののようだ。それといわゆる食パン。この二つ。

 初めての感覚に、若干恐る恐るといった様子になりながらも、すくった匙を口に運ぶ。

 私にとってドキドキの一瞬。どんな感じがするのだろう。知識として甘い、苦い、酸っぱい、しょっぱい、辛いなどを知ってはいるが、それを感覚として知るのは初めてだ。さて、私はどんな感想を抱くのか。

 パクリと口に入れた。

 いろんな感覚が口に弾ける。甘い?酸っぱい?しょっぱい?若干の苦みや辛味も。いろいろな味が絡まり合って、口の中でとろける。

 それを一言で表すとしたら、こうだ。

「……おいしい」

 うん、これはこのように言い表すことが一番適切な感じがする。これがまぎれもなく、「おいしい」ということなのだろう。

「そう、それならよかった。やっぱり自分作ったものを褒められるのは何度でもうれしいものね」

 水責めさんは私の言葉を聞いて、嬉しそうに答える。その横ではギロチンがマナーも何もないままにがつがつと料理を頬張っている。

「んんー!おいしい!水責めちゃんの料理はいつ食べてもおいしいねぇー?ところでなにこれ?」

 ギロチンは料理を指さしながら尋ねる。

「ああ、えーっと、これは牛肉のトマトワイン煮ね。肉はともかく、野菜なんてそんなに手に入らないから、今日は豪勢な食卓になったものよね」

「ほぉーん、そう言いながら、そういう貴重なものって水責めちゃん、誰かが訪ねてくるまで頑張って保存してるんだよねぇー」

「うるさい」

「で、この赤いのがトマトぉー?」

「ええ、それがトマト。今は形が崩れているけど、本来はもっと丸い感じの果実ね。味としてはいわゆる甘酸っぱい、とでもいうのかしらね。まあこういう果実って大体甘酸っぱいっていえば当たる気がしなくもないけど」

「ふんふーん、この前の酢豚?だっけ?あれよりかはこっちの方が好みかなぁー?」

「文句を言う奴には今度からただの塩水を出してあげようかしら?」

「いやいやいやいや、どっちもおいしかったよぉー?水責めちゃんの料理はせかいいちぃー!だから、これからもただ飯、食、べ、さ、せ、て♪」

「いやだ」

 私が初めての食事に感動して、声も出せていないうちに、ギロチンと水責めさんは楽しそうに話を進めていく。若干の疎外感はなくはないものの、賑やかな雰囲気で、この場を決して嫌な感じだとは思わなかった。

 私も一口一口に相変わらず感動を覚えていたものの、慣れてくると、料理だけでなく周りの様子にも注意を向けられるようになってきた。

 辺りを見回すと、半分崩れてもはや扉として機能していない扉や、枠ごとどこかに行ってしまって、ただの大穴にしか見えない窓から、外の様子を見ることができた。

 外は私が行き倒れたところと同じような景色が広がっていて、汚れた河川と荒れた大地が広がっている。意識を失う前の霞んだ記憶を思い出すと、近くに民家と最後に人影が朧げに思い出せたため、恐らくほとんど同じ場所なのだろう。いくら水責めさんでも長距離を人一人と半分を背負っていくとは思えない。ここで行き倒れたのは単純に運がよかったと言えるだろう。

 そう、本当に運がよかった。

 ギロチンが殺されなかったことも、私が走り抜けられたことも、オルグが追ってこなかったことも、ここに辿り着いて水責めさんに見つかったことも。

 もう一度、未だ仲良さげに言い合いを続けている二人の様子を見る。

 私は、一時の幸せをかみしめながら、再び料理を口に運んだ。


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