表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫の愛人の隠し子を九年育てましたが、そろそろ自分のために生きます  作者: 渚月(なづき)
第2章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/45

第16話 残された設計図

手紙を握ったまま、わたしは考えた。


罠かもしれない。わたしを記録室におびき出し、不正侵入の疑いをかける──イルマならそれくらいの策を練るだろう。だが放置もできない。リュシエンヌ様が命を削って積み上げたものが一夜で消える、それだけは許せなかった。


ダリオに手紙を見せた。しばらく黙って紙の端をなぞっている。考えるときの癖だ。


「行くな、と言いたいところだが──お前は行くんだろう」


「はい」


「なら、わたしも行く」


「ダリオさんが動けば目立ちます。主任技師が夜の記録室にいれば、それだけで話題になります」


「目立っていい。正規の権限で記録室に入る。わたしは主任技師だ。技術記録の確認という名目なら、誰も文句は言えない。堂々と入る。隠れる必要はない」


隠れるのではなく、正面から。シンプルだが強い。


翌日の夜、わたしたちは東棟三階の記録室に向かった。廊下は暗く、燭台の灯りがちらちら揺れる。ダリオは普段通りの歩幅で歩いた。堂々と。


預かった鍵で金庫を開けた。鍵穴に差し込むとき指先がうまく合わなかったが、ダリオが黙って肩に手を置いてくれて、呼吸が落ち着いた。


中には束ねられた書類が入っていた。ヴェンツェル殿下とベルント商会の取引記録の写し。魔石の不正取引──宮廷への納品価格と商会の仕入れ価格との大きな開き、差額が殿下の私的な資金に流れている痕跡。すべて日付と署名つきだ。


「これを写す。元の場所に戻しておけば、消えたことに気づかれない」


二人で手分けして重要な箇所を書き写す。リュシエンヌの几帳面な筆跡を見ながらペンを走らせた。一字一字が丁寧に書かれている。三十年間、毎日こうして記録を取っていたのだ。


三十分ほど経った頃、廊下に足音が聞こえた。二つ。重い靴音と軽い靴音。


「隠れろ」


金庫を閉めて鍵をかけ、書架の陰に身を潜めた。背中を棚に押しつけ、息を殺す。


扉が開いた。入ってきたのは──アルヴィン侯爵とイルマだった。


「早く済ませましょう。リュシエンヌが死んだ今がこれに手を入れる最後の好機です」


イルマの低い早口に焦りがにじんでいる。


「金庫の鍵は?」


「リュシエンヌの遺品から探させています。まだ見つかっていませんが、鍵師を呼べば開けられます」


鍵はわたしが持っている。遺品から見つかるはずがない。


侯爵が金庫の前に立ち、鍵穴を覗き込んだ。


「……鍵がないなら今日は無理だ。鍵師の手配を急げ。二日以内に」


「明後日には手配します。ヴェンツェル殿下にもお伝えしなければ」


足音が遠ざかり、扉が閉まった。暗闇の中でダリオと顔を見合わせる。


「アルヴィン侯爵が直接動いているとは──思った以上に深く嵌まっているな」


「ダリオさん。あの手紙は本物でした。誰かがわたしたちに知らせてくれた」


「心当たりは」


「……ひとつだけ」


泣いていたあの侍女。イルマの側にいながら情報を流してくれた彼女もまた、声を殺して泣いている人間だ。


工房に戻り、写した書類をダリオの専用金庫にしまった。二重の控え。万が一どちらかが失われてももう片方が残る。


「明後日までに金庫の中身を安全な場所に移す。王妃様にお預けする。王妃様の私室なら、殿下でも手が出せない」


翌日、金庫の中身を全て取り出し、ダリオとともに王妃の私室を訪ねた。


王妃は書類に目を通した。一枚、また一枚。表情が徐々に険しくなっていく。


「リュシエンヌ……あなたはここまで調べていたのね。三十年間、たった一人で」


悲しみを含んだ声だった。


「お預かりいただけますか」


「ええ。わたしの金庫に入れましょう。この記録は──いずれ必要になるときが来るわ。リュシエンヌの遺志を、わたしが継ぎます」


王妃の目には静かな決意が宿っていた。


帰り道、ダリオが呟いた。


「リュシエンヌ様の設計図だ」


「設計図?」


「記録を残し、信頼できる人間に託し、権力に抗う──それがあの人の設計図だった。魔道具ではなく、人の設計図。お前は今、その一部になっている」


黙ってうなずいた。重い。でも──軽くあるべきものではない。


工房に戻ると、コンラートが走ってきた。


「ノエルさん! ベルント商会から、工房に使者が来ています。独占販売権の件で、直接交渉したいと」


深呼吸をして、背筋を伸ばし、工房の扉を開けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ