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灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜  作者: ショパン


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決勝の鐘

本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。


ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」

と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。


興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。

→https://ncode.syosetu.com/n5378ky/

挿絵(By みてみん)



塔の衛生室。


その中央で、フリージアは洗いたての包帯を細く畳み、くるくると巻いていた。

白い指先は迷いなく動き、慣れた手つきには静かな品がある。


その時――


「フリージア様! フリージア様!」


廊下の向こうから、ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきた。

次いで、勢いよく扉が開かれる。


バンッ!


「フリージア様!!」


若い記録官が肩で息をしながら立っていた。

額には汗がにじみ、よほど急いできたのか、制服の襟元まで乱れている。


「あら?」


フリージアは驚いたように目を瞬かせ、それから小さく微笑んだ。


手にしていた包帯を机へ置くと、彼女はゆるやかに一歩近づき、少し腰を落として青年の目線へ合わせる。

それから細い人差し指を一本だけ立て、そっと彼の口元へ添えた。


「しっ……」


囁きのような声だった。


「眠っている子もいるのだから、そんな大きな声を出しては駄目」


背後の寝台では、フィオナが眠りに落ちている。

額には新しい包帯。細い指先は毛布の上で力なく開かれ、その奥の寝台には大きな身体を横たえたミックの姿もあった。


二人の呼吸だけが、静かな部屋に規則正しく溶けている。


「どうしたの?」


青年の喉が、ごくりと鳴る。

目の前で微笑むフリージアに、顔がみるみる赤く染まっていった。


「も、申し訳ありません……!」


彼は慌てて背筋を伸ばし、今度は声を潜めすぎて妙に小さくなる。


「ですが……フリージア様……」


フリージアは首をかしげ、淡い金の髪を肩先で揺らした。


「様だなんて。私は記録官でも、あなたの上司でもないのよ」


唇に笑みを浮かべたまま、やわらかく言う。


「ただの衛生室の管理者です」


青年はますます狼狽え、視線を泳がせた。


「い、いえ……! その……あなたは、上級記録官の奥様で……!」


言い終えるころには、耳まで真っ赤だった。


フリージアは一瞬だけ目を丸くし、それから口元へ手を添えて、くすりと笑った。

鈴のように軽い笑い声が、静かな室内へ小さく転がる。


「まあ。そんな肩書きで呼ばれるのは、少し照れてしまうわ」


青年は言葉を失い、ただ姿勢を正したまま固まっている。


フリージアは笑みを残したまま、包帯の束を棚へ戻しながら尋ねた。


「それで? そんなに慌てて、何かあったの?」


青年ははっと我に返り、拳を握りしめた。


「そ、そうでした……! ついに次は決勝戦です!」


興奮を抑えきれず、声がまた少し大きくなる。

だが途中で気づき、慌てて口を押さえた。


「……ガイウス様と、フレアという志願者が戦います!」


その名に、フリージアのまつ毛がわずかに揺れた。

脳裏に浮かんだのは、寝癖の赤髪を慌てて押さえ、パンを抱えて飛び出していった少女の姿だった。


思わず肩が小さく揺れ、笑みがこぼれる。


「ふふ。続きをどうぞ」


青年は咳払いをひとつし、胸を張った。


「ガイウス様が、いよいよ記録官となられる晴れ舞台でもあります!」


その言葉に、フリージアの表情がほんのわずかに和らぐ。窓辺の灯が、彼女の横顔を静かに照らした。


「……そう」


小さく、優しく呟く。


青年は目を瞬かせた。


「そ、そう……って。観覧に行かれてはどうですか!? ご子息様ですよ!」


フリージアはふっと微笑み、視線を寝台へ向けた。


「あの子は強いわ。きっと立派な記録官になります」


そう言って、フィオナの寝台へ歩み寄る。

毛布の上に投げ出された小さな手へ、自分の手をそっと重ねた。


「それより、この子達を放ってはおけません」


青年は慌てて一歩前へ出る。


「そ、それならば、私が見ておりますから!」


フリージアは振り返り、困ったように眉を下げながらも、やはり笑っていた。


「そう言われても……」


柔らかく返しかけた、その時だった。


「あら?」


指先に、かすかな力が触れた。


フィオナの細い手が、うっすらと震えながら、フリージアの袖口をきゅっと掴んでいた。


フリージアの瞳が、やさしく細められる。


――


衛生室の静寂とは裏腹に、広場の熱はなお冷めていなかった。


決勝戦へ向かう歓声。

勝者を追う足音。

敗者を語るざわめき。


その喧騒から少し外れた場所で、ジェミルはナストロンドケープの裂け目を押さえながら、肩を揺らしていた。


「……ふふっ……」


喉の奥で笑いを転がす。


「いやぁ……見事でしたよ、シン君。

 まさか準決勝で、あそこまで優雅に、華麗に、そしてわざとらしく負けるとは」


少し離れた場所で、シンは背を向けたまま立っている。

黒衣の裾が風に揺れ、剣の柄へ添えた手は動かない。


ジェミルはその背中へ、楽しげに問いかけた。


「なぜ彼女に勝たせたのですか?」


返事はすぐには来なかった。


遠くで鐘が鳴り、決勝戦の準備が整ったことを告げる音が、広場へ響く。


やがて、シンは視線を前へ向けたまま、低く言った。


「……これ以上、勝ち進む理由は俺にはない。

 目的は、すでに果たされている」


ジェミルの口元から笑みが少しだけ消える。


「ほう?」


シンは続けた。


「上位四名に入った時点で、合格はほぼ確定だ。

 この先は誰が主席を取るかの争い」


わずかに顎を上げ、人垣の中で揺れる赤い髪を見る。


「ならば、村出身のあいつの方が利がある」


ジェミルの眉が、面白そうに持ち上がった。


「フレアさんに?」


「ああ」


シンの声は静かだった。

風が吹き、黒髪がかすかに揺れる。


「外で飢えた者。狩って生きた者。理不尽に耐えてきた者――

 そういう目を持つ人間こそ、塔に注視されるべきだ」


ジェミルは目を細めた。


「それは、彼女が勝てれば――の話でしょう?」


「そうだな」


シンは広場の方角へ視線を向ける。


人垣の切れ間、その先。

槍を地へ立て、金髪の少年がひとり、静かに背中を向けて立っている。


「正直、あの金髪は、相当やる槍使いだ……」


わずかに眉が寄る。


「それに、何やら妙な力を宿している」


ジェミルは口元を吊り上げ、にやにやと笑った。


「フレアさんが無事で済む保証はありません。

 負ければ先程の肉だるま君のように腕が捻じ曲がってしまうかも」


「……その時は、その程度だったということだ」


シンは淡々と言った。


「俺はあいつに機会を与えた。

 それを物にできるかどうかは、あいつ次第だ。

 せいぜい足掻けばいい」


一拍。


「俺の知ったことじゃない」


ジェミルが肩を揺らし、くつくつと笑った。


「ふふ……本当にそれだけ?」


シンはわずかに顔を伏せる。

影が目元へ落ちた。


「それだけだ」


ジェミルはそれ以上、追及しなかった。

ただ、その背中へ向ける笑みだけが、少し深くなった。


「案外、かわいいところもあるんですね」


一拍置いて、肩をすくめる。


「大人ぶって都合のいい理屈を言い張っても――

 隠しきれていませんよ」


――


「皆様、お待たせいたしました」


試合場の中央に立つヘルモーズが、満面の笑みを浮かべながら、両手を広げた。よく通る声が、熱気の残る広場へ静かに伸びていく。


その声に呼ばれるように、これまで姿を見せなかった塔内の記録官たちも、志願者たちの背を囲むようにぞろぞろと姿を現し始めた。


「幾多の激戦を越え、ついに最後の二名がここへ辿り着きました」


ざわめきが少しずつ鎮まり、人々の視線が集まる。


「片や、名門バルナーク家の血を継ぎ、圧倒的な槍技で勝ち上がってきた本命――」


一拍。


「ガイウス・バルナーク!」


ざわめきがうねりとなって広がり、人垣が左右へ割れていく。


その中央を一人の少年が歩み出た。


金の髪。鍛え抜かれた体躯。槍を携えたその姿は、まるで戦場から切り出された彫像のようだった。


「ガイウス様……!」


「上級記録官ユリウス・バルナーク様のご子息だ……!」


塔の窓辺から歓声が降る。

それは熱狂というより、敬意と緊張の混じった声だった。


ガイウスは、そのままヘルモーズの前で足を止めると、ゆっくりと槍を地へ立てた。


ドン――


鈍い音が広場へ響く。


背筋は一分の隙もなく伸び、顎はわずかに上がっている。その立ち姿には、生まれながらにして前へ立つ者の気配があった。


「ガイウス様!たかが田舎村の女に、格の差を教えてやってください!」


フォルドが身を乗り出して叫ぶ。


ネレクは眉ひとつ動かさず、ただ肘で無言にその脇腹を押し戻した。


だが、場全体の熱は思っていたほど大きくはならない。


ヘルモーズはその空気ごと受け止めるように微笑み、続けた。


「そしてもう一人――」


声色がわずかに明るくなる。


「誰も予想しなかった快進撃。知恵と胆力で強敵を退け、この決勝の地へ駆け上がった挑戦者!」


人々の肩が揺れ、期待が広がる。


「赤き狩人の娘――フレア!」


試合場の反対側――

赤髪の少女が姿を見せた瞬間、空気が一変した。


「フレアー!!」


「赤髪、怪我しねぇように頑張れよ!!」


「さっきの試合、最高だったぞ!!」


先ほどまで張りつめていた空気が、ふっと緩む。

周囲から、笑みがこぼれ、肩の力を抜いた声援が、あちこちから飛んだ。


フレアはきょとんと目を丸くし、それから照れくさそうに頭をかく。


「お、おう! 任せときなさい!」


弓を高く掲げる。


どっと笑いが起こった。


その光景を、ガイウスは無言で見ていた。

横目だけが、赤髪の少女へ流れ、槍を握る手には、わずかに力がこもる。


ガイウスの眉間には、薄く皺が刻まれていた。


フレアはようやくガイウスの視線に気づき、にやりと笑った。


「なによ。怖い顔しちゃって」


腰へ手を当て、身を乗り出す。


「あ、もしかして緊張してる?」


その瞬間、ガイウスのこめかみに青筋が浮いた。


だが次の瞬間には消え、表情は静まり返る。


「……ふっ。くだらない」


吐き捨てるでもなく、笑うでもない。

自らへ言い聞かせるような低い声だった。


「所詮これは試験。

 俺にとっては、ただの通過点でしかない……」


そう呟くと、乱れかけた呼吸を押し込めるように、肩が一度だけ上下した。


やがて穂先が、静かに持ち上がる。


「……始まれば分かる。

 歓声が、誰の名を呼ぶべきかをな」


その声音に、空気がぴんと張った。


フレアは一瞬だけ目を細め、すぐに笑みを深くした。


「へぇ。言うじゃない」


弓を肩から外し、くるりと回した。


「じゃあ、その余裕……いつまで持つか見せてもらおうかな」


ヘルモーズが手を上げる。


「決勝戦――」


風が止んだ。


誰もが息を呑む。


壇上では、ユリウスが静かに帳面を閉じた。


細い指先が表紙を撫で、その視線は一瞬たりとも試合場から逸れない。


隣でグレイブは腕を組んだまま肩を鳴らし、口元を歪める。


「さて……勝つのはお前の息子か、狩人の小娘か」


愉快そうに、横目でユリウスを見る。


「なぁ、ユリウス。

 こいつは面白い賭けになったじゃないか」


ユリウスはしばし黙したまま、やがてごく淡々と口を開く。


「……《ルナブラン》を一本」


グレイブの片眉がわずかに上がった。


「む……! それは私の屋敷の秘蔵酒だぞ……!」


喉の奥で笑い、顎へ手を当てる。


一瞬だけ考え込み、それから鼻を鳴らした。


「なら私は、《ノワールグリフ》を一本だ。

 お前の屋敷の地下蔵に、まだ眠っていたはずだな」


腕を組み直し、にやりと笑う。


「ふん……。

 親不孝者とはよく聞くが、自分の息子に賭けん、この子不幸者め。泣いても知らんぞ、ユリウス」


ヴァルターは、二人のやり取りに目もくれない。


白髪交じりの髪が風にわずか揺れるだけで、その双眸はただ真っ直ぐ、試合場の二人を見下ろしている。


硬く結ばれた口元に、感情の影はない。


「ガイウス・バルナーク対フレア。

 ――始め!」

『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。


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