火花の円舞
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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「んーー……」
フレアは腕を高く伸ばし、背筋を反らせた。肩甲骨が鳴り、しなやかな身体が弓のように張る。朝露を払う獣のように首を振ると、赤い髪がさらりと揺れた。
両手で頬を、ぱん、ぱんと軽く叩く。
先ほどの試合――
ガイウスとウルグニル。
あの凄まじい激突を見て、胸の奥にわずかに生まれた怯みを、外へ追い出すような仕草だった。
「今度は私の番だ。よおし、やるぞ!」
目が上がる。
赤い光が、そこに宿った。
「準決勝、第二試合を開始いたします。
フレア! 前へ!」
ヘルモーズの声が広場に響く。
「いけるぞフレア! お前なら勝てる!」
「さっきナイフ野郎を倒した女だろ!? すげえ機転だった!」
「フレアー!! ぶちかませ!!」
志願者たちの声が、次々と飛ぶ。
荒っぽく、無責任で、だが熱のこもった声援だった。
その熱が波のように広がり、試合場の空気を押し上げていく。
「あは……見る目あるじゃない」
フレアは胸を張り、得意げに鼻を鳴らすと、そのまま弾むような足取りで、中央へ歩き出した。
壇上でグレイブが口元を緩める。
「ユリウス、お前の推しの登場だぞ。さて、今度はどんな戦いを見せてくれるかな?」
肘掛けへ腕を預け、愉快そうに見下ろしている。
ユリウスは帳面から静かに顔を上げ、視線は、風に揺れる赤い髪へ向く。
「……彼女は、よく戦っていますよ」
淡々とした声だった。
「これまでの戦いも、想定外の事態を、見事に収拾してきた」
そう言って、わずかに顔を傾け、隣に座るヴァルターの横顔を見る。
「相手方は――あの黒髪の少年でしたね」
グレイブが片眉を上げる。
ヴァルターは反応しない。
指先ひとつ動かさず、ただ試合場を見下ろしている。
白髪交じりの髪も、硬く結ばれた口元も揺れなかった。
ユリウスは目を細め、再び視線を戻す。
「さて、期待したいですね」
その声だけが、ほんの僅かに柔らかかった。
「対するは、シン!」
その名が呼ばれた瞬間、先ほどまでフレアへ向けられていた熱気が、わずかに揺らぐ。
人垣の向こうから、黒髪の少年が歩み出る。
足音は小さい。
粗末な黒い衣が擦れる音すら、広場のざわめきの中に埋もれてしまいそうなほどだった。
だが、不思議と目が離せない。
背筋はまっすぐ伸び、肩に力みはない。
派手さはないのに、近づくほど、周囲の空気だけがすっと澄んでいくようだった。
フレアはその姿を見つめる。
「……へぇ」
小さく息を漏らす。
軽口のつもりだった。
だが胸の奥が、かすかに波立った。
シンは試合場の中央近くで足を止めると、静かにフレアへ視線を向けた。
ほんの一瞬。
その黒い瞳が、まっすぐこちらを捉える。
だが次には、何事もなかったように視線を逸らしていた。
「ちょっと……なによ?」
フレアは眉を寄せ、口元だけで小さく笑う。
そのまま背中に掛けていた弓へ手を伸ばし、くるりと回すように前へ抜き取る。
赤い髪が肩先で跳ね、細い指が弓の握りを確かめるように撫でた。
「人の顔じろじろ見て。……感じ悪い」
シンの表情は変わらない。
まばたき一つせず、やがて低く返した。
「お前こそ……、初めからこちらを何度も見ていたな?」
その言葉に、フレアの肩がぴくりと跳ねた。
「――っ!!」
息が詰まる。
人の輪から外れ、塔を睨むように立っていたあの姿。
ネレクと向かい合った時の、空気ごと張り詰めさせた静けさ。
気づけば、自分は理由もなく、何度もこの黒髪を目で追っていた。
頬が、かっと熱くなる。
「ち、違……」
思わず言い返しかけて、そこで止まる。
フレアは唇をきゅっと結び、そっぽを向くように顔を逸らした。
「……あんたが、変な顔してたからでしょ」
ようやく絞り出した言い訳は、自分でも驚くほど子どもっぽかった。
その横顔を見て、シンはほんのわずかに目を細めた。
それが何かを見透かされたような気がして、フレアの頬はますます熱を帯びる。
「ふん……」
誤魔化すように鼻を鳴らし、フレアは乱暴に赤い髪をかき上げた。
「でもまあ、ちょうどいいわ。そんな余裕ぶった顔、すぐ崩してやるから」
言いながら、口元には笑みが戻ってくる。
シンは何も答えない。
ただ、静かに立っている。
その沈黙が、かえってフレアの闘志を煽った。
ヘルモーズが口元に手を添え、柔らかく笑う。
「お二方、宜しいでしょうか?」
フレアは弓を構え、足を開く。
シンは無言のまま腰の剣へ手を添えた。
広場のざわめきが、すっと遠のく。
「それでは準決勝、第二試合――」
ヘルモーズの声が、静まり返った空気を裂く。
「フレア対シン。始め!」
手が振り下ろされるのと、ほとんど同時だった。
フレアの指先が矢筒へ走る。
一本を抜き取り、流れるような手つきで弦へと番えた。
その動きは、瞬きに紛れるほど速い。
赤い髪が後ろへと流れ、身を低く沈めると、弦が鋭く鳴った。
放たれた矢が一直線にシンの懐へ走る。
キィン!
乾いた金属音が弾けた。
シンは構えたまま、一歩も踏み込まない。
ただ、腰の鞘から刃を抜くと、次の瞬間には、矢は軌道を逸らされ、くるくると回転しながら砂の上へ落ちた。
「な――」
フレアの瞳が見開かれる。
驚きに息を呑みながら、すぐさま次の矢へ手を伸ばし、半歩退きながら弓を引き絞る。
頬にかかった髪を振り払い、鋭く狙いを定めた。
キィン!
また弾かれる。
「っ……!」
さらにもう一射。
キィン!
三本目が逸れた、その刹那。
シンの姿だけが、音もなく間合いを詰めてくる。
「……!」
フレアの瞳が揺れる。
反射的に背を反らし、しなやかな身体が弓なりに逸れる。
ヒュン――
シンの剣閃が鼻先を掠めるように横へ滑る。
風圧が頬を打ち、赤い髪がばさりと散った。
フレアは着地と同時に片足を引き、砂を噛んで距離を取る。
口元には笑みを残したまま、喉の奥の呼吸だけがわずかに熱を帯びていた。
そのまま、シンの影が懐へ入り込む。
肩が触れそうな距離。
耳元へ、低い声が落ちた。
「……お前の弓は正直すぎる」
吐息がかすかに耳を撫でる。
「精密ゆえに、読みやすい」
「ひっ……!」
フレアの肩がびくりと跳ねた。
耳まで赤く染まりかけるのを、すぐに怒気で塗りつぶす。
「言ってくれるじゃない……!」
弓を肩にかけ、腰のナイフを瞬時に抜き放つ。
ギィィィン!
振り抜かれた刃を、シンの剣が受け止めた。
火花が二人の間で散る。
だが、フレアは止まらない。
「まだっ!」
左足を踏み込み、身体ごと距離を詰める。
返す刃が下から跳ね上がり、喉元を狙った。
キンッ!
シンは手首だけで軌道を外す。
「それっ……!」
続けざまに横薙ぎ。
キィン!
さらに逆手へ持ち替え、懐へ潜り込みながら突き上げる。
ガキッ!
一撃ごとに角度を変え、呼吸の隙間へ針のように刺しこんでいく。
だが――
シンは一歩、また一歩と後ろへ下がるだけだった。
最小の動きで受け、流し、逸らす。
刃をぶつけず、力を殺し、
まるで降りかかる雨粒を、袖先で払うように、フレアの猛攻を捌いていく。
「余裕ぶってるつもり!?」
フレアは挑発するように笑う。
だがその額には、うっすら汗が滲み始めている。
シンの表情は変わらない。
息も乱れない。
その静けさが、かえってフレアの闘志へ火を注いだ。
「……っ、この!」
踏み込みをさらに深くする。
肩を沈め、死角へ潜り込みながら斜めに裂く。
その時だった。
シンの視線が、わずかに横へ流れる。
同時にふっと、抵抗が消えた。
「……え?」
ナイフの先が空を切る。
流れが途切れた、その刹那。
すっ、と伸びたシンの左手が、
フレアの手首を掴んだ。
「あ、ちょっ……!」
引かれる。
強引さはない。
けれど、逆らえば逆らうほど深く絡め取られるような角度だった。
身体の軸が崩れ、足元の砂が遠のき、景色が傾く。
くるり、と世界が裏返る。
赤い髪が花弁のように広がり、宙へ舞う。
だが、フレアの瞳は消えない。
「何すんのっ!」
回された勢い、そのすべてを奪い返すように、身体をしならせる。
掴まれた腕を軸に、もう片方の肩を振り抜き、
全身ごとナイフを薙いだ。
ヒュッ――!!
同時に、シンの身体も静かに回る。
黒衣が翻り、抜き身の剣が月弧を描く。
ギィィィィンッ!!
交差した刃が、二人の中心で火花を咲かせた。
衝撃が散る。
互いの顔が、一瞬、目の前まで近づく。
フレアの瞳は熱を帯び、
シンの瞳は、湖面のように静かだった。
シンが軸足を滑らせる。
フレアもまた踵を支点に、反対へ回る。
赤い髪が弧を描き、
黒衣の裾が風を裂く。
キィン! キィン! キィィィンッ!
紅と影の軌跡が、二つの輪となり、幾度も離れては交わる。澄んだ刃音は重なっては弾け、火花を散らしながら、妖美な円環の紋様を地に描いていく。
その異様な攻防に、広場の空気がざわめいた。
「な、なんだあれ……!」
「戦ってるのか……踊ってるのか……!」
志願者たちの驚嘆の声が広がる。
フォルドは口を半開きにしたまま固まっていた。
「……おかしい……だろ!?」
その隣で、ネレクは無言で目を閉じる。
少し離れた人垣の外では、ジェミルが肩を震わせ吹き出した。
壇上では、グレイブが呆れたように肩をすくめる。
「まるで演舞だな……」
ユリウスは何も言わない。
ただ口元だけが、ほんのわずかに緩んでいた。
「足元だ」
フレアの耳元へ、低い囁きが落ちる。
次の瞬間、踵を払われた。
「きゃっ――!」
倒れる寸前、腰へ腕が回され、引き寄せられるように支えられた。
フレアの鼓動が跳ねる。
「わわ……!」
すぐに手を離される。
フレアは砂を蹴って飛び退き、頬を赤くしたまま睨み上げた。
「……ふざけてるの!?」
怒りか、羞恥か、自分でもわからない熱が声に混じる。
「戦っている」
シンは眉ひとつ動かさず答えた。
そのまま身体を返し、追撃の刃を振るう。
キィィン!
フレアも反射的に回り込み、ナイフで弾く。
「……殺す!」
ナイフを構え直し、唇を尖らせる。
シンは一歩も引かず、静かに言った。
「そういう軽口はいい」
「はぁ!?」
シンの眼差しが、わずかに細くなる。
次の瞬間――
ブォンッ!!
剣が大きく宙で薙がれた。
巻き起こった風圧が、砂を跳ね上げ、フレアの赤い髪を激しく揺らす。
「……っ!」
思わずフレアが目を細め、腕で顔を庇った、その刹那。
シンの姿が消えた。
「上だ」
「――上!?」
反射的に顔を上げる。
黒い影が、空中で身体を捻りながら、真下へ剣を振り下ろしてくる。
ヒュオッ――!!
「あっぶ!」
フレアは横へ転がるように飛び退いた。
肩から砂を浴びながら、しなやかに受け身を取る。
ドォン!!
剣が地を打ち、砂煙が爆ぜる。
「休む暇はない」
着地したシンが、そのまま追う。
低く滑るような踏み込み。
返す刃が横へ走る。
「右」
「はっ!?」
ブン!
フレアは腰を落とし、髪先だけを掠めさせてかわす。
次いで逆袈裟。
「下から」
「ほっ……!」
半歩だけずれ、足首の返しで逃れる。
さらに突き。
「前」
「分かってるってば!」
首を傾け、紙一重で外す。
「ちょ、っと……!」
息を弾ませながらも、口元にはほのかに笑みが浮かんでいた。
「退けてみせろ」
シンの声は低く、淡々としていた。
剣閃が次々と空気を裂く。
赤い髪が翻り、足先が砂を散らす。
フレアは跳び、沈み、捻り、舞うようにその猛攻をかわしていく。
「あったま来た……!」
迫る刃の下を潜り抜ける。
「その澄ました顔――何も感じてないふり、上手いわね!」
一瞬。
シンの振り抜きに、わずかな空白が生まれた。
フレアの瞳が光る。
「もらっ――」
ナイフを振り上げた、その瞬間。
ぐい、と腕が引かれた。
「……え?」
視界が反転する。
地面と空が入れ替わり、身体が前へ崩れる。
だが落ちた感触はない。
気づいた時には――
フレアはシンの腹の上に跨っていた。
「……は?」
下には仰向けに倒れたシン。
その喉元へ、フレアのナイフがぴたりと添えられている。
数拍遅れて、広場が静まり返る。
「……え?」
「い、今どうなった?」
志願者たちのざわめきが爆ぜる。
フレアは目を丸くしたまま、瞬きすら忘れていた。
シンは地面に横たわったまま、わずかに眉をひそめ、フレアと目が合う直前、静かに目を閉じた。
何かを胸の奥へ、そっと仕舞い込むように。
ヘルモーズが一拍置き、喉を鳴らす。
「――そこまで!」
手が振り上がる。
「勝者――フレア!!」
どっと歓声が上がった。
「うおおおおっ!!」
「やったぞフレア!! 決勝進出だ!!」
歓声の中、フレアはなお固まったまま、シンを見下ろしている。
「……ちょっと」
頬を赤くし、眉を寄せた。
「これ……私に花持たせたつもり??」
「……」
シンは答えない。
その顔を見て、フレアの胸がまた妙に騒いだ。
「……なに、それ。あんた一体何者?」
フレアはまた口を尖らせながら、ナイフを収め立ち上がる。
シンも静かに身を起こし、砂を払った。
その横顔は最初からずっと淡々としていたが、フレアにはそれが少しだけ悔しかった。
『灯の断章 外伝 〜赤い髪のフレア〜』を読んでいただき、ありがとうございます。
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