第7話 歯車は嘘をつかない
試作に三日かかった。
暖房魔道具の改良版。反射板を取り付け、出力の三段階制御機構を組み込んだもの。見た目は以前とほぼ変わらない。だが性能は別物のはずだ。
「完成です」
コンラートと二人で、試作品を廊下の暖房装置と入れ替えた。起動する。暖かい風が、壁ではなく廊下全体に広がった。
コンラートが手をかざして目を丸くした。
「すごい。前は壁側しか暖かくなかったのに、均一に広がってます」
「出力を切り替えてみて」
コンラートが制御つまみを回す。弱・中・強。三段階で温度が変わる。つまみを回すたびに、コンラートの顔が明るくなる。
「これなら季節に応じて調節できますね。冬場の魔石の消耗が相当減るんじゃ……」
「計算上は六割まで削減できるはず。ただし、実際の運用データがないと正確なことは言えない」
わたしは記録用紙に温度と出力の変化を書き留めた。一時間ごとに計測して、安定性を確認する。これが検証だ。観察して、仮説を立て、検証して、結果を示す。魔道具の修理も、人の信頼を得ることも、やることは同じだ。
朝から晩まで、廊下に張りついた。コンラートが交代を申し出てくれたが、断った。自分の目で見たデータでなければ意味がない。
計測を続けるうちに、廊下を通る使用人たちが立ち止まるようになった。「いつもより暖かい」「風がまんべんなく来る」「これはいいね」。彼らの声も、わたしにとっては大切なデータだった。
三日間の計測データを揃え、わたしはリュシエンヌのもとを訪ねた。
「改良の報告です」
記録用紙と設計図を提出する。
リュシエンヌは書類に目を通した。ペンで数箇所に印をつけ、顔を上げた。
「暖房の効率が四割改善。魔石の消耗も減る。これが事実なら、宮廷全体の暖房費に影響する規模ね。年間の節約額は小さくないわ」
「計測データを添付しています。三日間の推移も記録しました」
「丁寧な仕事ね。ダリオの入れ知恵?」
「いいえ。自分で考えました」
嘘はつかない。ダリオは方向性を示してくれたが、設計も計測も自分でやった。三日間、朝から晩まで廊下に張りついて温度を測った。使用人たちが不審な顔をしていたが、コンラートが「改良のためです」と説明してくれた。
リュシエンヌが書類を閉じた。
「正式な審査は技術委員会が行います。わたしの推薦状をつけて提出しましょう。結果は一週間後」
「ありがとうございます」
部屋を出ようとしたとき、リュシエンヌが言った。
「ノエルさん。ひとつ教えておくことがあります」
「何でしょう」
「技術委員会の委員長は、ハイリゲン伯爵と親しいアルヴィン侯爵です」
足が止まった。
「グスタフと親しい方が、わたしの審査を?」
「そうです。でも──歯車は嘘をつかないでしょう」
リュシエンヌが穏やかに微笑んだ。その言葉が、胸にすとんと落ちた。
「はい。歯車は嘘をつきません」
わたしは一礼して部屋を出た。廊下を歩きながら、自分に言い聞かせた。データは揃えた。設計は正確だ。あとは、事実が語ってくれる。
◇
審査の日。わたしは技術委員会の部屋に呼ばれた。
長いテーブルに五人の委員が座っている。中央の大柄な男が、アルヴィン侯爵だろう。鷹のような目で、書類をめくっている。顎に蓄えた髭は白く、顔には深い皺が刻まれていた。威厳のある容貌だ。
「ノエル・カペル。暖房魔道具の改良案について説明しなさい」
声は低い。威圧的だが、不当ではない。わたしは落ち着いて説明を始めた。
現行品の問題点。改良の設計思想。三段階制御の仕組み。計測データの推移。声が震えないよう、ゆっくりと、一つずつ。手元の資料を示しながら、論理の順番を崩さないように。
説明が終わると、委員の一人が質問した。
「この改良を宮廷全体に導入した場合、工期はどの程度か」
「一基あたりの改修は半日で可能です。百基なら、技師五人で十日間と見積もります」
「費用は」
「反射板と制御機構の材料費のみです。魔石は既存のものを流用できますので、新規の調達は不要です」
別の委員が手を挙げた。
「三段階制御の耐久性は検証したのか。歯車の摩耗が進めば、制御が狂う可能性がある」
「歯車の軸を三度ずらす技法を使っています。これにより摩耗を大幅に軽減できます。計算上、通常使用で五年以上の耐久性です」
ダリオが鑑定した球体の修理と同じ技法。あのときの経験が、ここで活きている。
委員たちが顔を見合わせた。反論の余地がないのだ。データが語っている。
アルヴィン侯爵が書類を閉じた。
「ひとつ聞く。お前はハイリゲン伯爵の元妻だと聞いた」
来た。
「はい」
「離縁された女が宮廷で働くことを、どう思う」
「技術に身分は関係ないと考えております」
「そうか。だが宮廷では身分がものを言う」
アルヴィン侯爵の声は冷たかった。しかし、他の委員がわずかに眉を寄せたのを、わたしは見逃さなかった。身分を理由に技術を退けられるのか──そういう疑問が、委員たちの間にも生まれている。
侯爵は書類に目を戻した。指がデータの列を追っている。読んでいる。否定する言葉が出ない。事実を無視することは、この人にもできない。技術委員会の委員長という肩書が、それを許さない。
「委員会の決定は後日通知する。下がりなさい」
わたしは一礼して部屋を出た。廊下に出た瞬間、緊張の糸が切れた。膝が少し笑った。壁に手をついて、深呼吸する。手のひらが汗で冷たい。
「お疲れさまです」
振り向くと、ダリオが廊下の柱に背を預けて立っていた。
「聞いていたんですか」
「扉が薄い」
ダリオがわたしの隣に来た。
「アルヴィン侯爵はグスタフの味方だが、技術には誠実な人間だ。データが正しければ、承認する」
「……そうだといいのですが」
「そうでなければ、わたしが動く。心配するな」
何気ない言葉だった。でも──「心配するな」と言われたのは、いつ以来だろう。九年間、誰にも言われなかった。この三文字がこれほど重いとは、知らなかった。
「ありがとうございます」
小さな声で答えた。ダリオはうなずいただけで、工房へ歩き出した。その背中を見送りながら、わたしは思った。信頼というのは、こういう形をしているのか。大きな言葉ではなく、小さな行動の積み重ね。隣にいること。待つこと。「心配するな」と言ってくれること。
三日後、結果が届いた。
承認。
改良案は宮廷全体への導入が決定され、ノエル・カペルは正式な見習い技師として登録される──と。
書類を受け取ったとき、手が震えた。でも今度は恐怖ではない。
コンラートが飛び上がって喜んだ。「やりましたね! やりましたよ!」と工房中に響く声で叫んでいる。ダリオは小さくうなずいただけ。リュシエンヌは「当然ね」と一言だけ言った。
わたしは──笑った。声を出して笑ったのは、九年ぶりだった。頬が痛いほど笑って、その痛みすら嬉しかった。こんな気持ちになれる日が来るとは、思ってもいなかった。




