第94話 両親との決着・凪沙の場合 前編
【凪沙 視点】
「ふぅ~。き、緊張してきた」
病院に瑛斗の様子を見に行った瑛一郎さんが出発して、15分ほど経った頃。
私は胡桃ちゃんと一緒に部屋で待つことにしていた。
だけど、帰ってきたら彼に気持ちを伝える。
そう決めたと意識した瞬間に、体が緊張で強張ってしまい、心臓が早鐘を打ち始めた。
「もう答えは決まっているようなものじゃないですか。どうしてそんなに緊張するんです?」
「だ、だって。言っちゃなんだけど、まともな恋愛なんてほとんど初めてなんだもの……。やっぱり断れられたらって思うと、緊張で吐き気が……」
「胡桃なんて悠真ちゃんと再会して一分で気持ちを伝えてディープキスまでしちゃいましたよ♪」
「その行動力は凄すぎて参考にならないかなぁ」
胡桃ちゃんはずっと私のケア……というか、雑談相手になってくれた。
だけど、私達はすっかり打ち解けていた。
クラスメイトと雑談することはあっても、こんなにリラックスして素の自分で喋れる相手はいなかったに等しい。
――ピンポーン
「あ、帰ってきましたよ」
「え、早すぎない? さっき出かけたばかりなのに」
病院から戻ってくるにはあまりにも早すぎる。
来客の予定もないので予想が付かない。
私はドアのレンズをのぞき込んで、誰が来たのか確かめた。
「っ!?」
そこにいたのはあまりにも予想外の人物であり、まったく会いたくない人物だった。
「なんで……」
なんでこの家が分かったの?
ドアの向こうの人物は、気配を感じとったのか声を掛けてきた。
「凪沙、凪沙なんでしょ? ここを開けて話を聞いてちょうだい」
「浮子さん、どなたですか?」
「……」
私の気配を察したのか、胡桃ちゃんが息を潜めるように声をかけてくる。
「ねえ凪沙。お母さんよ。ここを開けて話を聞いてちょうだい! お父さんが大変なの。助けてちょうだい。お願いよ凪沙」
「えっ、お、お母さんって……」
そう、母だった。3ヶ月前に決別し、別れの挨拶に一瞥すらしなかった無情の肉親がそこにいた。
「浮子さん、相手にすることはありません。このまま無視しちゃいましょう」
「……」
無視……確かにそれが最適だった。
どうやってここを調べたのか分からないけど、あの両親の事だ。
探偵でも雇ったんだろう。
父親の入れ知恵ならやりそうなことだった。
だけど……。
「いえ、私も、親との関係に決着を付ける良い機会だわ」
私は新しい人生を生きる。そのために私も瑛一郎さんのように、両親との関係に決着をつける必要がある。
私は無言で扉を開く。
「ああ、凪沙。よかったわぁ。ねえ、お父さんが大変なの。すぐに帰ってきて頂戴。もう新幹線のチケットは用意してあるわ。早く準備してね」
私は開口一番自分の都合だけを並べる母に溜め息を漏らす。
「相変わらずねお母さん。こっちの都合なんか何も考えてない。まずはお父さんに何があったのか説明する所からでしょ」
「そんなことどうでもいいのよ。早く帰ってきなさい」
こっちの話なんてまるで聞いていない。
(ああ……これ、ちょっと前の私だ)
かつて悠真に自分の都合を押し付けた記憶が蘇ってくる。
まさしく因果応報だ。
「お母さん、そんなに大変なら、何故連れ戻したいのか理由を説明して! 子供じゃないんだから!」
私が声を強めると、ビクリと体を強張らせた。
「忘れた? あなた達は私が出て行く時、何も言わなかった。それでそっちの都合が悪くなったら有無を言わさず連れ戻すの? お父さんとお母さんにとって、私ってなんなの?」
私は思いの丈をつぎ込んだ言葉をお母さんに浴びせかけた。
だけどそんな思いも、自分のことしか考えていない母にはただの大声でしかなかったようだ。
「そんなに大きな声出さないでよ。良い子だから素直に帰ってきて。帰りの新幹線で事情は説明するから」
「あの、横から失礼します」
私が母の身勝手な言い分に苛立ちを募らせていると、冷静な顔をした胡桃ちゃんが声をかけてくれた。
「だ、誰なの?」
「凪沙さんの友人で、桃峰胡桃と申します。赤の他人の私ですが、一つだけ言わせて欲しいことがあります」
「な、何よ。関係無い人は引っ込んでてちょうだい」
「お母さん、そんな言い方はやめて。彼女はこっちで大変な時に私を助けてくれた恩人よ。無碍に扱わないで」
「凪沙さんのお母さん、胡桃から言いたいことは一つだけです」
「な、なに?」
「子供は、親の都合の良い道具ではありません。本当に困って助けて欲しいなら、誠意を持って事情を話すのが人として当然ではないでしょうか」
「……」
母は胡桃ちゃんの言葉に絶句して押し黙った。
流石に冷静さを取り戻したか。
そう思った瞬間、母は癇癪を起こしたようにドアを蹴り始める。
「ぁあああああああああ!! どうして言うこと聞いてくれないのよ! お父さんは連れ戻して来いってそればっかり! 娘は言うこと聞かない! どうして私ばっかりこんな目に遭わないといけないのよ!」
これが母の姿か。
哀れで仕方なかった。
母は自分の思い通りに動こうとしない私に癇癪を起こして八つ当たりを始める。
そうだった。昔から母は私が言うことを聞かないと、こうして癇癪を起こして暴れる人だった。
父から受けたストレスを、子供の私で解消しようとするような人だ。
私は腹の底から溜め息を漏らした。
「……分かった。一度帰ります」
そう聞いた母の目が輝く。
「本当に!? ああ、良かった。これでお父さんに怒鳴られずに済むわぁ」
「勘違いしないで。帰るのは、二度とあなた達の都合に振り回されないようにケジメを付けにいくだけ。3日後に戻ります。お母さんは先に戻ってください」
「困るっ、困るわっ! それじゃ困るのよぉ! 私がお父さんに怒られるのっ。あなたも知ってるでしょ? お父さん怒ったら手が付けられないのよ」
「だったら離婚でもしてあの家を出ればいいわ」
「そんな事できるわけないじゃない。お母さん働いたことないんだもの! あの人の言いつけでずっとずっと専業主婦だったのよ。あの家を放り出されたらもう生きていけないわ!」
呆れて物が言えなかった。
どこまで行っても他責思考。本当にこの母にしてこの娘有りだ。
自分を見ているようで辛かった。
「それはお母さんが自分で何も決めてこなかったからです。お願いお母さん、これ以上失望させないで」
「どうしてよぉ。どうして言うことを聞いてくれないのよぉ! どうして私ばっかりこんな目に遭わなくちゃいけないのよぉ!」
母は再び癇癪を起こし、その場で暴れ始める。
「分かった。今から帰るわ。これで終わりにしましょう」
私は母の提案を受け入れて、3ヶ月ぶりに実家に戻ることにした。
「本当に!?」
「ええ。すぐに準備するから待ってて」
「ああもうっ。始めから素直にそう言えば良いのに。やっぱりあなたは素直で良い子だわ凪沙」
勝手に勘違いして都合の良い解釈をする母に悲しみがこみ上げてくる。
私はどこまでいっても都合の良い道具でしかないらしい。
「胡桃ちゃん、私も自分の過去に決着を付けてくるね」
「大丈夫ですか? 副店長さんの帰りを待った方が」
「ううん。これは私が自分で決着を付けないといけないの。だから関係無い人を巻き込む訳にはいかない。いえ、これくらいをやり遂げないと、私は過去と決別ができないから」
「……分かりました。胡桃は、信じて待っています」
「ありがとう。直ぐに帰ってくるから、瑛一郎さんが戻ってきたら事情を説明しておいてもらえるかな。メールだと余計心配させちゃうから」
「分かりました。胡桃にお任せください」
メールで伝えることもできたが、心配を掛けたくないのでそのまま出発することにした。
瑛一郎さんなら、言えば必ず力になってくれる。
だけど、私がこれからの人生を自分の意志で歩んでいく為には、この問題だけは自分の力で解決しないといけない。
そう、腹に決めて、私はお母さんを連れて実家に戻ることにした。




