第9話 浮島凪沙・苛立ちの始まり
【凪沙 視点】
教室の窓から、午後の陽射しが斜めに差し込んでいた。
私は窓際の席に座ったまま、ぼんやりと外を眺めていた。
スマホをいじりながら、今日の放課後どうしようかと頭の中で計算を回していた。
瑛斗とどこかで会って、適当に時間を潰して、少しでも悠真から金を引き出せないか——そんなことを考えていた。
その時、視界の端に、妙な集団が映った。
白峰三姉妹だ。
葵、澪、雛。
三人が悠真を真ん中に囲むようにして、校庭の道を歩いている。
葵が悠真の左手を自然に握り、雛が右腕に絡みつき、澪が悠真のカバンを持って無言で寄り添っている。
「……は? 何あれ……」
私は思わずスマホを握りしめた。
指が白くなるほど力を込めてしまい、画面が一瞬歪んだ。
悠真の顔が、はっきりと見えた。
笑っている。
いや、ただの笑いじゃない。
少し照れくさそうで、でもどこか安心しきったような、柔らかくて生き生きとした笑顔だった。
私がフラれた直後なのに、あの顔は……。
「なんであいつ、笑ってるの?」
声に出して呟いた瞬間、胸の奥が激しくざわついた。
心臓がどくんと重く鳴り、息が一瞬止まった。
私はすぐに自分に言い聞かせようとした。
(所詮は三姉妹に慰めてもらってるだけでしょう。
すぐに飽きられるに決まってる。
あいつはチビでボンクラで、女慣れなんてしてないんだから)
でも、目が離せなかった。
むしろ、ますます釘付けになった。
白峰三姉妹……。この学園で、たった一組、私の思い通りにならない存在。
葵が悠真の手を優しく握り直すたび、
雛が笑いながら腕に体を預けるたび、
澪が無言で悠真の荷物を運ぶ姿を見るたび、
私の胸の奥で何かがざらざらと擦れるような、嫌な感覚が広がっていく。
あの笑顔は、私が知っている悠真の顔じゃなかった。
私がアイツをATM扱いして、笑いながら捨てた時の、青ざめて震えていた惨めな顔じゃない。
もっと生き生きとして、安心しきったような……まるで、私がいなくても平気だと言わんばかりの顔だった。
「惨たらしく捨ててやったのに……なんでたったひと晩であんなに平気な顔してるの?」
苛立ちが、じわじわと胸の奥に染み込んでくる。
熱いものがこみ上げて、喉が焼けるように痛い。
私は自分の身長を思い出した。156cm。
悠真は158cm。
並んだら「ちょうどいいカップル」みたいに見えると、内心で優越感を抱いていた。
小柄で童顔の悠真と、私の小さい体格が、計算通りだったのに。
(幼馴染みだって話しだし……ペットでも飼ってる気分なんだろう)
そうに違いない。あの超絶ハイスペお嬢様の三姉妹が、いくら同じ金持ちだとはいっても、悠真如きに本気の恋愛感情を抱くとは思えない。
だけど今、三姉妹に囲まれた悠真は、まるで大切に守られているように見える。
長身の三人が悠真を包み込むように歩いている姿が、妙に腹立たしくて、胸がむかつく。
私は窓から目を逸らそうとしたが、できなかった。
歯の根がぎりぎりと鳴り、指先が小刻みに震える。
悔しさと苛立ちが、胸の中でぐるぐると渦を巻いている。
(なんで私があんな金しか取り柄のないモブ野郎にイライラしなきゃいけないんだ)
放課後、私は校舎裏のいつもの場所で瑛斗と落ち合った。
瑛斗は相変わらず派手な茶髪をセットし、制服をだらしなく着崩して、ニヤニヤしながら近づいてきた。
「よぉ、凪沙。財布くん、どうしてる? まだ泣いてんのか?」
いつもの軽いノリで笑う瑛斗の顔を見た瞬間、今日の苛立ちが一気に爆発しそうになった。
私は無理に笑顔を作ったが、頰が引きつるのが自分でもわかった。
「どうしてるかなんて知らないわよ。
三姉妹に囲まれて、楽しそうに歩いてたけどね」
瑛斗が声を上げて笑った。
「ははっ、マジかよ! フラれたばっかだってのに、三姉妹に慰めてもらってんのか。
かわいそーなチビ野郎。あんなデカ女じゃ勃つもんも勃たねぇってのによ」
私は笑い返したつもりだったが、唇が引きつるのが止まらなかった。
胸の奥で、何かが熱く煮えたぎっている。
瑛斗は私の腰に手を回しながら、いつものように言ってきた。
「で、金、出せよ。ライブの機材代が足りねえんだ。
お前、悠真からまだ少し引っ張れるだろ?」
その言葉に、胸の苛立ちが一気に沸点に達した。
「……今はちょっと厳しいわ。
悠真からの連絡も止まってるし」
瑛斗の笑顔が、少しだけ歪んだ。
「は? お前が『脅されてた』って泣きつけば、すぐに戻ってくるんじゃねーの?
チョロいんだろ、あいつ」
私は唇を強く噛んだ。
血の味が口の中に広がる。
瑛斗の目が、明らかに苛立っている。
これまで私を「便利な金づる」として扱っていた彼の態度が、思い通りにならないと分かったらこれだ。
金がなくなれば、態度が急変する。
私は無理に甘えた声を出した。
「わかってるわよ。
もう少し時間をくれれば……」
瑛斗はため息をつき、私の腰から手を離した。
「早くしろよ。俺も金がないとライブ出れねえんだから」
その言葉を最後に、瑛斗は校舎裏から去っていった。
私は一人になった校舎の陰で、スマホを握りしめた。
指が痛くなるほど強く握りしめていた。
家に帰ってからも、苛立ちは収まらなかった。
むしろ、どんどん膨らんでいく。
部屋のベッドに座り、スマホで学園の噂をチェックする。
「高見沢が白峰三姉妹に囲まれてる」という投稿が、すでにいくつか上がっていた。
写真はないが、内容だけでも胸がざわつく。
「私が捨てたはずの男が、なんであんなに楽しそうなんだよ……」
初めて、そんな考えが頭をよぎった。
もしかして、私が損した?
すぐに頭を激しく振って否定した。
「違う。私はいつも得する側にいる女なんだから。
あいつはチョロい。もう一回泣きついてきたら、金を引っ張れる」
私は鏡の前に立ち、自分の笑顔を練習した。
いつもの、清楚で可愛い笑顔。
男子も女子も騙される、完璧な笑顔。
「まだ大丈夫。あいつは私の財布だったんだから……」
鏡の中の自分に言い聞かせる。
でも、心の奥底に、小さな棘のような不安が、じわじわと広がっていくのがわかった。
悔しさと嫉妬が、胸の中で熱く渦を巻き続けている。
私はスマホを握りしめたまま、ベッドに倒れ込んだ。
悠真……
なんであんなに笑ってるの?
私が捨てたはずなのに……なんで私より幸せそうなんだよ……!




