第38話 記録が語る真実
リュシエンヌ様の管理簿をもう一度読み返すために、王妃様の私室を訪ねた。
三冊の管理簿。一度は照合を終えた書類だ。あのときはヴェンツェル殿下の不正に焦点を当てていた。今回は視野を広げる。同じ書類でも見る角度を変えれば違うものが見えてくる。あのときは記録室から抜かれた三つの書類を特定するために読んだ。今回は──別の視点で読む。王太子の痕跡を探すために。
一頁ずつめくっていく。リュシエンヌ様の筆跡を目で追う。この方の字を見るたびに、胸が締めつけられる。もういない人の筆跡。でも──この記録の中に、あの方はまだ生きている。リュシエンヌ様の筆跡を目で追いながら、王太子の名前、王太子府の所在、王太子に関連する書類の閲覧記録を探す。
一冊目は空振りだった。王太子本人の名前は出てこない。直接手を汚さないのがあの人のやり方だ。
二冊目の後半で、手が止まった。
閲覧記録だ。リュシエンヌ様は、すべての書類の閲覧者を記録していた。誰がいつ何を見たか。その緻密さが今、三年越しに意味を持つ。ある書類を閲覧した人物の欄に──「王太子府侍従 マティアス」と記されていた。三年前の記録。閲覧した書類は──鉱山の産出報告書。殿下が横流ししていた魔石の出所を示す書類だ。
王太子府の人間が、三年前にこの書類を閲覧していた。殿下の不正が始まったのと同じ時期だ。リュシエンヌ様は──この異常に気づいていたのだろうか。閲覧記録を残したということは、気になっていたはずだ。でも──あの方が亡くなるまで、誰にも伝えられなかった。殿下の不正が始まったのと同じ時期だ。
さらにめくる。ページをめくる手が速くなる。予感がある。確信に近い予感だ。歯車の不具合を追うとき、原因に近づくと指先が熱くなる。今もそうだ。別の日付で、同じ「マティアス」の名前が二度出てくる。閲覧した書類は、ベルント商会の納品記録と、技術委員会の議事録──殿下の計画に関わる書類ばかりだ。
「王妃様。王太子府の侍従マティアスという人物に心当たりはありますか」
王妃様が眉をひそめた。
「マティアスは──クリストフの側近中の側近よ。十年以上仕えている忠実な男。クリストフの目であり耳であると言われている」
王太子の腹心が、殿下の不正に関わる書類を、不正が始まった時期に閲覧していた。偶然とは考えにくい。三回とも同一人物。閲覧の間隔は約四ヶ月。定期的な情報収集──組織的な監視だ。個人の好奇心ではない。命じられてやっていることだ。命じた人間は──王太子以外にいない。王太子府の側近が独断で動くことはあり得ない。すべては王太子の意志だ。王太子は三年前から殿下の計画を把握し──監視していたのだ。泳がせていた。
「これが──証拠の一つになります。リュシエンヌ様は閲覧者の名前を一人残らず記録していました。あの方の緻密さが、三年越しに真実を照らしています」
王妃様の目が遠くなった。二人の息子が不正に関わっていた事実。母として──どれほどの痛みだろう。
「でも、閲覧記録だけでは──マティアスが個人的に調べていた可能性もあるわ」
「はい。だから──もう一つ必要です。フランツの証言と、この閲覧記録を組み合わせれば、王太子が殿下の不正を事前に知りながら放置し、利用した構図が浮かび上がります」
王妃様の目が遠くなった。窓辺の銀の小箱に手を伸ばし──今度は手を止めなかった。蓋を開けて、中を見つめた。
「リュシエンヌは──最後までこの記録を守っていたのね。あの人がいなければ、この証拠も残っていなかった」
「はい。リュシエンヌ様の記録が──すべてを繋いでいます」
◇
工房に戻り、アルヴィン侯爵を呼んだ。侯爵はすぐに来てくれた。白い髭を撫でながら、管理簿の写しを確認する。
「マティアスか──あの男は王太子の影のような存在だ。王太子が動くとき、必ずマティアスが先に動く」
「侯爵。技術委員会の議事録の中に、王太子府からの問い合わせや干渉の記録はありませんか」
侯爵が考え込んだ。深い皺が額に刻まれている。
「……一つある。二年前、鉱山の産出量について『参考資料として』データの提供を求められた。非公式な依頼だった。当時はヴェンツェルの影響だと思っていたが──今思えば、王太子府からの依頼だった可能性がある」
「その依頼の記録は残っていますか」
「わたしの私的な書簡の中にある。──持ってこよう」
侯爵が立ち上がった。この書簡を出すことは、自分が王太子府の依頼に応じていた過去を認めることでもある。覚悟の重さが、かすかな膝の震えに出ていた。
侯爵が去った後、工房はしばらく静かだった。証拠の断片が、テーブルの上で一枚の絵になりつつある。
ダリオが言った。
「証拠が揃いつつあるな」
「ええ。フランツの証言、マティアスの閲覧記録、侯爵への非公式な依頼。三つの点が一本の線になる」
「いつ陛下に報告する」
「筆跡鑑定の結果が出てからです。エーファの養育権とイルマの異議申し立てを同時に解決したい。王太子の件と切り離すと、イルマが別の手を打つ余裕を与えてしまう」
「全部まとめて、一度に」
「一つずつ片づけていては、相手に態勢を立て直す時間を与える。すべての嘘を同時に崩す」
「はい。すべての嘘を、一度に終わらせます」
コンラートが走ってきた。
「ノエルさん! 書記官から連絡です。筆跡鑑定の結果が──予定より早く出ました」
ダリオがうなずいた。二人の呼吸が合っている。歯車が噛み合うように。
その翌日、封書を受け取った。手が震える。この結果次第で、エーファの未来が決まる。
封を開けた。
『グスタフ・ハイリゲンの署名は、本人の自発的意思に基づくものと判断する。筆跡に震えや筆圧の乱れは認められず、文章の構成は論理的かつ一貫している。病状が判断力に影響を与えた痕跡は、本書面からは認められない』
指先の震えが止まった。代わりに──胸の奥から温かいものが込み上げてきた。
「グスタフの署名は有効です。イルマの異議は──退けられます」
ダリオが小さくうなずいた。コンラートが小さく拳を上げた。
胸の奥から温かいものが込み上げた。グスタフの最後の意志が──守られた。あの手紙は本物だった。あの男が人生の最後に書いた、たった一つのまともな手紙が。
これで──エーファの養育権は守られた。あとは、王太子の仮面を剥がすだけだ。すべての証拠を揃えて──王の間に立つ。リュシエンヌ様の記録とともに。
その夜、エーファが工房に来て、わたしの膝に座った。うさぎのぬいぐるみを抱えたまま、作業台の上の歯車を眺めている。
「おかあさま、おしごとがんばってね」
「ありがとう、エーファ」
この子の声が、何よりの力になる。




