5.女性が活躍すべき時代
フロア内にいる社員達は全員起立していた。彼らの前には課長がいて、その傍らには城之内、それよりも一歩下がる位置には如月音の姿があった。
如月は文字通り、小さくなっている。それは課長達より一歩離れていることばかりが原因ではない。
「――知っての通り、ここにいる如月さんは先のプロジェクトを見事に成功させてくれました」
課長がそのようなことを語る。しかし、皆の反応は微妙だった。本当のプロジェクトの功労者が浦田一であることを知っていたからだ。
その空気を敏感に感じ取った課長は、それを不可解に思いながらも話を続ける。
「“女性が活躍すべき時代”と言われてから、もう数十年が経過しようとしています。しかし、遺憾ながら、我が国においては、昔ながらの女性蔑視の因習が今もなお残っていると言わざるを得ません。
ですが、このままではいけません。いつまでも女性を差別したままでは、日本は軽蔑され、それは国際競争においてもハンデとなってしまうでしょう。更に、高齢社会を迎えた今日、既に生産年齢人口の減少は顕著である現状を考えるのならば、女性の人材活用が急務であることもまた事実です。
だからこそ、女性蔑視の因習を打破する意味でも、如月さんのような優秀な人材を積極的に活用する事には重要な意味があるのです。そこで中途採用の新人としては異例ではありますが、如月さんにもっと大きなプロジェクトを担当してもらおうという企画が立ち上がったのです……」
課長のその妙に長い話をそこまで聞き終えて、浦田は大体の事情を察し、顔を引きつらせた。
つまり、如月音は前回よりも更にその実力に見合わない仕事を任されようとしているばかりか、この会社の“男女平等”の象徴にまで祭り上げられようとしているのだ。
これでは益々「如月音には本当は実力はありませんでした」とは言い出し難い。
見ると、如月音は顔を青くしている。この状況に戸惑い怯え委縮しているのがよく分かる。それから浦田は城之内を睨みつけた。城之内はその視線に気づいているようだったが、厚顔でそれを跳ね返してしまったようだ。ただし、いつもとは違う無理して作ったような表情を浮かべてはいる。
「……我々は、これから如月さんに大きなプロジェクトを担当してもらおうと考えています。どうか皆さんもこれまで同様、いえ、これまで以上に彼女を応援し続けていただきたいのです。どうかご助力をお願いしたい」
課長の言葉が終わると皆が拍手をする。
義務的な力の弱い拍手だ。
普通、新たなプロジェクトが立ち上がるくらいでは、このような場は設けられない。そもそも具体的なプロジェクトの発表すらもなかったのだが。恐らくこの催しものは、彼女の大抜擢によって、社内に向けて“男女平等に取り組んでいる会社”というアピールがしたいが為に行われたのだろう。この会社が本当の意味で男女平等を目指しているかどうかはかなり疑わしいが……
「……それが、ほら、彼女、見た目はいかにも仕事ができそうなのに、態度はとっても謙虚だろう?」
「謙虚と言うか、委縮しているようなイメージがあるな」
「ああ。そこだよ、そこ。どうも、そこを上層部の連中は気に入ったらしくってさ。控えめで良いって」
悪びれもせずに城之内は浦田に対し、そんな説明をした。
女性社員でも実力がある者は何名かいる。ただし、そういった女性達は揃って行動力があり、胆力もあり、野心も明らかに高そうだった。そういった男を食いかねない女性社員達に比べ、如月音は明らかに弱い。そこを上層部の男性社員達は気に入り、推す事に決めたらしいのだ。
これで“男女平等の象徴”というのだから、まったく訳が分からない。
だが、浦田が聞きたいのはそんな点ではなかった。
「あのな。謙虚も何も、彼女、そもそも実力がないだろう?! それはお前も充分に知っているはずじゃないか? 何故、本当の事を話さなかった?」
その浦田の追及を受けて、何故か城之内は笑った。浦田は敏感に察する。何かを誤魔化そうとしている、と。
「浦田よ。そう責めないでくれ。オレだってサラリーマンなんだ。上司には弱い」
それから彼はそんな事を語った。
“嘘つけ。お前がそんな玉か”
浦田はそう思ったが、口には出さない。
城之内には正直に上司達に、事実を打ち明けられなかった事情があった。
仮に先のプロジェクトの成功が、如月音の功績ではなかったと言ったとしよう。すると、当然、“では誰が本当の功労者なのだ?”という話になる。もちろん、それは浦田である訳だが、それを言ってしまうと、今度は浦田の評価が上がってしまう事になる。それだけならばまだマシだが、そこから派生して、これまで城之内の業績という事にしておいた他の仕事も浦田のお陰ではなかったのかと疑われかねない。城之内は、それだけは絶対に避けなくてはならなかったのだ。
「どうでも良いが、それで困るのはお前自身だぞ? 分かっているよな? 断っておくが、母親の介護があるから、俺は流石にこれ以上の負担は無理だぞ? 前回だってかなりの赤字だったんだ」
如月音の失敗の責任を最も追及されるのは他でもない城之内なのだ。
それにいつものように城之内は強がるか誤魔化すかをするだろうと浦田は考えていたのだが、意外にも彼は素直に心情を吐露するのだった。
「そうなんだよ。問題はそこなんだよなぁ」
他に山ほど問題がありそうな点は、敢えて浦田は突っ込まなかった。
ティーサーバーが置かれている休憩場。そこからは微妙な角度で運行部署の様子が見え、ギリギリではあるが如月音の様子も窺うことができた。
必死にノートパソコンに向かっているその姿は、真面目ではあるが決して垢ぬけているようには思えない。
壁に寄りかかり、コーヒーを飲みながらそんな彼女の様子を観察している女性社員が一人。髪は茶髪のロングで多少は癖毛が入っている。ボリューム感のあるその髪を無理にポニーテールにまとめている所為でワイルドさを感じさせるが、センスが良い所為か悪い印象を周囲に与える事はない。それはきつそうな目の彼女の外見にとてもよく似合っていた。恐らく大半の人間は(異性も同姓も)、彼女の外見に好印象を抱くだろう。
もっとも、古参の古臭い考えが染みついたお偉方にはどう映るか分からないが。
「気にしすぎよ、あんた」
不意に彼女に他の女性社員が話しかけた。こちらは綺麗で真っすぐな黒髪のロングで、理知的で冷たい印象を人に与える。どちらの女性社員も気が強そうだが、タイプはまったく異なっている。
「何の話よ、立石?」
茶髪が黒髪にそう返す。立石と呼ばれたその黒髪の女性社員は、軽くため息を漏らすとこう応えた。
「それで隠しているつもりなの? “如月音”を観察しているのでしょう? 果たして中途採用の期待の新人とやらはどんなものなのか?ってね」
やや悔しそうな顔で「別に……、ちょっと見ていただけよ」と、それに茶髪の女性社員は返す。
立石はそれを無視して口を開く。
「ま、多少は分からなくもないけどね。“男女平等”をアピールする為に担ぎ上げられたのが、あなたでも私でもなく、ポッと出の新人なんだもの。小さなプロジェクトを成功させるくらい、私達だって散々やってきているのにさ。私達が今までの努力で積み上げて来た実績は何だったの?って言いたくなるわ」
“ふん!”
と、心の中で茶髪の女性社員は呟いた。声に出すのは、その発言を認めてしまったような気がして嫌だったのだ。
彼女の名前は叶瞳という。開発部署でリーダーを務めている女性社員の内の一人だ。彼女と立石の二人が、この会社で“実力派”と思われている女性社員の2トップだった。
他にも実力がある女性社員はいるが、彼女達が抜きん出ている。因みに、二人とも開発部署に所属している。或いは少しばかり保守的な運行部署よりも、革新を求める開発部署の方が女性社員は活躍し易いのかもしれない。
叶瞳は立石に対して、こう返した。
「それは別に良いのよ。それは。気にしていないわ。私が気にしているのは、あの如月音って女が、一体どんな手段で上層部の連中に気に入られたのか?って点なのよ」
「ほー」と、それに立石は返す。
「もしも、男どもにこびへつらうようなやり方をしたなら、男女平等が進むどころか、逆行しかねないじゃない。
そっちの方が大問題なのよ!」
興奮を抑えきれないといった様子で、叶はそう言い終える。
立石のイメージを氷だとすれば、叶は炎。情熱的な行動力で、周囲を引っ張っていくのが強みだ。ただし、行動が偶に暴走しがちになってしまうという、だからこその問題点も彼女は抱えていた。上司と口論になった事も一度や二度じゃない。
彼女達は、いや、彼女達だけではないのだが、自分達の会社は女性社員をフェアに扱っていないと感じていた。
かつて医療大学で女性の受験生が不当に減点されていた事が発覚した事件があったが、それと同様の事は実は数多くの会社の入社試験でも行われているらしい。もちろん、それはそうしなければ、会社の考える相応しい男女比にならないからだろう。民間企業と公的機関とでは、自ずからその重みは違って来るが、それでも決して認められるべきものではない。
そして、恐らくは彼女達の勤めるこの会社でもそれは行われているだろうと思われた。男性社員の合格率の方が圧倒的に上だからだ。そういった男女不平等が入社試験だけのはずがないのは簡単に予想できる。同じ仕事をしても男性社員ならば昇進やボーナスアップに繋がるのに、女性社員の場合は無視されてしまう事は珍しくない。そればかりか、いつの間にか女性社員の業績が、男性社員の業績となってしまっている事すらもある。
そんな逆風の中で、彼女達は懸命に仕事をこなし、なんとか周囲にその実力を認めさせてきたのだ。
大胆な手段で豪快に問題を乗り越える叶は、分かり易い迫力で男性社員達を圧倒し、冷静沈着で計算高い立石は、理路整然と事を進め、男性社員達に有無を言わせない。ただ、一目を置かれている彼女達は、だからこそ、多少は恐れられてもいた。そしてその点を、彼女達は自覚してもいたのだ。
“男どもにこびへつらう”
という先に叶の発したその表現は、そんな自覚があるからこそ出たものでもあるのだろう。
「――で、観察してみて、あなたは如月音をどう判断したのかしら? 上層部に取り入って自分を売り込むタイプに見えた?」
立石がそう叶に質問する。
「そんな器用なタイプには思えないわね」
と、それに彼女は即答する。
「間抜けに見える」と、少し考えた後でそう続けた。
直感的である点は否めないが、叶の人を見る目は意外に信頼できる。「ふむ」と一息入れると、それを踏まえた上で立石はこんな事を言ってみた。
「演技かもしれないわよ?」
「演技?」
「そう。上層部の人間を油断させる為に、間抜けな振りをしているのよ。つまりは、韜晦しているってことかしらね」
「とうかい? 何を言っているのよ?」
「辞書で調べなさい」
それを無視して、叶は言う。
「演技には見えないわ」
「でも、実際、如月さんは結果を出しているのでしょう? なら、少なくとも仕事の実力はあるのじゃない?」
それを聞くと、しばらく飲むのを忘れていたコーヒーを叶は一口含んだ。コーヒーはすっかり冷えていて、あまり美味しくはなかった。ごくりとそれを飲み干す。
呟くように言う。
「分からないわよ。あの課には、浦田さんがいるから」
“浦田さん”
その単語を聞いて、立石は肩を竦めた。
「ああ、あんた。そう言えば、あの人の評価が高かったものね」
呆れられているのを察して、叶はそれにこう返す。
「実際、チームメンバーの中に名前があったのよ。本当はあの人が仕事をやっていたっていうのなら成功して当り前よ」
「でも、浦田さんって残業する度に介護ヘルパーにお母さんの介護を頼まなくちゃいけなくて、残業代よりも高くつくのでしょう?
一つのプロジェクトが終わるまでとなるとけっこうな額になるわよ? 果たして、赤の他人の為にそこまでしてあげるお人好しがいるのかしらね?」
その理路整然とした追及に「うるさいわね!」と叶は苛立たしげに返した。
しかし、
――“そこまでしてあげるお人好し”は実在するのだった。
「如月さん。SQLは勉強しているよね? どれくらいできるようになった?」
会議室。
小さな部屋ではあるが、そこをたった五人で借り切って、臨時のミーティングが開かれていた。
メンバーは浦田と城之内と如月と村上と霧島。
浦田のその質問に、如月は力強く答えた。
「はい。テーブルとテーブルを結合させる検索用のSQL文なら普通に書けるようになりました」
「そうか。なら、例えば、月毎に会社の収益を出力する為のSQLはどんな風に書けば良いか説明できる?」
「え? 月毎ですか? 確か集約関数を使うのですよね…… えっと…」
「うん。分かった。まだ、そこまでは理解していない……、と」
そう言い終えると、腕組みをしたままゆっくりと視線を若手の二人に向ける。
「村上、霧島さん。今、聞いた通りだ。如月さんに技術的スキルはまだあまりない。目下学習中だ。社会経験は君らよりも上だがな」
それに村上は肩を竦める。
「今更ですよ、浦田さん」
霧島が続ける。
「ですね。みんな、気付いていますって。あれだけ浦田さんがサポートしているんですもん」
そこに城之内が言った。
「そのSQLの問題、ちょっと難し過ぎないか?」
やや呆れた感じでそれに霧島が「城之内さんも分からないんですね?」と言った。
この場に村上と霧島の二人を呼んだのは、城之内が彼らなら比較的口封じがし易いと考えたからだった。もっとも、その必要性もあまりなさそうだが。
浦田が続ける。
「で、だ。その技術的スキルが不足している如月さんが、これから前よりも大きなプロジェクトを担当しなくちゃならない訳だ。なんとか切り抜ける為にはどうすれば良いか、知恵を拝借したい」
それを受けて、村上と霧島は顔を見合わせた。霧島が言う。
「素直に本当のことを言うのが一番なんじゃないですかね?」
「それができれば苦労しないんだよ」と、それに城之内が返すと、村上は反論するようにこう言った。
「でも、うちの課以外にバレるのも時間の問題だと思いますよ? 聞いた話じゃ、開発部署の叶さんがかなり如月さんを疑っていたっていいますから。
開発部署としては仕事が奪われるかもしれないピンチだし、叶さんは実績もスキルも申し分ないですから、半分は嫉妬も含んでいるのかもしれませんが」
それならば遠からず如月の嘘はバレてしまうかもしれない。どう足掻いても時間の無駄なのか……
浦田はそう落胆しかけた。ところが、それを聞いた瞬間、
「それだよ!」
と、何故か城之内が嬉しそうにそんな声を上げたのだった。
“どれだよ?”
と、そこにいた一同は同時にそう思った。
そして、城之内がまた何か良からぬ事を企んでいるのではないか?と、嫌な予感を覚えていたのだった。




