雷刃と石の巨人
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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ガイウスは、静かに槍を構えた。
三又の穂先が空気を薄く裂く。足幅は変わらず、重心もぶれない。呼吸は浅く一定で、視線だけが、目の前の巨体をまっすぐに射抜いていた。
対するウルグニルは、わずかに肩を落とし、喉の奥で楽しげに笑った。
「ぐはははっ……!
このまま殴るだけじゃ、届かねぇか」
古傷に覆われた太い右腕を、大きく一度回す。肩の関節が鈍く鳴り、肘が応じるように噛み合う。続けて左腕も同じように回し、関節をほどいていく。
そして最後に、両腕をガンッと、強く打ち鳴らすと、
そこにいた志願者たちは思わず頬を打たれたように目を細める。空気そのものが押し広げられたような感覚があった。
次の瞬間、ウルグニルは動き出す。
砂を蹴散らし、地面を踏み荒らしながら、巨体が一直線に間合いを潰す。まるで巨石がそのまま転がり込んでくるような圧だった。
「これならどうだァ!!」
振り上げられた拳が唸る。
ガイウスの瞳が、わずかに細くなる。槍が僅かに沈み、穂先が拳の軌道へ重なった。
ガンッ!!
柄で受け止める。
「……はぁっ!」
短く息を吐き、そのまま押し返す。
間髪入れず、ウルグニルの左腕が横薙ぎに走る。
「おらぁ!!」
ガイウスは半歩だけ身を引いてかわす。
さらにウルグニルの右腕が唸る。
ガイウスはそれを槍でいなし、体を捻り、ウルグニルの側面へ滑り込んだ。
「――かかったな!!」
その瞬間、振り抜いたはずの腕が鞭のようにしなり、軌道を変える。
ガッ!!
槍が弾かれ、ガイウスの眉がわずかに動いた。
「くっ……!」
ウルグニルの瞳孔が、獲物を捉えた獣のように開く。
「勝ったぁぁッッ!!」
間合いが消え、拳が届く。
――はずだった。
バチッ。
「……ッ!?」
一瞬、筋肉が硬直し、指先が痺れる。
力の流れが途切れた、その刹那――
「遅い、と言っている……!」
低く冷たい声が落ち、空気がぴたりと張り詰めた。
ガイウスの振りかぶった槍の刃先に、小さな光が絡みついた。
次の瞬間。
ガイウスの身体が、振り子のように回る。
「招雷旋打槍ッ!!」
ドォォンッ!!
衝撃が逆流し、ウルグニルの視界が弾ける。
「ぐはぁぁぁッ!!」
光が散り、巨体が再び宙へ舞った。
――
壇上で、グレイブが身を乗り出し、試合場を指差しながら、愉快そうに喉を鳴らす。
「はっは。お前の息子、いいフルスイングだ。
あのデカブツ、また吹っ飛んだぞ!」
「……」
その隣で、ユリウスは帳面に目を落としたまま、わずかに目を細めた。
「しかし何だ?」
グレイブは顎をしゃくり、視線をウルグニルに向ける。
「あのデカブツも、今のは一発入れるチャンスだったろ。図体だけで動きが鈍いな」
ユリウスの筆が、ほんの一瞬だけ止まった。
「鈍いのではありません。動かせなかったのですよ」
静かな声。顔は上げない。
「は?」
グレイブの眉が、ぴくりと動く。
笑みが、わずかに消える。
「生体電位の乱調です。筋肉へ送られる命令が、一瞬狂ったのでしょう」
ユリウスは短く、断じるように言う。
「生体電位……?なんだそれは……」
グレイブは眉間に皺を寄せた。聞き慣れない言葉に訝しげな目を向けるが、ユリウスは視線を返さない。
ただ、静かに瞼を閉じた。
「……ある日のことです」
低く、抑揚の薄い声だった。
「私と妻は、まだ幼かったガイウスを連れて、町外れの林へ出ていました」
その口調はいつも通り淡々としている。
呼吸がわずかに深くなる。
グレイブは笑みを消し、背筋を少しだけ正して、無言で耳を傾ける。
「ですが、ほんの目を離した隙……。
気づけば、ガイウスの姿が見えなくなっていた」
グレイブの目がわずかに泳ぐ。
ユリウスはなおも目を閉じたまま、記憶の底をなぞるように続ける。
「探しているうちに、雨が降り始めました。はじめは細い雨でしたが、やがて一気に強まり……
その激しい雨音の中で、かすかに、子どもの泣き声が聞こえたのです」
帳面が静かに伏せられる。
「大きな木の下で……ガイウスは、雨を避けるように体を丸めて泣いていました」
空気が、沈む。
「その時です」
グレイブの喉が、かすかに鳴った。
「雷鳴が……唸るように鳴り響きました」
ユリウスの眉が、ほんの僅かに寄る。
「このままでは木に、落ちる」
ユリウスの指先が、帳面の縁を静かに押さえた。
「そう理解した私は、すぐに名を呼び……
駆け寄ろうとした」
わずかに、肩が揺れる。
「ガイウスも顔を上げ、こちらに気づいた。
……父上、と私を呼び、震える足で、一歩踏み出しました」
間が落ちる。
「だが、遅かった」
言い切る。
「木は、避雷針となり――雷は、そこへ落ちた」
グレイブの目が、わずかに見開かれる。
息を飲む音が、小さく漏れた。
「それで……まさか……死んだのか!?」
声が低くなる。
だが、ユリウスはそこでゆっくりと目を開いた。無表情のまま、真正面からグレイブの顔を見た。
「生きていました」
一拍置き、続ける。
「瀕死の重体でしたが、灯と、妻の看病のおかげで、ガイウスは一命を取り留めた」
その言葉に、グレイブの肩からわずかに力が抜ける。
「ああ……なるほどな」
小さく息を吐く。
「ただ――」
その一言で、グレイブの顔が再び上がる。
眉が寄り、視線が鋭く戻る。
ユリウスの指先が、わずかに強張る。
「目を覚ましたガイウスは、微力な雷を宿した身体になってしまった。その影響で、彼が触れたものには痺れが走るのです」
グレイブはしばし沈黙する。それから、ほんの少しだけ口角を上げた。
「……雷刃の槍使い、か」
低く呟く。
「そして、それ以来――
息子は二度と泣かなくなった。
哀を……失くしてしまったのです」
そう言い終えると、ユリウスは何事もなかったかのように視線を帳面へ戻した。まるで今の話など最初から存在しなかったかのように、整った手つきで紙面を開く。
グレイブはしばらく黙り、試合場へ目を向けた。
そこにいる少年を――
その奥にある何かを、見抜こうとするような重い目で。
――
ズンッ。
ウルグニルが起き上がる。
指が地面に食い込み、腕が遅れて震える。
「ぬぅ……」
視線を落とし、掌を見る。指先に、ビリビリと細かな痺れが走る。
「……ッ。雷、か」
口の端を歪める。
「面白ぇ。今のはビビったが……
この程度の子供騙し――」
大きく息を吸い、吐く。
胸郭が膨らみ、全身の筋肉がピクピクと跳ねた。
拳を胸の前に突き出し、指を握り込む。
「耐えりゃいい!」
その目に確信が宿る。
ドンッ!!
再び踏み込む。
「石の心臓を持つ男!!
このウルグニル様に、そんなものは関係ねぇ!!」
ガキィンッ!!
槍とガントレットが正面から噛み合い、青白い火花が散った。
バチッ!
ウルグニルの顔が一瞬だけ歪むが、すぐに歯を剥き、口角が吊り上がった。
「がはは……!
効かねぇっつってんだろォ!!」
さらに腕へ力を込める。
ガントレットが、ギリ、と軋む。
ガイウスの足元で、砂がじりじりと押し潰されていく。
それでもガイウスの表情は変わらない。槍の角度をわずかに外し、短く息を吐いた。
「はぁぁっ!」
今度はウルグニルの足元で、砂が押し返される。
「ぐうぅ……」
頬が引き攣る。だが、笑みは消えない。
「やるじゃねえかッ!!」
押し込む右腕の筋肉がさらに膨れ上がり、太い血管が、皮膚を押し上げ脈打った。
――その瞬間。
ガンッ!!
力任せに槍を弾く。勢いのまま、左腕を横殴りに唸る。
「こいつはどうだッ!!」
ガイウスは顎を上げ、上体を紙一重で外す。
ウルグニルの左腕が鼻先を掠め、風圧が金髪を揺らした。
「まだだァ!!」
返しの右腕が来る。
ガイウスは軸足を入れ替え、槍の石突を地に滑らせるように引いた。
ガッ!!
拳が柄に当たる。
バチィッ!!
痺れが右腕を走る。
「ッ……!」
ウルグニルの右肩が不自然に跳ねる。
それでも、止まらない。
「おらァァァ!!」
ガイウスは柄を返し、無理やり押し込まれる力を、そのまま斜めへ逃がす。まるで暴れ馬の首を、最小の手綱でいなすように。
「……甘い」
ウルグニルの重心が、わずかに前へ流れた、その脇を
ガイウスが抜けた。
「なっ――」
次の瞬間。
ドンッ!!
槍の柄が、肋の下へ叩き込まれる。
「ぐぅッ!!」
巨体が横へ滑る。
足が地面を抉り、砂が大きく跳ね上がった。
だが、効かない。
半身を沈めたまま、ウルグニルはぎり、と顔を上げる。歯の隙間から荒い息を漏らし、口元だけが歪む。
「……くく……!」
ゴキ、ゴキ、と肩を鳴らす。
「最高じゃねえか……!」
――
遅れて、試合場の周囲に風が吹き抜けた。
「うっ……!また風圧が……!」
衝突の余波に、志願者たちは思わず顔を庇う。砂が頬を打ち、衣服の裾を鳴らした。
フレアは目を細め、腕で顔を守りながら、信じられないものを見るように二人を見つめた。
「……あの二人、すごい威圧感。
ほとんど互角の戦い……?」
視線を戦場へ固定する。
その時――人垣の向こうに、一瞬だけシンの姿が見えた。紛れるように立ち、ただ一点、ウルグニルの右腕だけを追っている。
「……?」
胸に引っかかる違和感。
フレアも同じ箇所へ視線をなぞる。
衝突。
バチッ、と空気が弾ける。
その直後――
ウルグニルの右腕が、わずかに跳ねた。
拳の軌道が、ほんの僅かに逸れる。踏み込みと打撃が噛み合っていない。
「……あ」
フレアの瞳が開く。
「……違う……!
ウルグニルの方が、削られている……!?」
――
「まだまだァ!!」
ガンッ!!
槍とガントレットが噛み合う。
バチィィ!!
衝突のたび、青白い閃きが弾ける。
拳が走る。
ブンッ!!
槍が受ける。
ガンッ!!
流す。
逸らす。
バチバチッ!!
「ああ?」
ウルグニルの目が揺れる。右手が勝手に開き、胸の奥でひびが入るような音がした。だが気にもせず、すぐに吠える。
「何でもねぇ!!」
無理やり握り込む。筋肉を、力でねじ伏せるように。
ガイウスは、静かに構えを戻した。その視線は相変わらず冷たい。だが、先ほどよりも心なしか深い。
広げた間合いの中で、ウルグニルを見据えながら、低く呟く。
「……こんな頑丈なやつは、初めてだ」
ほんの小さな笑みが、その口元にだけ浮かんだ。
それを見てもなお、ウルグニルの興奮は増すばかりだった。
「俺は石の心臓を持つ男、ウルグニル!!
お前の様な強え奴と、やり合う為に来たァ!!」
ドンッ!!
だが、決着はそのすぐに訪れた。
ウルグニルは右腕を、渾身で振りかぶる。
左脚が地面を掴み、腰が回り、肩が前に出、上腕が引かれ、前腕が走る。
……バチッ。
瞬間、その内側で――弾けた。
バチバチバチバチィッ!!
小さな痺れではない。針をばら撒かれたような痛みが、一斉に右腕を駆け上がる。
「……あが!?」
ドクン、ドクン。
石の心臓が、異様な速さで脈打つ。押し出された血とともに、得体の知れない異常が右腕へ流れ込んでいく。
「お、おい……!」
指が大きく開き、手首が逆に折れ、
肘が不自然に内側へ引かれる。
「待て待て待て待て!!」
初めて、ウルグニルの顔から笑みが消えた。
筋肉が、人の制御を外れて暴れ始める。
ゴキ……。
ゴキゴキゴキッ!
「や、やめろ……!」
骨の軋む音が連なり、次の瞬間、肘があり得ない方向へ折れ曲がった。
ゴギンッ!!!
「――ぐわああああああああッ!!」
絶叫が場を裂いた。
「腕が!! 俺の腕がァァァ!!」
右腕がだらりと垂れ下がる。ガントレットが空しく鳴り、指は意思と無関係に痙攣し続ける。
志願者たちは息を呑み、悲鳴すら飲み込んだ。
「ひっ……!」
「な、何が起きているんだ……!?」
フレアも思わず、口元を押さえる。
壇上でグレイブが呟く。
「何だ?自爆か?」
ユリウスは、短く答えた。
「……右腕に蓄積した雷が、彼の意思とは無関係に、筋肉を誤作動させています」
一拍。
「耐え続けた、その結果です」
言葉が落ちきるより早く、ガイウスが踏み込んだ。
「終わりだ」
顎が締まり、槍が静かに振りかぶられる。
刃先に小さな稲妻が絡みつく。
「……来るな……やめろ……!」
その腹に、苦痛で歪んだウルグニルの顔が映った。
「招雷断打槍ッ!!」
ドォォンッ!!
衝撃が、叩き込まれる。
「がはぁぁッ!!」
巨体が、またしても宙へ舞った。
今度はもう、受け身も取れない。
ズドォォォォンッ!!
地面に叩きつけられ、そのまま動かない。
静寂。
砂煙がゆっくりと落ちていく中、ガイウスは何も変わらぬ顔で立っていた。槍を下ろし、呼吸一つ乱れていない。
遅れて、ヘルモーズの声が響く。
「勝者――ガイウス・バルナーク!!」
ようやく場が沸き返る。
フレアは乾いた喉を鳴らし、目を細めたまま呟いた。
「うるさいだけじゃ、ないってことか……」
シンは無言で、ガイウスを見る。
倒れたウルグニルの前に立ち尽くす金髪の少年。
その視線が、ほんのわずかに落ちる。
だが、それ以上は何もなかった。
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