表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫の愛人の隠し子を九年育てましたが、そろそろ自分のために生きます  作者: 渚月(なづき)
第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/45

第43話 工房の新しい風

嵐が過ぎた後の宮廷は、驚くほど穏やかだった。春の風が廊下を吹き抜け、人々の足取りが軽い。すれ違う人々が笑顔で会釈をしてくれる。


王太子と殿下が同時にいなくなった空白を、国王陛下は信頼できる大臣たちに委ねた。宮廷の空気が変わった。重石が外れたように、人々の表情が柔らかくなっている。


工房も変わりつつあった。


第二世代の暖房魔道具が公共施設に導入されて二ヶ月。設置場所は王都の集会所、書庫、孤児院──魔石を使わない暖房が、人々の生活に入り始めている。孤児院の子どもたちが、冬でも温かい部屋で眠れるようになったと聞いたとき、わたしは工房で一人、静かに泣いた。


これがわたしの技術の意味だ。誰かの生活を、少しだけ楽にする。ダリオに最初に言った言葉を思い出す。


わたしの望みは大きくない。でも──十分だ。


ダリオが窓辺で設計図を広げている。第二世代の改良版の構想を練っている。この人は──完成したものに満足しない。


完成は次の始まりだと考えている。常に次を考えている。技師としての姿勢が、わたしの手本だ。


「次は照明ですね」


コンラートが設計図を広げた。第三世代──魔石を使わない照明魔道具の構想。空気中の魔力を光に変換する仕組み。


暖房と同じ原理だが、出力の調整が格段に難しい。光は熱と違って、ちらつきが目に見える。


安定性がさらに重要になる。自己復元構造をさらに精密に調整しなければならない。


「光は熱より繊細よ。歯車の精度をさらに上げないと」


「ぼくが削ります。溝の深さ、前より細かくできるようになりましたから」


コンラートがやすりを握った。十五歳の少年の手は──もう子どもの手ではなかった。


半年前にわたしが工房に来たときは、やすりを落としそうにしていた手。今はしっかりと工具を握り、迷いなく金属を削る。


ダリオが設計図を覗き込んだ。


「照明か。シャルロッテ先生が最後に取り組んでいた課題だ」


「シャルロッテ先生も?」


「ああ。実現できずに宮廷を去った。──お前が完成させるか」


「はい。先生の研究を引き継ぎます」


ダリオの目が細くなった。師匠の遺志を弟子が、そしてまた次の世代が継いでいく。歯車のように──回り続ける。


エルザが事務机で新しい書類を整理していた。工房の拡張申請書だ。


エルザが事務机で新しい書類を整理していた。工房の拡張申請書だ。


丁寧な字で必要事項が埋められている。イルマの侍女だった頃に鍛えられた事務能力が、ここで花開いている。


「ノエルさん。技術委員会から承認が下りました。工房の隣の部屋を改装して、研究室として使えるそうです」


「本当?」


「はい。しかも──新しい見習いを二名受け入れる予算もついています」


工房が広がる。人が増える。一人で始めた場所が──チームになっていく。


リュシエンヌ様の手帳に書かれていた。「一人で守れるものには限りがある。仕組みで守れ。


人を育てろ」と。あの方の言葉は──わたしの行動指針になっている。王室直属技術顧問としての最初の仕事は、この言葉を制度として形にすることだ。



午後、エーファが学校から帰ってきた。王都の公立学校に通い始めて数週間。最初は緊張していたが、今は友だちもできたらしい。


「おかあさま! きょう、がっこうで、はぐるまのえをかいたの!」


便箋を広げて見せてくれた。歯車が五つ噛み合った絵。


色使いは派手だが、構造がちゃんとしている。五つの歯車が連動して回る仕組み──九歳にしては、よく観察している。


絵を受け取った。五つの歯車が連動して回る仕組み。


色使いは派手だが、歯の数が隣り合う歯車で合っている。九歳にしては、よく観察している。


「上手ね。歯車の歯がちゃんと噛み合ってる」


「だって、おかあさまのしごと、みてるもん」


ダリオが横から絵を覗き込んだ。


「歯数が合っているな。この子は──才能がある」


「ダリオおじちゃん、ほんと?」


「本当だ。嘘は言わない主義だ」


嘘は言わない。この工房では、誰も嘘をつかない。それが──わたしたちの約束だ。


エーファがぱっと笑った。ダリオも──口元を隠しきれずに笑っていた。


アンナが夕食の準備を始めた。工房の隅に置いた小さなテーブルに、五人分の皿を並べる。


「アンナ。今日は六人分お願い」


「六人?」


「侯爵の後任の委員が、挨拶に来るの」


新しい委員は、シャルロッテ先生の元同僚だという。技術を理解し、公正さを重んじる人物だとダリオが太鼓判を押した。


宮廷は少しずつ変わっている。正しいものが正しく評価される場所に。


食卓を囲みながら、エーファが言った。


「おかあさま。エーファ、おおきくなったら、はぐるまのおしごとする」


「本当に?」


「うん。おかあさまみたいに、みんなをあたたかくする」


コンラートが「じゃあぼくの後輩だ」と笑い、エルザが「いい弟子ができますね」と微笑んだ。ダリオは何も言わなかったが、目が温かかった。この人の目が温かくなる瞬間を、わたしは何度も見てきた。


技術を認めるとき。人の成長を見守るとき。そして──わたしを見るとき。


わたしの手が──歯車を握っている。エーファの手も──いつか歯車を握る日が来るのだろうか。


窓の外に夕焼けが広がっていた。赤い光が工房を満たし、五人の影を壁に伸ばしている。この影の形が──わたしの日常だ。


温かい食卓と、信頼できる仲間と、笑い声。かつては北向きの窓から見える灰がかった空がすべてだった。今は──夕焼けの中に、未来が見える。


温かい未来。歯車が回り続ける、新しい時間。わたしとダリオとエーファと、工房の仲間たちと。


みんなで回す、大きな歯車。一人では動かせないものを、みんなで動かす。シャルロッテ先生が一人で守った工房を、ダリオが二人で守り、今は五人で守っている。


やがて──もっと多くの人が加わるだろう。エーファが技師になる頃には、この工房は王都で一番温かい場所になっているはずだ。わたしはそう信じている。


いや──そう、する。それが──わたしが学んだ、一番大切なことだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ