第24話 二つの工房
技術委員会の部屋には、いつもより多くの人間が詰めかけていた。
長いテーブルの両側に椅子が並び、壁際にも補助椅子が出されている。委員五名に加え、ベルント商会のフランツ、そしてヴェンツェル殿下本人。部屋の空気が重い。窓は開いているのに、風が通らないように感じる。
殿下が委員会に姿を見せるのは異例のことだと、コンラートが小声で教えてくれた。「ぼく、見たことないです」と、そばかすの頬を緊張で白くしている。コンラートは廊下で待っていると言った。何かあったらすぐに呼んでくださいと。この子なりの支え方だ。
わたしは傍聴席の端に座った。ダリオは工房に残っている。「お前が行け。お前の目で見ろ」と言った。信頼の表現だとわかっている。でも──正直に言えば、隣にいてほしかった。
ヴェンツェル殿下は四十手前に見えた。切れ長の目に薄い唇。整った顔立ちだが、どこか冷たい。王族の威厳というより、計算高さが先に立つ印象だった。グスタフとは種類の違う冷たさだ。
グスタフは無関心からくる冷たさだったが、殿下のそれは──明確な意志を持った冷酷さだ。目の前にいる人間を、すべて駒として値踏みしている──そんな視線だ。
「王都第二工房の設立について、ベルント商会から申請が出ております」
アルヴィン侯爵が議事を開いた。声は平板だが、額に汗が浮いている。白い髭の下の唇が、かすかに震えている。殿下の前で議事を進行する重圧が、侯爵の体に出ている。
フランツが立ち上がり、滑らかに説明を始めた。あの柔らかい笑みは健在だ。わたしに接触してきたときと同じ──隙のない、商人の笑顔。
フランツは書類を手に持っていた。何枚もの資料が用意されている。数字と図表を並べ、委員たちに配っていく。見栄えのいい資料だ。しかし、見栄えのよさと中身の誠実さは別物だ。
「王立工房の処理能力は飽和状態にあり、宮廷の需要に応じきれていません。第二工房は王立工房を補完するものであり、競合ではございません。品質は当商会が保証し、技術委員会の監督のもとに運営いたします」
流暢な説明だった。おそらく何度も練習している。言葉の選び方、間の取り方、委員の目を順に見つめるタイミング。すべてが計算されている。巧みだ。「補完」という言葉で独立性を装い、「技術委員会の監督」で合法性を演出している。
だが実態はヴェンツェル殿下の私的な工房。監督するはずの委員会の長がすでに殿下の影響下にある。監督する側が監督される側に取り込まれていれば、監督は形骸化する。リュシエンヌ様がいれば見抜いていただろう。でもあの方はもういない。
だから──わたしが声を上げなければならない。
フランツの説明が終わり、委員が顔を見合わせた。何名かはうなずいている。このまま行けば、異議なしで認可が通るだろう。
「質問があります」
わたしは手を挙げた。心臓が激しく脈打っている。でも声は出せる。傍聴席からの発言は異例だが、正式技師には発言権がある。背筋を伸ばし、声が震えないように腹に力を入れた。九年間黙っていた分の声を、今こそ使う番だ。
「第二工房で使用する魔石の調達経路を教えてください」
フランツの笑みが一瞬だけ固まった。すぐに戻ったが──わたしはその瞬間を見ていた。魔道具の歯車が一つずれたときの、わずかな回転のぶれを見逃さない目。いつの間にか、人の顔を魔道具の不具合のように観察するようになっていた。
フランツが一呼吸置いた。笑みを整え直してから答える。
「正規の流通経路を通じて調達いたします。産地証明つきの魔石のみを使用する方針です」
その一呼吸が、すべてを物語っていた。答えを用意していなかった質問だ。
「産地証明つき。では、現在第二工房の準備段階で運び込まれている魔石にも、すべて産地証明がついていますか」
空気が変わった。部屋の温度が二度下がったかのように。委員の一人が椅子の上で姿勢を正した。フランツの目が鋭くなる。ヴェンツェル殿下が初めてわたしに視線を向けた。冷たい、品定めするような目だ。わたしの腕章を見て、正式技師だと認識した。
そして──脅威として分類した。その一瞬の判断が目に見えた。
「準備段階の資材については、まだ正式な管理体制が整っておりませんので──」
「つまり、産地証明のない魔石が含まれている可能性がある、ということですね」
「可能性の話であれば、どのような回答も──」
フランツの声に余裕がなくなっている。言葉が早くなり、語尾が曖昧になっている。追い詰められた人間の話し方だ。
「では事実の話をしましょう」
わたしはノートを開いた。書庫で一頁ずつ書き写した記録だ。自分の目で確かめ、自分の手で記したもの。伝聞ではない。推測でもない。事実だ。リュシエンヌ様に教わった、事実の積み重ね方だ。
「王室直轄鉱山の産出記録と、宮廷への納品記録を照合したところ、過去三年間で産出量と納品量に継続的な乖離が見られます。消えた分の行き先が不明です。これは公開されている鉱山の産出記録に基づくものです。誰でも確認できる公的な資料です」
委員たちがざわめいた。椅子の軋む音があちこちから上がる。アルヴィン侯爵が青ざめた。ヴェンツェル殿下の視線が侯爵に向く。──管理しろ、という無言の圧力。侯爵はその視線を受けて、唇を引き結んだ。
委員の一人が手を挙げかけて、殿下の視線を受けて下ろした。もう一人が椅子の背にもたれ、天井を見上げた。見て見ぬふりをする姿勢。この委員会全体が、殿下の圧力に屈している。侯爵だけではない。全員が鎖に繋がれている。
「この件については、調査の上で改めて──」
「アルヴィン侯爵」
ヴェンツェル殿下が初めて口を開いた。低い声。抑制されているが、有無を言わさない響きがある。
「本日の議題は第二工房の設立認可だ。魔石の産出量は別件として処理せよ」
論点をずらしにきた。裁判で使う手法と同じだ。都合の悪い証拠を「無関係」として排除する。わたしの指摘を「別件」として切り離し、今日のうちに設立認可だけを通そうとしている。
「殿下。産出量の乖離と第二工房の設立は、切り離せない問題です。消えた魔石の行き先が第二工房であれば、設立認可の前提そのものが──」
「技師の分際で口を慎め」
冷たい一言が、部屋の空気を凍らせた。
わたしの背筋に氷が走った。でも足は動かなかった。九年間、グスタフに黙らされてきた。「お前に発言権はない」「黙って従え」──何度も聞いた言葉の形を変えた版だ。あのときは萎縮した。今は違う。わたしの足元には、自分で集めた証拠がある。
自分の目で確認し、自分の手で書き写したデータがある。誰かの口伝えではない。わたし自身の調査結果だ。
「技師として申し上げております。技術の公正な運用を守ることが、わたしの職責です」
声が広間に響いた。自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。九年間の沈黙が、今この瞬間のために溜めてきた力だったのだと思った。
沈黙が広間を満たした。殿下の目が細くなった。冷たい視線がわたしを射貫く。でも──視線だけでは人は倒せない。
「……本日の議決は保留とする」
殿下が立ち上がり、部屋を出た。フランツが後に続く。保留──却下ではない。だが、設立認可はまだ通っていない。今日のところは、止めた。完全な勝利ではないが、敗北でもない。時間を稼いだ。その時間で、わたしにはやるべきことがある。
第二世代を完成させる。証拠を固める。そしてアルヴィン侯爵を──真実の側に導く。
廊下に出ると、ダリオが壁にもたれていた。腕を組み、いつもの無表情──でも、目だけが温かい。
ダリオの姿を見た瞬間、張り詰めていた体がわずかに緩んだ。この人がここにいてくれる。それだけで、立っていられる。
「聞いていましたか」
「壁が薄い」
素っ気ない言い方だが、つまり最初からここにいたのだ。廊下に残ったのではなく、わざわざ壁の向こうで聞いていた。心配していたのだ。この人は──言葉では絶対に認めないが。
少しだけ笑えた。ダリオはいつもこうだ。
「殿下を怒らせた。報復が来ます」
「来るだろうな。──だが、お前は今日、殿下に名前を刻んだ。それは小さくない」
ダリオの手がわたしの肩に触れた。大きな手だ。工具を握り続けてきた、硬い指先。一瞬だけ。指先の温もりが消える前に、歩き出した。並んで歩く。二人の足音が石造りの廊下に響く。不思議と、足音が揃っていた。いつからこうなったのだろう。
工房に来た頃は、ダリオの歩幅に追いつけなかった。今は──並んで歩ける。背後で、アルヴィン侯爵が委員会室から出てくる気配がした。重い足取りだった。あの人の背中には、選択の重圧がのしかかっている。殿下と真実の間で──侯爵は今夜、眠れないだろう。
わたしと同じように。
夜の廊下を、わたしは一人で工房に戻った。窓の外の星が冷たく光っている。でも──工房の灯りは温かい。あの灯りの下で、ダリオとコンラートが待っている。それだけで、足が前に進む。明日も、戦える。この場所がある限り。




