15.プロジェクトの成功
『技術・研究関連情報共有掲示板』が正式にリリースされた。叶瞳の提案による開発途中の方針変更で、一般の社員でも利用可能となったこの特殊な掲示板のアピールは、社内でも異例な形で行われた。
関係会社社員を含む全社員に対して、リリース発表のメールが送信されたのだ。お陰で会社のメールアドレスに他企業からの宣伝メールが来たと勘違いをした社員が数人いて、実際に報告まで上げてしまった。もっとも、それすらも叶にとっては計算のうちで、それによって却って宣伝効果を得る事に成功したのだが。
メールには通常の決まり文句の他に、『サンプルとして研究員の野崎すぐるによる化学素材について説明した記事が掲載されています。ネット上からは既に削除されているので、ここでしか読む事はできません。話題になった時に読みたかったという方は、是非、ご一読ください』という説明が付さてあった。
野崎の起こした事件について知っている者は直ぐに分かったし、知らなかった者はこれが何なのか他の社員にその意味を訊くケースが多かったのだが、いずれにしろそれで更に『技術・研究関連情報共有掲示板』は注目を集めた。結果として、利用者がそれほど多くない社内共通システムの中で、『技術・研究関連情報共有掲示板』は驚く程のアクセス数を叩き出したのだった。
アクセス数が多かっただけでなく、『技術・研究関連情報共有掲示板』は評判も良かった。もっとも、それはこの掲示板の評価というよりは、野崎の記事の評判だったのだが。ただし、それでも彼の記事を公共の文章として提供したのは間違いなくこの掲示板の実績だった。
元は科学ジャーナリストを目指していたのだという野崎はその成功を大いに喜び、第二第三の記事も投稿した(成功が分かる前から、前もって書いてあったらしいが)。
新製品の企画やそれを絡めたシステムを考えている社員達にとって、彼の記事は単なる娯楽物以上のものだった。例えば、新素材の中にはIotやAIとのコラボレーションに活かせるものも多々あったのだが、その特性を理解できなければ、そもそも新企画を考える事などできない。その為、彼の記事のお陰で理解が進み、非常に助かったという声が多く上がったのだ。
この成功を受けて、社では本格的に『技術・研究関連情報共有掲示板』の利用を推奨し始めた。研究者や技術者に記事を起こしてもらい、それを一般の社員が読んで情報の共有に役立たせ始めたのだ。それはこの掲示板の開発が始まった当初の目的とは微妙に異なっていたが、それでも成功は成功だった。しかも、少しずつではあるが、本来の狙い通りの目的で研究者や技術者達が使い始める兆しも見られるようになっていた。同じ、或いは関連する分野の最新の情報を求めたり書き込んだりする技術者や研究員が現れたのだ。これも或いは野崎の記事の成功が引き金になっているのかもしれなかった。
つまり、如月達のプロジェクトは成功したと言って良いほどの成果を上げたのだ。もちろん、この掲示板を一般社員にも公開したり、野崎に記事を書くよう依頼をした叶の功績が最も大きいのは言うまでもない……
「……まだ具体的な利益に結び付いた訳ではありませんが、それも時間の問題でしょう。いずれ、この掲示板による社員達の交流によって生まれた新企画が、社に利益をもたらすものと思われます」
課長や部長などのお偉方が集まった中で、城之内はそう発表を終えた。周囲から「ほほー」という感嘆の声が漏れ、城之内の上司に当たる課長や部長は非常に機嫌良さそうにしている。具体的なプランは何も出していないが、元々は彼らの“如月音に何かプロジェクトを任せてみよう”という発案から始まったものだから鼻が高いのだろう。
「良かったな、大成功じゃないか。羨ましいぜ、こんちくしょう」
城之内が席に座ると、隣の席の社員から彼はそのような事を言われた。その社員は彼の同期で気心が知れた仲だった。
「ああ、任せてくれ」
と、城之内はそれに応えたが、その声には覇気があまりなかった。
「どうした?」
敏感にその様子を察した彼の同期はそう尋ねたが、「どうもしないさ」と彼は返す。しかし、心中では、
“成功は良い。成功は。ただ、成功し過ぎなんだよ、こんちくしょう!”
と、思いっ切り愚痴を言っていたのだが。
彼は分かっていたのだ。この成功に気を良くした課長や部長が、絶対に如月音に次のプロジェクトをまた任せようとする事を。
それだけではない。
成功したかどうか分からないような実績ならば、誰が功労者なのか揉めるような事にはならないが、ここまで成功してしまったならそうはいかない。開発チームと運行チーム。どちらがより貢献したのか、互いに主張し合う事態になるのは目に見えていた。
“始まる。大人じゃない大人の喧嘩ってやつが……”
彼は頭を抱える。
もっとも、いつもの彼ならばそんな状態は大歓迎だった。そういった政治的闘争ならば得意であるばかりでなく、彼は大好きなのだ。しかし、今回は勝手が違った。運行チームも浦田がそれなりに貢献しているのかもしれないが、それでも開発チーム…… 特に叶瞳がプロジェクト成功の牽引役になった事は間違いなかったからだ。
“部長達には絶対に言う訳にいかんぞ。あんなに上機嫌なんだから”
城之内としては、せめて五分五分のところまで持って行かなくてはならなかった。もっとも、それは開発チームが黙ってはいないはずだった。開発チームの実績は明らかなのだ。
……そう、彼は思っていたのだが。
「良いんですか?叶さん。何にも言わなくて」
舞野、金井という二人の女性社員が納得いかなさそうな表情で、そう叶に訴えて来た。叶はその表情を見ると直ぐに察した。
恐らくは『技術・研究関連情報共有掲示板』成功の件だろう。彼女達はこの掲示板の開発のプログラミングを担当していたのだ。
舞野が言った。
「権限を一般社員にまで広げようと提案したのも、あの野崎って研究員に記事を書くように依頼したのも叶さんじゃないですが。
それがなければ『技術・研究関連情報共有掲示板』は成功しなかったんだから、今回の功績は間違いなく叶さんのものだと思います」
予想していた行動ではあったのだが、城之内があたかも今回のプロジェクトの成功は、開発チームも運行チームも同じくらいであるかのように吹聴しているのだ。どちらが何をやったかは隠したままで。
「良いのよ。今回は、浦野さんへの恩返しの為にプロジェクトに参加したって前もって言ってあったでしょう?」
そう叶が言うと、今度は金井が口を開く。
「浦野さんなら分かります。実際、あの人はちゃんと貢献していたとも思いますし。でも、評価を受けているのはあの人だけじゃないですよね? いえ、むしろ浦田さんは影に隠れてしまっています」
そうなのだ。浦野はあまり目立っていない。もっともそれはいつもの事なのだが。しかし、それで良いと彼が思っているのなら、彼女には何も言うつもりはなかった。
ただし、
「なんで、ほぼ何にもやっていない、あの如月さんって人が実績を伸ばしているのですか?」
浦野以外の人間が評価を受けているのなら、話は少しばかり違ってくる。
特に如月音は浦野や他のメンバーのサポートを受けて何とか仕事をこなしていたような状態だったのだ。とてもじゃないが、成功に高い貢献をしたようには思えない。少なくとも名前が上がるべき実績を出していない事だけは確かだった。
「仕方ないでしょ? それでもあっちのチームのリーダーなんだから」
ほんの少しの間の後で、叶瞳は自分の部下であるその女性社員二人に向けてそう言った。それでも二人が何か文句を言いたそうな様子でいるのを見て取ると、彼女はこう続ける。
「あの人にはあの人の事情があるのよ。どうか許してあげて」
もちろん、その時彼女は父親が作ってしまった借金を如月音が抱えているという話を思い出していたのだ。それでも納得いかない面は多々あったが、主犯が城之内であることを彼女は分かっているだけに、如月音を責める気にはなれなかった。
上司の叶からそうお願いされると、流石に二人は何も言えなくなった。
「あなた達の業績にも影響があるって事は分かっているわ。後で必ず埋め合わせをするから、今回だけは我慢して」
その言葉が駄目押しだった。女性社員の二人は自分の席に下がっていく。そのやり取りを見ていたのか、そのタイミングでこんな声が聞こえて来た。
「本当に良かったの?」
立石だ。
「良かったわよ」
と、それに叶。
“なんだ、あんたか”といった感じで。
「五分五分なら、ちゃんと私のキャリアアップにもなっているしね」
そう続ける叶に立石はこう返す。
「貢献度で言えば、開発チームが七割、運行チームが三割ってところでしょう? 五分五分じゃ、損しているわよ」
「何度も言わせないで。浦野さんへの恩返しの為にプロジェクトに参加したのよ、私は。キャリアアップはオマケみたいなもん」
その叶の言葉に立石は肩を竦める。
「はいはい。そうですか。でも、それって本当に恩返しになっているの?」
「どういう意味よ?」
「さぁ?」
そう応えた立石は、何故か少しばかり笑っていた。
なんだか腑に落ちなかったが、それを無視して叶は仕事を再開した。いつまでも前のプロジェクトに関わってはいられない。次の開発の仕事も忙しくなりそうなのだ。
城之内から小会議室に呼び出された如月音は、その時、悪い予感を感じていた。
そこには浦田は呼び出されておらず、その小会議室には彼と彼女の二人しかいなかったからだ。それは城之内が何かしら悪巧みをしようとしている事を意味しているように彼女には思えていた。
城之内はこう言った。
「俺が主張した先のプロジェクトの貢献度に対して、開発チームが抗議してくるかと思ったんだが、不思議にも何もないんだよ。
どうしてなのかは分からないが、これはチャンスだ。君はオレと口裏を合わせてくれ」
その彼の言葉に、彼女は顔を青くした。




