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夫の愛人の隠し子を九年育てましたが、そろそろ自分のために生きます  作者: 渚月(なづき)
第3章

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第25話 エーファの手紙

アンナからの手紙は、いつも木曜日に届く。


宮廷の定期便は週に二度、各地の領地を巡る。アンナは毎回木曜日の便に手紙を託してくれる。定期便の御者に託された封書。宛名はアンナの丸い筆跡。封蝋はない。


質素な便箋に、エーファの近況が綴られている。熱は完全に引いたこと。食欲が戻って、毎食きちんと食べていること。庭で花を摘んで、押し花を作っていること。夜はぐっすり眠れるようになったこと。あの陶器の飾りを遠ざけてから、目に見えて元気になったと。


でも今日の手紙には、もう一枚入っていた。折りたたまれた、小さな紙。


エーファの字だ。覚えたての、大きくて不揃いな文字。一文字ずつ、力を込めて書いたのがわかる。ペンに慣れていない手が、紙の上でたどたどしく踊っている。


『おかあさまへ。うさぎさんのみみがとれそうです。おかあさましかなおせません。はやくあいたいです。エーファ』


手紙を持つ指が震えた。九歳の子が書いた文字。平仮名ばかりで、ところどころ鏡文字になっている。でも一文字ずつ、一生懸命に書いたことがわかる。便箋のインクが少し滲んでいるのは、力を入れすぎたせいだろう。


うさぎの耳。三歳のとき、わたしが初めて縫ったぬいぐるみ。型紙もなく、見よう見まねで作ったから形はいびつだった。片方の耳が長すぎて、それがいいとエーファは言った。


「おかあさまのうさぎ、おみみがおおきいね。いっぱいきこえるね」と笑った。


あの耳が取れかけている。わたしが縫ったものを、わたしにしか直せないと、この子は知っている。


でも──わたしが教えた縫い方を、この子は覚えている。


三歳のとき、膝の上に座らせて、針の持ち方を教えた。小さな指が針を掴んで、布を刺す。「いたい」と言って指を引っ込めて、でもまた掴む。あの子の強さは、あの頃から変わらない。


涙が落ちた。一滴だけ。便箋の上に丸い染みを作って、それ以上は止めた。


涙を拭いて、深呼吸をした。泣いている場合ではない。この涙は弱さではない。


会いたいという気持ちこそが、わたしの強さの源だ。


エーファに会いたい。


心臓が痛くなるほど会いに行きたい。


でも今、屋敷に行けばグスタフに拒まれる。前回は深夜に裏口からアンナの手引きで入れたが、あの後グスタフが警戒を強めたはずだ。イルマの耳に入れば、何をされるかわからない。あの陶器の飾りのようなことを、また。


でも感情に任せて動けば、イルマに足元をすくわれる。この三ヶ月で学んだことだ。感情は原動力にはなるが、行動の指針にしてはいけない。魔道具の修理と同じだ。焦って力任せにやれば、余計に壊れる。


──守る方法を変えなければ。正面から行けないなら、別の道を作る。わたしは技師だ。壊れたものを直すのが仕事。壊れた状況も、直す方法があるはずだ。


わたしはペンを取り、返事を書いた。


『エーファへ。うさぎさんの耳、アンナに糸と針を借りてごらんなさい。おかあさまが教えた縫い方を思い出して。きっと直せるわ。もし直せなくても、おかあさまが必ず行くから。待っていてね』


封をして、工房の窓辺に置いた。明日の定期便に託そう。便箋をノートに挟んだ。エーファの絵と、うさぎの手紙。どちらも大切に取っておく。


コンラートが紅茶を運んできた。わたしの目が赤いことに気づいたのだろう。何も言わず、湯気の立つ杯を置いて去っていく。この少年の気遣いは、大人より上手い。必要なものを、必要なだけ。それ以上は踏み込まない。


紅茶を一口飲んで、呼吸を整えた。紅茶の温もりが、少しだけ胸のつかえをほどいてくれた。コンラートの気遣いに感謝する。声には出さないが、この子がいてくれることが、工房のどれだけ大きな支えになっていることか。


エーファを守るために、わたしがやるべきことは変わらない。技術を磨き、実績を積み、宮廷での地位を固める。それが結局、あの子を守る力になる。ここで手を止めたら、すべてが止まる。だからわたしは、今日も工具を握る。エーファのために。そして──自分のために。


午後、ダリオが工房に戻った。いつもより早い。革の前掛けが片方だけ外れている。顔に疲れが見える。何か嫌なことがあったのだと、すぐにわかった。


「どうしました」


「コンラートが引き抜きを受けた」


「──え?」


「第二工房から声がかかった。給与は今の三倍。住居つき。コンラートの実家は裕福ではないから、条件としては魅力的だろう」


コンラートが。あの少年が。工房に来た初日、緊張しているわたしに最初に声をかけてくれた子が。「ノエルさん、紅茶どうぞ」と、あのそばかすの笑顔で迎えてくれた子が。工房の中で一番元気で、一番真っ直ぐな子が。


「コンラートは何と?」


「まだ返事をしていない。迷っている」


ダリオの声に、微かな苦みがあった。師匠として、弟子を引き留める言葉を持たない自分への苛立ちだろう。この人は、自分から「行くな」と言えない人だ。


迷っている。それはつまり──心が揺れているということだ。十五歳で家族に仕送りをしている少年にとって、三倍の給与は無視できない。


わたしだって、あの屋敷にいた頃は選択肢がなかった。グスタフの妻という立場に縛られ、選ぶ自由すら奪われて、どこにも行けなかった。金銭と環境に縛られて、動けなかった。コンラートも同じ壁にぶつかっている。


工房の隅に目を向けた。コンラートの作業台は整然と片づいている。やすりの並びが均等で、工具の向きが揃っている。丁寧な少年。そして──家族を養うために仕送りを続けている、十五歳の少年。


夕方、コンラートが工房に戻ってきた。顔がこわばっている。わたしと目が合うと、慌てて目をそらした。


わたしはコンラートの作業台まで歩いていった。


「コンラート。第二工房の話、聞いたわ」


コンラートの肩が跳ねた。やすりを持ったまま固まっている。十五歳の少年に、これほどの重荷を背負わせる大人たちが──腹立たしかった。殿下も、ベルント商会も、この子の人生を駒としか見ていない。


「ノエルさん、ぼく……」


わたしはコンラートの目を見た。涙で濡れた目。でもまっすぐにこちらを見ている。逃げようとしていない。この子は──逃げない子だ。だから余計に苦しんでいる。


「迷っていいのよ。三倍の給与と住居は、大きな条件だもの。家族のことを考えれば当然よ」


コンラートの目に涙が浮かんだ。そばかすの頬を涙が伝っていく。


「でもぼくは──ダリオ先生の工房が好きなんです。ノエルさんと一緒に仕事をするのが好きなんです。でも家に仕送りを──母と妹がいて──」


「聞いて、コンラート」


わたしはコンラートの前にしゃがみ、目線を合わせた。この子はまだ十五歳だ。大人の事情に巻き込まれている。


「どちらを選んでも、わたしはあなたを責めない。でも一つだけ知っておいて。第二工房は──ベルント商会とヴェンツェル殿下の道具になる可能性がある。あなたがそこで学ぶ技術は、公正な場所で使われないかもしれない」


コンラートが唇を噛んだ。やすりを握る手に力がこもっている。


「……ぼく、もう少し考えます」


「うん。ゆっくり考えなさい」



その夜、わたしはダリオに提案した。


「コンラートの給与を上げる方法はありませんか」


「王立工房の給与体系は宮廷が決める。わたしの裁量では動かせない」


「では──技術手当のような名目は? 正式技師の補佐として、特別手当を申請するのは」


ダリオが黙った。考えている。革の前掛けの紐を、また締め直した。


「……技術委員会を通す必要がある。アルヴィン侯爵が壁になるが──王妃様の後押しがあれば、通る可能性はある」


「やりましょう。コンラートを失うわけにはいかない。あの子は──この工房の未来です」


ダリオがわたしを見た。目の奥に、温かいものがあった。


「お前は、人を守るのがうまいな」


「九年間、守ることしかできなかったからかもしれません。でも──守ることは、弱いことではありません。守り続けるには、強さが要りますから」


ダリオが静かにうなずいた。作業台に置いた手が、拳に変わっているのが見えた。この人も──何かを守ってきたのだ。工房を。技術を。そして──シャルロッテ先生の遺志を。


翌日、エルザから通信があった。


『イルマ様が、エーファをヴェンツェル殿下に紹介する準備をしています。エーファを殿下の養女にするという話が出ています』


手から小板が滑り落ちそうになった。慌てて掴み直す。指先が冷たくなっている。


エーファを、殿下の養女に。つまり──エーファを権力闘争の駒にする。あの子はまだ九歳だ。花を摘んで、うさぎのぬいぐるみを抱いて眠る子だ。その子を──宮廷の暗い力の中に引きずり込もうとしている。


許さない。


その二文字が、胸の中で音を立てた。歯車が噛み合うように、わたしの中で何かが回り始めた。エーファを守る。そのためにできることを、すべてやる。技師として、母として、一人の人間として。何があっても、絶対に。


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