321 降り注ぐ温かな雪
翌日の夜、先日話題に出していた小雪の所に挨拶に向かってもいいか、という伺いを立てるべく、周は真昼と共にパソコンの画面に向き合っていた。
メールで提案する事も出来たのだが、こういうお願いは面と向かって、といっても画面越しではあるが直接言葉でするべきだと思ったのだ。なので今回はビデオ通話の約束だけ先に取り付けた形となる。
去年の誕生日から真昼は小雪に定期的に連絡を取っているそうなので真昼は慣れたものだろうと思ったのだが、何故か隣の真昼は背筋をピンと伸ばして如何にも緊張してますといった様子であった。
『お久しぶりです藤宮さん。真昼さんも一月ぶりくらい……でしょうか?』
「お久しぶりです。元気そうでよかった」
「久慈川さん、お久しぶりです。この度はお忙しい中お時間いただきありがとうございます」
『そこまで気遣わなくてもよいのですけど……もう隠居に近い身なのに』
画面の向こうの小雪はころころと鈴を転がしたような上品な微笑みも相変わらず。
年齢は自分の両親より上だろうが年齢を感じさせない、しかし年齢を重ねないと出ない重厚感のある穏やかさと気品のある雰囲気は、思わず周も居住まいを正す程だ。
『それで、今日はどうしましたか? お願いがあるという連絡をいただいたのですけど……』
「用件を知らせずに貴重なお時間いただいて大変申し訳ないです。その、改めてお願い、というかお伺いしたい事がありまして」
『私に出来る事ならなんなりと』
おっとりと、鷹揚に頷いた小雪に、ちらりと真昼を見る。
真昼はやや強張った表情なので、周から提案した方がよさそうだ。
「その、真昼の誕生日に『二人でいらっしゃい』と久慈川さんが仰ったと思うのですが」
『まあ、もう身を固』
「わー! それはちょっと今言う事ではなくてですね! それは一旦置いてください!」
小雪的には結婚の挨拶に二人でおいで、的なニュアンスで言ったのだからそういう目的だと思ったのだろう。間違ってはいないが、それは今ではなくて。
小雪が危ない所まで言いかけたので慌てて遮ったお陰で、真昼には届いていなかったらしい。
不思議そう、というより訝るような眼差しが真昼の方から突き立てられる。
小雪はそれだけで察したらしく『あらあら』と言うだけでそれ以上の情報を真昼に与える事はなかった。本当に洞察力のある人で助かるのだが、真昼の探るような眼差しはどうしてくれようか。
「と、とにかくですね。お察しの通り、余裕がある時にご挨拶に伺いたいと思っておりまして」
真昼の探るような目から逃げるように画面の小雪に笑いかければ、小雪も意図を汲んでくれたらしくにっこりと微笑み返してくれた。
「勿論小雪さんのご都合もあるかと思いますが、出来れば日程に余裕のある今の内……まとまった休みのゴールデンウィーク辺りに一度お会い出来ればと思いまして」
『まあ、お二人がこちらに? 受験生にご足労いただくのも悪いでしょうに。お忙しいでしょう?』
「いえ、そもそも俺達が訪ねる話でしたから。久慈川さんのお体の調子もあるでしょうし、そもそも俺達の都合ですから俺達が出向くのが筋というものかと。勿論、急な話ですのでご都合が悪ければこの話はなかった事にしていただければ」
『お気遣いいただきありがとうございます。そんな心配する程ではないのですけど』
「小雪さんの体調が一番ですので!」
『ふふ、ありがとうございます。本当に今は平気なんですけどねえ、歳も歳なので子供たちもよく心配してくるんですよね』
「当たり前です、無茶はさせられませんので」
『息子と同じ事言うんですねえ、ふふ』
嬉しそうに笑う小雪には少なくとも訪問が嫌という感じは見出だせず、頼み事の感触としては寧ろ良いだろう。
「それで、訪問の方は……」
『ここまで話を進めておいて申し訳ないのですけど、今年は親族の集まりがあってお招きするのは無理そうなんです。折角の申し出を断る事になってしまって心苦しいのですけど』
可否を聞いた瞬間に申し訳無さそうに眉を下げる小雪に、少しだけ落胆してしまったものの、そもそもこちらの我儘だった上に唐突だったので断られても致し方ないと納得した。
そもそも嫌という訳ではなくて親族の集まりだから無理という断り方なので、残念ではあるが何ら不安は感じない。
真昼も軽く衝撃は受けていたものの、落ち込むというものではなくただ残念そうな気の落ち方のようにみえる。
『ごめんなさいね、私としても是非お会いしたかったのですけど……』
「いえ、急に話を持ちかけたのはこちらですから、断られる事も考慮に入れていました」
そもそもゴールデンウィークという大きな休みに予定が入るのはよくある事なので、もっと早くに時間を確保しなかったこちらの責任でもある。
それに、親族の集まりという事で先に確保していようがご破産になったかもしれないし、こればかりは巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。
『本当に申し訳ないわ。優先出来るなら真昼さんの方を優先したいくらいですもの』
「さ、流石に親族の方を優先してください。お気持ちだけ受け取らせていただきます。それに……こうして小雪さんとお話が出来ただけでも、十分です」
『あら、お話くらい特別でも何でもなくしますけど』
「真昼はこの通話かける時も十分は悩んでましたからね」
てっきり通話に慣れたのかと思ったがそうでもないらしく、周と話し合って電話を決めた後も通話ボタンを押すに押せずにもどかしそうにしていた。
嫌とかではなくて、緊張する、変な事を口走らないか心配だ、とかそういった心配だったようだ。
自分の親に電話する事はそんなに緊張するものなのかと周としては不思議だったが、自分も指輪の相談の際に多少の躊躇いがあったので、あまりとやかくは言えなかったりする。
「そ、そういう事を言わなくていいのです」
「話すのが楽しみなのと嫌がられないだろうかという不安でもだもだしてましたよ」
「周くん!」
周と違ってあまりにも可愛い躊躇い方だったのでここは報告しておこうと小雪に披露しておくと、小雪の表情は小さな花が咲いたように綻んだ。
『そんな大層な事でもないのに。真昼さんがいいならいつでも……とは言いませんけど遠慮なくかけてもらっていいのですよ。頻度とか気にしなくていいですから』
「で、でも、ご迷惑とか」
『私が迷惑だなんて言いましたか?』
「……言ってません」
「ほらー」
『ほらー』
「二人共っ」
小雪も周に重ねるように真昼に声をかけるので、真昼の顔はうっすらと赤らんで口元は拗ねたような山を形成しだしていた。
そういう所が可愛いんだよな、と思ったが小雪も同じ事を思ったらしくアイコンタクトで同意された。
『ふふ。……本当に、遠慮しなくていいのですよ。私にとって、真昼さんが構ってくれる事は嬉しい事ですから』
「……はい」
小雪に肯定された事で照れたらしい真昼がはにかむ姿にまた相好を崩した小雪は『そうですねえ』と続けて。
『会う機会、ですけど、お二人もこれから忙しくなって来るでしょうから……そうですね、ゴールデンウィークを逃すと安心して会えるのは受験が終わった頃になるでしょうか。私としても、受験生のお時間を奪う事は望んでいませんから』
流石に夏という受験生にとっては重要な期間という事にはやんわりと難色を示す小雪に、そう言われたら周もさもありなんと頷く。
こちらも夏の予定が定まりきっていない。オープンキャンパスや模試、予備校といった重要な予定が目白押しなので、こちらとしても小雪としても迂闊に約束を取り付ける訳には行かないだろう。
会う機会が実現しなかったのは残念であるが、誠意や真心を感じる対応に周は改めて頭を下げた。
「お忙しい所すみません」
『いえいえいいのよ。そもそも、集まりのタイミングが悪かったのですし。今回は残念でしたけど、会う日が楽しみです。おもてなしの用意もしないと』
「そこまでしていただかなくても……」
『私の楽しみを奪わないでくださいな』
「……ありがとうございます」
『ふふ、こちらこそ私の生きる楽しみをありがとうございます』
「大袈裟な……」
『大袈裟ではないですよ? 子供達も成人して孫まで居ますが、やはり成長を見届けるのは楽しみですもの。早く真昼さんに会いたいものですね』
温和で柔和な笑顔を湛えた小雪に真昼の瞳の膜が一瞬揺らいだような気がして、周は真昼もよく本当に善き親に出会えたものだとひっそりと感動に目を伏せた。
実子のようにここまで深く愛情を注げる小雪のおおらかさや芯の強さ、愛情深さには感服しきりで、本当に小雪が真昼の親代わりでよかったと心から思った。
『それでは真昼さん、また。藤宮さんは後ほど』
「はい、今日はありがとうございました。また、今度」
惚れ惚れするような綺麗なお辞儀をした小雪が通話の画面から消えるのを見送った。
アプリケーションの待機画面を見る真昼は、通話をかける前とは打って変わって安心したような、穏やかな表情であった。
「小雪さんが元気そうで良かったです」
ほっ、と分かりやすく安堵の様子を見せる真昼は、緊張から解放されたように体をソファに預けて周に笑いかけた。
「真昼、小雪さんと偶に通話してるんだよな?」
「ええ。でも三年生に上がってからお互いに忙しくて中々……今日という機会が得られただけでもよかったです」
「それならよかった。俺も話せてよかったというか、小雪さんはやっぱり真昼の事を滅茶苦茶気にかけてるんだなって再認識した」
「昔からずっと気遣っていただきましたが、今でもこうして接してくれるのは本当に嬉しいです。……子供扱いされる事も多いのですけどね」
「そりゃ可愛い我が子みたいなものだからでは?」
真昼はあまり自身が持てていないようだが、小雪にとって真昼は最早自分の子供であるし、本人もそういう振る舞いをしている。
最初のきっかけが仕事だった事は否めないだろうが、責任感だけでは今の関係にならない。罪悪感や使命感もきっとあっただろうが、何より小雪自身が真昼に対して慈愛の感情を抱いたからこそ、真昼の事を大切に我が子のように接するようになったに違いない。
少なくとも、実の親である小夜より余程保護者として振る舞ってきた小雪は、周からしてみれば十分親と名乗っていいものだと思っている。
それは真昼もそう思っているのでは、と真昼の顔を覗き込むと、真昼は何処か呆気に取られたような、意識の隙を突かれたような気の抜けた顔を見せたあと、へにゃりと眉を下げて笑った。
「……小雪さんちの子供に生まれたかったなあ」
本当に小さな呟きに周が一瞬呼吸を止めたのを真昼も気付いたらしく、慌ててぶんぶんと勢いもよろしく首を振った。
「えっ、あ、深い意味はないんです。ただ、小雪さんをお母さんって呼びたかったなって」
「……実際に小雪さんに言えば」
「駄目です。それは、領分を超えています」
どれだけ渇望していたか、周にすら計り知れない。
ただ、その願いを持った真昼は、それでも尚強固な意思で周の提案をそっと押し退けた。
「小雪さんのお子さんの権利を奪ってはならないのは重々承知していますし、母親代わりをしてくださっただけで十分です」
周が思う真昼のよくない所は、割り切りが過ぎる所だ。
きっと、先程言った通り本心では小雪を母と呼びたかったのだろう。
それを拒んだのは、小雪がどれだけ心を砕いて寄り添ってくれたからといえど、戸籍上他人であると理性が止めているせいなのかもしれない。
心が呼びたいと求めていても、真昼はその本心を押し隠せる程度には大人になってしまっていた。ならざるを得なかった。
こういう時に自制心が強くて客観的な視野を持っていると不利に働くな、と心の声を黙殺した真昼に、周は苦いものを飲み込みながら穏やかな眼差しを向ける。
「まあ、真昼が久慈川さんを母と呼ぶ事を憚るならそれはそれで選択なんだけどさ。心の中でお母さんくらいに思っていてもいいと思うんだよなあ」
だから周に出来る事は、彼女の心情に反しないように、少しだけ理想を現実に近付ける事だけだ。
「……いいんですかね」
「いいと思う。あ、でも」
「でも?」
「母さんがぐぬぬ私の母親の座……って一回なるな。すぐに納得するだろうし、第三の母を名乗りだす所まで見えるけど」
不安げな真昼に冗談めかして言えば、真昼はぱちりと大きく瞬きした後小さく吹き出した。
「ま、三人居ても困るもんじゃないだろ。少なくとも、久慈川さん側は喜ぶし母さんは久慈川さんと意気投合しそうだから、母親側はハッピーなのでは?」
二人の意思を勝手に語るつもりはないし出来ないが、あくまで周の予測になるが、小雪も志保子も大いに喜ぶだろう。少なくとも、志保子に関しては言われた途端にお祭りが始まりそうなテンションになる事は想像に難くない。
「そうだといいのですが」
「何、母さんに今から聞く? 母親の座は第三になったけどいい? って」
「だ、大丈夫ですから!」
言ったら言ったで志保子が今日は眠れなくなりそうなテンションの上がり方をするのが真昼にも分かっているのか、首を勢いよく横に振った真昼は、周の視線に気が緩んだように顔から力を抜いた。
「……大丈夫です。私は幸せ者だなって再認識しました」
「無欲だなあ。もっと我儘に求めてもいいんだぞ?」
「いいんです」
もっと貪欲になってくれた方が、周としては満たし甲斐があるし笑顔も増えるのでよいのだが、真昼の性格上それが出来ないのも分かっている。
「その、本当に、幸せなのです。今、幸せですから」
「そっか。じゃあ、これからも幸せで居られるように頑張るから」
過去が幸せだったかどうか、は聞かないし聞けない。
しかし今幸せなのだと明言してくれたのだから、周が出来る事はこの先もずっと隣で幸福に満ち足りた姿を見せてもらえるように努力する事だけだ。
周の独りよがりかもしれないが、周の本心でもある。
「……周くんは周くんで幸せになっていいんですからね?」
「幸せだから維持出来るように頑張る」
「もー。……私も、あなたが幸せであるように努めますので」
周の幸せは真昼に紐付いている、と真昼も分かっているのかうっすらとした呆れと、それ以上に気恥ずかしさと嬉しさの入り混じった喜びを口元に滲ませた真昼は、周に遠慮なく甘えるように体を預けた。





