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夫の愛人の隠し子を九年育てましたが、そろそろ自分のために生きます  作者: 渚月(なづき)
第2章

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第13話 工房に咲く小さな炎

ヴァイスブルクに戻ったのは、六日ぶりのことだった。


王都の城門をくぐると、市場の声、馬車の車輪の音、パン屋から漂う焼きたての匂いが一度に押し寄せてきた。数日前までいた屋敷の沈黙とは別の世界だ。


工房の扉を開けた瞬間、コンラートが駆け寄ってきた。そばかすの頬を紅潮させ、両手にやすりを持ったまま走ってくる。工具を持ったまま走るなと何度言ったか。


「ノエルさん! 無事でしたか! ダリオ先生がすごく心配してて──あ、そうだ先生は今、技術委員会に呼ばれて留守で──」


「落ち着いて、コンラート。大丈夫。エーファも熱が引いたわ」


「よかった……本当に、よかったです」


コンラートが目を潤ませた。会ったこともない子どものために泣ける少年だ。誰かのために作ろうとする心が精密さを生む──わたしはそう信じている。


作業台に荷物を置き、陶器の飾りを布から出してテーブルに置いた。微かなちりちりとした魔力の揺らぎ。日常的に魔道具を扱う工房の中では、遮蔽のない異質な魔力がいっそう際立つ。


夕刻にダリオが戻った。わたしの顔を見て一瞬だけ肩の力が抜け、歩く速度がほんの少し落ちた。この人の安堵はいつもそういう小さな形をしている。


「おかえり」


「ただいま戻りました。ダリオさん、これを見てほしいのですが」


飾りをダリオの前に置くと、ダリオは眉を寄せ、指先に淡い光を灯して表面をなぞるように魔力を走らせた。数秒、十秒。眉間に深い縦皺が刻まれていく。


「……思った通りだ。遮蔽がまったくない。大人なら気にならない程度だが、子どもが長期間そばに置けば──じわじわと蝕む」


「やはり意図的な設計ですか」


「偶然こうはならない。手を抜くなら全体に手を抜く。遮蔽だけ省くのは──省いた理由がある」


ダリオが飾りを裏返した。底面に虫眼鏡がなければ見えないほど小さな刻印がある。拡大鏡を取り出し、覗き込んだ。


「この刻印──ベルント商会のものだ」


「ベルント商会?」


以前、宮廷で開かれた魔道具の展覧会で、イルマの背後にちらついていた商会の名だ。


「ヴェンツェル殿下と取引のある商会だ。宮廷の魔道具利権に深く絡んでいるとリュシエンヌ様が睨んでいる。魔石の仕入れから加工、販売まで一手に扱い、宮廷に出入りする魔道具の半数以上がこの商会を経由している」


点と点が繋がり始めていた。ヴェンツェル殿下、アルヴィン侯爵、イルマ、ベルント商会、そしてエーファの部屋の飾り。まだ線にはなっていないが、点が増えれば線は自ずと見えてくる。


「ダリオさん。この飾りの鑑定書を正式な書式で書いていただけますか。魔石の種類、放出量、遮蔽構造の有無、人体への影響の推定。すべて記載して」


「何に使う」


「まだわかりません。でも──証拠は、使うときが来る前に揃えておくものだと思うので」


ダリオが小さく口の端を上げた。


「お前は時々、わたしより技師らしいことを言うな」


鑑定書は翌日には仕上がった。低品位の風属性魔石、恒常的な干渉波の放出、遮蔽構造の意図的な欠如、子どもへの長期暴露の危険性──すべてダリオの署名と王立工房主任技師の公印つきだ。わたしはそれを引き出しの二重底の奥にしまった。今は使わない。でも必要なときは必ず来る。


工房での日々が再開した。不在の間に溜まった修理依頼を一つずつ片づけていく。手を動かしていると頭の中が整理される。指先が部品に触れ、魔力を通し、微細な調整を重ねる作業は瞑想に似ていた。


ある日の午後、コンラートが興奮した顔で走ってきた。頬のそばかすが紅潮して、額に汗が光っている。


「ノエルさん! 大変です、いい意味で!」


「いい意味の大変?」


「暖房の改良、宮廷だけじゃなくて王都の公共施設にも導入することが検討されているそうです! リュシエンヌ様が教えてくれました!」


公共施設への展開。そうなれば暖房の恩恵は貴族だけのものではなくなる。集会所、救護所、孤児院──冬の寒さに震える子どもたちのもとに温かさが届く。胸の奥が熱くなった。


「でも──」


コンラートの顔が曇った。


「ベルント商会が、この技術の独占販売権を申請しているそうです。公共施設への導入はベルント商会を通じて行うべきだ、という主張です。理由は品質管理のため、だと」


独占されれば価格は商会の言い値になる。公共のための技術が、一部の人間の利益に変わる。


「ダリオさんに報告を」


「先生はもうご存知です。今、リュシエンヌ様のところに向かわれました」


わたしは工具を置いた。独占を防ぐには、技術の公開性を主張しなければならない。王立工房で開発された技術は公共財であるという原則を文書にまとめ、技術委員会に提出する。


ペンを取り、書き始めた。感情を排し、論理で組み立てる。導入の利益の試算、独占の弊害の分析、代替案の提示。すべてを根拠とともに。


コンラートが隣で見守っていた。


「ノエルさん。僕にも手伝えることがありますか」


「ええ。これまでの暖房改良の運用実績を一覧にまとめてほしいの。どの施設に導入して、どれだけの効率改善があったか」


「はい!」


コンラートが走り出す。夕暮れの工房で、わたしたちは書類に向かった。窓から差し込む斜めの光が作業台の上の歯車を照らし、小さな炎のように金色に光っていた。


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