第91話 克服と決別
「畜生! 俺は諦めねぇぞ凪沙っ! 絶対復讐してやるからな! 何年経ってもこの恨み忘れねぇぞ!」
「そう言うことを言うと裁判で不利になるぞ。刑務所生活が長くなるだけだ」
「くそぉおおおおお! 俺は悪くねぇ! 俺は何も悪くねぇんだ!!」
瑛斗はパトカーに押し込まれる寸前まで怨嗟の罵倒をやめなかった。
あまりにも暴れるので、最後は警官に関節技をきめられていた。
「やれやれ……最後まで救いようのない奴だったな」
瑛斗は逮捕されて警察に連行されていった。
悠真によれば、瑛斗は警察から指名手配を受けていたらしい。
あれだけのことをやったのだから当然といえば当然だ。
本来なら私も警察に逮捕されてもおかしくなかった。
たまたま被害者に近い立場にいたから、今の状況で済んだだけだった。
「凪沙さん、とにかく、新しい服を着ましょう」
「副店長……ごめんなさい」
「あなたが謝ることなんて何もありません。ボクの方こそ、今日は迎えにくるべきでした」
私は彼の腕に抱きしめられながら、ぼんやりとその熱量を確かめる。
それを見ていた悠真の視線に気が付き、慌てて彼にもお礼を言う。
「悠真……あの」
「何も言わないでください」
「え?」
突然の敬語に戸惑う。悠真はこっちを見ていなかった。
「俺がここに来たのは、胡桃ちゃんを助けてくれた見知らぬ誰かにお礼をするだめですから」
「悠真……」
悠真は、本当に聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。
「大変な目に遭われましたね。今は自分を労ってください」
「え……あ……」
思いがけない優しい言葉。胸が高鳴る。
そしては彼はこちらを見ないまま、言葉を続けた。
「それから」
「え?」
「何をとは申しませんが、……私の知人に伝言をお願いします。【ゆっくりで構わない。たまには自分のことも考えろ。無理や無茶をしても、俺は嬉しくない】……」
「それって……」
「君のやりたいようにやればいいと、そうお伝えください。時間制限は設けないから……まあ、ゆっくりやれよ。例のものはメイドの木下さんが保管してくれてる」
ああ、そうか。悠真は……。
(見ていてくれたんだ……)
「……ありがとう。いいえ、ありがとうございます……」
何を、とは言わなかった……でも、何のことを言っているのかは明らかだった。
少しだけ、心が軽くなった気がした。
許された訳じゃないだろうけど、私のやろうとしていることが認められた。
それが分かって、嬉しかった。
「さて、俺達は戻るか。胡桃ちゃんはどうする?」
「胡桃はここに残ります」
「分かった。警察の情報が入ったら教える。もう心配ないだろうけどな」
「はい。ありがとう悠真ちゃん」
「あ、そうそう。朝倉瑛斗のことはこっちに任せておいてくれ。二度とまともな世界には出てこられない」
「え、それって……」
「知ってたか? 高見沢って、社会的にも色々と融通が利くんだ」
「悠真ちゃん……」
そして、ほんの少しだけこちらに視線を向けた悠真は、私の知っている優しい笑顔で、こういった。
「ま、心配するな。お前がまともに生きようとする限り、あの犯罪者がお前の前に現われることはない。だから……」
そこで言葉を止めた悠真。
何かを言おうとして、頭をポリポリと掻いていた。
「いや、まあいいや。これで胡桃ちゃんを助けてくれた《《誰か》》に対する借りは返した。じゃあな。もう二度と会うこともないだろうよ」
それから悠真が私の方を見ることはなかった。
多分だけど、これ以上私と一緒にいると、自分の感情がブレるから。
そう思っているのだろう。
(皮肉……だよね。今なら悠真の気持ちがよく分かる。本当に、優しい人……)
彼は私が許されたくないことを知っている。だから必要以上に接触しないんだ。
私のやろうとしている事を尊重して、何も言わずに立ち去ってくれたんだ。
それが、よく分かる……今なら、よく分かった。
(でも……ありがとう。これで踏ん切りがついた)
その時、私の中に残っていた悠真への未練の気持ちが、洗い流されるように消えていくのが分かった。
そして悟った。
悠真と副店長……瑛一郎さんは別の人であること。
似ていることと、同じであることは違うんだということ。
「さて、それじゃそろそろ俺達は退散するとしよう。胡桃ちゃんは後で迎えをよこすから、気が済むまでここにいていいよ」
「うん」
そうして、悠真はドアから出て行った。
それが私の生涯で、悠真の姿を見た最後だった。
私は彼の後ろ姿に、そのまま深く頭を下げて土下座する。
そして心の中で何度も感謝を伝え続けた。
(ありがとうございます…本当に、ありがとう……)
扉が閉まり、後には静寂が訪れる。
私は副店長の方へと向き直った。
「副……瑛一郎さん」
「え、ぁ……な、凪沙さん」
「あなたに、お伝えしないといけないことが、沢山あります。聞いていただけますか?」
「……ええ。いくらでもお聞きしますとも。でもその前に、ご自分を労ってください。今は休みましょう」
「そうですよ凪沙さん。いっぱい大変だったんです。今は身体を休めてください」
「ありがとう……胡桃ちゃん」
安心感が全身を包み込む。急速に力が抜けて、感情が解放されていく……。
「う……」
「な、凪沙さん。大丈夫ですかっ」
「あれ……あれ……おかしいな……なんで」
目頭が熱くなって感情の制御が効かなくなってくる。
「もう、やだ……駄目、駄目なのに……泣かないって、決めてたのに」
「いいんです。気持ちを解放しましょう」
「そうですよ浮子さん! 素直な気持ちを言葉にしちゃいましょうよ」
抱きしめてくれた瑛一郎さんの体温を感じ、堪えていたものが溢れ出しくるのを止められなくなる。
「うぅ……ううっ、うわぁああああん! よかった……汚されなくて、よかったよぉ!」
私は泣いた。もう止めることはできそうもなかった。
覚悟は決めたつもりだった。
だけど、事なきを得た今になって、心の底から安堵している自分がいた。
そんな泣きじゃくる私を見て、私を大事にしてくれる二人が、しっかりと抱きしめてくれた。
雨は……いつの間にか上がっていた。




