319 猫は構いすぎると逃げる
「とうとう新学年なんですねえ」
三年生になったからといって、バイトでする事は何も変わらない。
いつものようにフロア中心に仕事をこなして、閉店時間になれば清掃業務や機材の点検作業、翌日の早番用に仕事の準備、といった感じで本当に特に変わりない時間を過ごしたので、文華に言われるまで普通に忘れていた。
「そうですね、早いものです」
「となると別れも近くなるという事で残念です」
「こればっかりは受験生のさだめですからね」
オーナーである文華には先んじて辞める時期を伝えているので、徐々に近付く別れに名残惜しそうな様子であった。
「流石に両立しながら受験まで突入は俺の能力だと無理ですね。バイトを辞めても客としては入るつもりなんで」
「あら嬉しい。ついでに彩香さん連れてきてくれたら尚嬉しいですね」
ぱっと顔を明るくした文華であるが、この言い方だとおまけのような気がしてならない。
「……木戸はここには?」
「構ってくるから行き辛い……って来てくれませんね」
「自覚あるんじゃないですか」
とにかく、文華は好んだ相手への好意の示した方が重いと言えばいいのか。
ただの雇われ店員である周にすら好意的に接してくれているのだ、姪っ子である彩香に対してその何倍も好意を示すのは分かりきった事だし、本人からも「愛が重い」とのぼやきを聞いている。
「だって……可愛い姪っ子ですもの」
「程々にした方が逆に近寄ってきてくれると思いますけどね」
「猫ちゃんみたいで可愛いですね」
「構いすぎると避けられるのを喜んでいいんですかね」
「うう……」
「オーナーはもう少しそっとしておいた方がいいと思いますよ、円満なんですから変に触れて掻き回すのもよくないですし」
「わ、分かってるんですけど、こう、滾るものが」
「オーナー、ステイステイ」
創作意欲を滾らせるのは個人の自由なので咎められないが、出来る限り陰からそっと見守るくらいにしてあげてほしいものである。
「分かっているんですよ? 自立のための足を奪ってはならないし彩香さんには彩香さんの人生がある事も。それでも、小さい頃から見守ってきた姉さんの娘とその幼馴染みですから……こう、身近で見たいし甘やかしたく、ね?」
「ちなみに木戸のお母様はその欲求の事ご存知で?」
「……ええ」
「露骨に目を逸らしますね」
恐らく彩香の母親も知ってはいるけど見逃してくれてるんだろうな、と思いながら食器や機具に不備がないかを確認し終わった周に、文華はこほん、とわざとらしい咳払いを聞かせてくる。
「私の事はいいのですよ。それより、大体あと二ヶ月弱の勤務くらいになると思うのですけど、都合とかはついていますか?」
「都合?」
「贈り物の、ですかね?」
「あー……色々と悩んでいまして」
文華にはバイトの理由を説明しているので気になったのだろう。
指輪を買うとなると、色々と確認する事や選ぶものが変わってくる。そもそも市販のものを買うかどうかすら迷っているのだから。
別に市販のものが悪いとかどうとかではないのだが、周にとって一世一代の、そして真昼にとっても一生に一度の贈り物になって欲しい物。
そんなものを雑に決めて贈る訳には行かないので、ネットや実店舗でどんなものがあるか見ているのだが、予算と真昼の好みに照らし合わせて探すと中々これだというものが見つからないのだ。
「既製品を買うのか、それとも作ってもらうのかによっても予算や期間は変わってくるので時間は多めに見積もっておいた方がいいですよ。予算は足りている前提ですけど」
「一応相場とか調べて問題はなさそうでしたが、オーダーってなるとやっぱり変わってきますよね」
折角贈るなら出来得る限り真昼が喜ぶものを、と吟味している現状、どうせなら自分の意見を反映させたただ一つだけのものを贈りたい、という気持ちも湧いてくる。
とはいえ、自分でオーダーする指輪というのは市販品より値段も時間もかかるというのも分かっているので、非常に悩ましい。
「一生に一度ですから、そこは時間の許す限り悩めばいいかと。ちなみにツテとかは」
「指輪自体は、その、まあ、母が服飾関連の仕事に就いているのでそのツテを頼りにしようかと。というか頼って頼ってとうるさいというか」
これを言うのは気恥ずかしくあるのだが、薬指の約束については志保子の主張が激しい。
無理にああしろこうしろこれがいいとかは言ってこないし弁えているが、ジャンルは違えどデザイナーであり審美眼も確かな志保子は生半可なものを許さない。
というか一生に一度の宝物を雑な選定で渡すな、という主張をしてきており、知り合いのジュエリーデザイナーはどうかと勧めてきているのだ。
これが自分の選んだものにしろ、ならとんだ過干渉親だが、あくまで「婚約指輪はいいものにした方がいい。ツテはあるしブランドに拘りがないなら石やデザイン製作に融通がきくオーダーの方がいい。心行くまでデザインに凝れる」という主張。
実際にそのデザイナーの作品例を見てみない事にはオーダーにするという決め手がないが、志保子が勧めるのは理由として頷ける、とは思う。
「ふふ、椎名さんも愛されてますね」
「そうですね。既に娘扱いですから。俺より可愛がられてますよ」
「素敵な関係で何よりですね」
「まあ嫁姑問題とかはなさそうですね。息子蔑ろ問題は多発しそうですけど」
「椎名さんが執り成してくれるでしょう。多分」
一緒になってキャッキャウフフしていそうな気がしなくもないが、それはそれとして真昼が志保子を実の母親のように慕ってくれるのは嬉しいので、周が多少放置されて上手くいくならそれでいい気もする。
(小さい頃の事を掘り出さなければ、だけどな!)
盛り上がった結果周の幼少期の話題が飛び出るとかよくおるので、そこには注意しなくてはならない。
何故息子より義娘(予定)の方が親しいのか、と内心で苦笑しつつテーブルを拭き上げた周に、文華は何かに気付いたように時計の方に視線を向けた。
「引き留めてしまってすみませんね」
「いえ、大丈夫ですよ」
いつも通りの時間だし過ぎた所で給料が増えるだけ。
真昼を寂しがらせる時間が増えてしまうのはいただけないが、このくらいの時間になる事はよくある事だ。
真昼に連絡を入れておけば然程心配される事もない。帰ってからしっかりスキンシップをはかるつもりである。
だというのに、文華はやや申し訳無さそうに眉を下げてから、棚に置いてあった紙袋を持ってきて周に差し出すではないか。
「お詫びにこちらをどうぞ。椎名さんと一緒に召しあがってくださいな」
「それが本命なのでは……?」
「うふふ、バレてしまいましたか。試作品なので感想を聞かせてくださいね」
周の指摘に茶目っ気を滲ませた微笑みで周に紙袋の持ち手を握らせる文華は、どことなく期待したような眼差しにも見える。
文華的には舌の肥えた真昼に味見してもらう事で改善点を洗い出そうとしているのだろうし、カップル大好きな癖に従って周と真昼が仲良くしてくれる事も望んでいるのだろう。
「ありがたくいただきます。いつもありがとうございます」
多少他人への興味が強すぎるきらいはあれど、善意の塊のような人間性である文華は、一店員である周の事もかなり気にしてくれてこうやって真昼と共に気遣ってくれて非常に有り難い。
それはそれとして、周の口から真昼との仲を聞きたがるのはちょっと困るのでもう少し控えてもらいたいものだが。
「いえいえ、こちらこそいつもご馳走様です」
「ご馳走様……?」
「いえなんでも」
何か聞き捨てならない事を言われたような気がしたが、文華に問い質そうにも慈愛のスマイルを向けられて「お疲れさまでした」と言葉で背中を押されてしまっては追求しきれず。
周は微妙に落ち着かない気持ちになりながらも退勤のためにタイムカードを押しに行った。
「ただいま」
「おかえりなさい」
いつも通りの帰宅になるように、そして軽いトレーニングも兼ねて駅から自宅まで緩く走って帰った周は、玄関先での真昼の出迎えに頬を緩めた。
こうして真昼が出迎えてくれた訳だが、エプロンを付けたままドアを開けた姿が、妙に似合っていて笑いながらまじまじと真昼を見つめてしまう。
別に固定観念がある訳ではないのだが、こうして家で帰りを待っていてお出迎えしてくれる、というシチュエーションは何というか、家庭らしさを感じて面映ゆさと嬉しさで胸が落ち着かない。
「どうかしましたか?」
鍵を閉めて土間に上がったはいいものの、靴を脱ぐでもなくただ立ち止まる周を不思議に思ったのか、真昼が首をこてりと傾げつつ見上げてくる。
「いや。……なんかいいなって」
「いい、とは?」
「出迎えてくれるのって」
この感覚を出迎える側の真昼が正確に理解してくれるかは分からないのだが、周にとってこうして穏やかに出迎えてもらえるのは何とも言えない心地よさがある。
流石に、直接真昼に家族みたいだ、とは恥ずかしさから言えないのだが。
「なるべく出迎えているつもりなんですけどねえ」
「何気ない当たり前の日常が幸せなんだなって事」
「成程。それはそうですね」
「願わくばいつまでも続きますように、という所存です」
こうして待ち望んで出迎えてもらえるというのは当たり前ではないと分かっているからこそ、相手を大切にしなければならない。何もなくても大切にする気ではあるのだが。
ここは大真面目に真昼を大切にすると主張した周に、真昼はおかしそうに笑って。
「お互いにそう思っていたら叶いますよ。……大切にしますから大切にしてくださいね?」
「そりゃ勿論。という訳で本日のお土産はこちらです」
「まあ」
ご機嫌を取るとかそういう目的ではないしそもそも偶々なのだが、まるでそのために用意しましたよという感じが出てしまうのが躊躇う所だ。しかし文華から預かったものを渡さない選択肢はない。
そこまで大きくないシンプルな紙袋を手渡された真昼は、周と紙袋を交互に見て不思議そうにしている。
「……こちらは?」
「オーナーから試食品のご提供だそうで。改善点求む、だそうな」
「なるほど、いつもお気遣いいただいて申し訳ないですね」
緩く眉を下げて微笑みつつ大事そうに受け取る真昼は「あとでお礼のメールを送らなくては」と呟いており、いつの間にか周が知っているよりずっと文華と交流している事が伺える。
「知らない間に滅茶苦茶交友範囲が広がってるな……」
「周くんがお世話になっていますから」
さらりと言ってのける真昼に、周は思わず真昼の顔をまじまじと見つめてしまう。
「さっきからどうしたんですか」
「いーや何でも。お腹すいたなーって」
その発言の一つ一つが、何処の妻だというものなので、顔には出さないものの心臓がいつもより早く脈打ってしまうのだが、ここで意識していると顔に出せば真昼に伝わってしまう。
細やかな動揺に気付いたのか気付いていないのか、真昼はほんわりと柔らかな笑顔を浮かべた。
「ご飯は出来てますよ。今用意しますね」
「……分かっててやってない?」
「何がです?」
「何でもなーい」
どう考えてもすごく「らしい」言動をしているが、本人の調子的に特段意識している訳でもないのだろう。
本当にこの子は、と思いながらも嬉しい事には変わりなく、照れ臭さを全て飲み込んで周は「今日のご飯も楽しみ」と笑いながら靴をスリッパに履き替えて洗面所に向かった。





