第三話 雪降る街・後編
翌日のことだった。
その日は雪が止んでいて、久しぶりに少し暖かい日だった。
店にも客が訪れていた。
蒼山と朱雀は部屋から出ないようにして、店で働く娘たちが客をもてなしていた。
ある娘が客を外まで見送りに行き、店から少し離れた道で客と別れた。
首に巻いたマフラーに顔を埋め、店に戻ろうと踵を返す。
背後から伸びてきた手が口に触れた瞬間、目の前が真っ暗になった。
「女将さん!」
ユウイが女将の部屋に飛び込むと、既にこの娼館で働く娘たちが集まっていた。
「店の娘がさらわれたって…!」
「多分あいつの仕業で間違いないだろう。
あの子の身につけていたマフラーと一緒に手紙が落ちていた。
『今夜、屋敷にあの客人を連れて来い』だとさ…」
「……そんな」
ユウイは雪で少し濡れた手紙を見つめ、顔を歪める。
「行くしかないだろう。
俺が行かないと、さらわれた娘がなにをされるか」
「でも、朱雀さん!」
「なにも取引に応じるとは言ってない。
応じるフリをして中に入れば、その子を助け出せるだろう?」
冷静な朱雀の言葉に、ユウイは瞳を揺らして俯いた。
確かにそうかもしれない。でもやはり、朱雀に危険が及ぶ。
「ほかの手段はないし、大丈夫だ。
俺一人で来いとは書かれてない。
なら蒼クンを連れてってもいいんだろ?」
「そうですね。
ダメだと言われても俺はついていきますが」
微笑んだ朱雀の手が軽く蒼山の胸を叩く。
蒼山もにこやかな笑みを浮かべて頷いた。
「いいの?」
「大丈夫です。
俺たちはそんなに弱くありませんよ。朱雀さんは特に」
笑みを浮かべて告げた蒼山に、ユウイは息を呑んだ。
そうだ。蒼山は魔王を倒した勇者。
朱雀の素性はわからないが、その勇者が見込んで共に旅する人間なら、弱いはずがない。
「………蒼山、朱雀さん」
「ここまで来たらぐたぐた言うのはなしだよ。
俺たちは君たちを助ける。
だから君も覚悟して協力するんだね」
「………っ」
そうだ。朱雀が傷つかないために、出来ることはほかにもある。
自分たちが、なにがなんでも守ればいい。
ユウイはぎゅっと手を握りしめ、真っ直ぐに蒼山の顔を見つめ返した。
強い決意の滲んだ瞳を見据え、蒼山はやわらかく微笑んだ。
「なら、わたしも一緒に行くわ。
貴族の屋敷の場所を案内しないといけないし、店の人間が一人くらいいてもおかしくないわよね?
ダメなんて言わせないわ」
「…もちろん」
笑みを浮かべて頷いた朱雀の顔を見下ろし、ユウイは涙の滲む瞳で笑ってみせた。
雪が止んでいたこともあり、特に問題なく貴族の屋敷まで来ることが出来た。
見張りに案内され、屋敷の奥まで進む。
大きな扉が開いた先に、天井の高い広く豪奢な部屋が見えた。
「っユウイ!」
「あ!」
部屋の中央に立つあの男──貴族の当主と、そのそばに立った娘の姿にユウイが息を呑んだ。
さらわれた店の娘だ。背後に黒い服の男が立っていて、その身体を押さえている。
おそらく腕は縛られているのだろう。
「その子を離して!」
「取引だと言っただろう?
応じるつもりで来たならば、まず彼をこちらに寄越しなさい」
当主は悠然と微笑んで朱雀に視線を向ける。
「フェアじゃないね。
どのみちここはあなたの屋敷の中。
ほかにも沢山の兵がいるんじゃないか?
ならその中で俺たちに有利な場所なんてないだろう。
彼女の無事を確かめてからでもいいんじゃないのかい?」
「…まあ、確かにそうだが。
驚くほど冷静だね?
わたしが君を欲しがる理由をわかっていない?」
「怖気が走る程度には理解しているよ」
「いいね。強気なほど楽しみは増す」
ま、いいだろう、と当主は言い、そばの男に合図した。
娘の身体から手が離される。
彼女は走り出し、倒れ込むようにユウイの胸に飛び込んだ。
「大丈夫!?」
「え、ええ…! でもこわかった…!」
「なにもされてないわね?」
「う、うん」
「…よかった」
ユウイはホッと息を吐き、彼女の髪を優しく撫でる。
「さあ、今度は君の番だ」
「わかっているよ」
当主と朱雀の声に、ユウイはハッと我に返る。
そうだ、このままじゃ朱雀が――――。
「なんて、言うと思ったの?」
朱雀がそう言ってシニカルに笑んだ瞬間、蒼山がなにかを放り投げる。
宙を舞った硝子のような珠が弾けて、閃光が溢れた。
「っ…な!!?」
眩しい光に目を焼かれ、彼らはその場にしゃがみこむ。
その間に朱雀たちの姿は消えていた。
「すごいわ。
あれどうやったの?」
「閃光弾。
割と簡単に作れますよ」
長い廊下を疾走しながら、ユウイは少し興奮して言い、蒼山は淡々と答える。
「しかしどうするか…」
「え?
このまま逃げればいいんでしょ?」
「それじゃ根本的な解決にならないよ。
むしろより一層乱暴な手を使ってくるだろう」
「…あ」
そうだ。あの当主がこれで諦めるはずがない。
意味を理解して青ざめたユウイは、走っていた娘の姿を見て息を呑んだ。
足がもつれて娘が転んだ。
そばにいた蒼山がすぐ手を伸ばし、その身体を抱き留める。
「ご、ごめんなさい…!」
「いや、大丈夫です」
娘は荒い息を吐いている。
自分たちが来るまでの間、囚われていたのだ。
恐怖と寒さで震える手足、疲労した身体ではうまく走れない。
「あ」
蒼山が視線を前に向けて瞳を見開いた。
前から複数の足音が近づいてくる。
「あ、やば。追っ手が来ちゃった…!」
「ほかに道は…」
朱雀が周囲を見回したとき、ユウイに向かって銃を構えた男の姿が目の端に映った。
朱雀は素早く動いてユウイの身体を突き飛ばし、一緒に壁の方に倒れ込む。
壁に顔をぶつけたユウイが伸ばした手が、壁にかかっていた燭台に触れた瞬間、かち、と音が鳴った。
「え?」
ユウイが「なにこの音?」と疑問に思った瞬間、壁が抜ける。
朱雀とユウイは空いた空間に倒れ、再び出現した壁の中に消えた。
蒼山はさすがにびっくりして硬直する。
え? どうしよう?
「いったぁ…!」
そのころユウイは硬い石畳の上に座ってずきずき痛む頭や身体に声を漏らした。
視界に映るのは薄暗い空間。
壁が抜けた向こうには床もなく、数メートル下に落下する羽目になってしまった。
「なにここ……」
「多分、地下通路じゃないかい…? 災害時の避難用とか…」
「あ、朱雀さん無事ね!?」
「ああ、俺は無事だよ」
薄暗いせいで朱雀の姿はよく見えないが、声を聞けてホッとした。
「ユウイこそ大丈夫?」
「わたしはへいき…っ!?」
「ユウイ?」
答えながら立ち上がった瞬間、右足がずきりと痛んだ。
あ、れ? もしかしてやばい?
「もしかして落ちたときにどこか痛めた?」
「あ、いえ、そんなことは…」
「嘘吐かないの。声に出てる」
ちょっと怒った声音で言われ、ユウイは仕方なく「足が痛いです」と白状した。
朱雀が軽く右足に触れて「骨は大丈夫そうだが」と呟いた。
「ひねったか、捻挫だろうかな…」
「うう…。こんなときに…」
「まあ嘆いても仕方ないな。
それより、脱出しないと…」
怪我の手当も出来ない、と零し、朱雀は周囲を見回す。
「長い通路がずっと続いてるみたいだな…」
「そうね…」
段々目が慣れてきた。どうやらここは細長い通路らしい。
「ユウイ、ちょっと座れる?」
「え、ええ」
言われるままその場に座ると、朱雀が自分の服の端を裂いて、その布で手早くユウイの右足を縛った。
「痛まない?」
「え、ええ…。すごい…。全然楽よ…」
「一応打ち身に効く薬も塗ったから」
「へぇ…。すごいのね…」
そういえば今更ながらに、朱雀ってどういう人なんだろうと疑問に思った。
勇者の蒼山と旅をしている。なら勇者の仲間?
いやでも蒼山はたった一人で魔王を倒したと聞く。
「とりあえず応急処置。あとは外に出てからじゃないと無理だね」
「ええ。出口を探して、蒼山さんたちと合流しなきゃ…」
蒼山たちは無事だろうか。
そう呟いたら、暗闇の中でも朱雀が微笑んだのがわかった。
「大丈夫。蒼クンは、強いから」
強い意思を映した瞳が、何故かはっきり見えた気がした。
「そういえば、朱雀さんは蒼山さんとずっと一緒にいるの?」
「いや、出会ったばかりだよ」
「そうなの…」
長い通路を歩きながら、一応潜めた声で話す。
そうじゃないと不安になってしまうというのもあった。
「…随分親しげに見えたけど」
「…あれは蒼クンがそう振る舞うから」
「実際は違うの?」
「……蒼クンの気持ちに嘘はないと思う」
薄闇の中でも、朱雀が困った顔をしたのがわかった。
「…まあ、でも蒼クンとはもう別れたほうがいいとは思うけどね」
「どうして?」
「それは俺の事情」
「……わかったわ。わたしには話せないのね」
朱雀の言葉にユウイは小さく息を吐いた。
「…朱雀さんたちに会って、心底思ったの。
わたしの世界は、ひどく狭いんだなって…。
思えばわたし、この街から出たこともないの」
「…ユウイ」
「だから勇者様に会えるなんて思ってなかった」
「まあ、それは俺もそうかな」
くす、と笑った声が聞こえたのか、ユウイが少し拗ねたように言う。
でも暗闇に浮かぶその表情は優しかった。
「……蒼クンはちょっと、真っ直ぐすぎるからね」
ふと物憂げに朱雀が言う。
どういう意味だろうと思ったが、聞ける雰囲気ではなかった。
「あ、向こうに明かりが…」
「本当だね…」
不意に暗闇の中に差した光に、足をそちらに向ける。
曲がり角を曲がると、壁に燭台の並ぶ通路に出た。
蝋燭の明かりがゆらゆら揺れている。
一歩足を踏み出した瞬間、首に冷たい刃の感触が触れた。
「そこまでだ」
この通路で待ち伏せていたらしい男が、ユウイの首に押し当てた剣を握ったまま笑みを浮かべた。
剣を背に突きつけられ、促されるまま歩いていくと先ほどの大きな部屋に出た。
部屋の中央に立った蒼山とあの娘にも同じように剣が突きつけられている。
部屋には沢山の武器を持った男たちがいて、自分たちを囲んでいた。
「さて、状況は理解したかな?
悪あがきはやめて、わたしのものになってもらおう。
そうすればほかの三人は無事外に返そう」
貴族の当主は薄く笑みを浮かべて朱雀を見つめる。
ユウイはどうしたらいいか必死で考えていた。
朱雀を守りたい。でもこの状況じゃあ、方法が見つからない。
朱雀はじっと蒼山の瞳を見つめ、小さく笑みを浮かべた。
「安心していいよ。ユウイ」
「え…?」
「蒼クンは俺と同じ事を考えてるから、わざと捕まったんだろう」
朱雀の顔に浮かぶのは不敵な微笑み。
潜めた声でささやき、低い音で告げる。
「一網打尽だ」
朱雀の言葉にユウイが眉をひそめた瞬間、離れた位置に立つ男たちの中から悲鳴が上がった。
「…っな、なんだ!?」
貴族の当主が視線を動かし、慌ててそちらを見る。
鋭い剣に切り捨てられ、黒服の男たちが次々と倒されていく。
いつの間にか拘束を解いた蒼山が、剣を振るい的確な狙いで男たちの手足を斬り裂いていく。命を奪う怪我ではないが、手や足を深く斬り裂かれ、戦えない状態に追い込んだ。
その迷いのない戦いぶり、圧倒的な強さにユウイは目を見開く。
ああ、やっぱり彼は勇者なんだ。たった一人で魔王を倒した、本物の。
「クソッ。おいこの娘が…!」
当主が顔を歪め、囚われていた娘に手を伸ばそうとしたがその手を剣で貫かれた。
鮮血が吹き出し、当主は悲鳴を上げる。
「ひ、ひぃっ、わたしの手が!!」
「女を盾にするなんて、恥を知れ」
「いい様だ。蒼クン。そいつをそのまま串刺しにしておいて」
低い声で吐き捨てた蒼山を見据えて、朱雀は杖を構える。
「おい、朱雀さん」
「いいから黙ってなさい。薫」
「いやでもあんた──」
大方手は貸さないはずだったんじゃないのか、と言う文句だろう。
だからこの街の異常気象には手出ししないよ。この当主にお灸を据えるだけで。
そう思って朱雀は息を吸い込んだ。
「六芒の南、廻天の空、我が名に従う猛き者に告ぐ。
我の喜びはお前たちと供にある。
蒼天の果てより来たれ!」
その瞬間、蒼山は見た。光の精霊が、朱雀の膨大な魔力に拘束されていく姿を。
「レイ!」
朱雀が杖を掲げる。その杖の先端から放たれた目映い閃光の玉が、天井を突き破って空に浮かび、目も眩むほどの光を弾けさせた。
「……あれ」
朱雀はぽかんとした顔で当主を見る。
「ほら、だから言おうとしたのに。
あんたノーコンなんだから」
薫が杖なのに器用にため息を吐く。
朱雀は当主を狙って焼け焦げにしようとしたのだが、魔法は空に向かってしまった。
そうこう言ってる間に当主は蒼山が腕を切り落とし、足にも剣を突き立てると「次に街人に手を出したら命はないと思え」と脅していた。
当主は激痛で気絶していて返事もない。
「朱雀さん、終わりました」
「あ、うん……。俺なにもしなかったね……」
「なに言ってるんですか。朱雀さんは凄まじいことをやり遂げたでしょう」
「はい?」
「外、見てください」
そう言って窓の外を示した蒼山に、朱雀は窓の外を見て固まった。
あれだけ積もっていた雪が、綺麗になくなっている。
暗雲に押し潰されていた空にも暖かな太陽が昇っていた。
「強大な魔法で異常気象が発生したなら、同じ強大な魔法をぶつければいい。
さすがです。朱雀さん」
「……あ、ああ、いや、うん」
羨望に満ちたまなざしを向けられても、朱雀はそれしか言えない。
関わらないで蒼山ともここで別れるつもりが、なんかまた街を救ってしまったっぽい。
「朱雀さん、あなた一体……」
茫然としたユウイの言葉に、蒼山は胸を張って答える。
「この方こそ、世界を救いに旅をしておられる南の賢者、朱雀様だ」
その言葉に朱雀は死んだ目になる。
ユウイは感激し、助かった娘と抱き合った。
こうして、パラディス王国の東端の街は救われた。
ユウイたちの口づてによって、救ったのは南の賢者と勇者であると広められる。
「さて、次の街に行きましょうか。朱雀さん」
朱雀が世界を救う手助けが出来た、と満面の笑みを浮かべる蒼山に、朱雀はやはり死んだ目になる。
薫が「あんた、ほんと馬鹿」と小声でオチをつけた。




