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11.私には私の恩返し方法がある

 このところ、叶瞳は上機嫌だった。

 それは仕事が殊の外順調だったからで、そしてどうやらそれは共同開発のパートナーである運行チーム側の主導権が、如月音から浦田一に移った事が主因であるようだった。

 少し伝えるとこちらの意図を直ぐに把握してくれる。しかも、それに合わせて迅速にソースを追加修正してくれるものだから、仕事の遅延が激減したのだ。

 こんな芸当を実現する為には、単純なプログラミング技術だけではなく、この現場の文化的特性を知っていなければまず不可能だ。

 つまり、浦田一が運行チーム側のプロジェクトを動かしているという事だ。

 もっとも、この展開を叶瞳は予想してもいたのだが。

 “やっぱり、如月音が前のプロジェクトを成功させられたのは、浦田さんのお陰だったみたいね”

 と、そしてそう思う。

 主導権が移ってからも叶は飽くまで建前上は如月音がリーダーであるように振舞った。それでも不自由はなかったからだ。如月にメールを送る場合は、浦田を常にCCに入れるようにしていたし、直に話をしに行く場合でも浦田は隣にいるから同時に伝えられる。もちろん、その場で議論をすることもあった。

 リーダーである如月を無視したりすれば、まるで嫌がらせをしているように見える。だからこれは彼女にとって都合が良かった。このまま浦田が実質的なリーダーとしてプロジェクトを進めて行けば、少なくとも機能面では申し分ないシステムを作り出せそうだ。

 ただし、叶には少し気になる点もあった。

 浦田には介護が必要な母親が家にいたはずなのだ。メインで働くとなるといくら仕事の速い彼でも残業をせざる得ないわけだが、そうなると介護ヘルパー代で大幅に赤字になってしまう。一体、どうしているのだろう?

 それで遅くなった日、叶は運行チームのフロアに寄って様子を見てみたのだが、意外にも浦田の姿はないのだった。しかも、如月音まで帰宅している。不思議に思った叶はまだ残業していた霧島に話しかけた。

 「浦田さんはもう帰ってしまったの?」

 共同でプロジェクト開発を行っているお陰で、彼女とは気軽に話しかけられるくらいの関係にはなっていたのだ。

 「はい。もう帰っていますね。定時頃に上がりましたよ」

 霧島はそう答えた後で、叶の疑問を察したのか直ぐにこう付け足した。

 「最近、家に持ち帰って仕事をする事が多くなったんですよ、浦田さん」

 “家で?”

 それを聞いて叶は少し考える。

 “あ、なるほど。運行の緊急トラブルって訳でもないから、別に家で仕事をやっても問題ないのね。

 ま、残業代は貰えないから微妙だけど、それでも介護ヘルパー代よりは安く済むのかもしれない”

 ただし、それでも疑問は残った。

 「でも、浦田さん。家では介護しないといけないのでしょう? 仕事をやっている時間なんてあるのかしら?」

 その疑問の声に霧島は軽く首を傾げた。

 「分かりませんが、食事やお風呂の世話をしたら、後は手が空くとかじゃないですかね?」

 それに叶は何も応えない。介護の事情は彼女も知らなかったが、或いは霧島の言う通りなのかもしれない。

 「――で、如月さんもいないのね」

 そして一呼吸の間の後で、そう呟く。

 叶は気を遣って小さな声で言ったのだが、それに普通の声の大きさで霧島は返した。

 「如月さんが残っていても、どうせ大した仕事はできませんからね」

 既に今は、設計が終わり、実装の段階に入っている。仕様変更もほぼなかったから、プログラミング・スキルで劣る如月に出る幕はあまりなかったのだ。

 如月のスキルが低いことを隠そうとしない霧島に叶は多少驚いた。彼女の性格が特別明け透けという訳でないのなら、それはその事実が既に公然の秘密になっている事を意味しているのだろう。

 驚いている叶の様子に気が付いたのか、それから霧島はこう言った。

 「あ、別に如月さん、それでも皆から悪くは思われてはいませんよ? 謙虚で真面目ですからね、彼女」

 どうも叶の反応を理由を勘違いしているようだ。

 「他でお返ししようって、一生懸命ですし。スキルが足りない分を、肉体労働で返すつもりなのか、掃除とかも率先してやっていますしね」

 「肉体労働?」

 「はい」

 「それは、ちょっと…… どうなの? ま、本人が良いのなら、別に構わないけど」

 “肉体労働”と聞いて、如月音が技術者としての株を自ら下げているように彼女は感じたのだ。

 「少なくとも自分の持っているスキルの範囲で、精一杯に役に立とうって姿勢は好感が持てると思いますよ?」

 霧島はそれにそう返した。

 それはその通りなのだろうが、叶が言いたかったのはそういう事ではない。ただ、説明するほどでもないと思ったから、それ以上は何も言わなかったが。

 

 それからもプロジェクトは順調に進んだ。実績のある実力派の二人が主導しているのだから当然だと叶瞳は考えていたのだが、その一方で浦田一の労働コストを不思議に思ってもいた。スケジュールの進捗具合からいって、浦田は相当な時間働いていなくてはならないのだ。それで、

 “まさか、浦田さん。家で仕事している分に関しては、完全にサービスするつもりでいるのかしら?”

 などと考える。

 しかし、もしそうだとするのなら、浦田は如月音の為に、自分の自由時間を削っている事になる。本来は如月音の仕事なのだから。彼女には浦田がそこまでしなくてはいけない理由が思い付けなかった。

 実を言うのなら、彼女は浦田に労働負担がかかり過ぎているのなら、開発チーム側である程度仕事を引き受けても良いとすら考えていた。

 彼女は彼に恩返しする事を、今でも忘れてはいなかったのだ。

 

 「あの…… もしも、運行チームの方で手が空いていないのでしたら、こちらで仕事を引き受けても構いませんが?」

 

 それである日の打ち合わせの席で、叶は浦田にそう言ったのだ。

 それは後少しで始まるだろうテストの工程をどう進めるかを話し合う為の場で、如月音は都合が悪くて出席していなかった。つまり、叶と浦田は二人切りだったのだ。

 と言っても、直ぐ隣のブースでは、他の社員達が何やらやかましく話し合いをしていたのだが。

 「いや、大丈夫だよ。今のところは、何の支障もない」

 “……何の支障も?”

 それを叶は怪訝に思う。

 母親の介護を考えるのなら、浦田は大変な状況のはずなのだ。

 「あの…… でも、浦田さんは確かお母さんの介護があるのでしょう? かなり厳しいと思うのですが」

 それで尋ね難いとは思いながらも彼女はそう口を開いた。それに彼はやや驚いたような表情を見せる。

 「なるほど。その事を知っていたのか。優しいな、叶さんは」

 そう言われた叶は珍しく照れて少し顔を赤くした。

 「でも、大丈夫。叶さんだって大変だろう? 共同での開発を引き受けてくれただけでも、こっちは充分に感謝しているんだ」

 「いえ、全然平気…」

 と、そう彼女は言いかけたのだが、それを浦田に手で制されてしまう。

 「立石さんから聞いているよ。

 君、前もけっこう大変なプロジェクトをやっていたのに、ほぼ休みなしで続けてこのプロジェクトに参加してくれたのだろう?

 無理は禁物だ。身体を壊してしまう」

 それを聞いて、“あいつめ……”と、叶は思う。柄にもなく立石が変な気を利かせたと考えたのだ。

 「分かりました」

 しかし、それを受けて、叶は素直にそう返した。

 “浦田さんはやっぱり優しいな”、と心の中で呟きながら。

 そして、それから「それでは、テストはお互いが半分ずつ工数を負担するという事でいいですかね?」と確認した。

 「ああ、できるだけ多くの人に見てもらった方が想定外のバグを潰し易い。その方が良いと俺は思う」

 浦田はそれを了承する。

 「はい」と応えると、彼女はこう思った。

 

 “私には私の恩返し方法がある。絶対に、このプロジェクトを成功させてみせますからね、浦田さん”

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