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14.浦田家にて

 如月音が浦田一の家を初めて訪ねた時、浦田の母親はとても驚いた顔をしていた。

 「何を驚いているんだよ、母さん。会社の同僚が家に行くって事は伝えてあったじゃないか」

 その顔を見て、浦田はそんな事を言い、浦田の母親はそれに、

 「だって、あんた、こんな若いお嬢さんだなんて思わないじゃないの」

 と、そう返した。

 若い?

 それを聞いて如月は慌てた。恐れ多いと思ったからだ。

 「いえ、そんな、若くないです、私。もう三十路ですから」

 それでそう言うと、浦田の母親は「私から見ればうら若き乙女ですよぉ」と、淡々とした、それでいてとてもおっとりした口調で言った。そして、数度頷き、

 「安心しました」

 とも。

 その様子を見て、浦田は軽くため息を漏らした。

 「母さん。なんか勘違いをしているだろう?」

 「勘違いって?」

 「断っておくけど、そういうのじゃ全然ないからな」

 「よく分かりませんねぇ」

 浦田の母親はなんだかおどけた様子だった。元からユーモアが好きなタイプということもあるのかもしれないが、恐らくは息子が“女性”を連れて来たのを喜んでいるのではないかと思われた。

 如月の仕事を浦田が代わりにやってくれているお返しだとはきちんと伝えてあったはずなのに。

 “まずいなぁ……”

 そう如月は思ったが、浦田はそれほど気にする様子も見せず、それから軽く家の中を案内すると「それじゃ、悪いけど、母さんの風呂と食事の世話をお願い」と言った。

 「“悪いけど”なんて言わないでください。私の方から是非にと言ったのですから」

 それに如月はそう返す。

 如月が“代わりに介護をしたい”と言った時、浦田はそれを断った。「そこまでしてもらうような事じゃないよ」と、言って。だが、如月は引き下がらなかった。今まで自分の所為で浦田に負担をかけていただけでも許せないのに、これからも負担をかけ続けるなんて彼女には我慢ができなかったのだ。

 「このままじゃ、私、この会社で働き続けられません」

 そこまで彼女が言うと、その真摯な姿勢と熱意に負けたのか、浦田は「ん。分かった。じゃ、お願いする」とそれを了承してくれたのだった。

 しかし、そこまで強引にお願いしておきながら、いざ彼の母親を介護をする段になって、彼女は怖気づいてしまっていた。「軽い補助だけで良い。後は自分でできるから」と、浦田からは言われていたのだが、その“軽い補助”がどこまでなのか分からず、どうしてもぎこちなくなってしまう。

 しかし、そんな如月の様子を察したのか、浦田の母親は何をしたらいいのか的確に彼女にアドバイスをしてくれたのだった。お陰で彼女はなんら困ることはなく入浴補助を進められ、やがては緊張も解けていった。

 「すいません。色々と至らない点もあったかと思いますが」

 風呂の世話が終わると、そう如月は浦田の母親に向けて頭を下げた。浦田の母親はそれにからからと笑って、

 「いえいえ、息子や介護ヘルパーさんよりもよっぽど良かったですよ。丁寧で。気持ちがこもっているのかしらね?」

 そう言ってくれた。

 そして、それで如月は帰ろうとしたのだが、そこで「夕食を食べていきませんか?」と、浦田の母親から誘われてしまったのだった。断ろうかとも思ったのだが、断るのがまるで浦田の母親を裏切る行為のように思えてしまって、結局は一緒に食べて帰ることにした。体よくやんわりと断ればいいのだろうが、そういった点も彼女は不器用なのだった。

 二階で仕事をしていた浦田も降りて来て一緒に食べたのだが、その時浦田の母親は、

 「ごめんなさい。息子が高齢者用のご飯を出前してくれるのだけど、味が薄くてあまり美味しくないのよね」

 などと、まるで彼女に訴えるように言ったのだった。

 「息子も偶には料理をしてくれるのだけど、やっぱり美味しくないし」

 とも。

 浦田はそれに「そこまで望まないでくれ。流石に無理だ」と返していた。

 それで二回目の介護の日、如月は浦田の家に食材を持って来たのだ。浦田の母親が何かをアピールしていたとまでは思わなかったのだが、喜んでくれるのなら食事を作ってあげたいと思ったのである。前回の食事の礼もしなくてはならない。

 そして、風呂の世話が終わって、彼女が料理の準備に取り掛かろうとすると、浦田の母親は「音さん。私もお手伝いがしたいのだけど、良いかしら?」とそんなお願いをして来たのだった。

 如月はそれにびっくりしてしまう。

 「でも……」と、言いかける彼女に浦田の母親はこう返す。

 「介護が必要と言っても、足腰が弱ってしまっただけですからね、手は動かせるんです。偶にはお料理がしてみたいわ。それに、お世話になってばかりというのもなんだか心苦しくてね」

 そう言われて、如月は「分かりました」と答えた。

 自分に何もできないというのが、どれだけ苦しいのか今の彼女にはとてもよく分かっていたからだ。

 歩行補助器を利用すれば、比較的楽に浦田の母親と一緒に料理をすることができた。包丁を使う時は流石に支えたが、それ以外は何もせずとも作業ができた。久しぶりに調理場に立つからか、浦田の母親はとても楽しそうにしていた。如月にはそれが嬉しかった。浦田の母親は丁寧に料理を教えてくれて、その仕草からは彼女の優しさが伝わって来た。

 きっと、とてもいい人なのだろう。

 如月はそう思う。

 浦田の母親と一緒に作った料理を浦田は「ん。美味しい」と言って食べてくれた。

 「俺が作るとこうならないんだよ。どうしてなんだろうな?」

 なんてちょっと困った顔で、首を傾げたりなんかして。

 彼女はその浦田の言葉を聞いて喜んだ。料理を褒めてくれた事ももちろんだが、それはそれだけでなく、浦田のように仕事ができる男でも劣等感を感じるのだと知ったことが大きかったのかもしれない。

 自分にも、彼より勝っている部分があるのだ、と。

 三回目の介護。

 浦田の母親は、「今日はお風呂はいい」と言い、代わりにお喋りをしてくれないかと如月に頼んだ。

 歳を取ると、毎日お風呂に入らなくても苦痛ではなくなるのだそうだ。新陳代謝があまり活発ではなくなるからだろう。自分の父親もそうだったと彼女は思い出した。

 

 「うちの子のこと、どう思う?」

 

 その時のお喋りで、彼女はそう言われた。

 まるで浦田を小さな子供のように言うその口調に彼女は母性を感じた。この人は母親なのだと実感する。

 その意味を彼女はもちろん分かっていた。きっとこの人はずっと勘違いをしていたのだろう。そう思うとなんだか申し訳なくなった。

 それで彼女は改めて、浦田の母親に自分が会社の仕事ができず、結果として浦田に負担をかけてしまっていることを説明した。この介護はその謝罪とお礼と彼の負担軽減の意味があってしているのだと。ところがそれを聞き終えると、浦田の母親はこう言ったのだった。

 「それは前にもう聞いたわ。私はあなたにうちの子をどう思うかと聞いたのよ?」

 如月はその質問に不意を突かれたような気分になった。

 どう?

 彼女は浦田について真剣に考えた事がなかったのだ。浦田は仕事ができる。技術者としてのレベルはとても高いだろう。にも拘わらず、出世には無関心で、充分な仕事の見返りを求めていないように思える。欲がない人。

 そして、恐らくは、とても優しい。

 「素敵な方だと思います」

 しばらくの間の後で、彼女はそう答える。しかし、その後で直ぐに「でも、私みたいな女を浦田さんが気に入るはずなんて……」と、まるで何かを誤魔化すように慌てて続けた。

 「あの子がどう思っているかなんて聞いていないわ」

 そう、その彼女の様子を見て、浦田の母親は可笑しそうに笑った。

 「でも、あの子をそんな風に思ってくれていたのね。あんなむさ苦しいおじさんなのに。嬉しいわ」

 楽しそうにそう続ける浦田の母親に対し、彼女は「いえ、人は外見ではないので」と返し、失礼な事を言ってしまったと気付くと慌てて、「いえ、これは決して浦田さんがむさ苦しいという意味ではなく……」とそんな言い訳をした。

 その彼女の様子に浦田の母親はやはり可笑しそうに笑う。そして、それからこんな事を言った。

 「あの子のことなら心配しなくていいわよ。あの子、泣き落としに弱いから、もし本当に狙っているのなら、そういう方面からアピールしちゃえば、きっとすぐに落ちるから」

 

 泣き落とし?

 

 その単語に、如月は反応する。

 そして、父親の借金を背負っているという自分の立場は、“泣き落とし”をするのに好都合なのでは?

 とも、少し考えた。

 ただ、普通に考えるのなら、借金を背負っている相手と結婚したいなどとは考えないだろうと、その後で直ぐに思う。

 もっとも、“普通に考えるのなら”だが。

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