16.背信者
「当初の予定を変え、一般社員向けに権限を増やした点が良かったのだと思います。掲示板に限らず、こういった“交流”によって成果を出そうとするシステムは、人をどれだけ多く呼び込めるかが鍵を握っているものですから」
如月音はそのような説明を部長と課長に向けて行っていた。それは『技術・研究関連情報共有掲示板』の開発に関わった運行チームによる部長と課長に対する報告の為に特別に設けられた場で、今回の成功の要因について是非とも聞きたいという部長の要望に応える形で会議室で開かれたものだった。
そこには浦田ら他のメンバーも集めらていて、まるで如月本人が考え出したかのようなその説明に彼らは目を丸くしていた。
もっとも彼女は嘘は言っていない。誰がその案を考えたかについては一切触れてはいなかったからだ。しかしそれでも、それが開発チームの叶の案である点については一言付け加えておくべきだろう。これでは印象操作になってしまう。一つだけ、それでも彼女の良心が垣間見える点があるとするのなら、彼女がそれを自信なさそうに語っていたところだろうか。
“おやおや”と、如月の説明を聞いた他の運行チームのメンバーは思っていた。どうせ城之内が裏で糸を引いているのだろうとは分かっていたのだが、それでも彼らは彼女に呆れていた。特に浦田は腕組みをして不快を露わにしている。
“開発チームには、プロジェクトに参加してくれただけでも感謝するべきなのに、その上、手柄まで横取りしようというのか?”
そんな風に彼は感じていたのだ。
そして、柄にもなく、その場の空気を壊すのも構わず、それが開発チームのアイデアであることをその場で暴露してしまう事すらも考えた。
が、どうやらそれを敏感に察したらしい城之内が、その前に会議を進行させてしまう。
「部長、細かい点を挙げていくと切りがないので、今回はこれで以上にしたいと思います。
『優れたシステムを作っただけで、プロジェクトが成功するとは限らない。どんな人間達がどう使うのかが重要である』
などといいますが、今回のプロジェクトは、当にそれがよく分かる好事例なのではないかと思われます」
それに部長は数度頷き、
「なるほど。とても参考になったよ」
そうコメントをする。もう話を蒸し返すような流れではない。浦田は性格上、そこまではできない。それを城之内はよく分かっていた。
それから部長はこう続ける。
「今回の件はよく分かった。しかしもちろんこれで終わりではない。次の仕事は、もっと大きなプロジェクトを如月さんには仕切ってもらいたいと私達は考えている」
“やはり、そう来たか”
と、それを聞いて城之内は思う。彼はこれを予想していたのだ。だから、前もって返す内容を考えてあり、それを如月に伝えてもいた。
「お言葉は非常にありがたいのですが」
と、如月は言った。
「今回のプロジェクトで、たくさんの方々に助けていただきまして、私は自分の実力不足を痛感しました。
それで、できれば実力を身に付けるまでは現行のシステム運用に力を入れようかと思っています。まだリリースしたばかりですし、改善すべきポイントや不安定な部分も多々ありますので」
「ふむ」とそれを聞いて部長は言う。その謙虚な物言いに感心しているようだ。ただし、それは謙虚に言っているのではなく、彼女の本心だったのだが。部長にはそれは見抜けなかったようだ。
「分かった。大変な仕事をした後だし、休むべきなのかもしれない」
そう返す。
「ありがとうございます」と、如月は深く頭を下げた。
その彼女の決して目立とうとはしない態度を部長も課長も気に入ったようだった。それは彼らが望む女性像に近かったからだ。男女平等を訴えながら、その実、やはり彼らは男女不平等時代の彼らにとって都合の良い女性を求めている。これは、それが分かる一例と言えるかもしれない。
部長が「うむ」と彼女に応えると、その場はそれでお開きになった。部長と課長は上機嫌で退室していく。しかし、如月は憂鬱な表情を見せていた。浦田達の責めるような呆れた視線に気が付いていたからだ。城之内も当然、その視線の意味を分かっていたが、特に気にした様子はなかった。彼にとっては予想通りだったし、慣れてもいたからだ。
「おい、城之内」
部長達の姿が会議室から完全に消えると、浦田はそう言って彼を咎めた。城之内は平気な顔でその言葉を手で制する。
「皆まで言うな。分かっているよ。オレだって、本当は正直に話そうかと思って悩んだんだ。開発チームとの仲が険悪になっちまいそうだしな。
ところが、何故か今回、開発チームは何も文句を言って来なかったんだよ。よく分からないが、こちらに花を持たせてくれる気でいるらしい。厚意はありがたく受け取っておくべきだろう? 受け取らなかったら、却って失礼に当たるじゃないか」
その説明に対し、浦田はきつい表情で応えた。
「お前、よくそんな事が言えるな?」
策略で開発チームをプロジェクトに巻き込み、リスク分散に利用したくせに、成功した途端、その成果を奪ってしまう。本来なら、何も言われずとも開発チームの貢献を社内にアピールしなくてはならない立場のはずだろう。
浦田は明らかに怒っていた。
「そこまで言うのなら、俺が叶さんに聞いてこようか? 開発チームのお陰で成功した事を伝えないで良いのかどうか」
そう尋ねると、城之内は顔を曇らせる。
「おいおい、事を荒立てるなよ。お前らしくもない。こういうのは、言わぬが花ってもんだろう?」
「都合よく解釈しているんじゃない!」
そんな中、如月音は戸惑っていた。
浦田のこんな様子は初めて見た。喧嘩を止めなければ、とまずは思い、それから自分はそんな立場にいない事に気が付く。更にそこから不吉な予感を覚え始め、それは俄かに彼女の中で存在感を大きくし、彼女を不安定に変えていった。
あれ?
そして、そんなタイミングで、浦田は城之内ではなく如月を見据えたのだった。その視線に彼女はビクッと震える。それから彼は口を開く。その瞬間は、彼女にとってとてもゆっくりに感じられた。
「如月さんもだ。城之内からの指示だったんだろうが、どうして素直にそれに従ってしまったんだ?」
予想以上の厳しい言葉。
叱られるとは思っていたが、指示に従うしかない自分の立場を彼なら分かってくれていると彼女は思っていたのだ。
え? ……浦田さん。本気で怒っている?
それでそう思う。
自分に対する彼からの怒りの言葉を受けて、彼女は目の前が真っ白になるような感覚を味わっていた。
「あの…… それは…」
涙ぐんだ声でそう言葉を発する。何も応えられない。
この職場で働き始めて以来、浦田はずっと如月をサポートし続けていた。間違いなく、一番初めに如月のスキル不足に気が付いたのは彼だろう。しかし彼はそんな彼女を一切糾弾したりしなかった。それどころか、温かくそれを受け入れてくれた。
恐らく、彼がいなければ、彼女は耐え切れず、この職場から早々に逃げ出していたことだろう。
そんな浦田が自分を軽蔑している。明確な怒りをぶつけてきている。もう、助けてはもらえないかもしれない。
「あの……」
何か言わなければと彼女は声を発したが、やはり何も出ては来なかった。
「君は誠実な人だと思っていたんだがな」
何も言えないでいる如月に呆れたのか、それから浦田はそう吐き捨てるように言うと、そのまま席を立って会議室を出て行ってしまった。
それからの如月音は、ショックで呆けたようになってしまっていた。仕事は手が付かず、隣の席の浦田の様子ばかり気にしている。浦田はまだ怒っているのか、そんな彼女に少しも話しかけようとはしなかった。
彼女は激しく後悔をしていた。
どうして城之内の指示にそのまま大人しく従ってしまったのだろう?と。
しかし、答えは分かり切っていた。
叶に甘えたのだ。
開発チームが何も文句を言って来ないという話を城之内から聞いた時、彼女は真っ先に父親の残した借金に苦しんでいる事を叶に話していたのを思い出した。きっと叶はそれに同情してくれたのだろう、と。だから、見逃してくれたのだろう、と。
“叶さんが許してくれるのなら、業績を自分のものにしてしまっても、何の問題もないのではないか?”
そんな邪な考えが彼女にはあり、だから城之内の提案に抗わなかったのだ。それがいけない事だと自覚しながらも。
“なんて弱い女だろう?
浦田さんが、私を軽蔑しても当然だ”
その時彼女は、指示を受けた時、自分が上司である城之内に怯え、逆らえなかった事を忘れていた。
自分が受けたショックを何らかの形で整合性あるものにする為に、意識からそれを除外してしまっていたのだ。
すぐに自分が悪いと考える。
それが如月音という人間の性質の一つだった。それは良くも悪くも作用するが、今回は悪く作用しているようだ。
とても悪く。
彼女は半ばパニック状態に陥り、酷く不安定になっていた。
“もう駄目だ。浦田さんから嫌われたら、この会社ではやっていけない。今までだって、彼のサポートのお陰で何とかなって来ただけなんだから……”
そのような事を思ってしまう。
“でも、”
と、それから思う。
“こんな卑怯な私なんか、会社から追い出されても当然なのかもしれない。そもそも許されるべきではないのかもしれない”
落ち込み続ける彼女は、独りだけの鬱の世界で暴走をし、気が付くといつの間にか過激な考えに囚われてしまっていた。
そんなタイミングでフロアの雰囲気が変わる。
どうしたのだろう?と見ると、部長がやって来ていた。それを受けて課長が席を立ち、城之内も横に並ぶ。そして彼女は城之内に前へ出るようにと招かれた。
それで思い出した。
『技術・研究関連情報共有掲示板』は会社の賞を受賞したのだ。その報告と祝福の為のセレモニーが開かれると彼女は聞いていた。恐らくはそれだろう。
如月は緩慢な動作で城之内の手招きに従って前へと出た。
それから、部長がプロジェクトの成功と賞を受賞した事を皆に告げる。課長や城之内も何か言っていたが、彼女の耳には入って来なかった。城之内が言い終えると、拍手が起こった。皆、開発チームのお陰でプロジェクトが成功した事を知っているのか、なんだか空虚な拍手であるように思えた。
浦田を見てみると、やる気のない表情で拍手をしていた。
“違う”
それを見て彼女はそう思う。
“嘘はもういい。本当の事を言おう”
「違うんです」
気付くと彼女は発言を求められてもいないのに、そう声を発していた。
「このプロジェクトが成功させたのは、私達じゃないんです! 開発チームのお陰なんです!
いえ、運行チームのメンバーだって、もちろん貢献しています。浦田さんの働きは特に素晴らしかった。
でも私は、他の皆さんに助けてもらってばかりで、ほとんど何にもやっていないんです! はっきり言って、雑用係や連絡係のようなものだったんです!」
突然発せられたその告白に、フロア内の全社員が驚いていた。騒然としている。部長は何がなんだか分からないといった表情で如月と城之内の顔を見比べ、城之内は青ざめた表情でなんとか彼女のその発言を誤魔化そうとしていた。
彼女はその全てを無視し、ただただ浦田の顔ばかりを見つめていた。浦田はショックを受けたような表情で固まり、彼女の事を黙って凝視していた。




