白いダリアを君に 下
二話一度に投稿しております。
「陛下、料理長から文を預かっております」
「料理長から・・・?」
暖かな昼前、イルミナは珍しい相手からの手紙にきょとんとした。
内容は、いつもは夜に行う特訓だが、今日は珍しく昼過ぎに時間が取れました、とのことだった。
しかし自分には執務がある。
残念だが断ろうと考えていると、予想外のところから声があがった。
「陛下。
ここ最近根を詰められすぎておいでなので、本日は一日休養をお取りください」
「ヴェルナー?」
「そうです、陛下。
たまにはゆっくり、お好きなことをされてお休みください。
私は騎士団に稽古をつけに行きます。
その間は他のものが護衛につかせていただきます」
「?、??」
「今日の執務は私とライゼルト卿で事足りますから。
根を詰め過ぎて陛下が体調を崩される方が問題です。いいですね?」
「え、あ、はい」
いつになく強引なヴェルナーとアーサーベルトに、イルミナはたじたじになりながらも頷いた。
そしてあれよあれよという間に、イルミナは予期せぬ休日を得ていた。
「・・・えっと・・・、メリルローズ、料理長にわかったと伝えてもらえる?」
「かしこまりました」
予期せぬものではあるものの、せっかく時間が出来たのであれば活用しない手はない。
昼過ぎということは昼食後ということだろう。
それまでまだ時間はある。
「・・・少し休んでから行こうかしら」
暖かな陽気は、眠気すら誘いそうだ。
そうだ、せっかくだしとイルミナは自分の一番のお気に入りである四阿で、午前のひと時を過ごした。
*********
「最後になりますが、よろしくお願いします、料理長」
「こちらこそ。今日こそ完成させましょう!」
「はい!」
イルミナは人気の全くない厨房を不思議に思いながらも手を洗っていた。
「料理長、今日人がいませんが、何かありましたか?」
「えっ!?イイエ、今日は仕込みも早く終わりまして、皆に休憩を長く取らせているんです」
「そうですか・・・。私のせいですか・・・?」
「そんなことありません!
むしろ陛下の為に開けられたと知れば、奴らは狂喜乱舞しますよ!」
「・・・?」
何故狂喜乱舞するのかよくわからないが、とりあえず微笑んでおく。
そしてエプロンをしていると。
「―――?」
イルミナは一瞬誰かの気配を感じたような気がして、振り返った。
しかしそこには鼻歌を歌いながら材料を準備している料理長の姿しか見えない。
それに感じたのも一瞬で、今ではなにも感じられない。
イルミナは首を傾げながらも、準備が出来たことを料理長に伝えに行った。
「では、始めます」
「はい」
イルミナはいつもと同じように材料を混ぜる。
もう何度もやりすぎて、体が勝手に動きそうになるほどだ。
しかし慢心はしない。
「料理長、このくらいでどうですか?」
「・・・もう少し混ぜましょう」
「はい」
イルミナは必死に混ぜる。
いつもであれば練習用の少量なのに、料理長は最後であれば一気に作りましょうと驚くほどの量を入れてくるのだ。
「りょう、り、ちょう・・・、その、多く、ないですか?」
「いいえ、一気に作ってしまえば、焼きで何度失敗されても問題ありませんよ」
失敗が焼きでなかった場合はどうするのか、などと聞かない。
ある意味やけっぱちにも近かった。
「さ、焼きますよ」
「お、お願いします・・・!」
数時間にわたって混ぜ、形を作ったクッキーたちは、天板に整然と並んでいる。
この時まではまだクッキーらしいのだ。
砂糖と塩も間違えておらず、ちゃんと成形できるくらいの固さがある。
これで竈さえうまくいけば、ちゃんとしたクッキーになるはずだ。
しかし、竈は非情だった。
「あぁっ・・・」
「っく、また・・・!?」
出てきたのは炭のように黒くなった物体だった。
しかし料理長は汗を光らせながら次に行きましょう!と声をかけてくる。
「陛下、失敗は誰しもつきものです!
さぁ、次に行きましょう!」
「は、はい」
いつになく熱血指導をしてくる料理長を、イルミナは不思議に思いながらも天板を竈に入れる。
そして次々に作り出される焼けたクッキーは。
「で、でき、た・・・?」
「で、きました・・・?」
今までで一番焦げの少なく、そして形を保ったクッキーが、現れた。
「りょ、料理長・・・!」
「陛下・・・!」
二人は手を取り合いながら涙しそうになる。
何度も何度もこのクッキーを作ろうとして、何故か炭になり、溶け、固まったかつてのクッキーたち。
「あ、味見を」
「そうですね」
イルミナは震える手でまだ熱いそれに手を伸ばす。
焼き立てだからまだ少しだけ柔らかいが、時間が経てば変わるだろう。
「―――」
―――さくり
少なくとも、ガリや、ゴリ、など変な音はしなかった。
むしろクッキーらしい音ともいえよう。
「―――っふぅ」
イルミナは堪えきれずに涙を零した。
「陛下!?だ、大丈夫ですか!?」
「っ、ちゃんと、くっきー、だわ・・・、料理長」
少ししっとりしすぎているかもしれないが、少なくとも焦げてはおらずクッキーに見える。
味も買ったものやプロの人たちが作るものより素朴で、ありきたりともいえるだろう。
それでも、イルミナにとっては初めて成功したクッキーだった。
何回の内のたった一回の成功かもしれない。
それでも、十分だった。
「っ・・・はぁ、ありがとう、料理長」
「いいえ、いいえ、本当によかった・・・!これで皆様に贈るお菓子が・・・」
「・・・ごめんなさい、料理長」
「ど、どうされたんですか?」
イルミナは失敗したクッキーと成功したクッキーを見る。
「流石にこれは上げられないわ・・・。
料理長、これは私とジョアンナと貴方だけの秘密にしてもらえる?」
「なぜっ!?」
「だって、こんな恥ずかしい姿、見せられないもの」
イルミナの返事に、料理長はぽかんとした。
負けず嫌いの性格が災いしたのもある。
だから、何が何でも成功したいとイルミナは思っていた。
しかし考えても見れば、こんな失敗続きのなかの奇跡の一回を人にあげてよいものなのだろうか。
もしこれを食べて、胃を下したりなどしたら、目も当てられない。
それに出来ない、ということがバレてしまう。
それがとてつもなく恥ずかしく思ってしまったのだ。
イルミナは焼いたクッキーたちを包もうとすると。
「それはいけないな」
「!?」
背後から伸ばされた手に、それを止められた。
背中をすっぽりと包みこまれ、それとともに嗅ぎなれた香りが鼻孔を擽る。
「・・・グラン!?」
イルミナは慌てて隠そうとするも、今度は別の手がそれを奪うように持って行った。
「駄目です、陛下。
せっかく陛下がお作りになっていると聞いて楽しみにしていたんですよ?」
「アーサー!」
「まぁ、見た目は悪いかもしれませんが、味は異なるかもしれませんからね」
「ヴェルナー!」
そこには見慣れた人たち・・・イルミナが感謝を伝えようとしていた人たちがいた。
「りょ、料理長・・!?」
「申し訳ありません、陛下・・・、メイド長に相談したらこのようなことに・・・」
朝からの違和感はこれだったのか、とイルミナは心の中で叫んだ。
いくらなんでもおかしいのだ。
いきなり休日になったことも、自分がクッキーを渡したいと思っている相手が悉く用事があると言っていたことも。
全部全部。
「知っていたのですか・・・!」
顔から火を噴く思いだった。
「あぁ、ジョアンナが教えてくれたんだ。
料理長もな。イルミナ、ダメじゃないか・・・、せっかく作ったクッキーを隠そうとするなんて」
「だって!こんな失敗あげられません!」
イルミナは恥ずかしいのやら悔しいのやらで、止まりかけた涙がまた溢れ出すのを感じた。
「イルミナ、お前は勘違いしているよ」
「・・・」
「そうです、失敗とかどうでもいいんです」
「・・・陛下が我々の為にお作りになった、それだけで嬉しいのですから」
「・・・そう言われるのは何となくわかっています・・・。
ですが、せっかく作るのであれば美味しいと思うものを食べてもらいたいと思うではありませんか」
イルミナがちょっとだけ睨むように三人を見ていると。
サクサク
「「「「???」」」」
「ん・・・焦げてるけどおいしいですね、料理長。
でも失敗するなんて珍しくないですか?」
「「「・・・」」」
そこには、リヒトがクッキーをもしゃもしゃと食べていた。
「り、リヒト、貴方・・・」
背後から見守っていたらしいジョアンナが、わなわなと震えている。
「あれ、どうしたんですか・・・って陛下ぁ!?
あああああ、サボりじゃないです!!
ちょーっと小腹が空いたんで」
「リヒト、貴様こっちにこい」
「ひぇ!?」
「小腹が空いたからと言って、厨房にあるものに簡単に手を出すとは・・・教育が足りなかったか?」
「ひいいい!?」
「陛下、私も頂いても?」
「「アーサー!!」」
一瞬で騒がしくなった厨房に、イルミナの涙は引っ込んだ。
それどころかぱちくりと紫紺の瞳を瞬かせている。
目の前にはグランに詰め寄られているリヒトと、アーサーベルトからクッキーを取り上げるヴェルナーがいる。
「―――ふふっ」
「陛下?」
いきなり笑い出したイルミナに、ジョアンナが心配そうに声をかけた。
「・・・みんなで食べましょう?
美味しくは出来なかったけど、感謝の気持ちを一杯込めたんです」
失敗してしまって、本当なら見せたくもないくらい。
だが、きっとこの人たちはそれすら気にせず食べてくれるのだろう。
それくらいの信頼を築いてきたから、わかってしまう。
「ジョアンナ、ナンシーたちもよんでみんなでお茶にしましょう?
料理長も、ぜひ。リヒトも、執務室の人を呼んできて。アーサー、キリクたちもよ。
せっかくですから、皆でお茶にしましょう?
お菓子はみんなで持ち寄って。
あ、だれかフェルベール医師に腹痛に効く薬を持ってくるようにも伝えてもらえる?」
「かしこまりました、陛下」
「せっかくだもの、みんな代わる代わる来れるようにしてください。
料理長、申し訳ないのだけれど、簡単に作れるお菓子を用意してもらえるかしら?」
「もちろんです、陛下」
その日、ヴェルムンドの王城の中庭では、たくさんのお菓子が用意された。
メイドも近衛騎士も、騎士団も、文官も。
誰もが少しだけ立ち寄れるように配慮されたそれは、女王陛下の感謝の気持ちと称され、城のものから益々愛されるきっかけの一つになる。
「それにしても、私だけにくれるのかと期待したんだがな」
その夜、グランはイルミナにお礼と称してちょっとした酒宴を用意していた。
「せっかく感謝の気持ちを伝えられる機会があると聞いたので・・・、ごめんなさい」
「謝るな、むしろ私の心が狭いと言ってもいいんだぞ?」
生真面目に返すイルミナに、グランは苦笑を零す。
「そんなことない、グランはとても優しいです・・・。
それに比べて私は・・・」
「あぁ、引き摺っているなぁ」
くすくすと笑うと、イルミナは疲れからかすでに酔っているようで、ぐい、とその身をグランへと乗り出させた。
「・・・感謝しています、グラン」
ちゅ
「・・・」
「そろそろ、寝ますね。
おやすみなさい、グラン」
パタンと閉じられる扉の音を聞いてから、グランは顔を真っ赤にしながら顔を伏せた。
いい年をした男が、頬にキスぐらいで照れるな、と言ってやりたいが。
「~~~反則だろう・・・!」
いつもは照れてばかりの彼女から、このように態度を見せられると柄にもなく照れてしまう。
「・・・次に私の番だからな、イルミナ」
いい年して拗らせた男を弄ぶとどうなるか。
自分の愛情を以てして教えてやろうとグランは心に誓った。