325 主役の到着
案の定、というか予想は的中して、志保子は修斗と共にこちらを訪ねてくる事になった。
予想通りというか、もうそれはそれは大喜びだった、とは修斗の談である。
そんな訳で、志保子達の訪問が決まった時点で周と真昼は普段の勉強や用事に加えて母の日おもてなしの準備も生活の一部に加わった。
まあ献立を相談して別途母の日のプレゼントを用意して前日に料理の下準備と仕込みをする、くらいなのだが、模試が終わった後なので解答がどうだ自己採点はどうだ結果がいついつくらいには届くだのあれこれ教師達から言われており。
学校で申し込む全統模試関連だけではなく個人で受ける模試を申し込んだりオンライン塾の受講があったりと、割と忙しくあっという間に訪問当日を迎えていた。
「真昼ちゃーん! 会いたかったわー!」
そうして迎えたエックスデーであるが、主役となる志保子は玄関に招き入れた瞬間側に居た真昼に抱き着いた。
「ひゃっ、志保子さん」
「もーこの度はお招きいただきありがとうございますよー! 真昼ちゃんから招いてくれるなんて嬉しいわ!」
ぬいぐるみか何かを愛でるように頬擦りする志保子を諌めるように突っ込むものの、焼け石に水といった感じで志保子のスキンシップは止まらなかった。
後から入ってきた修斗に諌めるよう視線を向けるも、にこやかに首を振られた。
きっとこちらに来る前からテンションの上がり方がおかしかったのだろう。苦労が察せられるが、修斗にとっては苦ではないのかもしれない。
「母さん、テンションテンション」
「上がるに決まってるじゃない!」
「こーら上がるのは分かるから真昼を締めるな締めるな。スキンシップが激しすぎる」
志保子の愛情表現が些か激しいのはいつもの事であるが、頑丈な周相手ならともかく華奢で身構えてすらいなかった真昼に加工せずぶつけていいものではない。
むぎゅー、と熱烈なハグをかましている志保子は周の突っ込みを聞くだけの冷静さは持っていたのか、少し落ち着いたように真昼をホールドする腕から力を抜いた。
「あら、ごめんなさいね……痛かったかしら」
「いえそんな事は。その、ぎゅっとしてもらえて嬉しいですよ?」
惜しみない愛情表現自体はウェルカムらしい真昼がはにかみながら志保子を見上げるので、志保子は感動に瞳を揺らしながら何故か当てつけのような視線を向けてきた。
「周も見習いなさいよこの可愛さ。真昼ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませてもらったら?」
「俺が見習ってどうすんだ……可愛いのは真昼で十分だろ」
「それもそうね。周がこんな可愛げあったら逆に引いちゃうわ」
「そっちから言い出した癖に……」
「まあまあ」
言う事が一転二転している志保子に頭痛を覚えたが、真昼の執り成しのお陰で苛立ちまで胸の内の波が成長するのは抑えられている。
(まあ、真昼が可愛いのは分かるし、これでもかと、これみよがしに可愛がるのも分かるから文句は言わないけどさ)
そもそも滅多に会う機会のない真昼に会える感激も考えたらこれくらいは許容範囲なのだろう。そういう事にしておく。
暫く満面の笑みで真昼に抱き着いていた志保子だが、そろそろご挨拶を、と修斗が柔らかく引き剥がしたので志保子は名残惜しそうに体を離した。
「改めて、志保子さん、修斗さん。お久し振りです。この度はこちらの無茶振りを聞いていただきありがとうございます」
漸くこちらからも口を開くタイミングが訪れたので、真昼は少しよれてしまった衣服を整えつつ柔らかい笑顔と共に軽く頭を下げた。
「こちらこそお久し振りだね。会うのは年末以来かな?」
「はい」
「修斗さんはいいわよねー真昼ちゃんに会う機会多かったんだもの」
「志保子さんは三者面談があったろう?」
「それはそれ、これはこれよぅ。あと、真昼ちゃん。無茶振りだなんて……そんな事ないわ、寧ろばっちこいなのにぃ」
もっと軽率に呼び寄せてもいいのよ、という仕事に穴を開けてまで来そうな台詞であるが、志保子の性格上全部終わらせた上で来そうなので「頻度ってものがあるだろ」と突っ込むに留めた。
やはりというか、志保子の真昼愛は周が思うより深い。
「ほら言っただろ」
「……そうですね」
何だかんだ用意している間真昼が不安になる事もあったが、今の状況のどこに不安要素があるのかと真昼に問いたい。
真昼も肩の力が抜けたのか、へにょりと弱々しくも落ち着いた笑みを見せた。
「何その顔」
「母さんがどういう反応するのかって事」
「予測は?」
「案の定」
「読まれているのが複雑ね……でもいいわ、真昼ちゃんからのお招きなんですもの。私が断る訳ないって周なら分かるでしょうし」
「有給使う事も考えるレベルだもんな」
「仕事に影響出ないなら全然使うわよ? 真昼ちゃんのお誘いですし?」
何を当たり前な事を、という堂々たる態度に安心すればいいのか頭を抱えればいいのか。
この態度からも将来的に確実に、間違いなく、絶対に息子より娘の肩を持つだろうな、と未来を察してしまった周だが、それも悪いものではないんだろうな、と思う辺り真昼の幸せへの優先度が高い事を自分で実感していた。
「その、私が言い出した事なのですが、良かったのですか? 本当はお忙しいのでは」
「そうでもないわよ? 今の所切羽詰まった納期のものはないし、元々お休みの予定だったもの。お仕事やれる分はやってきたから、いい息抜きになるわよ〜」
「私も仕事は休みに持ち越してないからね」
家族ラブな二人ではあるが、仕事は仕事できちんと切り分けており、自分の任された仕事についていい加減な事はしない。
きちんとこなしてから余裕を作った上でここに来ているのは二人の仕事への姿勢を間近で見てきた周が一番知っている。
「そもそもこちらに来る用事があった訳だし、椎名さんが気にする事はないよ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふ、真昼ちゃんって本当にいじらしいというか気遣い屋さんよねえ。偶には周の図太さも見習っていいのよ?」
「図太くて悪かったな」
自分が修斗程察しがよくない事は自覚しているが、息子を捕まえておいて図太いという評価は如何なものか。
「あ、周くんの大胆さは見習いたいと思ってますけど、何だかんだ繊細な人でもありますから。それに、いつも気遣ってくださいますよ」
「ほんとにぃ? ……って思ったけど、最愛の真昼ちゃん相手ならそうよねえ。捕まえておきたいものね」
「俺が真昼相手にしか優しくないみたいな鬼畜な言い方やめてくれ」
確かに真昼には特段優しいし甘いと自覚も自負もしているが、かといって他人に厳しい態度を取った覚えはない。
「周は十分に周りを見て気遣う子なんだけどねえ、志保子さんも意地悪言わない」
「はぁい」
本人も本気でなかったのだろう、修斗に窘められてもてへぺろという表現が似合いそうな態度を見せるので、周は深々とため息をついておいた。
「じゃあ早速で悪いんだけど、私は用事があるから一旦抜けるね」
腕時計をちらりと見て控えめに眉を下げて笑う修斗は、名残惜しさを瞳に浮かべつつも玄関の扉に手をかけた。
「本当にお忙しいのにすみません」
「いやいや、何度も言うけどこれは私の個人の事情だからね、気にしなくていいよ。寧ろ気を遣わせて申し訳ないね」
「そこ、遠慮し合わない。真昼は気にしすぎない」
「おやおや」
志保子は遠慮を知らな過ぎで、真昼と修斗は遠慮し過ぎで。
真昼と志保子の相性がいいのはこういう所なんだろうな、と新たな発見をしつつも突っ込んだ周に、修斗は少しこちらを面白がるように朗らかな微笑みを見せた。
「それではまた後で。志保子さん、迷惑はかけないようにね?」
「はぁい」
最後まで志保子の暴走を気にかけた修斗が扉に飲まれていくのを見送った周は、今から家が賑やかになるんだろうなあ、なんて思いながらも悪い気はせずにひっそりと口元を緩めた。
志保子を招き入れた周であったが、おもてなしらしいおもてなしは修斗が帰ってきてから、という事でお茶を出してからはキッチンに立つ事になった。
二人、今は一人だが志保子達は午後からきてくれたので、夕食を振る舞う事になる。
仕込みもあるので真昼はキッチンであれこれするのは確定していたが、肝心の客人である志保子を放置するのは如何なものかと悩んだ、のだが。
「うふふ」
二人で料理している所を見たいからお構いなく、とそれはもういい笑顔で言われてしまったので夕食に向けての用意をしているのだが。
ダイニングまで来た志保子は先程と同じような笑顔でカウンター越しにこちらを見続けている。あまりにもにっこにこな上機嫌さを見せつけてくるので、息子としては何か恐ろしいものを感じる。
「何で笑ってるんだよ怖いな」
「いえ、二人が並んで過ごしているのを見るのは楽しいものね、って」
「見ないでください減る」
「えー減らないわよぉ、それにどうせ私達が帰ったら増えるでしょ」
「どういう認識なんだ……」
志保子の認識について色々問い質したい事はあるのだが、問い質した所で真昼を可愛がる言葉しか出てこなさそうなので、時間の無駄になるのも見えている。
実にご満悦そうに観察してくるだけで実際何かの邪魔をする訳でもないのでリビングの方に居て、とは言えず、見ているだけで楽しそうな志保子に向けて分かりやすく、わざと、大きなため息をついた。
「取り敢えず、母さんは客人なのでどうぞお寛ぎください。手伝いは不要です」
「言われなくても寛ぐし眺めるわよ」
「最後のやめてほしいんだけど」
「えー」
見られて損をするという事ではないが、見られていると非常にやりにくいのは事実だ。
もう料理をする事にも慣れたものだし真昼からも問題無しのお墨付きをもらっているとはいえ、実の親に見られながら作業して手元が狂わない自信がない。
「周くん、母の日なんですから……」
「……放置しててもいいよな?」
「いいけど目の保養にするわよ?」
「嫌だなー」
「安心して、主に真昼ちゃんだから」
「真昼が減るんだよ」
程々にしてくれ、と懇願するものの、志保子は聞いているのか聞いていないのか、にこやかな笑顔を絶やさず周達の調理風景を眺める事をやめようとはしなかった。
(何言っても駄目だろうなあ)
一度決めたら梃子でも動かないのはこの十七年で身に沁みて理解している。
頑固なんだよな、と思うものの自分も確実にその血と性格を継いでいるので、あまり批判出来るものではない。そして、自分や志保子のこの頑固さを、周は何だかんだ好いていた。
なのでもう何を言っても無駄だと志保子の存在は一旦忘れておく事にして、夕食の用意に意識を戻す。
一応昨日から作り置き出来るものは作り置きしておいたし、下味をつけるものはつけていた。
当日にする加熱調理がメインになるが、本人の希望通り基本真昼のサポートに徹するのでそう難しい事はない。
真昼も見られている事に多少やり辛さは感じているようだが、逆に見られているからこそよりよいものを、と張り切っている。
「周くん、ここに」
「塩どのくらい?」
「大さじ二分の一ですね」
「あいよ」
「ありがとうございます」
レシピは事前に共有していたので手順も把握している。
細かい分量までは記憶しきっていないが真昼が何を求めているかは分かるので、真昼に聞けばすぐに返ってくるし問題はなかった。
こういうのは特段珍しい事でもないので慣れた手付きで塩を計り真昼の望むように放り込んでいく。
一応メイン調理が真昼担当であるので出しゃばらないように気を付けているが、かといって周がサボるという事はなく、次にやるべき事はと先日の内に計算しておいた段取りを思い出しながら包丁を持った。
コンロやオーブン、鍋の数は有限なので、使う順番も大事になってくるのだ。
「……うーん、もう母の日の恩恵たくさん味わってる気がするわ」
志保子が居る事も大分意識から抜けていつものように軽い口を交わしながら料理している周と真昼に、黙ってこちらを見守っていたらしい志保子の、何故か満足げな声が届く。
「まだ何もしてないけど何を見たらそうなったんだよ」
「二人が仲良くしている所?」
「母の日に何の関係が……」
周と真昼が仲良くする事なんていつもの事であるし、志保子の母の日とは全く関係ない事なのだが、志保子的にはそうでもないらしく「大アリよ」と若干強い声が返ってきた。
「そりゃあ、子供達が仲睦まじい幸せな光景を見せてもらってるって時点で親孝行よ? あと、周の成長を改めて確認したというか……ほら、一人暮らしするって決まった時すごく心配したじゃない」
「ああ、それは……」
でしょうね、と言わんばかりの真昼に、当時の自分を思い返して否定出来ないと周は唸り声を上げる。
「その節は母さん達にはご心配おかけしましたし真昼には大変お世話になりました、いや本当に」
もう、こればかりは言い訳もしようがない。
あの時の周の精神状態を考えれば心配した志保子の気持ちも分かるし、精神状態がよかろうが一人暮らし出来る程の生活力を持ち合わせていなかったのでどちらにせよ心配はされていただろう。
「真昼ちゃん、この子最初滅茶苦茶だったでしょう? ロクに料理出来ないし掃除苦手だしいい加減でだらしなかったし」
「い、いえ、そんな事は、うーん」
「真昼、素直に肯定していいんだからな。俺に対しては滅茶苦茶辛辣だっただろあの時」
出会ったばかりの真昼に『家事が出来ないのに一人暮らしとか舐めてるのですか。時が経てば慣れてくるだろうという楽観視が見てとれます。結果的に出来てないのですから少しは反省したらどうですか』と言われたのは懐かしい思い出である。
そう言われる程度には、残念な家事能力だったのだ。
「そ、それは! その、だって」
嘘はつきたがらない真昼の、遠慮なし辛辣な本音であったのだ。あれにはぐうの音も出なかったし、真昼の仰る通りです、とも思った。
「ほらぁ。それがこうなったのは確実に真昼ちゃんのお陰でしょうし、本当に真昼ちゃんには感謝してるのよ?」
「そこは本当に俺も感謝してます、ありがとうございます」
「もう、二人共」
「いやいやホントに。真昼が居なかったら俺はもっと自堕落人間だったからな」
真昼と知り合えなければ、こうはならなかった。なれなかった。
周は、今の自分が割と好きだ。
努力する事の楽しさや辛さを改めて知れたし、如何に自分が周囲に恵まれたのか実感して恩返し出来る事が嬉しいし、最愛の人を見つけて好き合って生きて行くと決めた自分が、誇らしくもあった。
「今は自堕落って訳じゃないものねえ、しっかり屋さんに育って」
「そ、そうですよ。今の周くんはしっかり者ですしよく周りを見ていますよ。いつも支えてくれますし、優しいですよ」
「褒めた所で何も出ないからなー」
「真昼ちゃん、これ周照れてる時の誤魔化し方よ」
「そこ」
余計な事を言うな、と志保子に鋭めの視線を投げつけるも、見事に躱されて生暖かい視線で反撃される。
「ふふ、よく知ってます」
「あらあら」
「やりにくい……」
こういう時に彼氏より彼氏の親に同調するのは何なんだろうか、と真昼を恨みがましげに見るが、真昼も志保子と同じような笑顔なため段々似てきたな……と疲れが襲ってきた周は逃げるように視線を逸らした。
「話は戻るけど、本当に昔の周と比べて随分と成長したわ。可愛い恋人まで作っちゃって、このこの」
「逆に停滞し続ける方がやばいだろ。……人は変われるもんだよ」
人は、変わる。否応なしに。
人は、変わる事が出来る。自ら望んで。
周の変化は、後者だ。
臆病だった自分に、情けない自分に、自ら別れを告げて変わる事を選んだ。
「そうねえ。昔の周は可愛かったけど、今の周は少し格好良くなったわ」
「少しかよ」
そこは評価厳しいな、と小さくぼやいた周に志保子は悪戯っぽい笑みを湛えた。
「ほほ、断言させたいならもっと精進なさいな。まだまだ熟れてない青い子には変わりないわよ」
「言われなくてもしますー」
自分の倍以上生きている人間からすればまだまだ青二才なのは百も承知であるが、それを口にしたら年齢の事を言うなと凄まれそうなので黙っておく。
まだまだ偉大なる先人の足元にも及ばないのは事実で、きっとそれはいつまで経っても同じだ。
先を行く親の背中をずっと追いかけていく。
いつか追いつけるのか、そして自分の子供にかつての自分のように親の背中を追いかけてもらえるような大人になれるのか。
それは今の周が分かるものではないが、将来振り返って恥じる事がないように出来たら、と胸に秘めつつ継続は力なり、と心に刻んだ周に、弾んだような吐息が聞こえた。
「ふふ、仲いいですよね本当に」
「どこが? 真昼と母さんの方が絶対に仲いいからな」
思春期にしては健全な親子関係を築けているという自覚はあるが、仲がいいかと問われると頷きかねる。真昼と志保子の方が余程親しいし息が合っていると断言したい。
「あらー私達息子から見てもらぶらぶなんですってー」
「まあ」
「なんでこんなアウェー感感じるんだろうなあ」
別に悪い事してないのに、とソースに使う野菜をブレンダーにかけながら内心でぼやいた周は、きゃっきゃと黄色めの声を上げて楽しんでいるご様子の女性二人を見ながら早く修斗の帰還が待ち遠しいと遠い目をした。





