金色の息子
本作は『灯の断章 〜ココと記録の塔〜』の外伝ですが、単体でも読める作品にしています。
ただし、もし少しでも「灯とは?」「記録官とは?」
と気になる部分がありましたら、本編でより深く描いています。
興味を持っていただければ、ぜひこちらからどうぞ。
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地面に、乾いた音が響いていた。
しゃ、しゃ……。
記録官たちが無言で箒を動かしている。
一人が掃けば、別の者がならす。
踏み荒れた地面は均一に均され、乱れた砂が、まるで最初から存在しなかったかのように消されていく。
二つに分かれていた円は、ひとつに重なり、四方には敗れた志願者たちが整然と立ち並ぶ。
試合場が淡々と整えられていく。
わずかに離れた場所で、
ジェミルは一人、立っていた。
その目が、箒の動きを追う。
「……綺麗にするねぇ」
風はない。
だが、空気だけが張り詰めていた。
第一班から第四班まで。
勝ち残った代表者四名が、円の中央に並んだ。
「誰が優勝すると思う?」
「ウルグニルだろ」
「シンは読めない」
「フレアもなかなか……」
志願者たちの小さな囁きが、足元でくぐもる。
「どうせ優勝はガイウス様に決まってる。
北の宿舎町一の名家だぞ……」
フォルドは俯いたまま、唇の端だけを動かした。
「……」
ネレクは答えない。
ただ、瞬きもせず前を見据えている。
「シンか、あの女か……。
どちらが勝ち上がっても、所詮村の出が、ガイウス様に勝てるわけがねぇよ……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
ネレクの視線は動かない。
中央の四人――その並びだけを、捉えている。
第一班代表。
金色の上級記録官ユリウス・バルナークの息子。
ガイウス・バルナーク。
風もないのに、その髪だけがわずかに揺れる。
胸を張り、視線はただ一人――壇上で座る父、ユリウス・バルナークへ向けられていた。
周囲に立つ者たちのことなど、最初から視界に入っていない。
第二班代表。
石の心臓を持つ巨漢。
ウルグニル。
その場に立っているだけで、地面がわずかに軋む。
にやりと歯を剥き出し、拳を固め、肘を引き絞る。
その瞬間、全身の筋肉が、膨れ上がる。
皮膚の下で、力が蠢いていた。
第三班代表。
黒髪の少年剣士。
シン。
これまでの戦いを、乱すことなく勝ち進んできた。
誰とも視線を合わせず、瞳は閉じられ、
呼吸だけが、静かに整っている。
第四班代表。
ティノ村出身、赤い髪の狩人。
フレア。
片足に体重を預け、軽く首を回す。
張り詰めた空気の中で、
胸の奥が、じわりと熱を帯びていく。
――記録官に、あと少しで届く。
その実感だけが、確かにあった。
四者四様。
その時、壇上で金色の上級記録官ユリウス・バルナークが立ち上がった。
外套が静かに揺れ、金の装飾が光を拾う。
隣に座していたヴァルターは、
視線だけを横へ流し、その動きを捉える。
グレイブは頬杖をついたまま、その視線だけは鋭く、ユリウスの背を、逃さず追っていた。
その場にいる全員の視線がユリウスに集まる。
空気が一段、引き締まる。
ユリウスは一歩前に出ると、静かに顎を引き四人を見下ろした。
「ここに揃ったのは、各班で勝ち残った選りすぐりの志願者たちです」
言葉がそのまま場に沈み、
誰一人として動かない。
ユリウスは、一度目を閉じ、細く見開いた。
それが、応答の代わりだった。
「ですがまだ、記録官になることが確定した訳ではありません」
視線が、順に四人をなぞる。
ガイウスの前で、ほんの刹那だけ止まる。
そのまま流れるように視線を戻す。
「各々最後まで全力を尽くし、己が価値を証明してみせなさい」
空気が、張り詰める。
ガイウスは静かに拳を握り締めた。
ほんの一瞬、奥歯を噛み、視線は壇上の父を外さない。
その端で、フレアの眉がわずかに寄る。
軽く流すように、ユリウスの指先がわずかに動いた。
「なお、優勝した志願者は――」
そこで初めて、
ほんのわずかに口元が緩む。
「今年の主席として記録され、
一つだけ要望を聞く場を設けましょう」
その言葉に、ほんのわずかに空気が揺れた。
ウルグニルは、鼻息を荒く鳴らす。
胸が上下し、その巨体がわずかに軋む。
シンは変わらない。
ただ、呼吸が一度だけ深く沈む。
「……」
そして、フレアの中に、声がよぎった。
――いいか、フレア。
ティノ村の、父ガロンの声。
――記録官になれば、
お前も、ティノ村も、
冬ごとに灯に怯える暮らしとは無縁になる。
胸の奥が、わずかに熱を帯びる。
続けて――
――灯が足りなくて……夜、眠れない子もいて……。
フィオナの震える声。
――だから……記録官になれたら、
灯を……少しでも……回してもらえるんじゃないかって……。
その言葉が、
胸の奥に、重く沈む。
そして――
――灯が減ればどうなると思う。
スカルの低い声が、割り込む。
――強い奴が灯を持っていく。
弱い奴から干からびる。
――まるで餌に群がるクソ虫だ。
一拍。
――力がなきゃあ、生き残れねぇんだよ。
その言葉が、鋭く突き刺さる。
フレアの呼吸が、わずかに乱れた。
目の前の光景と、
頭の中の声が、重なる。
「……っ」
次の瞬間。
フレアは、強く唇を噛み締めた。
「以上です」
ユリウスはそう告げると、何事もなかったかのように背を向け、静かに席へと戻った。
入れ替わるように、
四人の背後からヘルモーズが前へと出る。
右手が、ゆっくりと上がる。
「それではこれより、準決勝第一試合を行います」
その一言で、張り詰めていた空気が一気に波打った。
シンは無言のまま、歩き出す。
一歩ごとに、周囲のざわめきが大きくなる。
フレアも遅れず動く。
赤い髪がふわりと揺れ、彼女は距離を取るように位置を変えた。
すれ違いざま、フレアは一瞬だけ、シンの横顔を盗み見る。
閉じた瞳。
揺れない呼吸。
「……次、私の相手はあいつか……」
フレアの胸の奥に、言葉にならない何かが引っかかる。
「……なんか」
小さく息を吐き、
視線を逸らす。
「変なやつ」
残る二人の間に、わずかな空白が生まれる。
その空白を切り裂くように――
「――ガイウス・バルナーク!」
呼ばれた瞬間、
ガイウスの足先が静かに向きを変える。
父へ向いていた視線が、
すっと中央へ落ちる。
三又の槍をくるりと持ち替えると、胸が一度だけ、深く上下した。
「ウルグニル!」
ドン、と地面が、軋む。
ウルグニルの口元が歪み、
喉の奥から低い笑いが漏れた。
「ぐはははっ……待ちわびたぜ!」
周囲の志願者の何人かが、思わず一歩下がる。
その圧に、空気が濁る。
ウルグニルは、腰に下げていたガントレットを引き上げると、革紐を噛み、乱暴に引き締めた。
ぎちり、と金具が鳴る。
指を開く。
握る。
また開き、握る。
ばき、ばき、と関節が鳴るたび、
近くの志願者たちは顔をしかめる。
フレアは志願者の輪の中で、
口の端をわずかに曲げた。
「……そういやさ、
初めて見た時、うるさい奴いるなって思ったけど」
視線がウルグニルから、槍を持つ金髪の少年に向く。
「……あいつが、あの髭親父の子どもか」
ガイウスの髪がかすかに逆立つ。
空気が、わずかに張りついた。
――その間を裂くように、
ウルグニルは、にやりと歯を剥き、口を開く。
「上級記録官ユリウス・バルナークの息子、ガイウス・バルナーク」
舌で歯をなぞる。
「相手にとって不足はねぇ。
まさか、こんな上玉をボッコボコにぶっ壊せるとはなぁ……」
一歩、踏み込む。
地面が、ミシっと軋む。
ガイウスは動かない。
視線だけが、真っ直ぐに相手を捉えている。
瞬きすら、ほとんどない。
「ぐはははっ。
その細い槍で、俺様のこれを受ける気か?」
ウルグニルは拳を軽く打ち合わせる。
ガンッ。
鈍い金属音。
「砕けるのはどっちか、試してやるよ!」
ガイウスは、静かに槍を構えた。
三又の穂先。
その刃が、わずかに空気を震わせる。
ビリッ、と。
ほんの微かな違和感が、周囲の空気に混じった。
「始め!」
ヘルモーズの声が落ちる。
ダァンッ!!
ウルグニルが踏み込む。
顔を歪め、歯を剥き出しにしたまま――
「潰れろォ!!」
振り下ろされる拳。
風を裂き、空気が唸る。
だが――
スッ。
ガイウスの体が、紙一枚分だけ外れる。
足運びに無駄はない。
視線も、揺れない。
ブンッ!!
ウルグニルの拳は空を切り、次の瞬間。
ガンッ!!
鈍い衝撃が、遅れて叩き込まれる。
ガイウスの槍の柄が、
すれ違いざま、ウルグニルの胴を背後から打ち抜いていた。
「――ッ!?」
ウルグニルの目が見開かれる。
巨体がわずかに浮き、そのまま前方へ――
頭から弾き飛ばされる。
「ぐわぁぁぁッッ!!」
ズドォォォォンッ!!
地面に叩きつけられ、砂煙が一気に巻き上がった。
下半身だけがぴくりと持ち上がり、
ウルグニルの身体が不格好に折れ曲がる。
一瞬の静寂。
誰も、すぐには声を出せなかった。
壇上。
「――はっ」
短い、吐き出すような笑い。
グレイブは片腕をぶん、と軽く振り、
口元を大きく歪ませる。
「いいじゃないか。
あのデカブツが、ああも軽く吹っ飛ぶとはな!」
肩を揺らし、喉の奥で笑う。
「今のは“当てた”んじゃない――」
わずかに顎をしゃくり、人差し指を立てて隣へ声を投げる。
「“置いた”な」
隣でユリウスは顔を上げない。
「……ああ。そうですね」
短くそれだけ返し、手元の帳面へさらさらと筆を走らせる。
だが、ページを繰るその指先が止まるほんの一瞬。
視線だけを、場の中央へ向けた。
ガイウスは振り返ると、ふっと息を吐き、
手首の返しだけで槍をくるりと回した。
金色の髪が揺れ、視線は倒れたウルグニルへ。
「――遅い」
わずかに顎を引き、槍の柄を肩に軽く乗せる。
「その程度で、
このガイウス・バルナークに、届くと思うな!」
――ぎしっ。
ウルグニルの指が、地面を掴んだ。
「……ぐ、ぅ……」
低く、潰れた声が漏れる。
顔を押し付けたまま、
指先が土に食い込み、砂がわずかに軋む。
腕で地面を押し、上体を引き剥がすように持ち上げ、
そのまま、ゆっくりと立ち上がった。
砂が、ぼろぼろと崩れ落ちる。
ゴキ、ゴキ、と首を鳴らす。
ウルグニルは振り返ると、口元から血を拭い、にやりと歯を剥いた。
「……効かないねぇ……」
その目は、さっきよりも明確にガイウスを捉えていた。
――噛みつく場所を探る、獣のように。
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