孤高の槍
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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「始め!」
その声が落ちた瞬間――
先に動いたのは、フレアだった。
「あいつはこれまでの相手とは違う槍を持った重装タイプ。だったら――弓の間合いが取りやすい」
軽く息を吐きながら、地を蹴る。
視線は一度もガイウスから逸らさず、一歩、二歩と跳ぶように後ろへ下がった。
「あれ……?」
眉がわずかに寄る。
踏み込みがやけに軽く、抜けが速い。
体が勝手に“流れる”感覚を覚える。
「身体がさっきより調子いいな?」
そのままもう一度、距離を取るように後ろへ跳ぶ。
今度は意識して、強く。
次の瞬間、視界が一段、跳ね上がった。
「ちょっ……!?」
思わず目を見開く。
空気を掴むような浮遊感のまま、身体がすっと後ろへ伸びる。着地の衝撃も、足裏に残る重さも浅い。
次の瞬間、フレアの指先が自然に動き、矢筒から矢を引き抜いた。弦に番えながら、肩の力を落とす。
肘が素直に引ける。指が流れるように滑る。
「これって……もしかしてシンの仕業か。
軽い。これならいける!」
一瞬シンの無表情を思い出すと、小さく息を弾ませ、口の端がほんの少し上がった。風に押される身体が、いつもより半拍早く応える。
ヒュンッ!
赤髪がふわりと揺れ、放たれた矢が一直線に空を裂いた。
だが――
ガイウスは動かない。
視線はフレアに据えたまま、わずかに腰を沈める。
肩の後ろへ槍を引き、穂先を一点に収束させるように静かに構えた。
「はぁぁっ!」
短い呼気とともに、空気がぴんと張り詰める。
「――ッ!?」
フレアの髪が逆立ち、
考えるより先に身体が横にサッと跳ねた。
その瞬間、ガイウスの声が落ちる。
「――招雷断界!!」
槍が前へ突き出される。
届く距離ではない。
だが――一瞬閃光が走り、空気が裂けた。
バチバチッ。
放たれた矢が宙で弾かれ、乾いた音を立てて軌道を乱す。
そのままフレアのいた場所を、目に見えない衝撃が一直線に貫いた。
ドォンッ!
遅れて爆ぜる風圧が押し寄せ、着地したフレアの身体がぐらりと揺れる。
靴裏が砂を削り、片手を地面に触れて体勢を立て直す。
「なになに、今の!?」
声に、わずかな戸惑いが混じる。
だが目は、外さない。
背後で悲鳴が上がる。
「うわっ――!?」
観覧していた志願者たちが風に押し倒され、砂が舞い、布が翻る。視界が一瞬白く濁った。
数拍遅れて、地面に刻まれた痕が見える。抉れたような一直線。
フレアは息を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
ガイウスは一歩も動かず、槍を戻し、静かに構え直した。
「避けたか」
その声には感情がない。
ただ、事実を確認するだけの響き。
フレアを見据えたまま、わずかに顎が引かれる。
「脱兎のように怯えて、間合いを外したつもりだろうが――俺には通用しない」
穂先がわずかに持ち上がり、フレアの中心線を捉える。
風が遅れて吹き抜ける。
「この三叉槍が向かう先、そのすべてが俺の間合いだ」
フレアは一瞬だけ目を細めた。
頬にかかった髪を指で払う。
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「脱兎……?」
肩をすくめる。
「間合いを取るのは、狩人の上等手段ってね」
軽く言い放つと、弓をくるりと回して持ち直す。
その動きに無駄はない。むしろ、さっきより軽い。
「それよりさ――」
首を少し傾ける。
視線だけが鋭く細くなる。
「何? なんでいちいち技名叫ぶわけ?」
ガイウスは目を細めるでもなく、ただそのままフレアを見据えた。
そして――短く、言い切る。
「強者は、技の名を告げる。
それが、結果を裏切らぬ者の作法だ」
穂先が、わずかに持ち上がる。
「昔、父上の書斎の奥にあった冊子にそう書いてあった……覚えておけ」
一切の迷いなく、そう言い切る。
「はぁ?……ほんと、うるさいやつ……」
フレアは呆れたように眉をひそめる。
壇上でユリウスは、静かに目元を押さえた。
「どうした、ユリウス」
隣で腕を組んだグレイブが、横目で覗き込む。
「いえ……何でもありません」
答えながらも、ユリウスの指先はわずかにこめかみに残ったままだった。
――よりにもよって、あの冊子を覚えていたとは。
まだガイウスが幼少だった頃。
一度だけ、秘密の書架へ通したことがあった。
薄暗い灯の下。
小さなガイウスは床へ座り込み、冊子を両手で抱えたまま、目を輝かせて頁をめくっていた。
妙に勢いのある挿絵とやけに力強い文字。
真剣な顔で何度も頷いていたのを思い出す。
だが、もし書架の存在が露見すれば、上級記録官である自分ですら無事では済まないだろう。
「……迂闊でしたね」
ユリウスは静かに息を吐いた。
「軽口を叩くのも今のうちだ――行くぞ!」
低く落ちた声と同時に、ガイウスの足が踏み込んだ。
ドンッ――!!
地面が鈍く鳴る。
槍を構えたままの突進。
シンやスカルのような速さはないが、ガイウスの長身から伸びる槍は、一歩ごとに堅実にフレアとの間合いを詰める。
それは、まるで壁が迫ってくるかのように重く、揺るぎない圧だった。
「うわっ……野アグリかあんたは……!」
フレアの視界いっぱいに、三叉槍が迫る。
ガイウスは腰を低く沈めたまま、三叉槍を一直線に突き出す。
ヒュゴォッ!!
空気を裂き、穂先がフレアの肩口へ鋭く迫る。
「よっと!」
フレアは口元を吊り上げると、反射的に身体を捻った。
頬の横を、槍先が紙一重で通り過ぎる。
赤い髪が数本、宙へ散った。
だが次の瞬間――
キュッ、とガイウスの手首がわずかに返る。
「っ――!」
避け切ったはずの槍が軌道を変え、掠めるようにフレアの右腕を浅く裂いた。
ビリッ――!
二の腕に熱が走る。
同時に、青白い痺れが傷口から指先へ一気に駆け抜けた。
「イタタタッ……! なにこれ……っ!」
フレアは顔をしかめながら、痺れで震える指を、無理やり握り込んだ。
だが、さらに突き切ったはずの槍が、そのまま横薙ぎへ変わる。
「野アグリ呼ばわりは訂正しろ。
俺の武は、調練された記録官用アグリほどに洗練されている!」
ガイウスの腕と肩が、滑らかに連動する。
巨大な槍が、まるで枝のような軽さで振り抜かれた。
ブォンッ!!
唸りを上げた槍の腹が、フレアの胴を薙ぎ払う。
「真面目か……!!」
フレアは思わず叫びながら、咄嗟に槍の柄へ片足を乗せると、その勢いのまま身体をふわりと宙へ逃がした。
赤髪が大きく翻り、細い身体が空中で軽やかに回転した。視界が逆さになった瞬間、フレアの指が矢筒へ走る。
「っ……このくらい……!」
まだ痺れが残る指を無理やり締め、二本同時に矢を引き抜く。
キィッ――!
軋むように弦が鳴った。
放たれた二本の矢が、空中から斜めにガイウスへ襲いかかる。
だが。
ガイウスは踏み込んだまま、視線すら逸らさない。
「甘い!」
ガガッ!!
三叉槍が閃く。
一本目を穂先で弾き、二本目を柄で叩き落とす。乾いた破裂音と共に、矢が空中で砕け散った。
フレアは着地すると、小さく舌打ちをした。
「ああ、もう!……めんどくさっ……!」
そのままガイウスは槍を大きく振りかぶる。
「逃がさん――
そのふざけた態度ごと吹き飛ぶがいい!」
バチバチッ――!
雷光が槍身へ巻き付き、螺旋状に弾ける。
低く冷たい声が落ちた。
「――招雷旋打槍ッ!!」
ガイウスの身体が、振り子のように回る。
ドォォンッ!!
爆ぜるような衝撃。
雷を纏った横薙ぎが大地を叩き、凄まじい風圧と共に土煙を巻き上げる。
周囲の志願者たちから悲鳴が上がった。
「うわぁっ!?」
「見えねぇ……!」
砂塵が渦を巻き、試合場を白く覆い隠していく。
ガイウスは槍を構えたまま、荒れる砂煙の奥を、じっと見据えた。
志願者たちの輪から、興奮して、フォルドが身を乗り出す。
「――仕留めたか!?」
隣で、ネレクがわずかに眉をひそめた、その瞬間。
ヒュンッ――!
土煙の奥から、一本の矢が飛び出した。
「っ……!」
ガイウスの首がわずかに傾く。
ピッ、と矢が頬を掠めた。
肌が浅く裂け、赤い線が走る。一筋の血が、頬を伝った。
ざわっ――!!
一瞬遅れて、歓声が爆発する。
「当てた!!」
「フレアだ!!」
「あのガイウス・バルナーク様に一発当てるとは!!」
熱狂が広場を揺らした。
壇上で、グレイブが口元を歪める。
「ほぉ……。なかなかいい試合じゃないか」
腕を組み直しながら、愉快そうに鼻を鳴らす。
その隣で、ユリウスは無言のまま空を見上げていた。
いつもの曇天とは違う。
黒雲が、やけに低い。
その瞳がわずかに細められる。
「……まずいですね」
離れた場所で、シンの口元がわずかに緩む。
その変化を見逃さず、ジェミルがにやりと笑った。
やがて、土煙の奥。
ぼんやりと、赤髪の影が立ち上がる。
フレアは弓を握ったまま、口に咥えたナイフを痺れの残る指先でゆっくり掴み取った。
「っつぅ……よく耐えたね、このナイフ。
まだビリビリする……」
慣れた手つきで、ナイフを腰へ滑らせると、右手をぶらぶらと振り、ガイウスへ向けてにっと口角を吊り上げた。
「お前の弓は正直すぎる……って、さっき誰かさんに言われてね」
赤髪が風に揺れる。
「だから――あんたのド派手な技を、目眩しに利用させてもらったよ」
「……」
ガイウスは答えない。
無言のまま、頬を伝う血を親指で静かに拭った。
赤く濡れた指先を見下ろすと、無意識に一瞬、壇上へ視線を向けた。
父ユリウスは顎へ手を添えたまま、何かを考え込むように、静かに帳面へ目を落としている。
――決勝だというのに、やはり父上は自分を見ていない。
ガイウスの眉間へわずかな皺が刻まれる。
その間も、周囲からは歓声が押し寄せた。
だが、その熱は大半がフレアへ向けられたものだった。
「やるじゃねぇか赤髪!!」
「押してるぞ!!」
「まさか村の娘が、バルナーク家の槍に食らいついてるぞ!!」
その声が重なるたび、ガイウスの槍を握る手へ、じわりと力がこもっていく。
バチ……ッ。
微かな火花が槍の柄を走り、逆立ち始めた金髪が、帯電するようにふわりと揺れる。
「……耳障りだ」
「へ?」
低く落ちた声に、フレアがきょとんと目を瞬かせる。
ガイウスはゆっくりと顔を上げ、その鋭い瞳が、ざわめきを真っ直ぐ射抜いた。
ドンッ!
三叉槍が地面へ突き立てられる。
「静まれと言っている!!」
怒声が広場を震わせた。
「遊戯でも見にきたつもりか!?
俺は、真剣勝負をやっているのだ!」
空気が、ぴたりと止まる。
「……!」
先ほどまで沸いていた歓声が、一瞬で引き、誰もが息を呑んでガイウスを見つめる。
――ポツ。
その時だった。
ガイウスの頬へ、小さな雫が落ちた。
続いて、ぽつ、ぽつ、と。
冷たい粒が、乾いた試合場へ染みを作っていく。
「あ……雨……?」
フレアはそう呟き、空を見上げた。
雲はいつもの灰色よりも深い。
まるで空そのものが沈み込んでくるように、
黒雲が、重く広場を覆い始めていた。
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