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6.呉越同舟って程でもないか

 霧島郁美は運行部署の男性社員と話していた。突然やって来たその男性社員はまだ新人で、霧島と同期だった。恐らく、それで話しかけ易いと判断したのだろう。彼女は彼とほとんど会話した事がなかったのだが。

 始め、穏便に話していた霧島の口調は徐々に険のあるものに変わっていった。何故なら、それはほとんど苦情のようなものだったからだ。

 「だから、このマスタ管理用のファイルの利用方法を教えて欲しいんですよ。DBで持っているものを、どうしてわざわざ外出しにしてあるのか」

 彼はそんな事を訴えていた。どうも彼は今あるシステムのマスタデータを修正する仕事をしているらしいのだが、そこで修正しようとしているデータの内容がまとめられてあるファイルを発見してしまった。道理で言えば、そのファイルも修正するべきなのだろうが、その理由も目的も分からないし、何よりも工数がかかる。それで本当にそんな必要があるのか、彼は運行部署に聞きに来たようなのだ。

 霧島はそのシステムに軽くしか関わっていない。だから運行体制も理解していないし、マスタデータを管理しているファイルが存在している事すら知らなかった。そんな質問をされても困るのである。

 「あなたは聞く人を間違えています。私はこのシステムにあんまり詳しくないんですよ」

 苛立った口調で彼女はそう返すと、誰に質問するべきかを考える。だが、誰がそのファイルについて知っているのかすら彼女には思い浮かばなかった。それで、「ちょっと待っててください」と言うと、そのファイルを選択してCVSサーバへと接続し、更新履歴を確認してみたのだった。

 そのファイルは共有サーバで管理されてあるので、その履歴を確認できるのだ。それから誰が初めにサーバに上げたのかを見て、霧島は首を傾げた。

 「こんなIDの人、うちの課にいたかしら?」

 そこに表示されたIDに覚えがなかったからだ。

 それで今度は社内システムを利用してIDで検索をかけ、その社員が誰なのかを確かめてみた。

 「これ、うちの課の人じゃないわよ?」

 そして、出て来た名前を見てそう呟く。

 そのタイミングで、隣に座っていた村上が「何しているの?」と、その会話に割って入って来た。

 事情を聞き終えると、こう言う。

 「ああ、そのマスタ管理ファイルを作ったのはうちの課じゃないよ。開発部署で作ったはずだけど?」

 それを聞くと、男性社員は顔を青くする。

 「え? そうなんですか?」

 「うん。一応、うちでも更新してはいるけど、本当に必要な資料かと訊かれたら分からないな。どうして作ったのかは、そっちの課の人達に訊いてくれない?」

 その村上の言葉に「失礼しました!」と頭を下げると、その開発部署の新人男性社員は慌てて逃げるように去っていった。

 そんな姿を冷ややかに見つめながら、霧島は呟くようにこう村上に質問する。

 「この資料、本当に必要あるかどうか疑っているんなら、どうしてわざわざ更新したりしているんですか?」

 軽く頭を掻きながら、村上はそれにこう答える。

 「だって、わざわざ開発部署が運行資料として用意してくれたもんを無下に扱えないじゃんか。質問するのも嫌味になるしねぇ。

 ま、完全にうちでこのシステムをコントロールしているっていうなら、捨てるのも考えるけど、現状は向こうも改修の仕事なんかでまだまだ関わっているし」

 それを聞き終えると、霧島は誰にともなくこう言った。

 「あの…… 一回、訊いてみたかったんですが、運行部署と開発部署の関係ってどんなもんなんですか?」

 仲が悪いのか良いのか。

 それには麻倉が答えた。

 「良くも悪くも“なぁなぁ”の関係だと私は思っているわよ」

 「仲が良いって事ですか?」

 「悪くはないわね。と言っても、まぁ、そこは人間関係だから色々あるけど、お互いに貸しがあるし、協力し合わなくちゃ色々としんどいしで、穏便にスルーし合っているってところかしら?」

 それを受けて木戸が説明を追加する。

 「ほら、うちの場合、開発部署がちゃんとした引継ぎ資料とかあまり作ってくれないだろう? 書いたソース(プログラムのこと)の説明だって稀にしかしてくれない。もちろんそれは、そういった作業に物凄く工数がかかるから割愛しているんだが、本来はなくちゃならないものだ。システムを引き受けて運行しなくちゃならないうちとしては大いに困るね。

 が、その代わり、開発部署はトラブル発生時には積極的に協力してくれるんだ。決してうち任せにはしない。引継ぎ資料や運行資料があるよりも、そっちの方がうちとしても助かるから文句は言い難いんだな。

 隣のフロア同士で仕事をしているからこそできる体制で、この方が色々と便利だ。もちろん、ベストな状態とは言い難いが」

 その説明に霧島は大きく頷いた。

 「なるほど。“良くも悪くもなぁなぁ”ですね」

 「そ」とそれに麻倉。

 その後で、霧島は「呉越同舟って程でもないか」と小さく呟いた。その微かな声を拾った村上は、“多分、あの事なんだろうなぁ”とそう思っていた。

 

 ――あの事。

 

 先日のミーティングの際、「それだよ!」と発した自分の声に対する皆の疑問の視線を受けた城之内は、自信たっぷりの口調でこんな事を言ったのだった。

 「仕事を奪われると開発部署の連中が嫉妬しているっていうのなら都合が良いじゃないか。如月さんが担当するプロジェクトは、運行部署と開発部署の共同という事にしてもらえばいいんだ」

 それに浦田がこう返す。

 「つまり、開発部署にも仕事を担当してもらって、こっちの負担を減らそうっていうのか?」

 「ああ、責任を分散できるし、開発部署に仕事をやってもらえば、如月さんでもプロジェクトを成功させられるだろう。

 もちろん、こっちの業績はそれ以上にアピールするが」

 それを聞くと、おずおずと如月が手を挙げる。

 「あの…… 業績はやっぱり仕事内容に応じて評価してもらいたいのですが…」

 また身の丈に合わない仕事を振られた困るし、それ以前に罪悪感を覚える。他の部署が相手なら尚更。だから彼女はそう言ったのだ。

 浦田が「そこは安心してくれていい」と口を開く。

 「おい、城之内。今回ばかりはいつものせこいノリはやめろ。後々、苦労するのが目に見えている。むしろ、あっちに業績をプレゼントしてやるくらいで行こうぜ。助けてもらうんだからな」

 城之内はそれに肩を竦める。

 「おいおい、プレゼントも何も、開発部署は助けてあげるなんて思っている訳じゃないんだぞ?

 飽くまで、“本当はうちだけでできるが、開発部署の立場を慮って、協力を依頼する”って体にするんだからな」

 その言葉に霧島は呆れた。

 “うわー。この人、マジだわ。本当にくだらないわ……”

 「それでもだよ!」とやや怒りながら浦田は返してこう続ける。

 「それに、どうせプロジェクトを進めて行けば、あっちに頼ることになるんだから、同じだろうが!」

 「オーケー、オーケー。分かった、分かった。今回は妙な印象操作はしないでおくよ。ま、叶さんとか立石さんとかが出てきたら、ちょっと厄介だしな」

 仕方ないといった様子で城之内はそう返したが、何故か妙に活き活きとしている。現状打破の活路が見出せたことだけがその上機嫌の原因ではないだろう。この男は根っからこういった権謀術数の類を企むのが大好きなのだ。

 「よし。そうと決まったら、後は具体的なプロジェクト企画を決めるだけだな。

 上層部は恐らく何も考えていないから、こっちから強く押せばきっとそのプロジェクト企画がそのまま通るぞ。

 金勘定系とかそういうリスクの大きそうなのは避けつつ、それでいて何か格好の付くようなものを見つけないと……」

 その彼の独り言を聞きながら、一同は再び嫌な予感を覚えていた。

 本当に無事に済むのだろうか?と。

 

 「どうも、運行部署が、いよいよ本格的に如月音中心のプロジェクトを進めようとしているらしいわよ」

 

 昼食中の雑談の最中、突然、立石がそんな話題を出した。叶瞳はそれを聞くなり、「そ。じゃ、また浦田さんは苦労するのね」とそう呟くように言う。

 叶瞳はほとんどの男性社員を認めてはいなかったが、浦田一は数少ない例外の中の一人だったのだ。

 「あんた、まだその“仮説”を曲げていなかったの?」

 立石はやや呆れながらそう返す。

 “仮説”というのは、“如月音が成功させたという先のプロジェクトの本当の功労者は実は浦田”というもので、彼女は立石からの反論を受けてもそれが正しいと言い続けているのだった。

 「そうよ。私は直感力には自信があるんだから」

 「直感というか盲信というか」

 「あんたは浦田さんを知らないから、そんな事が言えるのよ……」

 

 ――叶瞳は実は浦田一に恩がある。

 それは彼女がまだ入社したての新人の頃のことで、あるWebシステムに追加の機能をリリースした翌朝だった。納期内にリリースできたという解放感からか、その日、それをリリースした開発チームの出社は全員遅く、ただ一人、叶だけが朝早くから来ていた。ところがそこでトラブルが発生してしまったのだ。

 開発チームは、共通部品に手を入れたのだが、その影響を受けてリリース対象以外の画面が正常に動かなくなってしまっていたのだ。

 その時、運行チームのリーダーをしていた城之内は、焦燥した様子で開発チームの所にやって来て、ほぼ全員が出社していないという現状を目にし、怒り出してしまった。

 「なんだ、この危機意識のなさは? さっさと対処しろ!」

 「ユーザーに迷惑がかかっているんだぞ?」

 「こうしている間にも損失は大きくなっているんだ!」

 そのような事をまくし立て、ただ一人だけいる叶を責め続けた。

 当時の彼女は気が付かなかったが、城之内は不安と恐怖で冷静さを失っていたのだ。もっとも、その怒りは正論だった。リリースしたばかりの時期は、問題発生に備えておくのが普通だからだ。運行を担当していない開発部署とはいえ職務怠慢と言えるだろう。

 しかも、当時、叶はまだ技術力も業務知識も低く、とてもじゃないが一人でそのトラブルに対処できそうにはなかった。

 だから、怒り続ける城之内に対して、何も言い返せなかった。悪いのはこっちだと分かっていたからだ。

 が、実は、本当は彼女にも言い分はあったのだった。

 リリースする前に彼女達は運行チームのレビューを受けていたのだ。問題点をそこで見抜けなかった運行チームにも責任はあるはずじゃないのか?

 「今、他のメンバーに連絡を取って、急いで来るようにと伝えたところですから」

 言い返したい気持ちを噛み殺して、彼女はそう説明をする。しかし、それに「それじゃ、遅いんだよ!」と城之内はなじって来た。何を言っても通じそうにない。

 「ユーザーはできる限り早い復旧を望んでいるんだ!」

 しかし、城之内がそう言ったタイミングだった。突然、そこに救世主が現れて、こう彼に言い返してくれたのだ。

 「そうだ。ユーザーは早い復旧を望んでいる。しかし彼女に文句を言い続けても別に早く復旧する訳じゃないだろう」

 それが浦田一だった。

 「何を言って……」

 興奮している城之内は、その言葉で怒り出しそうに思えたが、何故か浦田の顔を見るなりそれが治まっていくのだった。

 「俺がやるよ、城之内。だから、お前はさっさと席に戻ってこい。システム変更の承認をしてもらわなくちゃならん」

 何か文句を言いたげだったが、城之内はそれに「できるのか?」とだけ返した。

 「多分な。以前、ちょっと手伝った事があるプロジェクトだ」

 浦田はそう応えると、自分達の部署に戻っていった。城之内もその後を追う。

 それに彼女は不安を覚えた。一先ずは助かったけれど、本当にあの浦田という男にバグが直せるどうかは分からなかったからだ。しかしそれから2時間も経たずに、浦田は本当にそのバグを直してしまったのだった。

 「JavaScriptのバグだったよ。JavaScriptのIF文ってのは“何もなし”の状態を‘FALSE’と判断するんだが、そこにjQueryで取得したオブジェクトを当てていた。

 それが原因だ。

 jQueryっていうJavaScriptのライブラリは、取得しようとしたObjectが何もないと勝手に生成しちまうんだよ。それで常に‘TRUE’と判断され、‘FALSE’の分岐には行かなくなっていたんだな」

 その修正したバグのリリースのレビューに参加した叶はそのような説明を受けた。ある程度知識を得た者にとっては、それほど難しい内容ではないのだが、当時の彼女には未知の呪文のように聞こえた。

 そして、彼女はそれにとても感心したのだった。

 例え簡単な内容であったとしても、いきなり渡されたソースをあっという間に分析し、問題点を見つけ出すのは確かな技術力がなければできない。

 そしてそのリリースは無事に成功し、お陰で損害は極めて軽微で済んだのだった。

 「少しばかり共通化し過ぎで、ソース修正の影響範囲を大きくしてしまっていたってな構造上の問題点もあるにはあるが、ま、知らなかったらミスするのも分かる内容だよ。テストを怠っていた点はあまり褒められたものでもないが、それもケアレスミスなのかもしれない。

 今度から気を付けてくれ」

 開発チーム一同は浦田からそんなような説教を受けた。フランクで嫌味がなく、まるで彼の人柄がそのまま出ているかのようだった。

 そして、その出来事で、彼女は察したのだった。運行部署の中で業績が高いのは城之内という事になっているが、本当に実力があるのは、浦田なのだと。

 

 「多分、知らないだけで、開発部署は本当はかなり浦田さんに助けられているのよ。今まで運行部署だけで対処して、小さな規模で治めてくれた障害がいくつもあるけど、その中心になっているのは恐らく浦田さんのはず。

 彼以外に引継ぎも何もなしでいきなり見たソースの問題点を見抜ける人は、あの部署にはいないもの」

 

 その叶瞳の言葉を聞き終えると、立石は軽くため息を漏らした。

 「それは、まぁ、そうなのかもしれないわね。

 でも、それって技術力だけの話でしょう? 彼は他の能力はないのじゃない?」

 立石はちゃんと浦田一という人間を把握しているつもりだった。その技術力の高さも含めて。しかし、彼女の価値観においてそれは高い評価には値しなかったのだ。

 本当は自分の業績なのに、それを他人に奪われている。出世に興味がないからなのか、人間関係に不器用だからなのか、或いはその両方なのか、そのいずれなのかは分からないが、とにかく、それは自分の力をアピールする能力がないという事だ。

 立石はそういった考え方をする女なのだった。

 「私が言いたいのはね!」

 と、それに叶は返す。

 「私達は浦田さんに貸しがあるって事なのよ。貸しはきちんと返さないと駄目。それだって重要な社会的スキルでしょうよ!」

 「恩を売って来ないのなら、無視しとけばいいじゃない」

 「それじゃ、社会は上手く動かないのよ!」

 対して叶は立石のようなドライな考え方はしない。情熱的で、かなり義理堅い一面がある。

 「ほーん」と、それに立石は返す。

 「なら、もしも運行の連中が今回の件でうちに関わるように求めてきたら、その時はあなたに振るからね」

 そしてそう続けた。

 立石は仮に“如月音は実力不十分”という叶の判断が正しいのなら、運行部署が開発部署を巻き込んでくる可能性はかなり高いと考えていたのだ。

 「望むところよ」

 と、それに叶。

 「浦田さんとは、一度、一緒に働いてみたかったしね」

 その反応を受けて、立石は

 “この子の浦田さんに対する感情は、一体、どんなものなのかしらね?”

 と、そんなことをちょっとだけ思っていた。

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