320 ゴールデンウィークの予定について
02 天使様の望みとゴールデンウィークについて
三年生に上がって思った事は、高校二年生までの授業は比較的優しかったのだな、という事だ。
受験に備えた授業日程であるというのは分かっているし理系という事でかなり詰め込まれている。文系の授業がどうなっているか知らないが、理数系授業の後はその場の雰囲気が若干のどんより感に包まれる事も少なくなかった。
「詰め込み方異常じゃない?」
一日の最後の授業が選択の数学Ⅲでげっそりしている千歳は、筆記用具を仕舞いながら絶望にまみれた吐息を空気にばらまいていた。
他にも千歳のような雰囲気を背中に背負っている生徒が居るので、やはり他の生徒的にも厳しいものがあるのだろう。数学得意側の周でもうわ面倒臭いと思う事はまあまああるので、苦手なら尚の事辛い筈だ。
そこまで苦しむなら何故数Ⅲ選んだのか……と思いはしたが、試験的なもので選ばざるを得なかったのだろう。むしろよく決意したと褒めたくなる。
「受験生の日常という悲しみ」
「ギスってない分まだマシかもね。絶望はしてるけど」
周りを見渡せば普通に疲れている生徒も多くいる。新生活が始まったばかりというのもあるが、洗礼を受けて気力を削がれてしまったというのもあるだろう。
ちなみに真昼は既に受験に必要な分頭に入れているらしく、いつもと変わりない様子を見せている。
学校の授業はあくまで復習、といった感じだそうで、努力の末のものだと分かっていてもやはりその要領よく詰め込んでいく頭脳は羨ましいものがあった。
「模試憂鬱になるわ」
受験から連想されたのか、帰宅の準備をしながら月末に控えた全統模試の話題を口にした千歳はへちゃへちゃになっていた。
月末にある模試はほぼ強制で受けるようになっているので、周達も例に洩れず申込みをしている。教師達からは現状の学力把握と志望校の考慮に役立てるように言われていた。
模試を受ける事自体は別に仕方ないなくらいなのだが、休日に学校に来て一日中試験を受ける、という事についてはあまりいい気持ちはしないのも分かるので、うっすらと苦笑いする。
「まあ今回は自分の実力を見るって事でいいと思うんだけどな。伸び代を把握させてくれるって事だし」
「やだ前向き……」
「それはそれとしてゴールデンウィークに模試があるの憂鬱過ぎるー。学校のやつで強制だしお金取られるし」
「どこがゴールデンだブルーウィークに改名しろ」
「世間の皆さまを巻き込むな」
「だってー」
「ちなみにそれ以外のゴールデンウィークのご予定は?」
流石にオール勉強とバイトじゃないよね、という伺いに、周もないないと笑って首を振る。
「模試直前までは勉強とシフト入ってて、終わったら勉強の方は復習に留めて少しだけ休み入れようかなって」
勿論日課の勉強はある程度するが、生活に必要な事以外一日丸々勉強に費やす、なんて事はしない。
受験も後半になれば勉強に偏重していくだろうが、ある程度の人間らしい生活は維持したいし脳にも休みは必要なので適宜息抜きはする予定だ。
「ちゃんと人間だ……」
「俺をサイボーグか何かだと思ってらっしゃる?」
「いや周は意外とバイタリティあるよねって……ゆーちゃんは?」
「俺は部活と勉強だね」
さらっと言ってのける門脇の方が余程バイタリティがあるだろう。
彼は部活で忙しくしているのも知っているし、大会でも優秀な成績を残しており、その上で試験勉強もきっちりこなしているので、周より余程体力も気力も根性もある人間だ。
「うわあ、THE部活あり受験生じゃん。超人か?」
「ゆーちゃん真面目だよねえ」
「逆に俺がだらだらしてるの想像出来る?」
「ううん出来ない。むしろしてほしい」
「やったら姉さん達に背中どころかお尻蹴られそうなんだよなあ」
「良子さん達スパルタ〜」
周は会った事がないが、門脇には姉が居る、という話は聞いている。
門脇の姉を樹や千歳は知っているらしく、門脇の言い分に否定はせずに茶化している辺り本当にアグレッシブな人なのだろう。
会いたいような会いたくないような、と思いながら困ったように微笑んでいる門脇に若干の同情の眼差しを向けてしまう。
「ちなみにオレは基本塾で息抜きでちぃと旅行に行こうかなって」
樹は塾こそあれどゴールデンウィークには別途予定を入れているらしく、先程の憂鬱な雰囲気を吹き飛ばしてカラッとした初夏の陽気を漂わせた笑顔を浮かべた。
「そうそう、旅行のチャンスってあと夏くらいだけど今年の夏暑さやばいらしいし勉強三昧で夏萎びちゃいそうな予感がするから、元気な今の内に行こうかなって」
「ここを逃すと中々旅行の予定は入れられませんからね」
「旅行かあ」
周の住む場所は騒がし過ぎず且つ公共交通機関を使えばすぐに市街地に出られる場所なので、これといって何処かに出かけよう、という事はあまり思わなかったし必要もなかった。
しかし、これから受験関連に時間が取られていくと思うと、今の内に息抜きがてら何処か見知らぬ土地に行く、というのも悪くはない選択になってくる。
確かに受験勉強は大切であるし第一目標に置いておくへき物事ではあるが、今しかない高校三年生という時間を有意義に、そして後悔しないように使っていきたい、とも思う。
「周達はどこか行かないの?」
「スーパーの買い物を何処かに行くに含めていいなら」
「んな訳あるかーい」
「こいつ所帯染みてるんだよな……あっ所帯あるか、ほっほっほ」
「樹」
「分かった分かった睨むな」
他の生徒が聞いているんだぞ、と視線で制すると樹は大人しくなった。千歳に「いっくんばかだよね」と膝で追い打ちされているからかもしれないが。
(行きたい所、なあ)
千歳に言われた事を、考えてみる。
特に明確に行きたい場所がある訳ではない。
基本的に周はインドアとまではいかないがそこまで外出時に刺激を求めないタイプなので、普段の生活にそこまで不満はないし行動圏内で満足していた。
真面目に考えてみて、一つ思い当たった、が。
ちらりと真昼を真昼を見れば、真昼は「うーん」と悩むように視線を上に泳がせている。
「特に予定は入れてませんね。旅行と言っても行きたい所なんて特にないというか、周くんと居られるならそれでいいです」
「ひゅーっ、お熱いねえ」
「と言いますか、実際行きたい所が思いつかないと言うか」
「うーん、俺はなくはないかなあ、くらい」
一箇所だけ、行きたいと思っている所はある。
ただ、それは先に許可を得ないと訪ねる事が出来ない場所なので、ここに行くと気軽に言えない場所となる。
「あら、それでしたら言ってくださればよかったのに。今からでも予定を」
「向こうにいいか許可取らなきゃいけないなって」
「あー親御さん?」
「そう」
樹の言葉に頷いておく。
親、である事は嘘ではないし、この場所で説明するものでもない。
真昼の家庭環境についてある程度知っているとはいえ、真昼の許可なく踏み込むものでもないので、その余地は先に排除しておくべきだろう。
「まあ今の内に話しておくとかもありだもんなあ、受験の事とかもあるし遠方に住んでるとな」
「まあ、その辺りは向こうと応相談という事で」
「その方がいいだろうな」
家の用意とかあるし急に押し掛ける訳にはいかないもんなあ、と笑って納得した樹に千歳も「離れて暮らしていると大変だねえ」と笑ったので、周も軽く頷いて話題を流しておいた。
「今年は志保子さん達の所には行く予定なかった筈では?」
今日はバイトもなかったので真昼と共に家に帰ってきたのだが、周が身支度を済ませてリビングに戻った所で真昼が疑るような眼差しを向けてきた。
先程の会話に違和感を持っていたのだろう。樹達には気付かれていなかったが、真昼は敢えて誤魔化して話題を流したのだと察していたようだ。
鋭いなあ、と笑った周は、先にソファに座っていた真昼の横に腰掛けながら、こちらの意図を見定めるような真昼の視線を真正面から受け止める。
「俺、親御さんって言葉に頷いたけど、俺のとは言われてなかったから」
「え?」
「ほら、俺久慈川さんに実際に会った事はなかったからさ。余裕がある時に訪問出来たらなって」
電話やメール、ビデオ通話で話した事はあるし顔も知っているが、実際に対面した事はない。あくまで、画面越しに話をした事があるだけ。
勿論それが悪い訳ではないのだが、彼女にとって真昼というもう一人の娘をもらっていくつもりなので、直接会わないまま椎名という姓から離してしまうのもよろしくない。
それに、直接会ってお礼を言いたい、という気持ちが強かった。
「ご挨拶に行きたいとは前々から思ってたんだけど中々行く機会ないじゃん?」
「遠方に住んでますからね。私も久しく会っていませんし……でも、その、やっぱり躊躇いが」
「真昼」
「は、はい」
「真昼はもう少し愛されてる自覚があっていいと思うんだよなあ。たまに自己肯定感がぐらつくというか」
周にこれでもかと愛されている自覚は芽生えているようだが、こと小雪相手となると時折遠慮が出てきてしまうようだ。
小雪に愛されている、大切にされている、とは自覚しているらしいが、どうしても不安やその謙虚さから遠慮で一歩引いてしまいがちな真昼に、周は背中を押すようにその手のひらを優しく握る。
「そもそも小雪さんが真昼の事気にしてないなら最初からビデオ通話もしないだろ?」
「そ、そうですけど」
「そりゃ都合によってはこの日に来られると対応出来ない、ってのは勿論あるだろうけど、都合を聞いた上で会いに行く分には久慈川さんは喜ぶと思う」
真昼には深く話していないが、真昼が放置されていた頃、小夜に小雪が抗議の手紙を送っていたと知っている。
雇い主に対して抗議するなんて下手したら馘首も有り得ただろうに、色々なものを天秤にかけて訴えてくれた。
そこまでする小雪が真昼の事を大切でないなんて、まず有り得ないだろう。
「無理に時間を捻出して会いに行く、とかなら止められるとは思うんだけど、きちんと計画して自分の息抜きとして一日二日使う分には多分咎めないと思う」
勿論日頃から真面目にしている前提であるのだが、小雪もその前提があると分かってくれるだろう。
「そもそも久慈川さんは二人で会いに来てって誕生日の時に言っていただろ? 久慈川さん、安請け合いしないタイプだと思うし、あれを社交辞令だと思う?」
「……いいえ。それに、余裕が出来た時に会いに来てほしい、とも」
「だろ? だからそんな心配しなくていいの。真昼は自信持っていいんだぞ?」
「……そうだと、嬉しいです」
「まあ、あれこれ言ってるけどまだ久慈川さんに相談とか一切してないんだけどな」
「人に大丈夫だと言ってそれですか、もー」
わざと明るく言ってのければ、おかしそうに笑う真昼が見えた。
「あくまで行きたい所っていう樹達の問いに対しての久慈川さんの所だから。ま、久慈川さんに話を通すにしてもゴールデンウィークは性急だと思うから駄目でも仕方ないとは思うんだけどな」
もう四月も後半に入っており、既に小雪側で連休に予定を入れている事も大いにあり得る時期だ。流石にアポを取るにしても唐突なのは提案した周本人が一番分かっている。
「小雪さんにご予定を伺って決めるのが一番だと思う。まあ、小雪さんのご家族のご予定とかもあるから本当に聞かなきゃなんだけど」
アポなし突撃訪問が許されるのは実家くらいなものである。
後で小雪にお伺いを立てよう、と心に決めつつ小雪にどう話を持ちかけようかを脳内で組み立て始めた周に、真昼は小さく笑い声を上げた。
思わず洩れてしまった、というような本当に小さな声に意識を側の真昼に戻すと、真昼はむず痒そうに瞳を細めている。
「真昼?」
「いえ、その。……なんだか、嬉しいというか、くすぐったいというか、不思議な気持ちです」
「自分から会いに行く事が?」
「はい」
後ろめたさは見えない頷きと肯定。
「その、今でこそ、そこまでではないですけど……小雪さんを求めてはいけない、と思っていましたから」
「真昼?」
「今は分かってますから。無意識の話ですよ?」
「それは分かるけど、こう、根深いよなあ。とにかく、本人に聞いてみない事には分からないだろ。勝手に相手の気持ちを決め付ける前に聞いてみた方がいい」
「……はい」
「ま、ご家族の都合があるから受け入れてもらえるかは分かんないけどさ。その時はその時でまた考えようか。俺も挨拶に行きたいから都合が合えばいいんだけどなあ」
「そんなにですか?」
「そりゃ真昼の親なんだからなあ。小さい頃の真昼のお話とか聞いてみたい」
「だ、駄目ですそれは!」
「何で? 真昼は俺の小さい頃の話母さん達に聞きたがったし聞いてたし写真もたくさん見せてもらってたしホームビデオも見たよな?」
何故か、本当に何故か分からないのだが、周の小さい頃の失態や出来事が真昼の知識に格納されているのだ。周が知らない間に、何があったのか知らないが。
周は変なものを見せるなと志保子に忠告と制止をしていたのだ。おかしな話である。
「うっ、ううううう」
心当たりが大有りらしい真昼が故障したように同じ音を口からこぼすので、周はにっこりと笑いながら真昼の顔を覗き込んだら目を逸らされた。
「俺にも権利があると思いません?」
「……あ、あるでしょう、けどっ」
「駄目なんだ?」
「だ、駄目ではない、です、けど」
「いいんだ?」
真昼は押しに弱い。
といいうよりは、自分が悪いと自覚している事については負い目から素直になるのは分かっているので、周が実にいい笑顔で迫れば呆気なく陥落するのも、経験から理解していた。
柔らかく手のひらを包み込みながら首を傾げれば、真昼がきゅっと唇を真横に結んだ。
「……小雪さんが許可を出すなら」
「分かった。二言はないよな?」
「はい。でも、その、楽しい事とか、ないですよ。面白みもないいい子ちゃんだった訳ですし」
「それは真昼視点で、小雪さん視点だと分かんないだろ? 俺は、色んな真昼が知りたいし、どんな真昼でも愛してますので」
真昼は過去の自分に対して卑屈というか過小評価寄りの傾向があるが、周は過去あっての今の真昼だと思っているし、自分を守るためにそうならざるを得なかった真昼を否定する事なんてまずないと断言出来る。
いい子である真昼も、何処か冷めていた真昼も、寂しがりである真昼も、全て愛すべき真昼であり知りたい。
その上で、全てひっくるめて真昼という存在を愛したい。
大真面目に主張する周に、言葉を遅れてゆっくり噛み砕いたらしく、真昼は徐々に顔を健康的な血色より更に濃くして、へにゃりと眉を下げる。
「……ほ、程々にお願いしますね?」
「小雪さん次第かなー」
「もうっ」
ゆさゆさと周の手を掴んで揺らしてくるが、それが羞恥心からの攻撃なのはよく理解しているので、周は声を上げて笑いながら振動を受け流し揺れの大元を腕で包み込んだ。
「さて」
小雪にアポを取るのは真昼ともう少し相談して後日に回す事にした周は、もう一つ、別の人間に頼む事があった。
真昼が家に帰った後、ベッドの上で周はスマホを手に取った。
連絡を取るのが多少億劫、というより躊躇いがある相手に、周は何回か深呼吸をした後登録していた連絡先、その通話ボタンを押す。
「母さん」
暫くのコールの後、通話が繋がったので志保子に呼びかけると、電話の向こうで『あら、周じゃない』と不思議そうな声が聞こえた。
『どうかした? 周が電話してくるって珍しい。普段親が必要なら修斗さんに行くじゃない』
「母さんが真昼の事ばっか持ち出して話が進まないからだろ」
『可愛い娘ですもの〜』
「はいはい」
その可愛い娘は今周の側には居ないがそれでもテンションは高い志保子に、本当に真昼を娘として可愛がっているんだな、という彼氏的な嬉しさと息子より可愛がるのはどうかと思うという息子的な複雑さが湧き上がってくるが、それを突っ込むと長くなりそうなので飲み込んでおく。
それよりも、志保子に言うべき事はある。
「今回はその、あー、母さんの知り合いにジュエリー系のデザイナーが居るんだよな?」
志保子にこれを言う事はつまりそういう事なので、志保子が浮き足立つのも分かっているからこそ躊躇いがあったのだが、案の定電話の向こうで『まあまあ。あらあら』と喜色に満ちた弾んだ声を洩らしていた。
通話なので姿は見えないが、見えずとも目を輝かせてにこにこ、否、にやにやとした表情が浮かんでいるのは予想出来る。
「……その反応が嫌だから電話したくなかったの」
『ひどいわぁ』
「普通に思春期男子にやったら嫌がられるって分かってやってるだろ」
周が機嫌が悪くならない程度に抑えてくれるのも分かっているが、そうだとしても揶揄されたような感覚を味わいたい訳ではない。
釘を刺すように突っ込むものの、向こうから申し訳無さそうな気配は伝わってこず、ただ明るい笑みの雰囲気を感じる。
『それはごめんなさいだけど、でも、本当にあらあらって気持ちよ? 素直に頼ってくれて嬉しいもの』
「ここに関して頼りになるのは母さんだろ。俺の羞恥心より実利を取るべきだろ」
周は服飾、それも装飾品関係なんて門外漢なので、詳しい人に頼るのは当然の流れだ。
自分の母親がデザイナーである事に感謝すると同時にやはり携わっている分野だからこそ気になってくるのだろうなあ、とも思う。
『ふふ、そうね。頼りにしてくれないと寂しいもの。……まあ私の専門ジャンルじゃないから友人の方に繋ぐのだけど』
「助かります」
『いいのよぉ、私の友人も張り切るわ』
「その張り切り怖いんだけど」
先にある程度話は通していたらしいのが怖い所なのだが、それよりも怖いのはその張り切りの度合いによっては予算オーバーも見えてくる所である。
一応既製品はどのくらいの値段だ、とかオーダーするにしても地金やルースの相場はどのくらいか、と調べて必要な予算に当たりをつけた上で余分に貯めているが、よりよいものをと追求していった結果用意していた資金では足りない、なんて事がもしかしたらあるかもしれない。
『あら、彼女はクライアントの意思に反する事はしないわよ?』
「してもらったら困りますー」
『だから大丈夫よ。後でメールに仕事用のURL送っておくわね』
「ありがとうございます」
『いえいえ』
そこまでしてもらえたら後は自分で依頼や交渉をするつもりである。全て志保子に頼るつもりは毛頭ない。
志保子もあれこれ口出しはしないようで、あくまで繋ぎとなる事に留めてくれていた。
『進捗とかは』
「気が向いたら報告します」
『えー』
何で、と言いたげな不満の声を洩らしているが、一々進捗報告なんて恥ずかしくてしていられない。そもそも最初に見せるのは真昼であるべきなので、志保子に見せる事は考えていなかった。
それを志保子も分かっているからそれ以上追い縋って来る訳でもなくあっさり引き下がるので、周としてはそこの線引ができる母親で良かったと思っている。
「俺を信用してくれよそこは。依頼するかは話し合いになるけど、正式に依頼したらちゃんと母さんの友人の方と相談するから」
『まあ出来上がりを楽しみにしてるわ。見せてくれるのよね?』
「真昼の後にな」
『ふふ、それはそうね。結果報告で充分よ。あー楽しみ』
「そんなに楽しみなもんか?」
『指輪そのものより真昼ちゃんが娘になる日が?』
今の娘というのは娘のように思っている、という訳ではなく本当の意味で娘になる事を指している。
確かに、薬指を予約する円環について話した時点でそういう認識をされるのは分かっているが、まさか周本人より親の方がその意識が強いとは思っておらず一瞬言葉に詰まってしまった。
「……気が早いぞ」
『あら、重たい男が言える事?』
「相応に真昼も重いので」
確かに、周はとんでもなく重い男だ。
普通、今時の学生の男女が真剣交際していて結婚の約束を取り付けようとするなんて、その辺りを探しても早々見つからないだろう。
それが重いと評されようが、変える気はないし、胸を張って重い人間だと言い切ろう。
『真昼ちゃんに聞かせられない台詞ねえ』
「真昼も重いのは自覚してるし承知の上なんでな」
どちらが重いのかなんて分からないが、分かるのはお互いがお互いしか見ていないしお互いでなければならない、という事だ。
他人からの重いという評価が寧ろ賞賛として受け取れるくらいには、真昼に惚れ込んでいたし、真昼の隣を得られたのだと実感させてくれる。
重くて結構、とあっさり肯定した周に、電話の向こうの志保子は少しの間だけ押し黙った。
『……本当に、周って』
「何だよ」
言葉からは呆れの意味が読み取れるが、声からは呆れというよりは感心の響きが滲み出ていた。
『何というか、修斗さんとそっくりだし似てないのよねえ』
「どっちなんだよ」
『修斗さんより計画的ね、と』
「は?」
『若い頃の修斗さん、周が思うよりずっと勢いとパッションで生きてたのよね』
「はい?」
そんな馬鹿な、と信じがたい事を言う志保子に思わず胡乱げな顔になってしまったのだが、遠方の志保子はそんな事には気付かず苦笑いしながら「若気の至りよねえ」と流している。
『まあ私達の馴れ初めはどうでもいいんだけど、真昼ちゃんの事は大切になさいね。寂しがらせないように』
「言葉でも態度でもしっかり伝えます」
『よろしい』
これは色々な人から言われるし周も強く思っているのだが、言葉だけでも態度だけでも駄目で、両方が揃っていないと天秤が安心より不安に傾く、という事だ。
あまり気持ちを言葉にするのが得意ではないという自覚がある周であるが、苦手だからといって疎かにするのは真摯に向き合ってくれている真昼に失礼だし、怠って悲しませたくない。
言葉にするだけで、態度に出すだけで、真昼にこの膨大な気持ちの一部でも伝わるのなら、やるに越した事はない。真昼も惜しみなく言葉と態度で愛情を伝えてくれるのだから、周がそれを返さない道理はないだろう。
『ふふ』
何を当たり前の事を、という態度の周に、志保子は嬉しそうに笑い声を響かせる。
「なんだよ」
『ううん、大人になったわねえ、と』
「それ子供に対して思う事だよな」
『いつまでも可愛い子供なのは変わらないわよ? まあ可愛くはないんだけど』
「うるさい」
子供として愛されているのは有り難い事であるが、外見の可愛さを求められてももう可愛げなんて売り切れているので、気軽に求めないでもらいたい。
可愛げを求めるのなら娘に求めてもらって、と思いながら大きく吐息をこぼした周に、志保子は笑うばかり。
『ちなみに他に私達がする事ある?』
「……予備校の申込み? あと模試とか」
大真面目に考えた結果、言うのを忘れていた事を思い出して少し申し訳なさを感じつつもこれからに必要な事を口にする。
『現実に戻るわねえ』
「通ってもよろしいでしょうか」
『何でそこで遠慮するのかしら』
「月謝的な意味で」
周は両親に甘やかされてきた自覚がある。
欲しいものを何でも買ってもらえた、という事はないが、やりたいという経験を求めれば大体の事は叶えてもらえた。周のこれからの人生の役に立つかもしれない、と様々な体験をさせてくれた。
自分でバイトをして資金を貯めるようになって、改めてかなり愛されていたのだな、と気付けたのだ。
何かをするためには基本、お金がかかる。
実家に居た頃の周は、習い事もきちんと理由を説明してある程度継続するという約束をした上で好きにさせてもらえたが、それがどれだけ金銭的な負担になっていたのか。今思うと恐ろしい限りである。
『そういうお金の心配はしなくていいわよ。きちんとそこも含めた大学費用も用意してあります。このために頑張ってきたんだから』
「いつもありがとうございます」
『急にしおらしくなりすぎて怖いんだけど』
「普通に感謝してます! 俺は恵まれてるんだなと再確認しただけ」
愛されているからこそこうして独り立ちするために手間もお金も愛情も惜しみなく注いでもらったんだろうな、と理解する程度には、周も成長した。その有り難みもよく分かっている。
適度に構いながらも距離を置き程よい位置で見守ってくれる両親の偉大さも、よく分かっている。
『そりゃあ私達の大切な子供ですもの、出来得る限り幸せになってもらえるようにお膳立てはするものよ』
当たり前のように言ってのける親の偉大さに気付けるようになったのも、一つの成長だろう。
『まあ、それを上手く活かせるかどうか、歩む道を作れるかどうかはあなた次第だけど。心配は要らなさそうだから、後はあなたが選ぶのを見守るだけよ』
「……ありがとう」
『どういたしまして。あなたも自分の子供にそうしてあげるのよ?』
「気が早い」
親の愛情に感動していたのに、最後にかなり急いた発言をされて感動が吹き飛んだ。
『心構えは先にしておくのがベストよ。孫が楽しみだわ』
「下世話すぎる。切っていい?」
『いやんつれないわねえ』
「他人の家族計画に嘴突っ込まないでいただけます?」
『それはそう。それはそれとしてもう計画立ててる辺りやっぱり』
「今日はお忙しい所お時間いただきありがとうございました。おやすみなさい」
『ちょっ』
計画は言葉の綾だったのだが、もう計画していると思われた事が絶妙に嫌だったので、周は志保子の反応もお構いなしに通話切断を選んだ。
受話器を置いた様子を示す赤いマークを押せば、留めるような声は即座に千切れて周の耳には届かない。
切断を示す電子音が流れるのを聞きながら画面を睨めば、反射でうっすら赤らんだ自分の顔が見えて舌打ちしたくなった。
「あまりにも余計なお世話過ぎる」
こういう所にデリカシーを発揮してもらいたいものである。
志保子の言動のせいか、電話を終えてからどっと疲れが押し寄せてきた周はそのまま深々とため息をつき、ベッドに倒れ込んだ。
(……俺も、いつかは父さん達みたいな親になれるんだろうか)
志保子の言動に突っ込みたい所は幾つもあれど、親として沢山の愛情を注ぎ込んでくれた事、慈しみながら尊重して育ててくれた事は、身に沁みて理解している。
ああなりたいと思うし、自分か育ったような温かな家庭を作りたい、とも思う。
隣で真昼が朗らかに微笑んで、自分も幸せそうに笑っていて、子供も屈託のない笑顔で側に居る、そんなシーンを思い浮かべて――ベッドの上をゴロンゴロンとのたうち回るように転がった。
(俺も気が早過ぎる)
まだそういう関係でもないのに想像するのは、流石に恥ずかしいなんてものではない。
やっぱ忘れよう、と自分に言い聞かせて、すっかり茹だった頭を鎮めるように深呼吸しながら照明を消して瞳を閉じた。





