第17話 味方の顔をした壁
ベルント商会の使者は、柔らかい笑みを浮かべた中年の男だった。
仕立てのいい上着、手入れされた髭。物腰は丁寧で声も穏やか。敵意は微塵も感じなかったが、それがかえって警戒を強くさせた。本当に危険な相手は刃を隠したまま近づいてくる。
「ノエル・カペル様とお見受けいたします。ベルント商会のフランツと申します。このたびの暖房魔道具の改良、まことに見事でございました。宮廷中が話題にしております」
「ありがとうございます」
「単刀直入に申し上げます。当商会は、この技術の製造と販売を担いたいと考えております。ただし──独占ではありません」
「独占ではない?」
「優先権です。製造と販売の優先権をいただきたい。他の商会にも開放しますが、当商会が第一優先で扱える形で。品質を保つためには、信頼できる一社が主導する必要がございます」
巧みだった。「独占」を「優先権」に置き換え、「品質管理」という大義名分を添えている。だが実質的には同じだ。優先権を持つ商会が価格を決め、供給を管理する。名前を変えただけの独占。
「技術の利用条件は、技術委員会が決定するものです。わたし個人が応じられる話ではありません」
「もちろんです。ですが──開発者のご賛同があれば、委員会への働きかけがしやすくなります。ノエル様が賛同していただければ、話は格段にまとまりやすい」
「わたしの賛同は差し上げられません」
フランツの笑みが一瞬だけ固まった。すぐに戻ったが、目の奥の温度が下がったのがわかる。
「残念です。改めてご検討いただければ幸いです。当商会は──いつでもお待ちしております」
丁寧な一礼の中に圧力があった。「断ればどうなるか」を匂わせる、言葉にしない脅し。
ダリオが奥から出てきた。聞いていたのだ。
「よく断った。だが──あの男は諦めない。次は別の手で来る。お前の周囲を固めて、味方を切り崩す。孤立させてからもう一度持ちかける」
予想は正確だった。翌日から変化が始まる。
まず工房への修理依頼がぴたりと止まった。毎日のように届いていたものが、依頼簿を開いても白紙だ。
「おかしいですね。先週まで三件も四件も入っていたのに」
コンラートが首を傾げた。
誰かが依頼者に圧力をかけている。「あの工房に関わるな」と。次に、発注していた部品が納期を過ぎても届かなくなった。
「業者に問い合わせたところ、発注が取り消されていると言われました。誰の指示かは教えてくれませんでした」
糸を引いているのはヴェンツェル殿下だ。直接手を下さず、周囲から締め上げていく。空気を少しずつ奪い、気づいたときには息ができなくなっている。
三日目、アルヴィン侯爵が従者もつけず一人で工房を訪ねてきた。
「ノエル・カペル。少し話がある」
以前より穏やかな態度だったが、眉間に皺が寄り目が泳いでいる。穏やかさの中に苦渋が見えた。
「ベルント商会との取引に応じなさい。それがお前のためだ」
「侯爵。それは脅迫ですか」
「忠告だ。わたしは──お前の技術を潰したくはない。だが、殿下には逆らえない。わたしにも守るべきものがある。家族がいる。領地がある。殿下に逆らえば──すべてを失う」
目を伏せた侯爵の声は低かった。技術委員長として技術を守りたい。でもそれができない。
「侯爵。あなたは技術委員会の委員長です。技術を守るのが、あなたの役割ではないですか」
「役割と立場は違う。わたしは──」
言葉を切り、喉が動いた。
「……すまない」
去り際に落としたその一言。リュシエンヌ様の言葉を思い出す。「あの人は、根っからの悪人ではない」。
◇
夜、工房でダリオと向かい合った。
「依頼が止まり、材料が止まり、侯爵が圧力をかけてきた。次は何が来ると思う」
「わたし自身への攻撃。過去を掘り返す。離縁の経緯、あるいは──エーファのこと」
ダリオがうなずいた。エーファを巻き込むわけにはいかない。
「ダリオさん。わたし、やり方を変えます」
「どう変える」
「守るだけでは勝てない。攻める手を考えます」
ダリオが少しだけ目を見開き、それからうなずいた。
「いいだろう。だが一人で抱え込むな。隣にいる人間を使え」
隣にいる人間。ダリオ、コンラート、そしてもしかしたらあの侍女も。
設計図を広げた。暖房魔道具の第二世代──魔石を使わない新しい設計思想。これが完成すれば、古い技術の独占は技術の進歩によって無意味になる。
ペンを走らせた。線を引くたびに頭の中が晴れていく。正面から壁を壊せないなら、壁の上を越えればいい。




