第43話 工房の新しい風
嵐が過ぎた後の宮廷は、驚くほど穏やかだった。春の風が廊下を吹き抜け、人々の足取りが軽い。すれ違う人々が笑顔で会釈をしてくれる。
王太子と殿下が同時にいなくなった空白を、国王陛下は信頼できる大臣たちに委ねた。宮廷の空気が変わった。重石が外れたように、人々の表情が柔らかくなっている。
工房も変わりつつあった。
第二世代の暖房魔道具が公共施設に導入されて二ヶ月。設置場所は王都の集会所、書庫、孤児院──魔石を使わない暖房が、人々の生活に入り始めている。孤児院の子どもたちが、冬でも温かい部屋で眠れるようになったと聞いたとき、わたしは工房で一人、静かに泣いた。
これがわたしの技術の意味だ。誰かの生活を、少しだけ楽にする。ダリオに最初に言った言葉を思い出す。
わたしの望みは大きくない。でも──十分だ。
ダリオが窓辺で設計図を広げている。第二世代の改良版の構想を練っている。この人は──完成したものに満足しない。
完成は次の始まりだと考えている。常に次を考えている。技師としての姿勢が、わたしの手本だ。
「次は照明ですね」
コンラートが設計図を広げた。第三世代──魔石を使わない照明魔道具の構想。空気中の魔力を光に変換する仕組み。
暖房と同じ原理だが、出力の調整が格段に難しい。光は熱と違って、ちらつきが目に見える。
安定性がさらに重要になる。自己復元構造をさらに精密に調整しなければならない。
「光は熱より繊細よ。歯車の精度をさらに上げないと」
「ぼくが削ります。溝の深さ、前より細かくできるようになりましたから」
コンラートがやすりを握った。十五歳の少年の手は──もう子どもの手ではなかった。
半年前にわたしが工房に来たときは、やすりを落としそうにしていた手。今はしっかりと工具を握り、迷いなく金属を削る。
ダリオが設計図を覗き込んだ。
「照明か。シャルロッテ先生が最後に取り組んでいた課題だ」
「シャルロッテ先生も?」
「ああ。実現できずに宮廷を去った。──お前が完成させるか」
「はい。先生の研究を引き継ぎます」
ダリオの目が細くなった。師匠の遺志を弟子が、そしてまた次の世代が継いでいく。歯車のように──回り続ける。
エルザが事務机で新しい書類を整理していた。工房の拡張申請書だ。
エルザが事務机で新しい書類を整理していた。工房の拡張申請書だ。
丁寧な字で必要事項が埋められている。イルマの侍女だった頃に鍛えられた事務能力が、ここで花開いている。
「ノエルさん。技術委員会から承認が下りました。工房の隣の部屋を改装して、研究室として使えるそうです」
「本当?」
「はい。しかも──新しい見習いを二名受け入れる予算もついています」
工房が広がる。人が増える。一人で始めた場所が──チームになっていく。
リュシエンヌ様の手帳に書かれていた。「一人で守れるものには限りがある。仕組みで守れ。
人を育てろ」と。あの方の言葉は──わたしの行動指針になっている。王室直属技術顧問としての最初の仕事は、この言葉を制度として形にすることだ。
◇
午後、エーファが学校から帰ってきた。王都の公立学校に通い始めて数週間。最初は緊張していたが、今は友だちもできたらしい。
「おかあさま! きょう、がっこうで、はぐるまのえをかいたの!」
便箋を広げて見せてくれた。歯車が五つ噛み合った絵。
色使いは派手だが、構造がちゃんとしている。五つの歯車が連動して回る仕組み──九歳にしては、よく観察している。
絵を受け取った。五つの歯車が連動して回る仕組み。
色使いは派手だが、歯の数が隣り合う歯車で合っている。九歳にしては、よく観察している。
「上手ね。歯車の歯がちゃんと噛み合ってる」
「だって、おかあさまのしごと、みてるもん」
ダリオが横から絵を覗き込んだ。
「歯数が合っているな。この子は──才能がある」
「ダリオおじちゃん、ほんと?」
「本当だ。嘘は言わない主義だ」
嘘は言わない。この工房では、誰も嘘をつかない。それが──わたしたちの約束だ。
エーファがぱっと笑った。ダリオも──口元を隠しきれずに笑っていた。
アンナが夕食の準備を始めた。工房の隅に置いた小さなテーブルに、五人分の皿を並べる。
「アンナ。今日は六人分お願い」
「六人?」
「侯爵の後任の委員が、挨拶に来るの」
新しい委員は、シャルロッテ先生の元同僚だという。技術を理解し、公正さを重んじる人物だとダリオが太鼓判を押した。
宮廷は少しずつ変わっている。正しいものが正しく評価される場所に。
食卓を囲みながら、エーファが言った。
「おかあさま。エーファ、おおきくなったら、はぐるまのおしごとする」
「本当に?」
「うん。おかあさまみたいに、みんなをあたたかくする」
コンラートが「じゃあぼくの後輩だ」と笑い、エルザが「いい弟子ができますね」と微笑んだ。ダリオは何も言わなかったが、目が温かかった。この人の目が温かくなる瞬間を、わたしは何度も見てきた。
技術を認めるとき。人の成長を見守るとき。そして──わたしを見るとき。
わたしの手が──歯車を握っている。エーファの手も──いつか歯車を握る日が来るのだろうか。
窓の外に夕焼けが広がっていた。赤い光が工房を満たし、五人の影を壁に伸ばしている。この影の形が──わたしの日常だ。
温かい食卓と、信頼できる仲間と、笑い声。かつては北向きの窓から見える灰がかった空がすべてだった。今は──夕焼けの中に、未来が見える。
温かい未来。歯車が回り続ける、新しい時間。わたしとダリオとエーファと、工房の仲間たちと。
みんなで回す、大きな歯車。一人では動かせないものを、みんなで動かす。シャルロッテ先生が一人で守った工房を、ダリオが二人で守り、今は五人で守っている。
やがて──もっと多くの人が加わるだろう。エーファが技師になる頃には、この工房は王都で一番温かい場所になっているはずだ。わたしはそう信じている。
いや──そう、する。それが──わたしが学んだ、一番大切なことだ。




