第95話 両親との決着・凪沙の場合 後編
私は母を連れて実家へと戻った。
たった3ヶ月では特に変わった所もない。
相変わらず潔癖症の父が母に命じて徹底した掃除をさせているようだ。
自分では何もしないくせに、他人には完璧を求める。
いや、自分の都合と理想を押し付けて、思い通りにならないと辛く当たる。
まるで子供みたいだ……。
(はは……それって瑛斗じゃん。なんだか皮肉って言葉じゃ片付かないな)
笑い話にもならないとは、まさにこのことだった。
扉を開き、家の中へと入る。
3ヶ月前まで暮らしていた家。だけど決別して出て行った我が家は、もはや他人の家のように感じる。
「お父さん、ただいま帰りました」
父は相変わらずリビングでふんぞり返って新聞を読んでいた。
こちらを一瞥することなく、自分の用事だけを淡々と告げる。
「帰ってきたか。直ぐに準備しろ」
「準備? 何の?」
「なんだ、母さん。説明していないのか」
「……」
母はバツの悪そうな顔で目を逸らした。
なるほど。父の言いつけで私を連れ戻そうとしたのは、何か都合の悪いことが起ころうとしているからか。
「うちの会社で取引先の社長がご子息の結婚相手を探していてな。会社の成長に重要な取引だから是非成功させたい。だからお前を嫁がせる事にした。早く準備しなさい。先方との約束は明日だ」
何を……言っているんだ、この男は……。
「何をボサッとしている。女の準備は時間がかかるんだろう? 着物の試着に美容院。向こうの息子さんのご趣味に合わせる為の資料の読み込み。やることは山ほどあるんだ。サッサと動け」
「……けるな……」
「なんだと?」
「ふざけるなぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
初めて、父に対して怒鳴り声を上げた。
諦めていた反抗。逆らったら暴力。それがこの人のやり方だった。
だから子供の頃からのトラウマで面と向かった反抗はしてこなかった。
グレることで無言の抵抗をするしかできなかった。
だけど、これは駄目だ。
この人にとって、私は本当に単なる道具なんだ。
「なんなんだそれは! あんたにとって私はなんなんだ! どうして人の人生をそんな簡単に決めてしまえるんだ!」
数年前、私が大学生達にレイプされた時もそうだった。
あの時、この男は言った。
【フラフラしてるからそういう目に遭うんだ! 傷物にされたら価値が下がるだろうが!】
私の純血すら、この男にとっては政略結婚の付加価値でしかなかった。
だから、汚れてやろうと思ったんだ。
セックスを武器にして、男に負けないために、泥を啜る決意をした。
それが父にできる反抗だった。
あの時と、こいつは何一つ変わっていない。
「ツベコベ言うな。見てくれ以外何の取り柄もないバカ娘にできる事など、男の役に立つ為に女の役割を果たすことだけだ」
「なんだと……」
「せっかく美人に育ててやったんだ。せめて優秀な遺伝子の受け皿くらいやってみせろ」
なんだそれは。私には孕み袋の役割しかないって言いたいのか。
「ああそうかよ……。今ハッキリと分かりました」
「なんだと?」
「あなたは私の親でもなんでもない。もう関わるつもりは元々無かったけど、更に決意が固まりました。あなた方2人との親子の縁を切ります。私は二度とここには帰りません。今を持って親と子でもなんでもない。単なる赤の他人です!」
「バカな事を言うな。日本の司法で親子の縁を切ることは不可能だ。お前は何をどう足掻いても私の娘である運命からは逃れられない! 大人しく言うことを聞け!」
何が運命だ。陳腐な言葉を使いやがって。
その瞬間、頭の中がスッと冷たくなっていくのが分かった。
怒りを通り超して、この2人に対する感情が完全に無関心へと変わったのだった。
「呆れた……。そんな時代錯誤な価値観が、本当に通用すると思ってるの? 私はあなた達夫婦の道具じゃない」
バキッ――!
頬に熱い衝撃が走る。
次の瞬間、私は吹き飛ばされて床に倒れ込む。
すぐに殴られた事に気がついた。
平手ではなく、拳でだ。
ショックは受けなかった。予想通りだから、咄嗟に体が逃げてダメージは少ない。
これも本当に予想通り。気に食わないと殴っていうことを聞かせようとする。
子供の頃から何度も味わってきた屈辱だった。
「バカ娘が。なぜ逆らう。女のお前は私の言うことだけ聞いて生きていればいいんだ。無駄に逆らって私の時間を浪費させるな!」
呆れて物が言えなかった。
この男は、どこまでいっても自分の事しか考えていないのだ。
私は溜め息を着きながら無言で立ち上がり、そのまま出口に向かって歩き始めた。
「待てっ。話はまだ終わってないぞ。グズグズしていないですぐに嫁入りの準備をしろ」
私は精一杯の侮蔑の念を込めて父を睨み付ける。
「この殴られてアザになった顔のままですか?」
「チィ……そんなもの化粧でどうにかなる」
やっと自分のした愚行に気がついたらしい。
そんな私に怯んだのか、見たことのない焦り顔で固まる。
「可哀想な人……。なんでも自分の思い通りにならないと癇癪を起こす。まるで子供ね」
「な、なんだと……。今なんと言った。親に向かってなんだ、その反抗的な態度は」
「いいえ、もうあなたに反抗するつもりはありません。全てにおいてどうでもいいです。ようやく分かりました。私を嫁がせないと、よほどマズい理由があるんでしょうね」
そこで初めて父の顔色が変わった。それも青ざめる方向で。
「大方、娘を嫁に差し出せば昇進を約束されているか、そうしないと自分の会社内の立場が危うくなるか……」
冷や汗を掻いているのが分かる。
今分かったのは、この男はプライドだけ肥大化した小心者だという事だ。
図星を突かれて固まって、ワナワナと震えながら屈辱に耐えている。
必死に反論しようとしているのだろう。
「どっちにしても、このままあなたの道具として一生を終えるのは御免被ります。私にはもう心に決めた人がいます。あなたには関係無い事ですけど」
「お、おい、どこへ行くつもりだ」
「待ってくれている人がいます。だから私は家に帰ります。もうここに用はありませんから」
「待てっ。話はまだっ――――」
――ピンポーン
父が再び私に掴みかかろうとしたところで、突如としてインターホンが鳴る。
戸惑ってばかりだった母が逃げるように応答しにいき、モニターで話し始める。
「〇〇警察です。こちらは浮島貴文さんのお宅でしょうか」
「け、警察!?」
母の声に、父が明確に動揺を始めたのが分かる。
一体何が起こったのか。
私は構わず玄関の方へと歩き出す。
「あ、おい待て! いま玄関を開けるのはマズい! やめろ凪沙っ」
父が静止するのも聞かず、私はドアを開ける。
そこには数え切れない警察官と、私服の刑事が数人経っていた。
パトカーは複数台。随分と大所帯で来たらしい。
ご近所の人達がワラワラと集まっていた。
「はい。ここは浮島貴文の自宅で間違いありません。彼は中にいますよ。どうぞお入りください。私はもう帰るところなので」
「あなたは?」
「ここの娘だった者ですが、たった今、親子の縁を切ったところです」
「……そうですか。浮島貴文さん。あなたに粉飾決算、及び業務上横領による特別背任罪の容疑で逮捕状が出ています。更に会社内の複数のパワハラ、女性社員に対する性的な暴行を含めた被害報告により、こちらも逮捕状が出ています。署までご同行願います」
「呆れた……パワハラだけじゃなくてセクハラもしていたの?」
「ち、違う! 私は未来ある若者の将来を支える為に!」
「会社内で複数の女性社員から猥褻な行為を強要された証拠が挙がっています。セクハラではなく、明確な性犯罪です」
なるほど……。どうやら父だった男は、プライドだけではなく、性欲もお盛んだったらしい。
母は既に発狂しそうなほど顔を青ざめて崩れ落ちていた。
その光景を見ても、既に何の感情も湧いてこない自分に気がつく。
私は極めて冷静に、警察官に告げる。
「私は事件に無関係ですので、帰ってもよろしいでしょうか」
「はい。後日事情をお聞きしに連絡させていただくかもしれませんが」
「分かりました」
聞かれなかったので、住所や連絡先を告げることなく、私はその場を後にする。
瞬間、母の布を引き裂いたような絶叫が響き渡る。
「ふざけないでよぉおおおお! なんてことしてるのよこのバカ男ぉおおお!」
「うわっ、母さんっ、やめろっ。包丁をしまえっ!」
「お、奥さん落ち着いてください!!」
「私の生活どうしてくれるのよぉおおおおお!」
「うわぁああ、ま、まってくれっ、許してくれぇえ!!」
「死ねぇええええええええええ!! 返せ! 私の人生返せぇええええええ!!」
遠くから聞こえてくる両親だった男女の断末魔のような絶叫を背中に受けて、胸が空くような爽快感が気分を晴らしていく。
(ザマァみろ……かな。でも、良い勉強になったよ)
ロクな親じゃなかったけど、最後に【人の振り見て我が振り直せ】を体現してくれた事に、皮肉を込めた感謝を送るのだった。
☆バカ親父と身勝手母の末路☆
・父→実刑判決で刑務所に収監。数年後、痴呆症になって獄中で事故死
・母→ホームレスに。数年後、川橋の下で寝ている所を大雨の増水による氾濫で溺死
※いずれの末路も凪沙は一生知る事はなかった




