第8話 旅立ち
「ごめんなさい。魔法は使わないって約束したのに」
しおらしく頭を下げ、両親に謝る。
床を見つめたまま、小さく指を握りしめる。
五歳の子どもらしく見えるように、少しだけ肩を震わせておく。
本当は、泣く必要なんてない。
むしろ――ようやく外に出られる、と胸の奥が少しだけ軽いくらいだ。
けれど、そんなことは絶対に顔に出さない。
「大丈夫よ。ノアは何も悪くないわ」
母親がそっと僕の手を握る。
いつもより少しだけ力が強い。
顔を上げると、母親はぎこちない笑顔を浮かべていた。
目が、ほんのり赤い。
「友達を助けるために使ったんだ。父さんは誇りに思うよ」
父親も笑う。
だけどその笑顔は、どこか引きつっていた。
外では、神官と護衛の冒険者が待っている。
教会に連れて行くと言われたとき、二人は少しだけ顔を見合わせていた。
驚いた顔じゃない。
まるで、ずっと前から分かっていたことを確かめるみたいな顔だった。
――ああ、やっぱり。
この村で、僕の力を隠し続けるのはもう無理と覚悟していたんだろう。
「……元気でね」
母親は笑おうとした。
でも、うまく笑えていない。
「教会なら、きっと立派に育ててもらえるわ」
そう言って、僕の頭を撫でる。
父親が咳払いをする。
「ノアは賢い子だ」
畑仕事で固くなった手が、僕の肩に置かれる。
「神官様の言うことをよく聞いてな。教会で、ちゃんと勉強するんだ」
母親は何も言わない。
ただ、僕の手を握ったまま離さない。
ここから街までどれくらい遠いのか。
農民がそこまで行けるのか。
そんなことは、三人とも分かっていた。
だから誰も言わない。
僕はこくりと頷く。
「はい」
五歳の子どもが両親と離れるんだ。
寂しそうにしていないと不自然だろう。
――演技としては、たぶん合格点だ。
母親がしゃがみこんで、僕をぎゅっと抱きしめた。
「いい子にしてるのよ」
「はい」
素直に返事をすると、母親の顔が少しだけ歪んだ。
母親が離れると、僕はぺこりと頭を下げた。
「いってきます」
振り返らずに歩き出す。
振り返れば、きっと母親は泣く。
それは面倒だ。
だから振り返らない。
家の扉を開けると、春の風が頬をそっと撫でた。
門の前には皆が集まっていた。
「ノア……すまない。気をつけてな」
ゲルトは少し緊張しているように、ぽつりと言う。
僕はにこりと笑って、小さく手を振る。
「元気でやれよ」
そう言ってマークとトムが手を振る。
小さな手で服の裾ををぎゅっと握りしめながら、リサがこちらを見つめている。
「ノア……!」
叫びだしそうな声を必死に抑えているのが見て取れる。
「……待ってるね」
リサが小さく言う。
「リサが強くなって、冒険者になったら」
「うん」
「一緒に、冒険するって約束したもん」
リサの目が、少し潤んでいる。
僕は頷く。
「覚えてるよ」
「……本当?」
「本当」
リサが、ほんの少しだけ笑った。
「じゃあ、私、強くなる」
「うん」
「ノアより強くなるから!」
リサが拳を握る。
「待ってて」
僕は小さく笑った。
――約束。
守るかどうかは、分からない。
でも、僕は黙ってうなずく。
村長が、僕を呼び止めた。
「ノア」
「はい」
「ゲルトを助けてくれて、本当にありがとう」
村長が深く頭を下げる。
「この恩は忘れない」
「いえ」
僕は首を振る。
「友達ですから」
村長が顔を上げる。
「……良い子だ」
そう言って、小さな布袋を渡す。
「これは、餞別だ。道中で使ってくれ」
中には、小銭と食料が入っている。
「ありがとうございます」
「それと――」
村長が真剣な顔で言う。
「もし、いつか戻ってくることがあれば」
「はい」
「この村は、お前を歓迎する」
僕は頷く。
「ありがとうございます。覚えておきます」
「ああ」
村長が手を差し出す。
僕はその手を握った。
最後にもう一度、みんなに手を振って歩き出す。
村の外へ続く道。
神官と、護衛の冒険者。
そして――まだ見たことのない世界。
胸の奥が、わずかに高鳴る。
もちろん、それも顔には出さない。




