第72話 因縁
翌朝——
まだ街に薄い靄が残る時間帯。
石畳は夜露を含んでわずかに光り、広場は朝から動き出した冒険者たちの足音で満ちていた。
リサが加入し五人になった僕たち『誓いの天秤』は、さっそくダンジョンに向かった。
「今日は何層にするの?」
先頭を歩いていたエレナが振り返る。
「九層にしましょう。リサがいるなら、遠くても魔物の密度が高い方が稼げます」
僕は即答した。あの三箱を一杯に出来るなら、九層を往復してもお釣りが来る。
「リサに任せて!いくらでも運んじゃうよ」
ぱっと表情を明るくして、リサが胸を張る。
小柄な体に不釣り合いな背負子には、すでに空箱が三つ括り付けられていた。
「頼もしいな。じゃあ行こうぜ」
ライルが笑う。
カイは黙ってうなずいた。
「エンハンス、かけます」
僕は足を止め、そう告げる。
意識を研ぎ澄ませ、仲間一人ひとりに魔力を巡らせていく。
淡い光が彼らの身体を包み、すぐに空気が変わった。
「なにこれ!凄い体が軽い!」
リサがその場で跳ねて、目を輝かせる。
「準備はいいな?行くぞ」
ライルの一言で、空気が締まる。
僕たちはそのまま地下へと続く階段を一気に駆け下りた。
石段を打つ足音が、閉ざされた空間にやけに大きく響く。
どれほどの時間走っただろうか。ようやく九層の入口に面した踊り場に辿り着いた。
「……やっと着いたな」
ライルが息を吐く。
「補助魔法もらってるのに、足がガクガクよ……」
エレナが壁に手をつき、肩で息をする。
額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「回復します」
僕は全員の様子を確かめ『ヒール』で癒やす。
僕の魔力が五人を包み、疲労を溶かしていく。
「おおー。ノア凄い!これならいくらでも動けるよ」
リサがぱっと顔を輝かせると、その場で軽快に動いて見せた。
エレナはつま先で地面を軽く叩き、調子を確かめるように一度足を鳴らす。
「やっぱりノアの魔法は反則よね。癒やし手が貴重なわけだわ」
肩をすくめながらも、感心したように息をついた。
カイは何も言わず、背負っていた盾を静かに構えると、通路に一歩踏み出す。
それに続くように、僕らも九層へと足を踏み入れる。
ひんやりとした空気が肌を撫で、奥からはかすかな気配が漂ってきた。
「じゃあ、片っ端から片付けていこう」
ライルは気軽な調子で、広間へと踏み込んだ。
その横を盾を構えたカイがすり抜けると、重い一撃でゴブリンの群れをまとめて弾き飛ばした。
間髪入れず、エレナの氷魔法が走る。
凍てつく冷気が立ち込め、敵を足元から凍らせる。
僕も前に出て杖を振るった。
一体、また一体とゴブリンが崩れ落ちていく。
「え!?みんな凄い!」
入口で背負子を下ろしたリサが、目を丸くする。
だがすぐに気を取り直し、慌てた様子で倒れたゴブリンから魔石を取り出し始めた。
広間のゴブリンはあっけなく片付いた。
戦闘を終えた僕たちも回収に取りかかるが、その大半はすでにリサが済ませている。
「ずいぶん手際がいいな」
ライルが感心したように言う。
「前のパーティーで、ずっとやらされてたからね。役に立ってるなら良かったよ」
リサは肩をすくめ、軽く笑った。
「でも、これだけの数を一度にやるのは初めてかも」
「前のパーティーでは、一日にどれくらい集めてたんですか?」
僕は手を止めずに尋ねた。
「百個くらいかな。それでもかなり多いみたい。自信満々だったよ」
——休まず集めても、ひと月で三千程度か。
僕らが初日に集めたのは三百。
リサが加わっても、一日に六百が限界だろう。
満月まで、あと三日。
今から追いつくのは厳しいか。
「そのわりには、ずいぶん大荷物だったな」
ライルが眉をひそめる。
「だってさ、あいつら、食事用の椅子とか、予備の予備の武器とか……とにかく何でも持ち込みたがるんだもん」
リサは呆れたように息をついた。
「さ、おしゃべりはそれくらいにして、次に行きましょ」
エレナはそう言って立ち上がった。
集めた魔石を木箱に詰めると、リサが手慣れた様子で背負子を背負う。
それを待って、僕たちは次の広間へと足を向けた。
木箱を三つ満たし、僕らは再び長い螺旋階段を駆け上がる。
僕の魔法があるとはいえ、リサは荷物の重さをものともせずに走り続けた。
背負子に詰め込まれた木箱が軋んでも、重心を崩すことなくリサの足取りは乱れない。
夕陽が沈みきる前に、僕らは広場へとたどり着いた。
傾いた陽光が石畳に長い影を落とし、噴水の水しぶきを黄金色に染め上げている。
まだ火を落としていない屋台から、香ばしい匂いが漂う。
獲物を抱えた冒険者たちが、報告と換金のために続々とギルドの中庭に吸い込まれていく。
「いやぁ、しかしすげぇな!リサのお陰で、この前の倍ぐらい持って帰れたな」
ライルが感心したように、リサの背負う木箱を見上げて言った。
「どう?すごいでしょ」
リサは胸を張り、得意げに顎を上げた。
あれだけの距離を走ったはずなのに、疲れた様子はまるでない。
「——おい」
背後から投げかけられた、粘りつくような低い声。
振り返ると、そこには『栄光の翼』の三人がいた。
リサを捨て駒にして、置き去りにした連中だ。
「……何の用だ。俺たちは今、取り込み中なんだが」
ライルがリサをかばうように一歩前に出る。
その手は、自然と腰の剣の柄に添えられた。
「用?決まってるだろ」
男は鼻で笑った。
その視線は、露骨にリサをなめ回す。
「そいつは、俺たちの奴隷だ。返してもらおうか」
指先を向けられ、リサが小さく息を呑む。
「おかしいですね。あなた達は昨日パーティーから除外申請してますよね?」
僕は一歩も引かずに言った。
視線だけをまっすぐ相手に返す。
「……死んだと思ったんだ。生きてるなら話は別だ。また俺たちの役に立ってもらう」
男は開き直ったように肩をすくめた。
「それは無理だな。パーティー登録も済ませてある」
間髪入れず、ライルが切り捨てる。
「ギルドの規約も問題ない。リサは俺たちの仲間だ」
その言葉にリサは嬉しそうに笑った。
男の眉がぴくりと跳ねる。
「くっ……ならば決闘だ!」
栄光の翼のリーダーが、吠えるように言った。
通りの視線が一斉にこちらへ集まる。
「俺達に何の得がある?それを受けるとでも?」
ライルが冷ややかに返す。
「いや、受けましょう」
僕は静かに口を挟んだ。
「え!?ノア?」
ライルが振り向く。
驚きと、わずかな警戒。
僕は視線を逸らさず、続ける。
「——ただし、僕たちが勝ったら三日後のボスへの挑戦権、辞退してもらいます」
一瞬の沈黙。
相手の表情が、ゆっくりと険しくなる。
——今月は様子見の予定だったが、やめだ。
リサの加入で魔石の回収効率は格段に上がった。
このペースなら二位には届くはず。
暫定一位の栄光の翼。
こいつらが辞退すれば、僕らに挑戦権が転がり込んでくる。
ならば、わざわざ次の満月を待つこともない。
「いいだろう」
リーダーの口元が、獰猛に歪む。
「ギルドの中庭でやるぞ」
踵を返し、三人は歩き出した。
その背中には、妙な自信がにじんでいる。




