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1話 バラの香り

 事の始まりは、妹が恋人と別れたことだった。私の妹、大沢ひよりは大学2年生で私とは8歳差だ。8歳も離れているからから姉妹というより娘といった感覚で、お互い親元を離れて暮らしているが、よく連絡を取り合っている。


 「彼氏と別れた」と電話をもらったとき、ひよりはかなり落ち込んでいた。そんな妹に、私は自分が恋人と別れた直後にハマった乙女ゲームをすすめたのだ。


 乙女ゲームはイケメンと恋愛する女性向けアドベンチャーゲームの通称で、種類も多岐に渡る。私がすすめたのは、べらぼうに明るくてハッピーエンドしか用意されていないやつ。だって、そうでしょ?別れたときって、どうしても気持ちが暗くなりがちだし。だから、とびきり明るくなれて現実を一時的にでも忘れられるようなものがぴったりだと思ったの。そのときは。でも、忘れるどころかひよりは帰ってこなかった。


 ひよりから返信が来なくなって数日、私は不思議な夢を見た。夢の中でひよりはあのゲームの主人公になって、イケメンたちとキャッキャウフフしていたのだ。ああよかったなぁ、立ち直れたんだなぁ、と思う反面、私だってイケメンと恋愛したいぞこのやろー!という気持ちが湧いてきたのここだけの秘密だ。


 私がひよりに声を掛けようとしたとき、夢は終わった。現実世界で、電話の音が鳴ったのだ。電話は母からで「ひよりと連絡がつかない。あんたなんか知らない?」という内容だった。


 私が仕事で忙しい両親より一足早く、妹の住むアパートに行くことになった。本当は怖かったけれど、心配が勝ったのだ。でも、いざ部屋の前に立つと、緊張してなかなかインターホンが押せなかった。


 だってもし、ひよりが倒れていたら?もし、もしも、死んでいたら?想像すると怖くてたまらなかった。でも同時に、それはないだろうという妙な安心感があった。あの夢のせいだ。予感、というやつかもしれない。


 とにもかくにも、私は数分間扉の前で粘った後、私を意を決してインターホンを押した。一度、二度、三度。案の定と言うべきか、誰も出てこない。私は母から渡された合鍵を使い部屋の中に入った。

 扉を開けると、ふわっと花の香りがした。


「バラ?」


 私は花に詳しくないが、バラの香りくらいなら分かる。そう言えば、あのゲームのパッケージにもバラの花が描かれていたな。


 そんなことを思い出しながら、私は部屋が臭くないことに安心した。テレビドラマでよく見る、死体がある部屋を開けたときにする臭いがなかったからだ。大丈夫、ひよりは死んでない。その事実が私を元気づけた。


 ひよりの部屋は玄関のすぐ横にキッチンがあり、扉を隔ててリビングがある。キッチンのシンクには食器が洗われないまま残されていた。


 「ひより!」


 私は玄関で妹の名前を呼んだ。返事はない。ただ、扉の向こうから何か音が聞こえた。何かの音楽のようだ。


 私は玄関で靴を脱ぐと真っ直ぐリビングへ向かった。不思議と恐怖は薄れ、何かに導かれるように扉を開くと、つけっ放しになっているテレビ画面が目に入った。音楽はそこから流れている。画面には見覚えのあるイラストが描かれていた。


 「確か…アンドリュー?」


 記憶のかなたからすくい上げてきた名前が、画面に映る金髪碧眼イケメンの名前である。アンドリューは、例のゲームで主人公が恋に落ちる男性キャラの一人だ。


 小さな白いテーブルの上にはコントローラーが置かれたまま、そのすぐそばでひよりは突っ伏していた。


 「ひより!」


 かけよって抱き起すと、ひよりは寝息を立てていた。


 「…寝てる?」


 目を閉じているが、顔色もいい。ひよりからは強いバラの香りがした。


 「違う、この部屋全部から香ってるんだ」


 香りの元を探していくと、テーブルの上に置かれたままになっているゲームのパッケージが目に入った。


 「もしかして、これ…?」


パッケージに手を伸ばそうとしたとき、私の意識はぷっつりと消えた。最後に嗅いたのは濃いバラの香りだった。

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