323 じとー
地獄の模試を終えてゴールデンウィークも真っ只中であるが、周に暇はない。
受験生は元々やる事が盛り沢山な上にバイトも入れているので自業自得ではあるのだが、本来敢えて空けていた日まで予定が入ってしまったのだから忙しくて仕方なかった。
「真昼」
ゴールデンウィークとはいえ暇な時間はあまりなく、午前は二人で予習、といっても真昼にとっては復習であるが自主勉強をしたし、昼食からの間から夕食までは周も真昼もオンラインで講義を受けて受験対策をした。
その上で夕食を自分達で作らなければならないので一般家庭の受験生よりどうしても時間の余裕は少なくなっている。
夕食の片付けまで終えてやっと少し休める時間が出来たな、という所で、周は隣の真昼に話を切り出した。
「はい、何でしょうか」
「悪いけど明後日半日家空けるから。時間が分からないんだけど夕方には帰ってくると思う」
「はい、分かりました。……大真面目な態度だったので何を言われるのかちょっと身構えちゃいました」
ただの出かける報告だった事に安心したらしい真昼は体から力を抜いてソファに体を軽く預けているが、周としては真昼への申し訳なさが抜けきらないので背筋は真っ直ぐなままだ。
「ほんとにごめんな」
「いえ、そんな申し訳無さそうな顔しなくても……」
「折角ゴールデンウィークの空き時間に予定入れたからさあ」
忙しい分、共に過ごせる時間は大切にしようと二人で話し合って決めていたのにこれなので、真昼にはがっかりさせてしまったかもしれないと周は気が気でなかったのだ。
かといってやっぱり明日の予定はなしやーめた、と出来る類の予定ではないので、真昼に寂しがらせたとて家を空ける予定で。それが申し訳無かった。
周の凹み方が結構なものだと見たのか、真昼はよしよしと周の頭を撫でて宥めに来る。
「絶対側に居ないといけない訳じゃないんですから。寂しがりの子供じゃないんですよ?」
「そうかなあ」
「その疑いの眼差し複雑なんですけど……」
いま子供のように宥められているのは周の方であるが、当日になって寂しがるのは確実に真昼の方である。
「ちなみに、差し支えなければ教えていただきたいのですが。どちらに行くのです?」
聞かれるとは思っていたので動揺はなかったが、どう言おうかと一瞬悩んだ。
嘘をつきたい訳ではないが、かといって細かく言う訳にもいかない。
なので、大まかなにざっくりと、そして真昼が深く追求出来ないような言い方をする事にした。
「母さんの知り合いの会社?」
「……会社?」
「というか事務所? 母さんに頼まれたからちょっと用事済ませに」
まあ、これも嘘ではない。
どちらかといえば周のために志保子がお願いしたから、ではあるが、ここのデザイナーがお勧めだからと頼まれたといえば頼まれた、とも言える。
こう言えば真昼は志保子の仕事の都合で何かあったのだろう、と納得する事は分かっていた。
「成程。そういう事でしたか。周くんも大変ですね」
周が淀みなく告げたため、真昼も特に疑った様子はなく得心したと言わんばかりの笑顔。
(本当にごめん)
無垢な笑顔に罪悪感が湧いたものの、本当の目的を言う訳にもいかずチクリと痛んだ胃をフル無視して周は軽く肩を竦めてみせた。
「まあ、よくしてもらってるしこれくらいはなあ。という訳でちょっと行ってくるけどいい子で待っててくれ。お土産は買ってくる」
「私を何だと……」
「可愛い彼女」
「……それなら仕方ないですね?」
「彼氏から見てちょろくて心配になるぞ」
「周くんはお世辞でも何でもなく可愛いって思ってくれますし、愛してもくれますから。本心を言われて喜ばない訳がないですよ?」
「……自信がついてよし」
真昼は真昼で、こういう事をあっさりと言えるようになったのは、成長なのだろう。
自分がどれだけ周に好かれているのか認識した上で振る舞えるのはよい事ではあるが、ぴたりと考えている事を言い当てられた上で肯定して愛を噛み締めてくれるのは、なんというか、こちらにも恥ずかしさがある。
愛されている自覚があって大変よろしい、と視線を泳がせた周に、真昼はおかしそうに、そして淑やかに笑って。
「周くんも、そういうちょろさというやつがあるのでは?」
「おだまり」
「ふふ、やです」
きっとここに樹が居たらどっちもどっちと言われたんだろうな、と理解しつつもお互いが弱点なのは今更なので、周は唇を結んで今度は優勢になった真昼から目を逸らして羞恥が収まってくれるのを待つ羽目になった。
翌日、周は志保子から知らされた場所に向かっていた。
都心部、それもジュエリーの街と有名な場所だったので駅を降りればその辺りにジュエリーショップが幾つもあって、何というか非常に落ち着かない空気を醸し出している。
志保子に教えてもらった事務所は駅から少し離れた場所にあり、その事務所が近づく度に心臓が落ち着きのなさを主張し始めていた。
幾ら志保子の知り合いとはいえ、初めて会い、綿密な打ち合わせをして、そして大きな金銭のやり取りをする事になる、となれば当たり前のように緊張するのだが、当の相手は周が訪問した瞬間に朗らかな笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「ようこそお越しいただきました〜」
周を出迎えたのは、鮮やかな金髪をボブにした、志保子より幾分か若そうな女性であった。
志保子の知り合いという事なのか、はたまた緊張している周の気持ちを解すためなのか、少し柔らかい接客態度を取る女性は、扉にCLOSEDの看板を提げて入口で立ち止まった周を意気揚々と中に案内してくれた。
事務所の中は彼女がデザインを手掛けたらしいジュエリーがケースに飾られているし、ジュエリーだけならずカットされた石も見栄え良く整列して並べられている。
デザイン関係の事務所を訪ねた事自体は志保子の付き添いであったが、こういう高価なものが置かれた店舗に入る事はなかったため、やはり緊張が解ける事はない。
奥の部屋に招き入れられた周は、勧められるがままに椅子に座ってからテーブルを挟んで真正面に座る彼女に頭を下げた。
「お忙しい所ありがとうございます、篠塚さん」
彼女……篠塚は、名前を呼ばれてパッと明るい笑顔を浮かべた。
「いえいえ、こちらこそお越しいただきありがとうございます。自己紹介遅れてすみませんね、ご存知のようですがデザイナーの篠塚です。志保子姐さんからお話は聞いています」
「姐さん」
知り合いだとは聞いていたが、まさか姐さんと慕っているとは聞いておらず思わず聞き返すように反芻してしまったのだが、篠塚は周の様子に慌てて説明するように続けた。
「ウチ……失礼、私は大学時代の後輩ですん……ので」
どうやら志保子の話題になったせいか、接客モードが緩んでいそうだった。
「あ、かしこまらないでいただけると……こちらこそ母がお世話になって」
こちらとしては頼む側であるし、母親に近いくらいの年頃の女性にかしこまられるのも何だかむず痒いので気楽にしてもらった方が周も気が楽なのでそう促すと、篠塚は分かりやすく安堵の表情を形作った。
「あ、そう言っていただけると助かります〜。やー志保子姐さんの息子さんって聞いてたからどういう風に話したらええんやろって悩んだんよ〜、初っ端から馴れ馴れしくするのもあかんやん? いやめっちゃ馴れ馴れしくしてもうたわごめんなあ」
「いえ、普段通りで構いませんよ」
「ジブンも普段通りでええんよ?」
「いえ、母がお世話になっていますし、これからお世話になるので」
流石の周も樹達にするような態度を年上の女性にするのはまず無理というか抵抗がありすぎるので、そこは固辞するが、緊張しっぱなしで打ち合わせが上手くいくとも思わない。
失礼にならない程度に少しずつ緩める努力はしたい、と思いながらも、やっぱりまだまだこの先の打ち合わせを思って体から力が抜けずにいた。
そんな周の心境を察したのか、篠塚はすぐに依頼の話には持っていかずにへらっとした軽い笑みで口を開く。
「ウチ志保子さんに仕事かもそうやけど私生活でもお世話になった事がありまして。実は藤宮さ……分かりにくいな、名前呼んでごめんやけど周クンに実は会った事あるんよ」
「えっ」
聞き捨てならない事を言われて、思わず素の声が出た。
「やーちいちゃい頃だから覚えてなくても仕方ないんだけどなー。こんくらいの時よ?」
あっけらかんと笑いながら手で示しているが、その手の位置がどう考えても机より少し高いくらいの場所で、周の記憶がなくても当然の頃合いだというのが見て取れる。
「志保子姐さんの仕事場に連れてこられた時、そこにウチもおって見てるっちゅーか?」
確かに、小さい頃はよく志保子の仕事場に連れて行かれていた、ような気がする。
「志保子姐さんの足にしがみついてこっち見上げてるのめっちゃ可愛かったなー。一杯服着せ替えられて恥ずかしくなって隠れてたのなついわあ」
「滅茶苦茶黒歴史のやつじゃないですか」
その当時人見知り大発揮していたような気がする周は恐らく志保子の側を離れなかっただろうし、子供から見上げた大人の顔なんて覚えている筈がない。
そもそも女の子の服を着せられたようなうっすらとさた覚えすらあって、ある程度成長してから記憶の底に封じていた説すら浮上してきた。
目の前の篠塚は周の知っていて欲しくない姿を知っている可能性がかなり強くて、周は頬が強張るのを実感していた。
「何か恥ずかしくなってきたんですけど」
「ほんまに大きなったなー、人に囲まれてぴえぴえ泣いてたんになー」
懐かしむように言われて「最悪だ!」と思わず口にしてしまったが、失礼だと後悔する前に篠塚がげらげら笑いながら手を叩いて「そりゃ嫌よなあ」と同意していた。
「あっはっは、私も親戚のおいちゃんによーく言われるしまさか言う側になるなんてなあ、もういい歳なんやもんしゃーないか。歴史は繰り返されるんやわ」
繰り返している側の篠塚は笑い過ぎて涙が出てきたのか目元を指の背で拭いつつ、ゆっくりと賑やかな笑みを収めていく。
「でも感動よ、尊敬する先輩に頼ってもらえて、お子さんの大切な指輪任せてもらえるって。こりゃ張り切るしかないわあ」
志保子の事は本気で慕っているらしく、息子である周の依頼に嬉しそうに目元を和らげる篠塚に、周も気を取り直して向き直りつつ頭を下げる。
「本日はよろしくお願いします。お仕事で忙しい所に割り込んでいたら申し訳ないですが」
「やーいいんよ、先輩であり恩人みたいなもんというか。頼まれたら、そらなあ」
「……そんなに母さんは篠塚さんの事を?」
「せやで。志保子姐さんおらんかったら私筆バッキバキに折ってたと思うんよな。救われた身としては、そりゃ力になりたいっちゅーか」
「……母さんが?」
「そうそう。ほら、志保子姐さん他人によう親身になるしもうパッションみたいな存在やん?」
よくぞ聞いてくれました、という勢いで篠塚が口にする志保子像は、周の思う志保子とそこまで乖離はない、というか納得すらした。
「デザイン全ボツ試験駄目駄目で彼氏は暴力ふるった挙げ句金持ち逃げガチ凹み死のかなって時に志保子姐さんと旦那さんに救われてなあ。もう感謝感激雨あられ平伏して靴舐めますレベルよ」
「それはなんと、まあ……」
彼女を襲った不幸が大惨事過ぎて、非常に相槌を打ちにくい。
そんなに追い詰められる事があった事に震えてしまうし、そんな後輩を見たら志保子が何とかしてあげたくなるのも分かる。周だって樹達がそんな目に遭ったのならば何とかしたいと行動するだろう。
「こんな事聞かされてもしゃーないし反応し辛いよな分かる。でも救われたんは事実よ」
「……その、母さん達が篠塚さんの人生によき反応をもたらしたならよかったです」
本当に篠塚が世を儚まなくてよかった、と素で思った周に、篠塚はころころと悲惨な事態を語ったとは思えない愉快そうな笑みを浮かべて周を見つめた。
「うん、ほんまにありがとうって思っとる。だからこそ、恩返ししたいって思うのはおかしないやろ」
「……本人でなく息子でいいんですか?」
それだけ感謝しているなら恩返しするのも分かるが、本人にしたいものなのではないか、という疑問も湧く。
「ええのええの。恩人が息子にって言ってるんやし、願いは叶えるべきやろ。あと、旦那さんからも依頼あったしなあ、志保子姐さんにはそっちでも恩返してるし?」
「……父さんが?」
「うん、ほら記念日控えてるみたいやし?」
「あー」
「前もって依頼いただいてるんですわー、あっこれ志保子姐さんに内緒な」
茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせた篠塚に、しれっと志保子への贈り物を用意する手配をしていた修斗のソツのなさを思い知ってしまう。
そういえばもう結婚して十の桁が次の数字に繰り上がる頃であり、その記念に、という事なのだろう。
「父さん如才ないな……」
「流石志保子姐さんの旦那さんよな、ええ旦那さんや」
「……ちなみに、この依頼の詳細を母さんに知らせないようにする事は」
「あっはっは、嫌よなあ母親にアレコレ知られるの。仕事の詳細を部外者に知らせるのは本人の許可がない限りしないんで安心してな」
「今父さんの依頼バラしませんでした?」
「これ旦那さんが周クンには言ってええよって。奥さんへの贈り物は大切だからね、って」
思い切り部外者にバラしてないか、と突っ込むと、篠塚はそこも考慮していたのかにこやかに修斗からの伝言を伝えてくるので、修斗に色々な恐ろしさを覚えた。
真昼を末永く大切に、という圧でもあるので、そのつもりだという覚悟ををこれから長い年月をかけて証明していく所存である。
篠塚は「人の旦那さんに失礼なんやけど、ホンマに気の回し方とか覚悟が恐ろしいというか怖いわぁ」と洩らしており、周も思わず自分の父親ながら頷いていた。
「それでなんやけど。依頼は指輪で間違いない?」
「はい。……その、婚約指輪を贈りたくて」
漸く本題に入ったが、改めて依頼内容を伝えると気恥ずかしいものがあった。
仕事モードに入ったのか、茶化すような事はなく、ただただにこやかなスマイルのまま机にあるキーボードを叩き出す。
「勿論お受けしますが、彼女さんの指のサイズは」
「それは勿論知ってます。というか分からないのに依頼はしませんし出来ませんから」
真昼の指のサイズについては、千歳や彩香の協力の下情報をゲットしている。
それ以外にも好みのデザインや色、身に着けたい物など、周が共に過ごす仲で知っていても確定情報ではない、そんな色んな情報を怪しまれないように調査してきてもらった。
持つべきものは友である。当然謝礼(お菓子と総司の写真)は弾んでおいた。
篠塚はそんな周に「抜かりないねー」と満足げな様子。
「その前提条件先に言ってくれるのありがたいわぁ。後から細かく詰めるにしても、ざっくり希望と予算は聞かせてほしいし。サイズは当たり前やけど、先に立つもんがないと地金、中石から脇石にデザインまでぜーんぶ制限かかってくるんよ。後からお金なくて無理ーとかも困るやん? このくらいの予算でって言ってくれたら予算内で考えるんで」
「ありがとうございます。……まあ、豪華なものは無理でしょうが、彼女も好まないのでそこは結果オーライそうですね」
「ちなみに先聞いとくけど、ウチでよかったんな? 有名ブランドとかでなくても? その予算なら石のサイズを抑えればある程度は買えると思うけど?」
既製品を買わなくてもいいのか、そちらの方が安くつきはするし人によってはブランドの方が喜ぶかも、という心配から口にしたらしい篠塚に、周はゆるゆると首を振った。
「あなたがいいです。……母さんが出掛ける時よく着けてるネックレス、あれ貴方の作品でしょう? 母さんが人柄も技術も信頼しているのなら、頼まない他ないです」
一度決めたものを翻したくはないし、周は志保子を信頼している。
そして志保子が推薦した、信頼の置けるデザイナーに頼めるというのであれば、否と選ぶ選択肢など端から捨てていた。
「おあー、志保子姐さんアレつけてん? わっかい頃に贈ったやつなのになあ」
周の言葉にか志保子が身に着けているという事実にか、こそばゆそうに、しかし喜びは隠しきれていない頬の緩み方を許した篠塚は、頬を掻いた後背筋を伸ばした。
「じゃあ、そのくらい奥さんに着けてもらえるモノ送らんとなあ」
「まだ奥さんじゃないです」
「彼女サンね、拘るなあ」
真面目クンだね君も、とからかうというよりは褒めるように付け足した篠塚が立ち上がって「指輪に使いたい石を選ぶ所から始めよか」と先程の部屋に向かいながら笑うので、周も笑いながら頷いて篠塚の後を追った。
結局、デザインは一日では決まりきらなかった。
中石はダイヤモンドにするのか色石を選ぶのか、脇石使うならグレードをどのくらいにするのか、地金はどうするか、どういう意匠にするのか、と色々と吟味していく作業が思ったよりも時間がかかったのだ。
一世一代の贈り物なので悩んでも当然であるしそれだけ悩む程愛しているんやな、と篠塚に微笑ましそうにされたが、周としてはあまりの自分のセンスのなさにちょっと泣きそうだった。
篠塚が上手い事周の意見や真昼の好みを踏まえた上で予算内で如何に良いものを作れるか、と張り切ってくれたので、周としては感謝してもしきれない。
デザイン自体は大体こういうものがいい、とポートフォリオや店舗にあった実物を確認しながら望みの傾向をすり合わせたので、今回は後日メールでデザイン案を複数送って確認するという事になった。
散々悩んで話し合ったせいで予想していた時間より長引いてしまったので、周が足早に帰路に着いても帰る頃には日が傾いていた。
「ただいまー」
なるべく明るい声で帰宅の声を上げると、既に玄関で待機していたのか扉を開けて早々に真昼がお出迎えしてくれた。
これはかなり待たせたみたいだ、と申し訳なさから 軽く眉を下げつつ「遅くなってごめんな」と謝ると、真昼は笑顔で首を横に振りながら周に近付こうとして、ぴたりと止まった。
抱き着いてくるのかな、と思ったらフリーズしたように動作が止まったので戸惑う周に、真昼はすん、と鼻で大きく空気を取り込んだのが分かった。
少しだけ寄る眉。
「……すごく、知らない香水の匂いがしますね?」
いつもよりそこはかとなく冷たく、こころなしか低い声。
帰りが遅く知らない香水の匂いを纏ってきた、なんて普通に考えれば不実を働いた状況証拠でしかないので、周は頬が強張るのを感じた。
勿論、誓って全くそんな事はないし断じてありえないのだが、それは周側の主張であって真昼側の受け取り方を変えられる訳でもない。
「浮気を疑われてます?」
「いえ、周くんの性格と普段の溢れんばかりの愛情からまず選択肢から外れますけど。周くんにそういう疑いを持った事はないですが、それはそれとして、そんなに近い所に長く居たんだ……っていう気持ちにはなりますよ」
「ごめんなさい、すぐに禊いできます」
真昼の気持ちを考えれば予定変更で出ていったというのにようやく帰ってきた恋人が香水の匂いを漂わせていた、という事で、当然面白くないというより不快の領域に足をじゃふじゃぶと浸からせているに等しい。
もっと配慮すべきだったし、真昼に突っぱねられても仕方ないものである。
真昼が周を信頼してくれている事と性格が理性的な故に疑いの目を持たなかっただけで、割と危うい橋を渡っていた、と気付かされた。こういう事を繰り返せば、不和の原因になり得る、と。
「それ疚しい事してるみたいな言い方になりません?」
「してないけど、真昼がやな気持ちになったのは事実だからなあ。真昼が嫌な気持ちにこれ以上ならないように、落としてきた方がいいだろ。あと、本当に真昼を裏切るような事はしてません」
「知ってますよ。というか、周くんは自惚れなしに私の事を愛してくださっているのは、日頃の言動からも理解していますし」
「好き」
「知ってます」
愛されている事についての自信は微塵も揺らがなくなってきた真昼の自己肯定感の成長に、ちょっと涙が出そうだった。
同時に、そんな真昼を不安にさせた事への罪悪感が倍増しになってくるのだが。
次の相談の時は不躾を承知で朝イチにしてもらって香水を後でつけてもらうようお願いするか、シャワーのある施設を使おう、と心に決めた。
「ちなみにお風呂は用意してますよ?」
「あまりにも用意万端な件」
「遅くなるって現在地込みの連絡入った時には逆算してましたから」
「末恐ろしいな」
あまりにも準備が良すぎる。
「そういう事言うなら一緒に入ってあげません」
「わー嘘です嘘ですごめんなさい! ……ん、一緒に?」
「あっ」
口を滑らせた、と分かりやすく顔と口元を押さえる動作でバラしている真昼に、周はまじまじと真昼の顔を見る。
今日は、特に泊まりの予定は入れていなかった。
そもそも泊まるからといってお風呂も一緒に入る事はほぼない。基本は風呂は別々に入っている。
お風呂という、仮に水着を着たとてほぼ素肌のような姿で毎回のように密着していたら、幾ら理性で踏み留まっている周でも脱衣所に理性を置いていく事になりかねない。
それを分かっているから真昼も滅多に一緒の浴槽に漬かるなんて事は提案しないのだが、今日の真昼は何故だかいつもより積極的らしい。
「……ち、違うのです、決して泊まる気とかでは」
「泊まる気だったんだ?」
「それはその、思ったよりも帰るの遅いし、中々一緒の時間過ごせないし挙げ句香水の匂い漂わせてくるしで、もやもやはしましたけどそういつつもりでは」
「香水は本当にすみません」
「いえ、一緒の空間に居たら移るのはありますから。それに疑うなら志保子さんに聞けばいいですし」
「聞いてもいいし何だったら父さんにも聞いてくれていいけど。両方の知り合いだから。それでも心配なら先方の事務所の監視カメラを……ってなっちゃうけど」
第三者に裏付けを取って真昼の気が晴れるのであれば、全く以て構わない。
志保子も修斗も周の目的は分かっているので上手い事真昼に本来の目的は伝わらないように説明してくれるだろうし、仮に篠塚の方に真昼が連絡を入れる事になったとて修斗が志保子へ、と説明をすれば真昼も納得出来る。
これで篠塚と何かあったのでは、という疑いを持たれたら釈明に困るのだが、もうそれは監視カメラのデータを提出という話になってくる。
相談内容さえ細かく知られなければ見られた所で周は痛くも痒くもないので最悪そっちを……と大真面目に考える周に、真昼は小さく笑った。
「潔白なのは理解してますよ? それはそれとして、面白くないなって話になるだけです。でもこれは私の感情なので、周くんに当たるのも筋違いな気がして」
「そこは当たって欲しいけどなあ」
「それ肯定するのはどうかと思いますよ」
「や、真昼を不安がらせたのは俺だから、俺に対して怒ってくれていいんだぞ。その上で、話し合いはしたいけど」
真昼が感情をぶつけてくる権利はあるし、周はそれを受け止めるだけの気持ちと準備がある。
真昼の不安を解消したいのは周の意思なので、ばっちこいと真っ直ぐ真昼の目を覗き込むと、少しだけ真昼は瞳を揺らして伏し目がちに。
「……用事があったとはいえ、ちょっとやでした」
「うん」
「でも、それが必要な事なら受け入れてますので。そこまで束縛したい訳じゃないです」
「真昼に捕まるなら本望だけどなあ」
「そういう事言ってると、周くんにずっとしがみついちゃいますからね」
あまりに周が殊勝な態度を取っている事に逆に不服なのか、真昼は「もう」という呆れを込みの予告をしてくるのだが、周にとっては何ら苦にならない提案で堪えきれずに肩を揺らしてしまう。
「いつからする? これから? お風呂入るけど?」
「……そういう所! いいから一人で入ってきなさい!」
どうやら臍を曲げてしまったらしく真っ赤な顔で周の背中をべしべしと叩く真昼に声を上げて笑った周に、真昼は小さな呻き声をあげつつ「後で覚えておいてください」という可愛らしくも物騒な言葉を周に贈ってくるのであった。





