4.頼りになる人を見つけなさい
「なんだこりゃ?」
浦田一は如月音から渡された設計書を見て頭を抱えていた。
「要件定義や基本設計の段階ではかかわらなくて良い」
と、そう城之内から言われた時から、それは裏を返せば、詳細設計と実装では参加してくれという意味だとは分かっていて、ある程度の覚悟をしてはいたのだが、まさかこんな内容の画面仕様が上がって来るとは夢にも思っていなかったのだ。
ざっと軽く如月音が中心となって進められるというその新規プロジェクト開発の概要を聞いた時は、それほどイレギュラーなものになるとは想像していなかった。帳票の類がかなり複雑で、しかも表計算ソフト形式のファイルで出力しなくてはならなかったのでそこは難しかったが、それ以外で何か問題があるようには思えなかったからだ。
だから、当然、浦田は如月に対して「どうして、こんな仕様になっているんだ?」とそう問い質したのだ。
それは画面から表計算ソフトのファイル形式でデータをアップロードする機能についてものだった。表計算ファイル形式のアップロードは、それ自体でも処理が重くてメモリーを食ってしまったり、数値が信用できないといった問題点があるのだが、それ以前にも彼女が提示して来た仕様には、明らかにおかしな点があったのだ。
が、
「こんな仕様といいますと?」
それを受けた彼女は、何故そんな質問を受けているのか分からないといった感じで首を傾げて訊き返してくるのだった。
それで浦田はこう返す。
「アップロードしたデータのエラー内容を表計算ソフトのファイルとしてダウンロードする仕様なんて、俺は聞いた事がないのだけどな?」
すると彼女は目を白黒させた。
「いえ、データ件数が多いので……」
確かにその機能でアップロードするファイルは、何シートにも分かれていて、全シートを合計すれば何千行といった単位にはなるから、それら全てのエラー内容を画面に表示させる仕様にしたら、物凄い量のエラーメッセージが出力され、非常に見難くなってしまう危険性はあるにはある。
しかし機能要件を考えると、そんな状況が発生するとは浦田には思えなかったのだ。アップロードするファイル自体もツールを使って作成するからミスは少ない。エラーが発生する可能性があるのはユーザーが微調整を加える時くらいで、それならもし仮にエラーが発生するにしても数行で済むはずだ。
もちろん、それでもその機能を使うユーザーが多いというのなら、考慮する必要はあるかもしれないが、これは利用者がほぼ一人という極めて小規模のシステムだ。仮にそんな状況に陥ったとしても個別対応可能で、はっきり言ってどうとでもなる。
「これ、どう考えても必要ない機能だよね? 画面にエラー内容を表示させるだけで充分じゃないか」
それで今度はそう浦田が問い詰めると、彼女は目を泳がせ始めた。それを見て、浦田は語気を弱める。そしてこう続けた。
「ユーザーにとって必要ない機能を実装するっていうのは、それだけ無駄に工数が発生するって事で、もちろんそれだけ無駄に金がかかって俺らの仕事も大変になるんだよ。当然、改善するべきだと思うぞ?」
「はぁ……」
「しかも、“エラー内容出力ボタン”なんてものがあるが、もしかして、何度でもその内容をダウンロードできるって事なのか?」
「そうです……」
「なら、もっと大変になる。エラー内容をデータベースに登録して、それを出力しなくちゃならないのだから。その為の仕組みも考えなくちゃらない」
それを聞き終えると、如月は「分かりました」と言って礼をした。
「ここの仕様を変えられないか、城之内さんに相談してみます……」
その“城之内”という単語に少し浦田は嫌な予感を覚えた。しかし、それを表情には出さないように努めながら、「ん」と言い、「そうしてくれ」と続けた。すると案の定、その嫌な予感は的中し、それからしばらくした後で城之内が彼の元にやって来たのだった。
彼はこんな主張をした。
「浦田よ、今更変えろと言われても困るんだよ。もうユーザーとはあの仕様で合意が取れているんだからさ」
浦田はそれにため息を漏らす。
“今更変えろと言われても”も何も、浦田がそれを知ったのかつい最近で、基本設計の時には関わっていなかった。しかも、それは城之内の指示だったはずだ。
「何言ってるんだよ? ちょっと仕様の変更を通知するだけだろう? それに、ユーザーからしても金が安く済むんだぞ? その方が良いに決まっているじゃないか」
それを聞くと、城之内は浦田の肩に手を置いた。浦田は彼の多めのスキンシップがちょっと苦手だった。
「分かるよ。お前の言う事はよっっっく分かるよ、浦田。しかし、問題点はそこじゃないんだよ。これはデリケートでかつ政治的な問題なんだ。ユーザーとオレ達の信頼関係が傷つきかねないんだから」
“何言ってるんだ? こいつは?”
と、それを聞いて浦田は思う。
とどのつまりは、自分の評判に傷がつくのを恐れているだけだ。
「おい、城之内よ、飽くまでこれで行く気なのか? どうしてもって言うのなら止めないがな、こんな面倒な仕様を実現しようと思ったら、下手すりゃコストが見積よりもかなり嵩んじまうぞ? 俺はその方がもっと問題だと思うがな。どうするつもりだ?」
それを聞くと腕組みをして、自信満々で城之内はこう答えた。
「その点は任せろ。なんとかする。ちゃんと考えがある!」
それを聞いて、浦田はまた嫌な予感を覚えたのだった。
“なんとか?”
この男が“なんとか”と言う時は大抵の場合……
「ノー! これで今月、有休取れなくなったぁぁぁ!」
浦田の前の席に座っている村上がそう自らの憤懣を吐き出していた。
「気持ちは分かるけど、オフィスの真ん中で叫ぶもんじゃないわよ、村上君」
と、それを麻倉が注意する。薄っすらと目に涙を浮かべて、彼はこう返す。
「だって、有休取れないどころか、残業しまくり確定なんですよ?」
彼は技術主任の城之内によって急な仕事を入れられてしまったのだ。そしてそれは本来ならば、浦田が担当するはずのものだった。
“ま、確かにあれは村上でも充分にできるくらいの仕事だけどよ……”
その光景を見ながら、浦田はそう思う。
浦田の仕事が村上に流れれば、当然、その分、浦田の手が空く。その空いた手で、浦田が如月と城之内が決めてしまった、『エラー内容を表計算ソフト形式のファイルでダウンロードする』という面倒な仕様の詳細設計と実装を担当する事になったのだ。
つまり、城之内の考えとは、“浦田に仕事を任せてしまえ”だったのである。
当然の話だが、仕事を受注する際、技術力の高いものに振るかどうかで値段を決めたりはしない。比較的、平均的と思える技術力を想定して見積もるのが普通だ。
が、雇っているプログラマー達の給与は技術力によっての差がない場合も多い。
場合によっては、何故か技術力の低いプログラマーの方が技術力の高いプログラマーの給与よりも高いなんてケースすらある。
それなりに歳を取っている浦田の給料はまだ若い村上の給料に比べれば高いが、それでもその技術力の高さを反映したものになっているとは言い難い。浦田はほぼまったく出世していないからだ。
だから、浦田を難しい仕事の担当にすれば、それだけコストは安く済むという事になる。
考え方としては正しいし、若手のスキルアップを無視するのなら、城之内のその采配は、適切な指示であるとも言えるかもしれない。が、それはただ単に“困った時の浦田頼み”をしているだけのように思えなくもなかった。
ただ、そんな不満を抱きながらも、浦田は気持ちを整えていく。
「ま、仕事はちゃんとやるけどよ」
そして、そう独り言を呟いた。
“本来、不必要な機能を実装しなくてはならない”。それで多少はモチベーションが下がってはいたが、それでも浦田の本質は職人肌の“技術者”だ。
一度火が付けば、使われるかどうかはあまり関係なくなる。いかに効率良く、いかに高い品質で“それ”を仕上げるか。その点にのみ注力し、まるで美しさを追及する造型師のようにそのパズルを組み立てていく……
数学的な彫刻。
彼にとってプログラミングとはそう表現するのが最も適切であるのかもしれない。
「整った」
イメージしていたものが形になると、彼はそう呟いて、隣の席に座る如月が決めて来てしまった面倒な仕様を実現すべく、コーディングを開始した……
“凄い”
そんな浦田の様子を隣の席で見ていた如月音は、気付くと心の中でそう呟いていた。浦田という男は集中し始めると、普段とはまるで別人のようになるらしい。
そして彼女はその時卜部サチからのこんなアドバイスを思い出していたのだった。
「技術力に自信がないのだったら、頼りになる人を見つけなさい」
「頼りになる人?」
その時、彼女が発した疑問符に卜部はこう返した。
「そう。
これは転職して技術者になった人に聞いた話なのだけどね、どの現場でも大抵は色々と教えてくれる“頼りになる人”がいるらしいのよ。まだペーペーで、技術力に自信がなかった頃は、その人はまずは配属された先でそういう人を見つける事から始めたらしいわ。
もちろん、そういう人を見つけたら良好な人間関係を築いて仕事を助けてもらうの。手を煩わせ過ぎても駄目だけど、人間って頼りにされると喜ぶものだから、きっと上手くいはずだと思うの……」
浦田が集中して仕事に取り組む様子を眺めながら、如月は彼こそが卜部の言う“頼りになる人”なのではないかと考えた。
城之内は駄目だと彼女は直感的に感じていた。政治的な駆け引きは得意そうだが、技術力があるようには思えないし、一緒に仕事をしていて力があると感じた事は一度もない。その他の社員達は、自分に対して疑いの目を向けているような節がある。否、それは浦田も同じなのだが、少なくとも彼の場合はその疑いの目に“敵意”は含まれていないと彼女は感じていた。
「あの…… テストは私がやりましょうか?」
“良好な人間関係を築く”
はっきり言って、彼女の得意分野ではないが、それでもどうしても今回はそれを成功させなくてはならない。
それで彼女は浦田にそう申し出てみた。すると、彼は分かり易い程に表情を柔らかくする。彼はテストという工程が嫌いだったし(好きな人はあまりいないかもしれないが)、母親の介護をしなくてはならないからあまり残業もできない。だから、彼女が代わりにテストをやってくれると聞いて、喜んだのである。
テストを他人に頼むと、テストケースの詳しい説明をしなくてはならない場合は却って面倒になることもあるが、彼女は隣に座っているからそれもあまり心配しなくて良い。分かり難い点については、その都度、その場で説明すれば良いのだ。
元々は彼女が原因でやらなくてはならなくなった面倒な仕事だから、彼女が手伝うという道理はあることはある。しかし、少なくとも城之内は、似たような経緯で浦田が任された仕事を手伝ってくれた事は今までに一度もなかった。
“技術力はないけど、悪い人じゃなさそうだな”
それで彼は彼女にそんな印象を持ったのだった。
彼女には自分の技術力のなさを必死に隠そうとしているようなところがあって、それはあまり褒められたものではないが、それも何か事情があるのだろうと、好意的に解釈する。
浦田はすぐに感情が顔に出るが、それも良かったのかもしれない。如月はそのお陰で、いちいち腹の探り合いのようなことをせずに済み、比較的リラックスして彼に接する事ができていたのだ。それが彼にも伝わっていたのだろう。
無愛想で不器用だが、浦田は決して接し難い性格ではない。
そして彼女はそう思うようになっていた。
実際、彼女は彼が怒るのを見たことがなかった。課の社員達も彼に気楽に話しかけているように思える。
それで彼女は彼を卜部の言う“頼りになる人”だと自分の中で認定したのだった。
“この人を頼れば、この会社でも上手くやっていけるかもしれない……”
そしてそう考えたのである。
「あの…… DBの設計をしてみたのですが、何か問題がないか教えてもらえませんか?」
プロジェクトが進むうち、如月音は浦田一に対してだけは、自分の技術力のなさを隠さずに、教えを請うようになっていた。
無理に隠しても、彼には既にばれていることは彼女も流石に分かっていたし、その方が頼りにもし易い。
浦田の方もそれを慮って、周囲に気付かれないように(と言っても、なんとなく皆は察していたようだったが)、彼女に技術的な事を教えていった。
「ん。如月さん。DBには正規化っていうのがあってさ、取り敢えずはそれを基本とするべきだと思うよ」
「あの…… 正規化って?」
「例えば、君は区分を複数持たせる為に、同じマスタデータを2レコード作ろうとしているだろう? そうすると、このマスタテーブルと他のテーブルを結合した時に、レコードが二倍に膨れてしまうんだ。
だから、そんな事は普通はしない。区分を持たせたテーブルだけを外出しして、区分についてはそのテーブルを参照するように設計するんだな」
「はぁ、分かりました……」
二人はそんな会話を頻繁に交わすようになっていた。
その過程で浦田は“このプロジェクトの開発は、彼女には無理だな”と、考えるようにもなっていた。
少しくらいは経験がある事は分かったが、贔屓目に評価してもコーダーレベルくらいのスキルしか彼女は持ってはいない。
だから、浦田は“今回だけは”と考えて、彼女が本来担当する事になっていた仕事を自分がやっていった。アクセス制御の仕組みから、ユーザー初期設定用のSQLの作成、様々な画面のコーディング等々。もっとも、テストくらいは彼女にもしてもらったが。
許可を取る為に城之内にそれを伝えたが、彼は特に反対しなかった。ただ、如月音が技術力不足だと知って、多少は憮然となっていたようだったが。それでは開発業務を増やすという城之内の計画が進まないからだろう。
やがて彼女が担当したそのプロジェクトは、最初の方こそ彼女にまだ浦田が慣れていなかった事もあって多少は混乱したが、峠を越えると順調に進んでいき、無事にリリースする事に成功したのだった。
そして、『新人の担当したプロジェクトが成功した』と、それは社内でもそれなりに話題になり、小さいものではあったが、賞を受賞しさえした。課長や部長もそれを聞いて喜び、上機嫌になった。
如月音にとって、充分過ぎる業績と言えるだろう。が、或いは、その“過ぎる”部分が余計だったのかもしれない。
「浦田さんは、きっと善意で如月さんを助けたのでしょうけど、それが如月さんの為になるとは限らないんですよ?」
ある日、浦田一はそう新入社員の霧島郁美から言われた。彼女は元はまったく情報技術とは違う分野の人間だったが、地頭が良いのかセンスがあったのか努力家なのか、この課に入ってから、みるみる技術力を吸収している優等生だ。
「ん」
と、それを受けて浦田は少し考え、それからそれにこう返した。
「ま、大丈夫だろうと思うぞ。少なくとも城之内は彼女の技術レベルがどの程度なのか知っている」
彼は霧島のその訴えを、『今回の成功の所為で、如月音がこれからも身の丈に合わない仕事を振られるかもしれない』という警告だと受け止めたのだ。
「甘い考えだと思いますよ~」
と、それを聞いて霧島は返す。
しかし、浦田には危機感を覚えた様子はなかった。
城之内が平気でウソをついたり、情報を隠したりして印象操作を行う事は彼も知っていたが、もし仮に如月に大きな仕事を振り、それで大失敗でもしたら、その責任を城之内も追及される事になるのだ。そんなリスクを、城之内が冒すとは考え難い。
そう考えていたからだ。
「多分、自分が出世に興味ないからでしょうが、浦田さんって妙に鈍いところがありますよね?」
ところが、彼のそんな態度を敏感に見抜いた霧島は今度はそんな事を言って来たのだった。浦田は「ん」とそれに返したが、その意味を理解していた訳ではなかった。
――ある日、城之内は部長から役員会議室に呼び出された。その場には課長もいて二人とも非常に上機嫌だった。
普段の城之内は地位の高い人間に対して、憶するような態度を執ったりはしない。それは、そういった態度は却ってマイナスの印象を与えると考えているからでもあったが、彼の性格上、下手に出るのが苦手だったからでもあった。
が、その時珍しく彼は、怯えたような笑顔を二人に見せていたのだ。
「如月音っているだろう? 君が開発の為にうちに入れた」
部長がそう言うのに「はぁ」と曖昧に頷く。
「先のプロジェクトも成功したようだし、彼女にもっと大きな仕事を任せてみてはどうかと我々は思うんだ」
そして、続いて出た部長のそんな提案に、城之内は怯えたようなその笑顔のままで固まってしまったのだった。




