322 抱えた虚しさと希望
「王子様だ」
門脇と樹の三人で昼食を学食でとる事になったのだが、久し振りな単語が周囲の雑音に紛れて届いて、思わず門脇の方を凝視してしまった。
門脇は慣れっこなのか諦めているのか、どちらかといえば表情的に後者な雰囲気を漂わせながらも素知らぬ顔で本日のランチAセットについた味噌汁を啜っている。
その所作すら品があるのだから不思議なものである。
「そういえば門脇って渾名王子様だったんだよな……」
「それやめてくれない? 藤宮に言われるとぞわぞわするんだけど」
「いや俺に言われましても……」
友達にからかい目的ではなくしみじみと言われる事にかなり抵抗があったらしい門脇は、近場で見れば分かる程度であるが頬を引き攣らせている。
周も揶揄ではなくそういえばそう呼ばれていたなあ、くらいのつもりだったのだが、結構な拒否をされて少し申し訳なさがある。
「言っておくけど、俺もまあまあ恥ずかしいからね」
「でしょうね」
あくまで小声で、周りに聞こえないように配慮しながら告げる門脇に、そりゃそうだと周も樹も苦笑い。
本人的には普通にしてたら何故か「王子様」なんて気恥ずかしい呼び名を授けられていたのだから、忌避感があるのもおかしくない。
年頃の少年を例えるには少々夢見がちがすぎる名称だし、呼ばれる側は堪ったものではないだろう。真昼も「天使様」には苦言を呈していたくらいだし、やはり偶像化するような名称を与えられるのは本人の精神衛生上よくないとよく分かる。
「ほんと、そういうキャラじゃないんだけどなあ」
「いや、うん、まあ……否定しきれない所はあるんだけどな」
「どこを見てそう言ってるのさ」
「顔」
「顔かなあ」
「君達さあ」
樹と声を合わせてしまったのだが、女子達に王子様と呼ばれる所以はそこにある。
あまりにも整った、甘さを残しつつも凛々しさのあるフェイス、そこに涼やかな声やら文武両道な所やら物腰の柔らかさ、誠実な人柄やらが合わさると、一つの理想である「王子様」を彼に見出してしまうのだろう。
思い切り嫌がられているのは申し訳ないのだが、客観的に門脇が女子に人気な要素を持っているのは事実なので、そう見えてしまうんだろうなあと納得もしてしまう。
「いや性格的にも優しい王子様系なのはそうなんだけどな。つーか普通に門脇がモテキャラなんだって久々に認識した。いやモテてるのは知ってたけどこう、改めて人気凄いなって」
真っ当に友人関係を築いてから同性の友人として過ごす分には顔とか大して関係ない、良き友達で居たし顔も見慣れていたので、きゃあきゃあ騒がれるとそういえば門脇は校内一の美形とか言われてたなと今更思い出すのだ。
同級生は黄色い声を上げるというよりはもうしみじみとした「いいよね」という反応になる事が多いので、今騒いだのは下級生の子達だろう。
「校内外の人気やばいからなあ優太。大会とかやばいんだろ?」
「あれ睨まれるから困るんだよなあ……俺妬みは買いたくないんだけど」
周には縁がないが、モテる人間はモテる人間なりの苦労があるのだと門脇の様子を見て察してしまう。
よく同性から妬みをぶつけられる事も見かけたが、本人の気質が圧倒的善且つ光属性のような人間なので、ほだされたり周りから排除されていったりで、最近は怨嗟程のものは見ないのが幸いと言えばいいのか。
「でもぶっちゃけ優太が妬まれるのは日常茶飯事で今更のような気もするんだけどな……」
「ひどい」
「や、こんだけ人気だと足を引っ張ろうとする輩は居るもんだからなあ。悲しい世の中の摂理というか」
「勘弁してよ」
「どれだけ言葉を尽くしても嫉妬に駆られる事を抑えられないのあるあるだからなあ。話が通じない人も居るんだなこれが」
「君達は話が通じる側で居てね本当に」
そうなる事はまずないという前提があっての門脇の懇願に、周は軽く肩を竦めつつ「そうなる訳ないだろ」と返す。
「俺は羨ましいって思う事はあれど、足を引っ張ろうとか思ったことないけどなあ。足引っ張っても自分の何かが変わる訳じゃないし意味なくない?」
確かに、自分にない眩しいものを羨む気持ちは、分かる。
欲しいと願うのも、分かる。
ああなりたいと思うのも、分かる。
けれど、その眩しくて自分に持ち得ないものを持った人間を攻撃しようとするのは、分からない。
その眩さに翳りを生み出した所で得られるものはなにもない、どころか自分の階層を落とす事だとすら思う。
「その光の正論を他人に向けると争いになるぞ」
「流石に言わねーよ」
周も自分の言った事が人によっては多大な反感を買う事は分かっているし、だからこそ本当に隣の二人にしか聞こえない小さな声で呟いたのだ。
「なんというか、妬むやつにも妬むやつのいいところはあるだろうに、嫉妬に目が曇って自分で気付けないのは勿体ないなと思うけど」
門脇が妬ましくなるのも、分かる。
だが、嫉妬に駆られるその人にも門脇にはない良い所があると思うし、そこを磨けば門脇のようにではないにしろ誰か選んでくれる人が現れる事だってあるかもしれないだろうに。
そこで停滞して上ばかりを見上げて足元を疎かにしても、誰も見向きはしてくれない。
かといって努力しても必ずしも叶うという訳ではないのが悲しい所。
ここで確約出来ないのは少々申し訳なさがあるが、運の巡り合わせというものもあるのでいつ自身を見てくれる人が現れるかは不明であるし、それまで腐らずに努力する精神性の方が大事なのかもしれない。
これはかなり運と環境に恵まれた周が言っていい事でもないかもしれないな、と口に出す事は控えていた。
「お前の美徳はそういう所だよなあ、と思うと同時に暗黒にお住まいの人間には厭われるのも分かってしまうのが悲しい所」
「無垢な正論だからね、あまりにも鋭いよね。刃物には気を付けないと」
「あっはっは、優太は物理の方に気を付けた方がいいかもな」
「俺!? というかそれ絶対逆恨みじゃん、俺他人の恋人とかに手を出すような倫理観ではないんだけど?」
「さっき言ったように話が通じる人間とそうでない人間も居るので……」
流石に刃傷沙汰にはならないように祈るしかない。何もしていないのに暴力事件に巻き込まれるのはあまりにも哀れ過ぎる。
「ま、さておき。俺達は藤宮のよさは分かるけど、こういう所をパッと見だと分からないのが残念だよね」
「いやーでも割と別件でいいな的アレはあると思うぞ? ほらあの子とか」
「何の話だよ」
何故か周を抜いて話し出す二人に鋭い視線を向けてみるが、二人共スルーしている辺り周の突っ込みにも慣れてしまったのかもしれない。
「いや、お前にもモテ期がやってくるかもなって話」
「何でそうなるんだよ」
先程まで王子様談義であったのに、何故周のモテ話になるのか。
周の自認では、モテていない。
モテというのは不特定多数の異性から好意を寄せられる状態だと認識しているので、現状モテていないと断言出来る。
「あと真昼が居るのに別にモテたいとは思ってない。応えられないし、そもそもない」
「でも新一年生は椎名さんが居る事はもしかしたら知らないかもしれないしな」
「そもそも新一年生と接する機会がほぼないだろうが……俺部活入ってないし」
「委員会とか」
「俺真昼と同じなんだが? 側に居るからな?」
「うーん芽吹いた側から摘まれるやつだ」
「そもそも芽吹く前に椎名さんの牽制種掘り起こしがワンチャン」
「お前らさあ」
好き勝手言いやがって、と呆れながら食べ終え空になった弁当箱を風呂敷に包み直す周に、二人は「椎名さんも大変だ」などと意味不明な事を供述しだす。
流石の周も、自分の立ち位置は理解している。
きちんと身なりを整えて立ち振ち舞いも真昼の隣に立つべく気を付けるようにしたし、心身共に鍛えた事によってまあ、二重の意味である程度見られるようにはなった。
ただ、ではモテるのか、と言われたらそれをカウントするのも違うな、という話で。
話しやすくなったし関わりやすくなったとは認めるしそれなりに自分を磨いた自負もあるが、では異性が寄ってくるかと言われたら、現状を見れば分かる通りノーである。
人間的好意を得やすくなった、と異性的な好意を得やすくなったは別だろう。
(というかこの二人の方がよっぽどだと思うけどな)
何をしなくとも耳目を集めるタイプのモテ男に言われても響かないんだけどな、と思いながらため息をついた周に「おーい」という高めの声が聞こえてきた。
聞き慣れた声に三人揃って声の方角を見ると、教室でランチタイム女子会をしていた真昼と千歳がこちらに向かってきていた。
先程声をかけてきたのは、千歳だ。
木戸は居ない辺り、食べ終わって茅野の所に行ったのかもしれない。
「居た居た、ゆーちゃん」
何故か彼氏である樹の前に門脇の名を呼んだ千歳に、門脇本人が驚いたように席に座ったまま千歳の顔を見上げる。
「あれ、白河さんに椎名さん。どうかしたの?」
「いやー探しましたよー。ゆーちゃんにちょっと用件がありまして」
「俺に?」
本当に珍しく頼るのが彼氏である樹でも親友の真昼でもなく門脇なので、当人の門脇もスルーされた樹も困惑している。
「他ならぬゆーちゃんに相談があるから時間もらっていい?」
「いいけど、樹じゃなくていいの?」
「うん。いっくんは要らない」
「おっ彼氏の目の前で浮気? 傷付くなあ」
きっぱり要らない扱いされて「およよ」と器用に座ったまま崩れ落ちるポーズを取る樹であるが、千歳が呆れた顔をしているので恐らく真面目な相談なのだろう。
「はいはい後で相手してあげるからね」
「ひど」
「いやいっくんとは無関係だしゆーちゃんにしか頼めない事だもん。ゆーちゃんのお姉様のお時間いただけないかなって」
持ち出された単語は、確かに樹にはどうしようもない相手を指す言葉だった。
門脇としては全くの想定外だったらしく「姉さんに?」と声にも困惑を乗せている。
「そうそう。良子さんスポーツ関連のお仕事してたよね? ちょっとお話聞きたいなって」
千歳は大学でスポーツ科学を学びたい、と言っていたので、その関係で実際に学んだであろう先人の話を聞きたいという事になったのは想像がつく。
門脇も理由を聞いて得心したらしく、表情は困惑から納得したような安堵の顔に移り変わっていた。
「何だそういう事。てっきりふざける男のとっちめ方とか彼氏を尻に敷く方法とか聞きたいのかとばかり」
「今日オレに当たり強くない?」
「からかってくるからね」
「周も同罪だろ!」
「日頃の行いだなあ」
からかった事は否定されなかったものの日頃の行いを肯定されたので、周としては嬉しいやら樹に呆れていいやら。
千歳は千歳で「それも詳しそうだから聞いてみよ」と頷いており、門脇の姉の認識がどうなっているのか少々聞いてみたさはあった。
「そういう事なら、今日帰ったら姉さんに聞いておくよ。……というか、連絡先交換してなかったんだ?」
「いやまああの。……それは、あの時代の私に言って?」
「うん、無理だね。姉さんの事苦手そうにしてたもんね」
「……いやだってぇ」
「うん、分かるよ……」
何かを分かり合ったらしい二人に、樹がおかしそうに眉をへにゃりと曲げた。
「まああの頃のちぃは良姉苦手だったもんなあ。それが今はこうなって」
「うるさーい! いいの! そういういっくんもじゃん!」
「それはほんとにそう」
「優太まで」
「いやこう、優等生樹くんには刺激が強かったんだよね分かるよ」
「お前さあ」
形勢逆転とばかりにここぞと樹をからかう門脇に舌打ちをかます樹であるが、反論はしない辺り本当に得意ではない人だったのかもしれない。
「姉さんは二人の事気にしてたし何なら例の件でブチギレてたから、二人揃って顔を出せば喜ぶと思うよ?」
「よしいっくんも連れて行こう」
「ちぃさん!?」
樹をからかえるとあらば積極的な千歳が遠慮なく巻き込んでいくスタイルを取ったため、樹の挙動不審っぷりが際立って来ていた。
「いっくんが一番苦手なのああいうタイプでしょ」
「蛇に睨まれた蛙になるよね」
「優太お前それ自分の姉に対して蛇言ってるからな」
「ひどい受け取り方をするなあ、俺は姉さんはとても気高くて凛々しく強い自慢の姉上だと思ってるよ」
にこっ、と人好きするような笑みを崩さない門脇であるが、こころなしか額に汗のようなものが伺えた。
「ゆーちゃん冷や汗かいてる」
「優太の数少ない弱点だよな……」
「約束取り付けないよ」
「すみませんゆーちゃん様お許しを」
余計な事を言うなと言わんばかりに約束を盾として持ち出された千歳が平謝りするので、門脇はよろしいと眼差しに乗せて頷いた。
「なんというか、すごいお人なのですね。門脇さんのお姉様は」
今日はオンライン塾があるので授業が終わったら直帰の周と真昼だが、スーパーからの帰りに思い出したように真昼が話題に上げたので周も苦笑いを浮かべた。
「俺もちゃんと会った事がないからあまり言えないけど、こう、門脇的にはとても色んな意味で強い女性らしいぞ」
門脇の家を訪れた事もあるが、生憎なのか幸いなのか(門脇曰く幸い)全員出払っていて挨拶をした事はない。
飾ってあった家族写真を見た事はあるが、優太のハニーフェイスは遺伝子が大変仕事をしているんだなとよく分かるきらびやかさと華やかさを持ったものだった。
そして、意志の頑なさは一番門脇が柔らかそうだな、と察する程度には全員表情に自身が満ちていたのも、よく覚えている。
尻に敷かれるのも分かってしまうと門脇には失礼ながら納得した過去があるので、樹が怯えるのも分からなくはない。
「まあ意思がとても強くて溌剌としたお方らしいので、搦め手が得意なのらりくらりタイプの樹とは相性が悪いのかもしれないなあ、と」
「建前とか全部壊してまっすぐにぶつかってくるという感じなんですかねえ」
「多分女王様タイプだと思う」
「え?」
「いやなんでも」
誰に聞かれているか分かったものではないので真昼の疑問の声には敢えてスルーの態勢を取った周は、曖昧に笑っておいた。
「まあ、何にせよ千歳にとっていいきっかけになるんじゃないのか。実際にその職についてる人の話を聞けるって貴重な機会だろうし」
「そうですね。分かりやすい指標も出来ますし、身近に感じる事でやる気が促される事もあるかと」
夢見る事と現実を見る事はバランスが重要なので、先人に話を聞いてその職がどうなのかとか大学では何をどう学んだかと聞いて、目標や行動を再設定する事も必要だ。
予定が組まれるであろう門脇の姉と千歳(+樹)の邂逅によってどうなるかは分からないが、千歳の人生がより正の方向に向かうとよいな、とは思う。
仮にこれで違う学科や同じ学科でも職の方向性を変える、という判断になるならそれはそれで有りだろうし、早めに判断出来たなら儲け物である。
「何だかんだ千歳も樹もやりたい事が決まって進んでいってるよなあ」
千歳が自ら、将来に向けてやりたい事を見つけて邁進しだした、という事が、周にとっては嬉しい。
今を必死に生きて余裕がなかった、樹の父親である大輝との確執といえばいいのか不和に悩んで停滞していたあの頃を思うと、今の千歳は昔よりもずっと溌剌とした輝きに満ちている。
(あの時樹と喧嘩した事が結果的には大正解だったんだろうな)
肝心な所で噛み合わなかった二人の歯車が、漸くピタリと嵌った、そんな印象がある。
(まああれは樹が大概悪いんだけど)
カッコつけで強がりで弱い所を晒すのを恐れていた、一人で父親に立ち向かおうとしていたのが理由なので、千歳に蹴り飛ばされてからきちんと話し合うようになったようだ。
「いい事ですよ。私としては千歳さんが生き生きとしている姿を見ていて安心します。……同時に、少しだけ、不安があるのですけど」
「何か千歳に問題あった?」
千歳に対する懸念、というには少し曖昧な、言いにくそうな様子を感じるのだが、真昼はゆるゆると首を振った。
「千歳さんに、ではなくて私に、ですね」
「それは俺に解消出来る事?」
「私自身の捉え方の問題ですから、直接の解消は出来ませんね」
周が真昼の不安を打ち消せるなら協力は惜しまないのだが、真昼はただ淡い笑顔で首をもう一度振る。
「……何というか、こう、私って空虚だなあと」
「真昼さん?」
「頬を引っ張る準備はまだ早いですからね」
急にネガティブな思考を口にした真昼をどうしてくれようかと手をわきわきとさせつつ顔に伸ばした周だが、真昼も慣れてきたのか察したらしく浮かべた手をやんわり迎撃していた。
その様子から深刻なものではないとも分かるので、取り敢えずほっぺぷにぷにの戒めは保留にしておく。
「私って、基本、やれば出来てしまうじゃないですか。自慢でもなく」
本当に何でもなさそうに、あっさりと言う真昼に、周も頷く。
「そうだな。努力に裏打ちされた優秀さがあるし、要領いいから一を聞いて十を知るくらいやってるよな」
「それは過大評価ですけど、ある程度の努力で身に付くんですよ。やる気になってやれば、他の人程苦労せずとも八割九割は身に付けてしまうというか」
他人が聞いたら泣きそうな事を言っている自覚はあるらしい真昼であるが、彼女の基礎スペックの高さに舌を巻く側でもある周としても割と真面目に泣く人出てくるだろうなあと苦笑いしてしまう。
「……だからこそ、熱中するものってあんまりないなあと。あ、周くんは別ですからね?」
「知ってる知ってる。……言わんとする事は分かるよ。俺にはちょっと実感が得られない事ではあるけど」
周は良くも悪くも努力で何とかする凡才なので、真昼程の要領のよさがあると世界もまた違ってくるのだろうな、というふわっとした理解しか出来ない。
真昼は、大抵の事を人並み以上に熟す。
水泳は何故か出来ないらしく本人も歯噛みしているが、それを除けば真昼に出来ない事はあまりないし、挑戦してみれば人よりも早い期間で結果を出すだろうとは予測出来る。
真昼というスポンジの吸水量の凄まじさは羨ましくあるのだが、早くに習熟してしまう分、熱量を他に傾ける余裕がある、という事でもある。
どんな事も程々の労力で身に着けてしまう、という事は、果たして幸せな事なのだろうか。
「これを言うと反感買うのは間違いなしなので、とても外では言えないんですけどね」
「俺は真昼の努力は知ってるぞ? そもそも、人より労力が少なかろうが、その分手広く広げてるんだから色んな種類の努力はしてる訳で。結局努力の量は人一倍だと思ってるし」
「ありがとうございます。まあ、良し悪しですよね。だから、こう、なんというか、小さい頃からの刷り込み且つ詰め込みも込みでの、空虚感というか? ……別に今どうこう思う程病んでもないですし虚しくもないですからね? そこ勘違いしないように」
「はい」
先手を打たれて手を引っ込めると、真昼はおかしそうに笑う。
その姿は本人が言う通り虚ろなものとはかけ離れていたので、安心していいだろう。
「私にとって技術や知識を習得する事は親に見てもらうための手段でしかなかった訳で、そこにあまり自身の興味関心や嗜好を反映させてなかった、と言えばいいのか。故に、何かがしたい、という明確な目標がないというか、なくはないけど曖昧というか……」
「曖昧、か」
「だから、私は門脇さんや千歳さん、彩香さん達が羨ましいなって。その、やれる事はたくさんありますけど、やりたい事が彼ら彼女らより、曖昧で。志望校もある程度の興味関心の下決めましたけど、熱烈な意欲ではない。受験に対するある種の冒涜のように思えて」
「一ついい?」
「はい」
お叱りを受けるとでも思っているのか、真昼は歩きながら背筋を伸ばしたが、周にそんなつもりは微塵もない。
というより、叱れるような立場でもない。
ただ、隣を歩く存在として思った事を口にするだけだ。
「そんな特別な事じゃないと思うんだけどな」
「……はい?」
何を言われたのか分かっていないらしい真昼が大きな瞳を落としそうなくらいにまんまるに見開いているが、周は構わずに続ける。
「や、なんというか、別にそれを肯定する訳ではないんだけど、誰しも熱烈な目標がある訳じゃないからなあ。例えばだけど太刀川はやりたい事はないけど将来を見据えて潰しのきく事が学べる大学を選んでるって言ってたじゃん? あれを否定出来る?」
去年も一緒のクラスであった太刀川は、何でも特に希望はないけど生活に困らないように給料のよさそうな職につくために理系を選んだ、と堂々と言い放っていた。
あまりに潔すぎて一瞬固まったが、そういう考え方をする人間は珍しくない。というより、明確に目標があってそれに向かって一直線に歩ける人間というのがまず少ない。
志半ばで折れたり、道を間違ったり、枝分かれした道を歩きだしたり、とままならないのが人の心であり人生だろう。
少なくとも、太刀川にとっては大学は就職のためのステップであって、就職もあくまで生きていくための手段にしかない。それはそれで一つの解であると思うのだ。
「いいえ。太刀川さんの選択ですし、理解出来る判断ではあります」
「じゃあそういう事なんだろ。俺も正直門脇とか木戸みたいな明確にこれ! という夢がある訳じゃない。そこまで覚悟決まってる学生ってそんな大多数居る訳じゃないよ。こんな感じのお話前しなかった?」
「……だとしても、こう、改めて自分の立場で考えると悩ましいなって。いいのかなって思う所はありますよ」
察しが良すぎるのも難点だな、と真昼を見るとつくづく思う。
「うん、俺も自分自身に思う事は幾らでもある。けど今は今だしこれからは俺達が否応なしに選んでいくものだから、悩みすぎて立ち止まるよりは取り敢えず前を向いて足掻いていこうかなって」
周は真昼程器量がいい訳でも、樹のように独立したい意志が強い訳でもも、門脇のように何かに特化した才能がある訳でも、彩香のように明確な目標がある訳でも、ない。
ないない尽くしなりに、選ばなくてはならない。
だからこそ選ぶためにうんうん唸りながら立ち止まってその場でじっとするより、立ち止まってでもその場で出来る足踏みをして前に進めるように努力する事を選ぶ。
呆気にとられたのか立ち止まってこちらを見る真昼に、周は重さを感じさせないように笑って。
「……ほんと、変わりましたよねえ」
「変わらない人間なんて居ないからな。真昼と一緒に歩くのにいつまでも下を向いてたらこけちゃうからな」
「私が下を向いていたら?」
「そりゃ手を引いてエスコートしますとも」
ほら、と繋いだ手を改めて意識させるように握り直すと、真昼はじわりじわりと口元を緩めた。
「周くんが下を向いたら?」
「その時は真昼が積極的に手を引いてくれ。ほら、付き合う前の真昼みたいに」
「あっ、あれは周くんがあんまりにも手応えなかったからというか! 鈍かったから!」
「うん、だから俺が気付ける所は俺から手を引けるようにしたいなって」
真昼が立ち止まったなら、周が手を引いて、周が立ち止まったなら真昼が手を引く、これが周達が選んだカタチだ。
「お互いに気にして適度に引っ張っていけたらいいだろ。最終的に足並み揃えばよし」
きっとこれからもお互いに立ち止まったり足踏みをする事があるかもしれないが、その時は隣に立った自分達が、背中を支えたり手を引いたり、その時々でパートナーを支えていくだろう。
今までも、これからも、きっと。
どうせこれから人生長いんだからさ、と周が笑ってみせると、真昼もくしゃりとへにゃりの間の、ほんの少しだけ湿ったような笑顔を浮かべて。
周の手を引いて先程よりも少しだけ早い足取りで歩き出すのであった





